「黎明の女神だ」
前世代の神の子であるベニートが連れてきたその女は、アイコと名乗った。
セジュムにとって、生まれて初めて対面する黎明の女神。同じく前世代の神の子ファズから聞いた話では、神の子全員が心から愛し、崇めるべき存在だと教えられていた。実際に目の当たりにしたアイコは、疑いようもなくキレイだと思った。その事実に、胸が高鳴ったのを強く記憶している。
ファズが黎明の女神の役割、すなわち「子を成し、神を選ぶ」という神聖な役目を説明し終えると、アイコは高い声で、場にそぐわない調子で叫んだ。
「えっ! これ全部タダ? タダでヤッていいの?」
その時、セジュムの胸に去来した違和感は、その後も変わることは無かった。アイコの表情には、高揚感と、どこか全てを舐めきったような享楽の色が混じっていた。
アイコは、黎明の女神という立場を利用して、神の子たちを徹底的に支配した。彼女は数時間おきに神の子を部屋へと呼びつけ、気分によっては二人、三人同時に呼ぶこともあった。彼女を満足させられなかった場合、罵声が飛び、頬を張り手されたり、足で蹴られたりする日もあり、神の子たちは精神的にも肉体的にも疲弊していった。
アイコは、中でもシリウスを特に気に入っており、いつもベッドの脇に置き、まるで飼い猫を愛でるように撫で回していた。
しかし、ある時を境に、シリウスがアイコの部屋に行かなくなった。他の神の子たちは不思議がっていたが、その理由は後に判明する。ある日、アイコから直接聞かされることになった。
「シリウス、不能になっちゃってさー。ほんっと居る意味無いわー」
ケラケラと笑いながら言い放つアイコの声を、セジュムは耳だけで聞いていた。愛撫を止めると彼女の機嫌が悪くなるためだ。この時、本来感じてはいけない感情……アイコに対し深い嫌悪がべったりと胸の奥に塗りつけられる。
その頃、偶然会ったシリウスの表情からは死を感じた。話しかけても朦朧として言葉少なく、目の下には濃いクマが出来ていた。シリウスは当時、早く不能を治して悦ばせろとアイコから強いプレッシャーを受けていたと、後にファズから聞いた。
そして、ある日突然、アイコはベニートの子を孕み、レオールを産んだ。ベニートは神となりようやく、アイコはバファマを離れたのだった。
***
「彼女の話は私とシリウスの間ではほぼタブー、思い出したくもない過去です。……シリウスが神になりたくないというのは研究室から離れたくないからと思っていました。彼は黎明の女神を傷つけることで自分の傷を誤魔化していたのですね」
エマは想像を絶する話に開いた口が塞がらなくなっていた。
「エグすぎ……」
「……黎明の女神の目から見てもアイコはエグいのですね」
セジュムは遠い目をする。
「ねえ、普通にヤバいよ。追い出したり、相手にしなければいいんだよ。拒否すればいいんだよ、そんなの! セジュムもシリウスも可哀想」
エマは思わずセジュムの手を取った。セジュムが大きなため息をつくと、エマの目を見て微笑んだ。
「エマが、黎明の女神が、過去の私たちの気持ちに寄り添ってくれる。それだけで今の私たちが救われます」
「シリウスも……救えるかなぁ」
セジュムの眉がピクリと反応する。
シリウスの過去を聞いて、エマの中から彼への強い憎悪が薄れていることに気がついた。同情の気持ちがそうさせたのだろう。シリウスと話がしたい。エマが心からそう思っていると、セジュムが複雑そうに表情を曇らせた。
「エマがシリウスを救わなくていい。私が彼に話をします。二度とエマに近づかないように」
セジュムはエマの背にそっと手を回すと、自身へ引き寄せた。彼が纏う深いムスクの香りが、ふわりとエマを包み込む。
「エマ。私の部屋にずっと居てくれませんか。私の目の届く範囲にずっと居てほしい。誰もこの部屋に近づけさせません。エマの傷ついた心は私が癒します」
セジュムの切実な温もりに触れ、エマの心もまた、彼の一途な愛に揺り動かされていた。このままセジュムという盾に守られていれば、シリウスへの恐怖も憎しみも、いつか薄れていくのだろうか。復讐の炎に身を焼くよりも、この穏やかな男の腕の中で愛されている方が、幸福に近いのではないか。
「もちろん、今すぐ私を伴侶に選べとは言いません。エマの傷が癒えるまで、私は貴女を守り抜きたい」
エマはしばし沈黙した後、意を決してセジュムを見上げた。
「……あの、セジュム」
「はい」
「セジュムが嫌じゃなければ、しばらくこの部屋に居させてもらおうかな」
思わぬ快諾に、セジュムは一瞬言葉を失い、エマを抱く指先に力がこもる。
「……え?」
「だから、その……たくさん、愛してほしいなって」
それは、重苦しい空気を変えようとしたエマなりの照れ隠しのジョークだった。だが、頭上から聞こえたのは、深刻なほどに戸惑ったセジュムの声だった。彼は丁寧にエマの身体を自身の身体から引き離した。
「……え、あ、どこまで、ですか? いや、待ってください。ちゃんと意味を理解していますか?」
エマの言葉に余裕をなくした今のセジュムに冗談は通じない。予期せぬ真剣な反応に、エマもまた動揺が伝染し、目を泳がせる。
「……理解してるよ。子供じゃないんだから」
その返答を聞いた瞬間、彼は喜びを噛みしめるような吐息を喉の奥で飲み込み、眼鏡を外して卓上へと置いた。
「失礼しました。……では、大人として扱いましょう……口を開けてください」
セジュムの親指が下唇を割り、湿った粘膜をなぞる。そのまま唇が重なった瞬間、彼は容赦なくエマの呼吸を奪った。
深く、執拗に舌が滑り込んでくる。
「ん……っ、せじゅ、む……」
掠れた喘ぎが漏れるたび、彼はそれを封じ込めるようにさらに深く沈み込んだ。
水音の卑猥な響きが静室に広がり、溢れた唾液が唇の隙間から伝い落ちる。
激しいキスと、彼の甘く熱い吐息が耳元を掠めるたび、下腹部の奥が疼くような感覚に襲われる。彼は何度も角度を変え、エマへの口付けを繰り返した。
「理解されてるんですよね」
そう言うや否や、セジュムはエマの身体を軽々と横抱きに抱え上げた。
その頬は高揚し、エマを見つめる瞳は焼き付くほどに熱い。彼はソファを離れ、数歩先のベッドまでエマを運ぶと、羽毛の上に彼女を静かに横たえた。
「あ、ちょっと、セジュム……?」
慌てて身を起こそうとしたエマだったが、セジュムが天蓋の紐を解くと、薄い生地が溜息をつくように揺れた。彼がゆっくりと引けば、天幕は静かな湖面に広がる波紋のように寄せてくる。
音もなく幕が閉じられ、内側は密やかな薄闇に包まれた。
セジュムはエマの両脚を跨ぐように膝をつくと、流れるような動作で外套を脱ぎ捨てた。
天幕の内側は、もう外界とは隔絶された別の世界。
呼吸を重ねるたび、その深い静寂が、二人の甘い熱を濃密に閉じ込めていった。