最強の白龍皇、最かわドラゴンになる   作:しが

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ヤンデレドラゴン爆誕

冷たい汗がシーツを濡らしている。意識の深淵で、ヴァーリ・ルシファーはかつてない高熱に苛まれていた。それは肉体的な病などではない。彼の魂に深く刻まれた「白龍」という概念そのものが、何か巨大で異質な奔流と共鳴し、悲鳴を上げているかのような熱だった。

夢を見ていた。

それは、この世界ではない何処か。神も悪魔も、彼の知る理すらもが磨り減り、剪定されることを拒んだ「もしも」の果て。異聞帯(ロストベルト)と呼ばれる、袋小路の世界。

灰色の空。果てしなく続く荒涼とした大地。そこには、一つの巨大な影があった。

彼に宿る相棒と同じ名を持つ竜。境界を越えようとし、星の内海へと還ろうとし、果たせずに行き倒れた哀れな竜。

――アルビオン。

その竜は死してなお、その骸を大地として晒していた。肉は土となり、骨は山となった。だが、その左手だけが。世界を掴み損ね、未練がましく残ったその「左腕」だけが、腐り落ちることなく汚染された魔力を湛え続けていた。

ヴァーリの意識は、その視点と同化していく。

悔恨。絶望。そして、純粋すぎるほどの「生」への渇望。

長い長い時を経て、その左手の端末として、あるいは膿として、あるいは祈りとして、一つの生命が剥がれ落ちる。

『――、――』

泥濘の中から立ち上がる、小さく美しき妖精。

その名はメリュジーヌ。あるいは、妖精騎士ランスロット。

最強の生物の残滓から生まれた、最強の個体。

(これは……俺か?)

ヴァーリの自我が揺らぐ。ヴァーリ・ルシファーという個と、夢の中の妖精騎士、そして二つの世界の「アルビオン」という概念が、高熱の坩堝の中で溶け合い、混ざり合っていく。

全身の骨が軋む音が聞こえた。筋肉が溶解し、再構築されるおぞましくも神秘的な感覚。

血管を流れる血が、人間の赤から、もっと青く、もっと純度の高い神秘へと置換されていく。

魔王の血統と、神を滅ぼす毒を持つ龍の因子。それらが触媒となり、異界の「龍の妖精」という在り方を、この身に焼き付けていく。

熱い。熱い。

だが、その熱は不快ではなかった。むしろ、本来あるべき姿へと還るような、恐ろしいほどの万能感。

龍としての純度が高まっていく。人という器が割れ、中からより強靭で、より美しい何かが孵化しようとしている。

「う、あぁぁぁ……ッ!」

現実の肉体が悲鳴を上げ、喉から掠れた声が漏れる。

意識がホワイトアウトする寸前、ヴァーリは見た。

鏡の向こうで、悲しげに微笑む銀髪の妖精を。彼女が手を伸ばし、ヴァーリの手に触れた瞬間、世界は強烈な閃光に包まれた。

          ◇

小鳥のさえずりが、意識を現実に引き戻した。

重く垂れ込めていた熱気は嘘のように引いていた。代わりに感じるのは、奇妙なまでの身体の軽さだ。まるで重力そのものが半分になったかのような、浮遊感に近い感覚。

ヴァーリはゆっくりと瞼を開けた。

隠れ家の天井。だが、視界の高さがいつもと違う。

ベッドから上半身を起こそうとして、違和感に気づいた。シーツがやけに重い。いや、自分が小さくなっているのか? 絡みつく布地を払いのけようとした手が、視界に入る。

「……?」

白く、細く、透き通るような肌。指先は華奢で、爪は桜貝のように美しい。

歴戦の戦士として鍛え上げられた、武骨さも傷跡もない、あまりにも無垢な少女の手。

思考が凍りつく。

ヴァーリは恐る恐る、自分の身体を見下ろした。

着ていたはずのシャツは、今の彼には大きすぎて、まるでダブダブのローブのようになっている。襟元から覗く鎖骨は繊細で、胸元には僅かな膨らみがあった。

そして何より、背中から腰にかけて感じる奇妙な感覚。何かが「生えている」ような、あるいは「収納されている」ような、未知の器官の存在感。

(何の冗談だ、これは)

