黎明の女神   作:浮月 愁

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黎明の女神 56話 宴1

ノックの音。シリウスは読んでいた古い書物に栞を挟むと、重い腰を上げてチェアから立ち上がった。

研究室のドアを開けると、そこには並んで立つエマとセジュムの姿があった。

シリウスは、弦を限界まで張り詰めたような二人の表情を交互に眺め、満足げに口角を歪めた。

 

「ヒヒッ……待ってたよ」

 

シリウスは二人を招き入れ、研究室の奥へと通した。いつもの丸椅子を差し出されたエマは、まるで重大な病名を宣告されるのを待つ患者のように、神妙な面持ちでそこへ腰を下ろす。

三人の間に重苦しい沈黙が流れる。誰が最初に沈黙を破るべきか探り合っていたが、やがてエマが自身の下腹部にそっと手を添え、耳まで真っ赤に染めながら、意を決して口を開いた。

 

「い、いま、ここ……私の中に、セジュムの……ッ」

「エマ、エマ! 言わなくていいです、シリウスは分かってますので!」

「えー、分からないな。セジュムの何? 最後まで詳しく教えてよ」

 

ニヤニヤと意地悪く顔を近づけるシリウス。セジュムは「それ以上言わせるものか」とばかりにエマの手を握って落ち着かせると、鋭い視線をシリウスへ向けた。

 

「エマの身体はまもなく神の子を産む準備が始まります。そして、この世界も……」

「僕のところに来たってことは、エマ。君はこのバファマに残る道を選んだ。それでいいんだね?」

 

シリウスの問いに、エマは迷いなく深く頷いた。

 

「ここまで、私もシリウスも必死に頑張った。その努力を無駄にしたくない。私の後に来る黎明の女神にも、失わなくていい希望があることを見せたい。……それに何より、セジュムとの、みんなとの思い出を失いたくない」

 

シリウスは安堵したようにチェアに深く背を預け、微かな微笑を浮かべた。それから彼は、これから訪れる「儀式」の全容を淡々と説明し始めた。

 

約24時間後、バファマは永い眠りに落ちるかのように闇に包まれる。

黄金色の黄昏が終わり、漆黒の夜の世界へと変貌するのだ。

空が割れ、天界から新世代の神を迎える使者が、光り輝く道と共に降りてくる。

バファマの塔の最上層、遮るもののない風の吹き抜ける場所で、セジュムとエマは待機し、そこで神の子を産み落とす。

本来であれば、そこで『深更(しんこう)の入口』と呼ばれる、エマが元いた世界へ繋がるゲートが顕現する。

セジュムは天界へと昇り、新しく生まれた神の子は独り塔を下る。

エマはそこで役目を終え、ゲートを潜り、元の世界へと戻る。それが本来のこの世界の理。

 

今回はエマが仮死状態となっているため、自らゲートを潜ることはできず、そのまま放置されるだろう。

使者が居なくなった後は、新しく生まれた神の子に塔下まで運んでもらうか、もしくはエマが目覚めるまでそこで待つか。シリウスが回収しに行くという手もあるが、非力なため、エマを担いで塔を下ることは極力したくないようだ。

 

「まあ、そこはいいや。……投薬は、バファマが完全に暗くなってからでいいだろう。前回、ヒメカが途中で目を覚ましてしまったのは、闇が訪れる前に打ってしまったせいだ。タイミングは僕が計る」

 

シリウスが説明を終えると、エマが何かを深く考え込んでいることに気づき、眉を上げた。

 

「何? まだ理解できないところでもあった?」

「……ううん。そうじゃなくて。まだ……結構、時間があるよね」

 

エマはそっとセジュムを見上げた。セジュムもまた、愛しげにエマを見つめ返す。そのあまりに親密な空気に、シリウスは毒気を抜かれたように腕を組み、足を組み替えた。

 

「……残りの時間をどう過ごそうが君たちの自由だけど、僕の目の前でそんな目配せをするのはやめてくれない? さっさと自分たちの部屋に戻りなよ」

「……エマ。何か、したいことがあるのですね?」

 

シリウスの卑俗な想像とは裏腹に、エマが別の「願い」を抱いていることを、セジュムは即座に見抜いていた。エマは嬉しそうに微笑み、力強く頷いた。

 

***

 

エマとセジュムは、まずジェルドの私室の扉を叩いた。

何度目かのノックで現れたジェルドは、眠たげに目を擦り、長い睫毛に覆われた瞳を細めていた。

 

「んん……」

「ごめんね、寝てた?」

「ああ……どうかしたのか……」

 

欠伸を噛み殺すジェルドに、エマは弾んだ声で「ついてきて」と促した。

 

「次は、レオール!」

 

レオールは浴場にいた。湯船に浸かってだらだらと過ごしていたところを、着衣のままのジェルドとセジュムが迎えに来たため、彼は驚愕して慌てて湯から飛び上がった。

急いで服を引っ掛け、脱衣所を出ると、そこには腕を組んで待つエマの姿があった。

 

「おぉ、エマ。オレになんか用か?」

「ついてきて!」

 

3人はエマの後ろを付いて4階から1階まで降りる。

 

「ん? なんだこれ」

「まあまあ」

「エマが楽しそうで何よりだ」

 

一行は晩餐室の前に辿り着いた。エマは扉の前でくるりと振り返り、3人を見渡す。

 

「ジェルド、レオール。もう少しでこのバファマに夜が来る」

 

その言葉の重みを瞬時に悟った2人は、ハッとした表情で息を呑んだ。

 

「最後に、みんなで楽しい思い出を作りたいの。……今日は、黎明の女神による、黎明の女神のための宴です。どうぞ、お入りください!」

 

わざと仰々しく、芝居がかった仕草でエマは恭しく頭を下げる。

扉を開け、晩餐室に足を踏み入れると、そこには巨大な食卓を埋め尽くすほどの酒とつまみが並んでいた。そしてその隅で、ひどく不機嫌そうに膝を抱えて椅子に座るシリウスの姿があった。

 

「シリウス!」

 

ジェルドが驚きと喜びの混じった声を上げた。シリウスがこうした場に顔を出すのは極めて稀だ。仲間外れにされているわけではなく、彼自身が研究室に引きこもり、群れることを嫌っていたからだ。

シリウスは、ジトッとした目で4人を一瞥した。

 

「……エマが、どうしても最後は全員で呑みたいってうるさいからね。仕方なくだよ」

 

シリウスが両手を上げ、呆れたように言い放つと、ジェルドとレオールは笑いながら彼の元へ駆け寄った。

 

「賑やかな宴になりそうですね」

 

セジュムが呟くと、エマはその隣で彼の脇腹を肘でつついた。

 

「……シリウスとも、ちゃんと仲良くしてよね」

 

セジュムは少しだけ困ったように首を傾げ、首元を軽く掻いた。

 

「……最大限の努力を、約束します」

 

素直になれないその回答に、エマはこらえきれず笑い声を零した。彼女はセジュムの手をしっかりと引き、賑やかな光に満ちた食卓へといざなうのだった。

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