黎明の女神   作:浮月 愁

54 / 59
黎明の女神 54話 愛し抜くということ1

 

その姿は、まるで大事な宝物を奪われそうになった大型犬が、喉を鳴らして威嚇しているかのようだった。

セジュムは、研究室にほど近いエマの私室で、彼女をその腕の中にすっぽりと閉じ込めていた。エマを抱きかかえる彼の背中は、未だ収まらぬ殺気を孕んで微かに震えている。

 

シリウスが本気でエマを奪おうとしていたわけではないことは、エマにも分かっていた。ただ、あまりにもタイミングが悪すぎた。

 

(もうシリウスとセジュムは仲良く出来ないだろうな……)

 

先ほどまでの修羅場を思い出し、エマは重苦しい沈黙を破るべく口を開いた。

 

「……セジュム?」

 

セジュムはゆっくりとエマを身体から離したが、その顔は憔悴しきっており、まともな言葉を交わせる状態ではなかった。

心配と怒りとでぐちゃぐちゃになっている。

それほどまでに彼はエマを案じ、血眼になって塔内を探し回っていたのだろう。

けれど、そんな彼を見ても、エマの心に純粋な同情や反省は生まれなかった。自分だって、同じくらい深い絶望に傷ついていたのだから。

 

「……少し、落ち着けるような飲み物を淹れてくる」

 

立ち上がろうとしたエマの手を、セジュムが強く引き止めた。そのまま、抗う隙も与えず唇が重なる。

 

「ここに居てください」

 

もう一度、静かな懇願と共に唇を塞がれた。最初は、確かめ合うような柔らかな接触。けれど、触れ合った瞬間に抑えていた何かが決壊した。彼は眼鏡を外すと、それを彼らしくもなく乱暴に放り投げた。エマの髪をそっとかき上げ、髪の後ろに隠れていた白い肌を露わにする。セジュムは一度大きく息を吐いてから、その首筋に思い切り強く吸い付いた。

 

「……っ」

 

痛みと熱が混じり合った刺激にエマの指に力が入る。一度吸っては離し、赤く腫れ上がった場所を舌で円を描くように舐め、また強く吸い付く。

無意識に伸ばしたエマの手が、彼の服の生地を強く掴んだ。セジュムの掌がエマの後頭部を支え、そのままベッドへと押し倒そうとした瞬間——彼は熱い息を吐き出しながら、強引に顔を離した。

 

「……やめます。このままでは、乱暴に抱いてしまいそうだ」

 

セジュムは天を仰いで大きく息を吐き出した。いつもの慈しむような温かな瞳はそこになく、苛立ちと情欲に灼かれた、獣のような眼差しがエマを見下ろしていた。

エマは乱れた呼吸を整えながら身体を起こすと、セジュムの外套の裾を指先で掴んだ。

 

「……私、決めたの」

 

真っ直ぐに、彼を見上げる。

 

「セジュムを神にする。ずっと一緒に居たかったけど、それは私だけだったみたいだし」

 

セジュムがハッとしたようにエマを見据える。

 

「乱暴でも、いいよ。……そのまま、私を孕ませて」

 

もう泣かないと決めていたはずだった。けれど、声は無様に震え、瞳には再び薄い涙の膜が張る。視界が揺れ、堪えきれなかった一筋の雫が頬を伝った。

エマは慌ててそれを拭う。

 

「ご、ごめん。……大丈夫。しよ」

 

エマが彼を導くように手を重ねると、セジュムは弾かれたように彼女を引き寄せ、折れんばかりの力で抱きしめた。

 

これでいい。これで、私たちの「終わり」が始まる。好きな男の望みが叶うなら、私はそれを甘んじて受け入れよう。

 

しかし、エマの耳に届いたのは、いつもの穏やかで、深く澄んだセジュムの声だった。

 

「……エマは、まだまだ私のことを分かっていない」

 

抱きしめる腕に、いっそうの力がこもる。そこには、二度と離さないという執着と、この瞬間を永遠にしたいという切実な祈りが混じり合っていた。

 

「私は神になっても、エマと永遠に一緒にいます」

 

その矛盾した言葉の意味を、エマは腕の中で反芻した。「離れていても心は一つ」などという、陳腐な恋愛小説のような慰めを言っているのだろうか。エマは鼻をすすりながら、自嘲気味に笑った。

 

「ふふっ……ありがとう。セジュムらしいね」

 

けれど、現実はそんなに甘くない。セジュムが神になれば、2人は別たれる。それは逃れようのない真実だ。ただ、この絶望を和らげようとする彼の優しさだけは本物だと感じた。

エマが緊張を解き、身体を離そうとしたが、セジュムの腕はそれを許さない。

 

「エマのことを『愛し抜く』まで、私はまだ、神になるつもりはありません」

 

意味が分からず黙り込むエマを、セジュムはようやく腕の中から解放した。

『愛し抜く』。

以前もその言葉をセジュムは口にしていた。

彼はエマの困惑した顔を、愛でるような瞳で見つめながら、その手をそっと握った。

 

「……ん? 理解できませんか?」

「う、うん。その『愛し抜く』の終わりは、いつ来るの? ……それって、私の身体に飽きたら終わりってこと?」

 

エマが不安げに呟くと、セジュムはそれ以上にショックを受けたように身体を硬直させた。彼は浅い息を吐き、額に手を当てて深く下を向いた。呆れと困惑、そして揺るぎない確信を込めて、彼は告げた。

 

「愛し抜くというのは……目を瞑っていても、貴女の形が鮮明に分かること。身体が離れていても、たとえ二度と触れられなくなっても、相手のすべてが自分の一部として刻まれていること」

 

大きな掌が、エマの頬を優しく包み込んだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。