誰からも聞いていなかったかと問われたその言葉はすでにエマがシリウスから聞いていた言葉だった。
「神の子を産んだ黎明の女神は役割を終え、元の世界に帰ります。そうなると、私たちはもう二度と会うことができません」
もちろん知っていた事実だが、改めてセジュムから言われ徐々にエマの胸に違和感が去来する。
「だから、避妊を……。少しでも長く……私はこうしてエマを抱き、貴女の熱を感じていたい」
忘れていたわけではなかった。なんなら一刻でも早く元の世界に戻りたいと願っていた。しかし、こうして愛する人と気持ちが通じ合ったことで、この塔にある強烈な矛盾に気が付き、エマは息を呑んだ。
愛し、愛されることで関係の終わりを迎える場所。
耳の奥で、チリチリとした雑音のような幻聴が鳴り響く。
黎明の女神とは、一体何なのか。
次代の種を宿すためだけの苗床であり、産み終えれば用済みとなる道具に過ぎないのか。
であれば、最初から神の子を好きになってはいけないと、そう警告してほしかった。これほど無様に心を摩耗させることもなかったのに。
呼吸は浅くなり、視界の端が急速に暗く染まっていった。
「エマ、落ち着いて」
血の気の失せたエマの表情を見て、セジュムはいたわるように彼女を自身の懐へと引き寄せた。動揺を鎮めようとするその掌が、優しくエマの髪を撫でる。その熱に当てられ、エマはハッと現実に引き戻される。
「それでも。たとえ終わりが分かっていても。私はエマを愛したい。この瞬間を愛し抜きたい。そう思っています」
眼鏡の奥に宿る、静謐で深い微笑み。その慈愛に満ちた眼差しは、確かにエマを包み込んでいる。
しかし、突如として、突き刺すような鋭い冷気が胸に落ちた。思わず温もりを求めてセジュムの背に腕を回す。逞しい胸に顔を埋めた。
「セジュム……」
セジュムは、エマが自らの言葉を受け入れたのだと誤解したのだろう。安堵の溜息を吐きながら、彼は抱きしめる力を一段と強めた。
だが、エマの胸中は真逆だった。セジュムの腕に閉じ込められても、身体の芯から広がる不気味な冷たさは一向に収まらない。愛する男と肌を重ねているはずなのに、自分だけが底知れぬ霧の中に独り取り残されているような、得体の知れない恐怖が這い上がってくる。
「……もっと、強く抱きしめて」
ぽつりと零されたその痛切な声に、セジュムは虚を突かれたように沈黙した。やがて、喉を震わせて声にならない吐息を漏らすと、彼はエマの唇に淡い口付けを落とした。
そのまま続きをなぞろうとしたが、天蓋の隙間からはバファマの残酷なほどに明るく温かな光が差し込み、二人の姿をあからさまに暴いている。セジュムは微かな躊躇を見せ、エマの耳元で囁いた。
「あの……もう一度、天幕を閉めても……?」
エマは力なく笑い、「いいよ」と小さく返した。
再び閉じられた薄闇の内で、セジュムの熱い愛撫に侵されながらも、エマの意識は遠い空虚を彷徨っていた。
(……冷めたままだ)
まるでつまらない映画やドラマを見ているように思えた。感情が、一滴も乗らない。ただ、無為な時間を浪費しているという虚しさに、エマは静かに目を瞑った。
そうだ。
最初から、誰かを愛せなどと命じられたわけではない。ただ「選べ」と言われただけだ。
それからエマは極端にセジュムと肌を重ねる行為を避けるようになってしまった。
愛を深め合う行為は愛の終わりを意味する。
あまりに歪で、不気味で、救いがない。
美しい装飾に彩られた贈り物だと思って箱を開けたら、そこには底冷えのする虚無が横たわっていた。
それこそが、バファマという世界の正体だったのだ。