黎明の女神   作:浮月 愁

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研究室

シリウスの部屋はまさに「研究室」だった。壁一面を埋め尽くす薬品棚、中央には精密なガラス製の蒸留器や試験管が並ぶ実験台。無機質な薬品の匂いと、微かな金属の匂いが入り混じっている。

 

「すごい……薬品だらけですね」

「ヒヒ……ここは僕の聖域なんだ」

 

シリウスは満足げに実験台を指で撫でた。

ただ、この神の子しかいないバファマでなんの実験をするのだろう。エマは首を傾げる。実は他に誰かいるのだろうか。先ほど、『神になることに興味がない』と言っていた。彼は研究者になりたいということなのか。

 

「あの……シリウスさんは、神になりたくないんですか?」

 

シリウスはなにかの装置を触りながら、エマの方を見ずに答える。

 

「神は天界の王。天界の王は、世界を動かす者ではない。世界が壊れないよう、立ち続ける者だ」

「えっ」

「護ることより壊すことの方が面白い。だから、僕は神の椅子そのものには興味がない」

 

深く息をついてシリウスはまた薬品の並ぶ棚に目をやる。

意味がわからないし、ちょっと変わった人だ。エマは一歩近づき、尋ねた。

 

「あの……私も黎明の女神に興味ないんですけど」

 

シリウスは顔を薬品棚からエマに向けさせた。長い前髪とフープピアスが揺れ、口端が僅かに上がる。

 

「元の世界に戻る方法を教えてください」

「2つある」

 

シリウスは人差し指を立てる。

 

「一つ。神の子とセックスして、新しい神の子を産み落とす」

 

続いて中指を立てる。

 

「もう一つはバファマで死ぬ。いずれかの方法を取れば、ここでの全ての記憶をデリートして元の世界に帰ることが出来る」

 

にたりと笑い口元から八重歯を覗かせる。

 

「子を成す役目を放棄するなら君に残されたのは死ぬことだね。さあ、どうやって死ぬ?」

 

エマは絶句して息を呑んだ。愛さぬ男の子を孕むか、死か。非倫理的、選べぬ選択だ。青ざめ、俯いている彼女を見て、シリウスは肩を上げ短く笑った。

 

「あーあ。夢だったら良かったね? ちなみに、君たちの世界みたいな妊娠出産をイメージしてるなら違うよ」

 

スッとエマの下腹部を指差すとクルクルと指を回す。

 

「受精後、そこにある『神の核』が光の粒子となり、君の身体から溢れ出す。一瞬で光は人の形となり、新たな神の子が完成する。苦しさも痛みもない。実に呆気ないものだ」

 

シリウスはあっけらかんと言い放つ。

出産への身体負荷については心配いらないと言ってくれているのだろうが、エマの不安はもっと別にある。

ここにいる神の子と子作りし、伴侶となる。

なぜ自分がその役目を引き受けなければならないのか。

断れるものなら断りたいのだ。なんのフォローにもなっていない。

 

シリウスの瞳が、揺れるエマの瞳を捉えた。ジトッとした湿度のある何を考えているかわからない瞳。何かを呪っているような呆れているような、でも色っぽくもあり怖くもある。不気味だけど美しい。不思議な魅力がある。

 

「あの……」

 

シリウスは、エマが次に発する言葉を待つことなく、静かにエマの傍へと歩み寄った。エマが身を縮めるとシリウスはソッとエマの頬に手をかける。にたりと口元が笑うと八重歯がちらと見える。

 

「僕が神になることに興味がないからと油断しているな。警戒心が薄い」

 

唇を耳元に寄せ、囁く。吐息が、唇が、エマの耳に触れる。薬品の冷たい匂いと、彼の体温が発する甘い香りが混ざり合った匂い。シリウスの髪がエマの頬を擽る。一瞬にして心臓を鷲掴みにされたような衝撃にエマの声は上ずる。

 

「ち、違います……」

 

エマの心臓が、ドクン、と大きく鳴る。

シリウスは、エマの耳元から顔を離すとエマの瞳を真正面から射抜いた。その瞳の奥には、狂気と、全てを見通すクレバーな光が瞬いている。

 

「違う? 警戒してるのに逃げないの?」

 

彼はエマの手首を掴むと脈拍を読み、もう片方の手で、エマの胸元、ちょうど心臓がある場所から数センチだけ離れた空気を、そっと撫でた。

 

「今、君の心臓は1分間に108回鼓動している……理由は?」

 

シリウスは、今度は躊躇なく右手の指を滑らせ、エマの鎖骨のあたりに、ごく短く触れた。その指先はひどく冷たかったが、触れた箇所から一気に熱が広がる。

 

「僕は神になることに興味は無いが、そんな反応をされると……ヒヒ……イジメたくなる」

 

エマは、言葉が出なかった。体が熱くなり、頭がクラクラする。美しすぎる顔の接近と抗いがたい甘い誘惑と危険な香りに、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

突如ノックの音が静かな研究室に鳴り響く。シリウスは舌打ちをすると、「どうぞ」と低い不機嫌な声で返事をした。

 

「ここか」

 

低く甘い声。ジェルドだ。

 

「食事の準備が出来たから、来てくれ」

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