黎明の女神   作:浮月 愁

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黎明の女神 45話 過去2

アイコに求められ、シリウスは不能を治す薬を手に入れようとしたが、さすがに使いの者にも言い難い。彼は資料室の古書を紐解き、独学で成分を調べていった。かつて"救護室"だった場所は、いつしか冷徹な硝子器具が並ぶ"研究室"へと姿を変えた。

 

冷たい消毒液の香り。フラスコの底から気泡が生まれ、弾ける微かな音。自らの手で組み上げる過程。理解が深まるたびに、また世界が広がる。チェアに深く身を沈め、モニターに流れる数値の羅列を追う。その頃には、不能の治療などという些末な目的は、彼の知的好奇心の塵に過ぎなかった。

 

やりたかったことは、アイコから「黎明の女神」という役割を剥ぎ取ること。彼女を手中に収め、永遠に飼い殺すことだ。そのために、アイコの肉体から「神の核」を摘出し、それを破壊する。傲慢な女神を、ただの無力な女へと堕とす。

 

シリウスはアイコに手錠をかけ、執拗に彼女の肉体を調べ上げては、未知の薬品を投与し続けた。アイコはそれをプレイの一環だと思い込み、悦びに身を震わせていたが、それが彼にとっては好都合だった。

 

しかし、辿り着いた結論はあまりに冷酷だった。

神の核の摘出は不可能。

さらに、バファマは『時が止まった世界』ではなく、『すべてが元の状態へと収束する世界』なのだ。核を殺そうと猛毒を盛っても、時の経過と共に肉体は「毒を盛る前の健やかな状態」へと巻き戻ってしまう。

 

***

 

「結局、他の神の子が避妊に失敗してアイコを孕ませ、僕の研究は志半ばで潰えたよ」

 

忌々しそうに吐き捨てたシリウスの言葉の裏の真実を、エマは見抜いた。避妊の失敗ではない。シリウスの狂気に気づいた他の神の子が、アイコが破滅させられる前に彼女を孕ませ、この地から「退場」させたのだ。

 

「次に来たのが、ヒメカ。小柄で臆病で……実に虐め甲斐のある、可憐な子だったよ」

 

シリウスは当時の光景を反芻するように、意地悪な愉悦を唇に浮かべた。

 

***

 

アイコを失い、システムを壊す情熱など失せていたシリウスの前に、ヒメカは現れた。

彼女は男性に対して極端な警戒心を抱き、神の子たちと距離を置いていた。

ただ一人、レオールを除いて。

粗暴で無遠慮なレオールのどこに惹かれたのか、ヒメカは彼にだけは子犬のように懐いていた。誰もが、次代の神はレオールになるのだと疑わなかった。

 

だがある日、研究室の扉を叩く音がした。扉を開けると、そこには涙で頬を濡らしたヒメカが立っていた。「女神の役割を終えたらレオールと離れ離れになる」という真実を知り、絶望した彼女は、シリウスの知能に縋りに来たのだ。

 

シリウスに利などなかったが、眠っていた知識欲が沸々と沸き上がった。アイコの時に果たせなかった「女神をただの女に作り替える」実験の続きができる。

 

核の摘出が無理なら、産み落とした瞬間に女神を『死』の状態に置けばどうなるか。死体であれば、バファマに放置されるはずだ。

もちろん、本当に殺しては意味がない。薬品で「仮死状態」を作り出し、バファマの復元力によっていずれ元の生身へと戻るのを待つ。

 

ヒメカはレオールと共にいられるならと、過酷な実験にその身を捧げた。

やがて薬は完成した。投与後、3時間は完全な仮死状態を維持する。

 

黎明の女神をただの女にするためには新しい神の子を産ませる必要があるが、本命のレオールに孕ませると彼が神になってしまう。レオールをバファマに残す為に、別の神の子に孕ませる必要があった。

 

シリウスは、理解力に富み、献身的な男であったファズにのみ事情を話し、彼にヒメカを孕ませた。

——だが、ヒメカが戻ってくることはなく、ファズは神となった。

 

***

 

エマは動揺のあまり、弾かれたようにソファから立ち上がった。

 

「待って……! レオールは、このことを知らないよね?」

「知らないだろうな。彼女が『レオール以外の男に抱かれたことを知られたくない』と言い残したから、僕も教えていない」

 

レオールは今も、ヒメカに裏切られたと思い込んでいる。だが事実は違う。彼女はレオールと共にいるための唯一の手段として、あえてファズを頼ったのだ。

 

「レオールに……教えてあげたいよ……」

「……やめておきなよ。それはヒメカの覚悟を汚すことになる」

 

1時間の制約が迫る。シリウスは深く息を吸い込むと、射抜くような眼差しでエマの意志を確認した。

 

「エマ。僕は今度こそ、黎明の女神というシステムを破壊したい。目処は立っている。……僕の実験に、付き合ってよ」

 

エマの心がかき乱される。

だが、そのシステムの破壊のためには、セジュム以外の男に孕まされなければならない。セジュム以外に抱かれるのはエマの倫理に反するし、何よりセジュムを裏切りたくない。言葉を濁すエマに対し、シリウスはソファの背にゆったりと凭れた。

 

「懸念は分かるよ。誰に孕ませるか……今の神の子なら、ジェルドだろうね。あいつも、君たちの愛、いや、エマのためなら喜んで『犠牲』になるタイプだ」

 

犠牲という言葉が、エマの胸を鋭く締め付けた。

大好きなジェルドに、そんな残酷な役割を押し付けるなんて。

 

「犠牲……そんなの、嫌だよ……」

「だろうね。君ならそう言うと思った。……時間だ。やるか、やらないか。今、決めてくれ」

 

エマは喉を詰まらせた。

 

「例えば、永遠に避妊し続ければ、このままセジュムと一緒にいられるんじゃ……」

「避妊の成功率は僕の薬で90パーセント、君たちが今してる体外射精なら75パーセント程度だ。まあ、行為をやめれば一緒にいられるけど、出来る?」

 

エマは視線を脇へ逃がした。否定も肯定も出来ない。エマの沈黙が崩れるのを待っていたが、諦めてシリウスは小さく息を吐いた。

 

「……これから先、離れ離れになる恐怖を抱きながらする行為に、果たして癒しはあるのだろうか。深い愛がありながら、身体の繋がりを我慢し、我慢させることは、果たして幸せと言えるだろうか」

 

その言葉は、二人の現状にリンクし、今のエマの弱いところを突いた。

シリウスは言葉を詰まらせるエマを見据えて身を乗り出した。

 

「これが成功すれば、バファマの歴史は変わる。君がいた世界のように、男と女が対等に並び、添い遂げられる世界に近づける。神になどならずとも、この地に革命を起こせるんだ。……僕と、君で」

 

エマの瞳が大きく揺れる。シリウスはその隙を逃さず、細く骨張った掌を彼女の前に差し出した。

 

「まずは試してみようよ。すべては君とセジュムのためだ。最大限の配慮は約束する。……僕は、君の味方だよ」

 

この男の言葉をどこまで信じていいのかは分からない。けれど、もしこの実験が成功すれば。誰も幸せになれぬこの虚無の塔に、一筋の光が差し込むのかもしれない。

 

『君は、誰を照らしたい?』

 

かつてのテンカの問いが、耳の奥で木霊する。

 

そうだ。

 

救いのない、未来もない、この凍てついた場所で喘ぐ自分たちを、私は、照らしたい。

 

微かな可能性であっても、掴み取らなければならない。

 

エマはシリウスの瞳を真っ直ぐに射抜き、差し出されたその冷たい掌を、強く握りしめた。

 

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