先ほどまで荒々しく、凶暴性すら感じさせたセジュムだったが、今は一変していた。その温かな掌からは、痛いほどの慈愛が伝わってくる。
「笑った顔、怒った顔、泣いた顔……そして、今みたいな困った顔も。そのすべてを、私の中に刻み込みます」
セジュムの目が細まり、親指がエマの頬を愛おしげに辿った。彼はエマの両手を取り、指を絡ませると、自身の頬へと押し当てる。
「触れた指先の温度。皮膚の柔らかさ。清らかで温かな香り」
そのままエマに顔を近づけ、ゆっくりと口づけた。
「唇の感触、その温度。全て私のもの」
エマの背に手を回し、もう一度ゆっくりとベッドへ押し倒す。侵入してきた舌先が、エマの意識を甘く溶かしていく。セジュムは唇を離すと、自身の額をエマの額に預け、熱い吐息を分け合った。
「唇の甘さ。……その後の、熱っぽい瞳。赤く染まった頬」
呼吸は深く重なり、互いの鼓動が間近で響き合う。
「そして、心臓の音」
セジュムの手が、エマの左胸を覆った。セジュムの瞳がソッとエマの反応を確かめる。少し力の入ったエマの身体に優しく指先を落とし、その指先が胸の谷間をなぞり、滑るように下腹部へと降りていく。臍のすぐ下に優しく掌をぽんと置くと、セジュムはエマの耳元で、蕩けるような低音で囁いた。
「……気持ちいい、場所。私の形を、覚えるまで」
直接的な愛撫など受けていないのに、その言葉だけで下腹の奥が甘く疼く。思わず漏れそうになる声を飲み込み、エマは潤んだ瞳でセジュムを見上げた。
「……っ、ちょっと……」
羞恥に耐えかね、エマがその手を退けようとすると、セジュムは短く溢れるように笑い、彼女の頭を優しく撫でた。
「……少し、からかい過ぎましたね。身体に飽きたらなんて、馬鹿げたこと言われて、つい」
そう言って、セジュムはエマを抱き上げ、座らせる。
エマは、彼の愛情深さを軽んじてしまったことを深く反省した。セジュムの部屋を飛び出した際、「神になるために私を利用した」と口走った。気が動転していたとはいえ、彼の献身を疑い、最も残酷な言葉をぶつけてしまった。
それでも、こうして変わらぬ微笑みを向けてくれる彼の器の大きさに、胸が締め付けられる。
セジュムは、神になるためにこの世に生を受けたのだ。一人の女性と添い遂げるために生まれたわけではない。
それでも。終わりを迎えるその刹那まで。
エマはゆっくりと、セジュムの広い胸の中に凭れかかった。
「……ほんの少しだけ、分かった気がする」
『愛し抜く』ということの真意。そして、『離れていても心は一つ』という言葉が、決して陳腐な綺麗事ではないことも。この人となら、その約束を果たすことができる。
「セジュム」
「はい」
「……私も、貴方を愛し抜きたい」
エマの真剣な眼差しを受け、セジュムは穏やかな表情を浮かべると、もう一度、至上の慈しみを込めた口付けを彼女の唇に落とした。
***
それからは、お互い胸に抱えていたわだかまりが消え、信じられないほど穏やかで幸せな時間が流れていった。
ルールの概念が乏しいセジュムをエマがダーツに誘い、逆にエマがセジュムからチェスの手ほどきを受けたり。
セジュムだけではない。レオールやジェルドも、当たり前のようにその輪に加わった。
レオールが一人で興じていたボール遊びに、エマはサッカーやバレーのルールを教えた。
ジェルドが力任せにボールを扱うものだから、レオールが本気で怒り、それをセジュムが宥める。ジェルドは自覚がなかったようだが、実は相当な運動音痴であることも判明した。
しかし、ジェルドは力に対する力の加減は苦手でも、無力なものに対しては驚くほど繊細な指先を持っていた。エマが教えると、彼はバファマに咲く花で、見事な花冠を編んでみせた。エマがあまりに褒めるものだから、彼女の部屋はいつの間にか花冠で埋め尽くされてしまった。
そうしてある日、ようやく「神の子特製ケーキ」がエマの前に運ばれた。
形こそ相変わらず不格好だったが、ジェルドのセンス溢れる飾り付けのおかげで、なんとか「ケーキ」としての体裁を保っている。
エマが恐る恐る口に運ぶと、スポンジは少し硬かったが、確かな甘みが広がった。安堵と可笑しさが込み上げ、つい吹き出してしまう。
「美味しい」と伝えると、レオールは以前教わったその言葉の意味を噛み締めるように、照れくさそうに、けれどぶっきらぼうに「どういたしまして」と返した。
(セジュム以外の、他の神の子に抱かれる。
もしそんな選択をしていたら、こんな安らぎのある日々を過ごせていなかっただろうな)
そして、セジュムだけではなく、他の神の子との思い出も失いたくないことに気がつく。やはり、バファマに留まりたい。その為には、やはり、黎明の女神のシステムを破壊するしかない。
エマは、この尊くかけがえのない時間を、宝箱に一つずつ納めていくような心地で過ごしていた。
***
黄金色の空に流れる、淡く柔らかな光の層。
触れると溶けてしまいそうな綿菓子のようにも見える。温かな風に揺られて遠くへと運ばれていく。
風見台の上で、エマとセジュムは肩を並べて立っていた。
「キレイだね」
「もう、すっかり慣れましたね」
「……そう、だね。もう怖くないかな」
エマを見下ろす瞳は、どこまでも澄んでいた。エマもまた、その静謐な眼差しを見つめ返す。
「……エマ?」
「怖くない、かな」
セジュムはその言葉の真意——彼女の「覚悟」を読み取ると、少し緊張した面持ちで、ゆっくりとエマを抱きしめた。
「……わかりました」
一瞬、指先が震えそうになる。けれど、エマは一度だけギュッと拳を握り、心の奥の不安を押し潰した。
そのままセジュムの背に手を回し、エマは今、持てる限りの力を込めて、愛する男を抱き返した。