黎明の女神   作:浮月 愁

32 / 59
賛同2

 

脱衣所の前に立った瞬間、エマは足を止めた。

浴場から続く湿った空気が、石壁に冷たく貼りついている。もうシリウスはいないはずと、そう思って一歩踏み出した、その刹那。

視線が、刺さった。

 

白衣に袖を通したシリウス。

そして、その隣に立つセジュム。

 

二人の視線が、同時にエマへと落ちていた。

エマは反射的に身を屈めた。床に近い冷気が、膝に伝わる。湯浴み着は着ているが、濡れた布は容赦なく身体の線をなぞり、肌に張り付いていた。自分の姿がどう見えているかを想像して、心臓が跳ねる。

 

空気が、凍りつく。セジュムが先に動いた。足音は静かだが、確実に距離を詰めてくる。感情を削ぎ落としたような表情のまま、タオルを手に取り、エマの肩へと掛けた。

そのまま、彼はエマのすぐ横にしゃがみ込む。距離が、近い。息が触れそうなほど。

 

「……どういうことですか? なぜ、エマとシリウスが……混浴を?」

 

低い声。抑えられているが、怒りは確かにそこにあった。理性で押さえ込まなければ、今にも噴き出しそうなそれが、圧となってエマを包む。

 

「さっきも言ったけど、僕は関係ないよ。エマのほうから来た。勝手に。だから僕を責めるのは筋違いだ」

 

乾いた声でシリウスが言う。まるで事実を並べているだけのようで、その無責任さがエマの胸をざらつかせる。

 

「後はエマに聞いて。僕は忙しい」

 

シリウスは白衣の前を整え、踵を返す。

その背中に、抑えきれなかったセジュムの荒げた声が叩きつけられた。

 

「関係ないわけがない! シリウス!  エマはアイコとは違う!  もう……諦めてくれ!」

 

脱衣所に反響する叫び。感情を顕にするセジュムにエマは息を呑んだ。諦めるとはどういう意味なのか。理解が追いつかない。

シリウスは足を止め、ゆっくりと振り返った。セジュムを見るその目には、敵意はなかった。むしろ穏やかで、どこか憐れむようですらある。

 

「エマは、きっと僕に賛同してくれる」

 

それだけ言うと、今度こそ振り返らずに去っていった。扉が閉まり、足音が完全に消える。

残された空間に、重たい沈黙が落ちる。エマはタオルを胸元で押さえたまま、視線を床に落とした。

 

「……どうして、ここにいるの?」

「エマと、話がしたくて……」

 

その言葉に、胸の奥で何かがぬらりと動いた。優しい声音が、今はどこか粘ついて聞こえる。すでに彼に対し拒絶反応が現れている。

 

「着替えたいから、外に出てくれる?」

 

一瞬の間。その背後から、抑えた声が落ちてくる。

 

「……しつこくして、本当にすみません」

 

セジュムの声は、僅かに震えていた。

 

「ですが……エマは私を受け入れてくれた。そう思っていました。急に避けられて……納得できません」

 

必死に言葉を選びながら、それでも感情が滲む。

 

「理由を教えてください。不誠実です」

 

その一言が、胸に刺さった。

 

「……確かに、不誠実だったかも」

 

エマはゆっくりと息を整えた。一緒に添い寝した日。先に目を覚ましていたこと。セジュムが、首に手を掛け、低く囁いた言葉。

 

「……『こんなに簡単だ』って、言った」

 

思い出すだけで、背筋が冷える。

 

「知らないセジュムを見た気がして……怖くなった」

 

言葉を吐き出した瞬間、肩の力が抜けた。セジュムの肩が小さく揺れる。

 

「……怖い思いをさせて、申し訳ありませんでした」

 

深く、低く。

 

「『不誠実』なのは、私の方です」

 

言葉が落ちる。彼は背を向けた。

 

「エマ」

 

扉に向かいながら、足を止める。

 

「その格好だと……私も、落ち着いて話せません。着替えて、髪を乾かしたら、資料室まで来ていただけませんか? すべて、話します」

 

扉が閉まり、足音が遠ざかる。残されたエマは、しばらく動けなかった。タオル越しに伝わる自分の鼓動が、やけに大きく、脱衣所に響いている気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。