黎明の女神   作:浮月 愁

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温かいムスクの香りと、規則正しい寝息。エマは、柔らかな腕の中で目覚めた。見上げると、セジュムが深い眠りについている。新緑のような美しい髪、長く縁取られた睫毛、そして微かに開いた薄い唇。その穏やかな寝顔は、つい先ほどまでの研究室の緊迫感を嘘のように払拭していた。エマは彼を起こさぬよう注意しながら、そっと胸に顔を寄せ、安堵に満たされてもう一度目を閉じた。

 

意識はシリウスの部屋を出た直後に遡る。

二人は研究室を無言で離れ、足早にエマの部屋へ向かった。ドアを閉め、部屋の中に戻ってもなお、沈黙は重く続いた。先に口を開いたのは、エマだった。

 

「……助けに来てくれたの?」

 

セジュムはジェルドを部屋から追い出したあと、心配になってエマの部屋に向かおうと思ったが、しつこくされて嫌われるかもしれないと躊躇したという。しかし、拭いきれない胸騒ぎに抗えずエマの部屋に行ったが返事がないため、念の為、シリウスの研究室に行った。エマがいる可能性は高くないと思っていたらしい。

 

「本当にエマがいて、肝が冷えましたよ」

「……なんか変な話してた」

 

セジュムはハッと息を吸い込み、言葉を探すように視線を泳がせ、指先でそっと眼鏡を鼻筋に押し上げた。ほんの一瞬だけ、ためらいが横切る。

 

「シリウスの警戒を解く為です。……聞かなかったことにしてください」

「シリウスから何を受け取ったの?」

「え、えぇ……」

「セジュムって本当はあまり紳士じゃないでしょ」

 

エマがわざと意地悪く言うと、セジュムはわずかに目端を赤らめ、言葉にならない声を喉の奥で震わせた。しかし、そんな彼の人間的な弱さに、エマの愛しさは高まるばかりだった。エマは衝動的に飛びつくようにセジュムの広い胸に抱きつき、顔を擦り付けた。

 

「怖かった……来てくれてありがとう」

 

セジュムもホッとしたように、エマを強く抱き返す。

 

「無事で良かった」

 

心からの安堵と、セジュムの温かな体温を感じたことで、エマの身体の力が徐々に抜けていく。肉体的、精神的な消耗から猛烈な眠気が彼女を襲った。

 

「……寝ようかな。今日は疲れた」

「一緒に寝ましょう」

 

セジュムはエマを軽々と抱き上げ、ベッドへと運ぶ。

 

「え……あの、セジュム?」

「私も疲れました」

 

エマを優しくベッドに下ろすと、セジュムは外套を脱ぎ、眼鏡を外す。

 

「セジュム」

「はい」

 

彼はベッドで横になると、肘を突き、優しい瞳でエマを見下ろす。柔らかな髪が揺れ、エマに影を作った。先ほどの未遂の続きを期待されているのではないかと、エマの胸は小さく高鳴り、緊張が走る。

言葉を探しているエマの額に、セジュムがキスを落とした。

 

「エマ。私は紳士なんですよ。おやすみなさい」

 

先程エマが紳士では無いと言ったことに対し、冗談めかして返す。セジュムはエマの頭を持ち上げ、自身の腕を差し入れた。そのままふわりと柔らかく微笑み、目を瞑った。

先程の強い緊張が和らぎ、心に平穏が訪れる。一人で寝ても良かったが人肌の温かさがよりエマを安心させた。エマは心の中でこの人を選んだことは間違いではないと安心しつつ、数年ぶりの腕枕に若干の気恥しさを感じながら、そのまま眠りに落ちたのだった。

 

エマは目を瞑ったままセジュムの懐の匂いに癒されていた。しばらくすると、セジュムが目を覚ましたのか、エマの頭に触れ、髪を撫で始めた。おそらく、エマはまだ寝ていると思っているのだろう。優しく、触れるか触れないかの手つきで、いつまでも髪を撫で続ける。エマはタイミングを見失い、すでに起きていることを伝えられないまま、そのまま目を瞑り、撫でられていた。

セジュムが少しだけ身体を離した。キスでもしてくれるのではないかとエマが甘い期待に胸をふくらませ、寝たふりを続けていると、セジュムの低く、掠れた声が耳に届いた。

 

「だから、嫌いなんだ……か」

 

それは、シリウスの部屋で聞いた、憎悪に満ちた言葉だった。

ツッと、冷たい指先がエマの頬に触れ、そのままゆっくりと下へ。顎を経由し、首に到着すると、指を開き、優しくエマの首を覆った。

 

「こんなに簡単なのに」

 

その言葉に、エマの背中にゾクリと悪寒が走り、全身の毛穴から冷や汗が吹き出すのを感じた。エマはさも今目が覚めたかのように見せかけ、目を開ける。

 

「あ……セジュム、おはよう」

「おはようございます。エマ」

 

セジュムは首から手を離すと、いつもの柔和な微笑みを見せた。それからセジュムは大きく伸びをし、眼鏡を掛ける。

 

「よく眠れましたか?」

 

いつもと変わらない様子のセジュムに、エマは動揺を隠し、必死に頷く。今の言葉は、聞き間違いだったのだろうか。エマは心の機微を悟られないよう、完璧な平常心を振る舞うのだった。

 

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