セジュムとの添い寝以来、エマは彼の言動に対し、拭えぬ不信感を抱くようになってしまった。エマの首にそっと手をかけ、「こんなに簡単なのに」と囁いたセジュムの低く掠れた声が、幾度となく脳内で再生される。
彼の声色に垣間見えた、冷たい支配欲の片鱗――絶対的な安心感と愛情を感じていたはずのセジュムに対して、日を重ねる毎にその疑いの気持ちは膨らんでいった。
以降、セジュムは何度もエマの部屋に足を運んでいたが、エマはノックされても息を殺して居留守を使い続けた。共有スペースでセジュムに親しく話しかけられても、エマは目が合わないように視線を逸らし、曖昧な返答をしてその場から逃げるように立ち去ってしまうのだった。
その異変は、セジュム本人はもちろん、他の神の子たちもなんとなく察しており、バファマの塔内は湿った布のような、なんとなく気まずい空気になっていた。
エマがある日、廊下を足早に通り過ぎようとした時、その大きく広がった外套に阻まれた。セジュムだった。ハッとして身体を引くと、眼鏡の奥の困惑した瞳がエマをジッと見つめた。
「……エマ」
「セジュム! どうかした?」
エマは極めていつも通りに振る舞うがセジュムをごまかすことはできなかった。
「このような真似をしてすみません。でも、私を避けて……」
「避けてない、避けてない! 避けてないよー」
エマは顔の前で手を軽く振って、その話を打ち消すように笑った。しかし、その手をセジュムが掴む。
「私が何かエマに不愉快な思いをさせてしまっていたなら教えてください。……恥ずかしながら……思い当たることが……」
ベッドの上で聞いた言葉を確認するのが怖かった。
エマのすべてを受け入れ、全身で愛してくれる、純粋な愛だと信じた瞬間に手のひらを返されるのは、彼女にとって最も恐ろしい裏切りであり、今はそんな経験をしたくなかった。
「……私、お風呂に行くんだ! また今度話そう! じゃあね」
エマはセジュムに微笑みかけると、セジュムの手を離しその場から離れた。一人残されたセジュムは眼鏡を外し、顔を抑えると大きくため息をついた。
本来浴場へ行く予定は無かった。自室のすぐ横の部屋がシャワー室だったとわかったからだ。軽く身体をさっぱりさせたいときはほとんどそのシャワーだけで済ませていた。しかし、セジュムに浴場へ行くと言ってしまったし、浴場に行けばしばらくセジュムに話し掛けられることもない。エマはその足で浴場へと向かった。
アーチを抜け、脱衣所に入り、エマは先客がいないか衣類掛けをチェックする。奥の衣類掛けに黒いシャツ、ネクタイ、白衣が掛かっていた。エマはその前に立って顔を歪め呟く。
「シリウスじゃん……」
すぐに踵を返そうとしたが、立ち止まり少し考える。
***
乳白色の湯の中で深く腰を降ろし、シリウスは天井を仰いでいた。スッと目を閉じ、この後、研究室に戻って行うべきことを順番に頭の中で並べている。実験は滞っていた。あまりに煮詰まっていたため、気分転換に浴場へと来たのだ。
「あ……そっか。わかった。次はこっちのアレを……」
「何がわかったの?」
独り言に返事が返ってきて、シリウスは驚いて目を開ける。彼が座る場所から少し離れた箇所にエマが座っていた。
「ハ、ハァアア!?」
「うわ。すっごい驚いてる」
そう言ってエマが笑う。「攻撃は最大の防御なり」あえて自ら敵の懐へ飛び込めば、相手は何も準備が出来ていないため形勢逆転できる。
実際、シリウスは完全にリラックスしていたため、動揺に胸は乱打に荒れていた。浴場の静寂が、彼の荒い息遣いを際立たせる。
「髪濡れてるシリウス、ちょっと子供っぽいね」
信じられない状況にシリウスは理解できず、湯気の中から周りをキョロキョロと見渡す。彼の表情には、警戒と混乱の色が深く刻まれていた。
「な、何が起きた? なんで君がいるわけ?」
「……だって、お風呂に入っているってことはシリウ
スは裸ってことでしょ? 注射器の持たない丸腰のシリウスなんて怖くないよ」
ニヤリとエマが意地悪な笑みを見せると、シリウスは徐々にいつもの落ち着きを取り戻す。彼は湯の中からゆっくりと身体を起こした。全身を湯気が包み、その端正だがどこか不健康な肢体が浮かび上がる。彼の目の色は一瞬、冷たい光を放ち、彼女の真意を測ろうと鋭く細められた。
「……わざわざ裸の僕に会いに来た理由は?」
「この間のシリウスの言葉が気になって」
シリウスはエマの真剣な瞳を見て、逃げられないと判断し、小さく息を吐くと目をつぶった。彼の肩から力が抜け、湯の中に再び身体を深く沈める。浴場の水面が静かに揺れ、湯気が二人の間に立ち込めた。