黎明の女神   作:浮月 愁

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資料室

 

重厚な木製の扉は、他の部屋の金属製ドアとは違い、開けるたびに古びた軋みを上げる。

室内には古紙の匂いが静かに漂い、背の高い書棚が壁を埋め尽くしていた。学校の図書館ほどの広さしかない質素な空間だったが、その狭さが逆に圧迫感を生んでいる。

そこは資料室。奥の窓際、逆光の中に、長い影が立っていた。

 

「……エマ」

 

セジュムだった。

エマの緊張した面持ちに対し、セジュムの表情はほとんど動かない。いつもエマを見つめる時に浮かべていた温かな眼差しや、柔和な笑顔は、そこには無かった。

 

二人は長テーブルを挟んで向かい合い、静かに腰を下ろす。窓から差し込む金色の光が、テーブルの上に帯のような影を落としていた。

セジュムは一拍置いてから、低く口を開く。

 

「まずは、改めて。私のせいでエマを怖がらせてしまい、申し訳ありません。避けられて当然だと思います」

 

視線はテーブルの上に落ちたまま、伏し目がちだ。長いまつげが頬に影を作っている。真剣に謝るその姿すら儚く美しく、エマは一瞬だけ視線を逸らした。セジュムは、テーブルの上に置いた手をぎゅっと握り締める。

 

「私が、風見台で話したことを覚えていますか?」

 

死を感じた神の子が居たという話。

それが後にシリウスのことだったと、エマは知ることになる。だが、なぜ死を感じるほどの憔悴状態にあったのか。アイコからのプレッシャーもある。もう一つ。

それは、黎明の女神を殺す薬を作成するため、寝る間も惜しんで実験を続けていたからだった。

 

「……そんな薬品を作る必要なんてないんです。女性は……華奢で、か弱い」

 

ハッとしたように顔を上げ、セジュムは慌てて言葉を継ぐ。

 

「エマ、怖がらせる意図ではありません。根本的な男女の力の差の話です。……命を奪うこと自体は、容易い」

 

一瞬、言葉を切り、

 

「でも、シリウスは薬品作りにこだわった」

 

バファマでは毒薬を飲んでも、時間が経てば身体の中で解毒され、死に至らない。

そこに気づいてから、シリウスは研究と実験に没頭し、それはやがて快楽となり、生きがいになっていた。

それを知った前世代の神の子は、シリウスが毒薬を完成させる前に、アイコを無理やりに孕ませ、バファマから退場させたのだ。

アイコがいなくなってからもシリウスは実験した。神の子の身体を使って。

 

「毒薬であることは伏せられ、散々実験に付き合わされました。でも、強力な毒薬を飲んでも、一時的に意識は消失しますが、結局何事もなく目を覚ますことができます。……きっとバファマでは人を死に至らせる薬を作るのは不可能なのです」

 

『不可能』

エマの不安を煽らない為か、自身の不安を増幅させないためか、セジュムは強く言い切る。

 

「アイコはもう居ない。シリウスは、とっくに毒薬作りを諦めていると思っていました」

 

エマをしつこく実験に誘うこと。それは毒薬を完成させるためではないかと、セジュムは考えたと言う。

エマは、今までにシリウスから投げかけられた言葉を思い返していた。

 

「さあ、どうやって死ぬ?」

「僕の研究は神になった後には意味を無くす」

「君、黎明の女神辞めてみる? 手伝うよ」

「すべてを壊す」

 

点だった言葉と行動が、一本の線で繋がっていく感覚。理解できてしまうことが、逆に恐ろしい。

 

「そして……『こんなに簡単だ』と言った、私の言葉は」

 

セジュムの瞳が、ゆっくりとエマを捉える。

 

「どれだけ憎んでも、シリウスは女神に直接手をかけることはしないという矛盾と……だからこそ、エマを守りたいという気持ちから、つい出てしまった言葉でした」

 

一拍の沈黙。

 

「話は以上です。最初に全てをお伝えしなかったこと、すみませんでした。神の子が黎明の女神に殺意を抱いた過去など、エマを怖がらせるだけだと思い、あえて伏せていました」

 

視線が、ふと緩む。

 

「ですが……目の前の、無防備なエマの寝顔を見て……」

 

セジュムの瞳には、あの日のエマの寝顔が映っているかのようだった。

目尻が僅かに下がり、一瞬、破顔しかける。

 

「……庇護の念が、込み上げてきて……」

 

だがその笑みは、すぐに引き戻された。

言葉を詰まらせ、セジュムは立ち上がると背を向けた。

 

「失礼します」

 

足早に去ろうとする背中に、エマは思わず声を掛けた。

 

「待って」

 

セジュムは、扉の前で足を止める。

 

「教えてくれてありがとう。……セジュムのこと、疑ってごめん。それと……さっきの浴場での件なんだけど」

「エマ」

 

振り返ったセジュムの視線は、静かだった。

 

「私は、シリウスから貴女を守りたいと思いました。ですが、貴女の方からシリウスの元へ行くのであれば……私は、それを止めることができません」

 

低く、抑えた声が耳に落ちる。

 

「私からすると……それは、裏切りです」

 

瞳を伏せ、静かにそう告げると、セジュムは今度こそ資料室を出ていった。

遅れて胸に広がる冷たさ。

それは後悔と、喪失感だった。

裏切られたと思っていたのは、セジュムも同じだったのだ。

いくら真実を聞き出すためとはいえ、今までのセジュムの気持ちを考えれば、自らシリウスに会いに行ったという事実は、言い訳できない。

 

「あ……結構、辛いな……」

 

独り言のように、エマは呟いた。

 

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