黎明の女神   作:浮月 愁

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遊戯室2

エマは繊細なワイングラスを両手で包むように握り、しがみつくような思いでビールを煽っていた。カウンターの奥、琥珀色の瓶が並ぶ棚から自分で用意できたのは、この苦い液体だけだった。

 

ジェルドが部屋を去ってから、15分。

彼が残した言葉を反芻すれば、次にこの扉を叩くのが誰であるかは明白だった。けれど、素面で向き合える自信などどこにもない。どちらかというと強情な性格だ。きっとまた、降り積もる不安を隠そうとして、可愛げのない言葉で逃げてしまう。また軽蔑され、今度こそ永遠に突き放されるのではないか。

その恐怖が、不意に視界を滲ませた。

 

(何やってるんだろ、私……)

 

零れそうになる涙を振り払うように飲み干すと、エマはカウンターの向こう側へ回った。もっと強いお酒で心を麻痺させたい。テキーラのラベルを求めて棚を凝視していたその時、静寂を切り裂いて、扉の蝶番がカチャリと硬質な音を立てた。

心臓が跳ね、エマは反射的にカウンターの下へと身を隠した。

 

「ん……?」

 

絨毯を微かに沈ませる、規則正しい靴音。現れた主は、誰もいないと思わしき室内の静けさに、短いため息をこぼした。その音だけで、胸の奥が熱くなる。靴音が踵を返し、出口へと向かい始めた。

 

「ま、待って!」

 

エマは弾かれたようにカウンターから飛び出し、去りゆく背中を引き止めた。振り返ったセジュムの顔は、驚愕に凍りついている。

 

 

「こ、これ……どうぞ」

 

差し出したグラスの中で、ビールの泡が不器用にしぶいた。

ソファに腰を下ろしたセジュムは、消え入りそうな声で「ありがとうございます」とだけ告げ、グラスを傾ける。エマだと気づいた瞬間に立ち去ろうとした彼を、半ば強引に引き留め、この場所に繋ぎ止めたのはエマの方だった。

気まずい沈黙の中、お互いに液体を喉に流し込む。横並びに座っていても、その間には見えない壁のような距離があった。

 

「……エマは、私がここに来ることを知っていたのですか?」

 

その問いは、彼がジェルドになんらかの理由で唆されて連れてこられたことを物語っていた。セジュムは、エマがここにいるなどと夢にも思っていなかったのだろう。

 

「うん、そう、かな」

「……私は……」

 

セジュムは浅い呼吸を一度吐き出し、躊躇いを断ち切るように言い放った。

 

「もうエマと話すことは何もありません。何かお聞きになりたいことがあるのなら、お早めに」

 

微笑みは消え、その瞳は光を失ったように冷徹だ。

以前の自分なら、この氷のような拒絶に心を折られていただろう。けれど今、エマはジェルドから聞いたセジュムの本心を知っている。

 

エマはグラスを置くと、無言でセジュムの膝の上に跨るようにして乗り上げた。彼の首に腕を回し、驚愕に目を見開くセジュムの視界を塞ぐようにして、その柔らかな唇に己のそれを重ねた。

 

「エ……」

 

言葉を奪うように、もう一度。ソッと眼鏡を外し、セジュムの目元に口付け、また吸い付くような微かな音を立て、唇へと啄むように幾度も熱を刻みつける。

初めは戸惑いで強張っていたセジュムの身体だったが、エマの執拗なまでの熱情に触れ、やがて低い呻きを漏らした。大きな両手がエマの腰と背中を掴み、引き寄せる。

支配権は一瞬にして彼へと移った。セジュムは飢えた獣のようにエマの唇を食み、押し潰し、激情をぶつけるような深い接吻へと変えていく。

セジュムがエマの唇を割って舌を差し入れようとした瞬間、セジュムがハッとして顔を逸らした。

 

「すみません、つい……」

 

肩で息をする彼の声は、ひどく掠れていた。「すみません」などという言葉が欲しいわけではない。

エマは火照る彼の頬に掌を添え、逃げる隙を与えず、今度は自らその舌を彼の口内へと深く滑り込ませた。喉の奥まで探り当てるような積極的な愛撫に、セジュムの背中が大きく震え、彼は抗うのをやめてエマを貪るように応えた。

唇を離すと、セジュムから物足りなさそうにエマの下唇に吸い付く。

 

「……なんですか。やけに、積極的ですね」

「嫌だ?」

 

見つめて囁くと、セジュムは喉を鳴らして視線を彷徨わせた。エマはその隙に彼の頬、耳朶、そして剥き出しの首筋へと愛撫を繋げていく。上質な布地の隙間に指を差し入れ、露わになった筋肉質な胸元に吸い付くように唇を寄せた。

 

「……シリウスと二人きりになって、ごめんなさい」

 

静かな懺悔とともに、セジュムの襟元に指をかけ、ゆっくりと左右へ開く。はだけた胸元に額を預け、しっとりと汗ばんだ彼の上下する肌に顔を擦り付けた。

 

「心配させて、不安にさせて、ごめんなさい。だから……」

 

お酒の力が、普段なら言えない本音を優しく押し出してくれる。

『私のことを、守ってください』

あとは、その決定的な一言を口にするだけ。

 

「あ、あああ……っ……」

 

不意に、セジュムの口から制御の効かない長い溜息が漏れた。それは理性が完全に融解した音だった。壊れたように低く響く声とともに、彼はエマを壊れ物を扱うような、けれど決して離さない強さで抱きしめた。

ゆっくりと身体を引き離した彼の瞳には、抑え込んでいた狂おしいほどの愛の熱が宿っている。

 

「エマのことを……守らせてください。私だけに」

 

何も言わずとも、その願いは届いていた。

 

「……うん」

 

安堵が広がったのも束の間。セジュムの指先が、流れるような手際でエマの胸元のボタンを一つずつ解き始めた。

鎖骨を撫でるようにブラウスが左右に開き肩から落ちる。露わになった肌を冷たい空気が撫で、これから彼に「抱かれる」のだという実感が、甘い緊張となって身体を強張らせる。

セジュムの手がエマの背中に滑り込み、薄い布越しにブラのホックを弄んだ。小さな音とともに下着が緩み、エマは反射的に胸元を両手で隠した。

セジュムはそれを見て、愛おしげに小さく喉を鳴らした。

 

「隠さないで」

 

彼はエマの両手を優しく取り、自分の首の後ろへと導く。上下する彼の胸の鼓動が、重なるエマの身体にまで響いてくる。組まれた指先が彼の髪に絡まるのを確かめると、セジュムはもう一度、今度は甘くとろけるような深いくちづけで、エマの意識を陶酔の渦へと誘い込んだ。

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