黎明の女神   作:浮月 愁

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テンカ

風見台の縁に腰を下ろし、エマは外を眺めていた。

バファマの暖かな風が、頬と指先を撫でていく。空は黄金の層が重なり、ゆっくりと揺蕩っている。

バファマに来てから、どれほど時間が経ったのだろう。

短いはずなのに、遠い昔のようにも感じる。

心からの愛情を信じたセジュムには「裏切りだ」と拒絶され、シリウスが黎明の女神を殺すための薬を作ろうとしていることを知った。

胸の奥がずっと重い。息をするたびに、身体の内側が擦り切れていくようだった。

 

バファマは、最初は美しい場所だと思っていた。

異世界。穏やかな光。そして、美麗な神の子たちに囲まれ、守られて、癒される日々。

でも、それは幻想だった。

 

ここは、誰かの欲望と執着が渦巻く場所だ。

自分はその中心に、無防備に立たされているだけ。

 

エマは顔を伏せた。風が髪を揺らしている。

目を閉じると、思考が、ふっと滑る。

 

(こんなんだったら元いた世界のほうがマシだよ。元の世界に戻りたい……)

 

その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。

死んだら自分の身体はどうなるのだろう。

 

(バファマに咲く花みたいに、ふわっと風に揺れて花びらみたく散れたらいいのに)

 

エマは立ち上がり、欄干に手をかける。

もし、何事もなく元の世界に戻ることが出来るのであれば、勇気を出してここから飛び降りるという選択肢もある。

手のひらにじわりと汗が滲み、脚が震え始める。視界の端が暗くなり、遠くで自分の心臓の音が響いている。

 

「……やっぱ、無理……」

 

息が荒くなる。

しかし、落ちてしまえば一瞬だ。

今、この決断を引き延ばせば、きっと二度と踏み切れない。

 

今しかない。

 

欄干を掴む指に、力が入る。

 

「ちょーっと待って!」

 

急にどこからともなく声が聞こえた。聞き覚えのない、少し高くて溌剌とした男性の声だ。

 

「やめて、やめて、絶対落ちないで!」

 

また、その声が聞こえる。エマはキョロキョロと周りを見渡すが、その声の主は確認できない。

 

「ほら、後ろ下がって! もっと、もっとだよ」

 

言われるまま、エマは一歩、また一歩と後ずさる。

足裏が石床に戻り、身体が風見台の中心へ引き戻される。

 

「……なに? 誰? どこから声がするの?」

「ここだよ!」

 

ふわっと身体の中心が温かく感じる。エマの胸元が徐々に光り、光の欠片が身体からこぼれ出た。記憶が蘇る。バファマに訪れる際に追いかけた光の欠片だった。

 

「わ、わあああ!」

 

思わずエマは叫び声を上げる。光の欠片には顔が無い。顔はないがエマの顔の前にふわりと浮かび、こちらをジッと見ているようにみえる。

 

「俺、テンカ! エマちゃんから産まれる予定の神の子な!」

「え、ええええ!?」

 

エマは思わず腰を抜かしてその場にしゃがみ込む。

 

「やめろよ! エマちゃんが死んだら俺は産まれないだろ!」

「え……え? あ、どうもはじめまして」

「うん! ずっと一緒だったから、俺ははじめてじゃないけどな!」

 

光の欠片……神の核……テンカはふわふわと揺れながら軽快に笑う。

 

「いいか。ここから落ちたら間違いなく死んでエマちゃんの想像通り、元の世界に戻る」

「……」

 

では、やはりバファマで死を選んだほうがいいのではないか。エマの胸に小さな安心感と期待が広がる。

 

「ここで過ごしたエマちゃんの全ての記憶は無くなって、公園のトイレの裏で目を覚まして、こう言うんだ。『あっれー! 私ってばー! なんでこんなところで寝てるのー! やっだー! はずかしいーん』 めでたし、めでたし!」

「う……うん」

 

今のバファマには居ないタイプの神の子だとエマは思いつつ、頷く。

 

「ただし、バファマで亡くなった遺体は、誰かが処分するまでそのままだ」

「……えっ」

「遺体は腐らない。消滅もしない」

 

今のエマの身体はあくまでもバファマでの身体。元の世界の身体とは別なのだ。エマが元の世界に戻っても、バファマで死んだ身体はそのままバファマに残る。

つまり、神の子か使いの者が処分するまで、頭が割れて血みどろのエマの死んだ身体はバファマに残り続ける。

 

「第一発見者は間違いなく神の子だろうね。そして、バファマはエマちゃんの死んだ思い出が残ったまま、また何年も新しい黎明の女神の再来を待つんだ」

「……」

「最高に後味悪いよな!!」

 

後味の悪いなんてものじゃない。死体の後処理をさせることになるとは想像していなかった。

エマは返す言葉が見つからず黙り込む。バファマに来てから一緒に過ごしてきた神の子たち。家族でも友達でも恋人でもない。ただ、関係は確かにあった。彼らにそんな思いはさせられない。

 

「エマちゃんはなんでバファマに来た?」

「なんでって……あなたが連れてきたんでしょ!」

「いーや。俺は連れてきていない。君が勝手についてきたんだ」

 

ふわふわと浮いていたテンカがピタリと止まる。軽快とした声のトーンが一つ落ちた。

 

「いつまでもお客様でいないでよ。エマちゃんは黎明の女神だよ? 俺たち神の子に朝日を照らす存在なんだ。エマちゃん。君は誰を照らしたい?」

 

風が吹き抜ける。エマとテンカはお互いに静かに見つめ合った。

 

「テンカ……あの……」

「絶対にまた会おうね! バイバ~イ!」

 

テンカはそう言うとエマの胸元に吸い込まれるように消えていった。暖かな風がまた頬に撫で、髪を遊ばせる。風が止むとエマは胸元を抑え、テンカに話しかけるように呟いた。

 

「わかったよ……」

 

そうしてエマは立ち上がり風見台を後にするのだった。

 

 

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