冷静さを保とうとする理性と、混乱する感情がせめぎ合う。

ヴァーリはベッドから降りた。足が床につくまでの距離が、記憶よりも遠い。

素足がフローリングに触れる。冷たさが心地よい。

ふらつく足取りで、部屋に置かれた姿見の前へと歩を進める。

一歩、また一歩近づくにつれ、鏡の中の像が鮮明になっていく。

そこにいたのは、ヴァーリ・ルシファーではなかった。

あるいは、ヴァーリ・ルシファーであって、そうではない何か。

腰まで届く、流れるような美しい銀髪。

月光を織り込んだかのようなその髪は、わずかな動きに合わせてサラサラと揺れる。

肌は病的なまでに白く、陶磁器のような滑らかさを持っていた。

そして瞳。

意志の強さを宿したその瞳は、以前と同じく知性を湛えていたが、その瞳孔は縦に割れていた。爬虫類のそれ。いや、龍のそれだ。

神秘的で、どこか妖艶で、それでいて触れれば切れそうなほどの鋭さを秘めた美少女。

夢の中で見た、あの妖精騎士そのものだった。

ヴァーリは呆然と、自分の顔へと手を伸ばす。鏡の中の少女も同じように手を伸ばし、頬に触れる。その感触は確かに現実のものだ。

かつての覇気溢れる青年の面影は、その鋭い眼光に辛うじて残るのみ。

今の彼は、誰がどう見ても、可憐で儚げな、深窓の令嬢にしか見えないだろう。もっとも、その内側に世界を滅ぼしかねない龍の力を秘めていることを除けばだが。

鏡の中の自分を睨みつけるように見据えながら、ヴァーリは唇を開いた。

声帯が変わったせいか、紡がれた声は鈴を転がすような、高く澄んだソプラノだった。

「………おい、アルビオン。いるか」

その呼びかけに応えるように、魂の奥底から白い光が明滅する。

神器(セイクリッド・ギア)からの応答。だが、その光の波長もまた、以前とは異なっていた。より深く、より静かで、底知れぬ湖のような気配。

『……あぁ、我ならここにいるぞ、ヴァーリ』

相棒である白龍皇、アルビオンの声が脳裏に響く。

その声には、いつもの冷静さに加え、隠しきれない困惑の色が混じっていた。

『……どうなってるんだ、俺の体は』

ヴァーリは鏡から目を離さず、自分の銀髪を一房つまみ上げながら問いかける。

その問いかけは、単なる肉体変化への疑問だけではない。

自身の内側で渦巻く魔力の質、そして「白龍皇」としての権能までもが変質していることを肌で感じ取っていたからだ。

『……正直に言おう。我にも完全には理解できていない』

アルビオンは少しの間を置いて、慎重に言葉を選びながら続けた。

『昨晩、我らは奇妙な干渉を受けた。この次元ではない、遥か彼方の位相……そこに存在する「もう一人の我」からだ』

「もう一人の、お前だと?」

『そうだ。名は同じくアルビオン。だが、その在り方は異なる。あちらは「境界」を司る龍。……その強烈な無念と残留思念が、次元の壁を越えて、最も波長の合う「アルビオンの名を冠する者」……つまり我と、その宿主であるお前に流れ込んできたのだ』

ヴァーリは眉をひそめる。美少女の顔で不機嫌そうにするその表情は、皮肉にも蠱惑的な魅力を増していた。

『本来であれば、精神的な干渉で終わるはずだった。だが、お前は魔王の血と人間の血、そして我の龍の因子をその身に宿している。その不安定で受容性の高い器が、異界の概念――「アルビオンの骸から生まれた妖精」という情報を、新たな肉体の設計図として誤認し、再構築してしまったようだ』

「再構築だと? 俺が、その妖精になったとでも言うのか」

ヴァーリは自分の身体を見下ろした。

確かに力は感じる。以前よりもむしろ、龍としての「格」は上がっているかもしれない。

だが、この姿だ。

戦いを求め、強さを追い求めてきた自分が、こんなか弱い少女の姿になるなど、冗談にもほどがある。

『妖精であり、龍だ。……我の感覚で言えば、お前の肉体は今、人間という種を離れ、純粋なドラゴンに極めて近い存在へと昇華されている。この姿は、その異界のアルビオンの端末……メリュジーヌと呼ばれた個体の影響を色濃く受けた結果だろう』

「メリュジーヌ……」

夢の中で聞いた名を口にする。

すると、胸の奥がきゅっと締め付けられるような、奇妙な郷愁と悲しみが込み上げてきた。

それはヴァーリの感情ではない。この肉体に刻まれた、細胞レベルの記憶。

愛を求め、認められることを願い、最強でありながら孤独だった妖精騎士の想い。

ヴァーリは舌打ちをした。

「ふん……くだらない。他人の感情が混線しているのか。不愉快だ」

彼は鏡の前で拳を握りしめ、軽く魔力を練り上げる。

刹那、背中から爆発的な魔力が噴出した。

光の翼が展開される。だが、それはいつもの「白龍皇の光翼(ディバイン・ディバイディング)」のエネルギー翼とは形状が異なっていた。

機械的でありながら有機的。鋭利な刃物のようでもあり、可変式のスラスターのようでもある、美しくも禍々しい鋼鉄の翼。

『ほう……。神器の形状までもが変化しているか。どうやら権能も、従来のものに加えてあちらの性質が混ざっているようだぞ』

「……試してみる価値はありそうだな」

ヴァーリは口元を歪めて笑った。その笑みは、かつての好戦的な彼そのものだったが、可憐な少女の顔で行われると、背徳的な迫力があった。

「姿が変わろうと、俺は俺だ。最強であることに変わりはない」

そう自分に言い聞かせるように呟く。

だが、問題は山積みだ。

この姿でどうやって生活するのか。チームのメンバーになんと説明するのか。

そして何より、宿命のライバルである赤龍帝が、この姿を見たらどんな反応をするか。

想像しただけで、ヴァーリはこめかみがピクリと引きつるのを感じた。

「……まずは服だ。このままでは動けん」

鏡の中の銀髪の少女――ヴァーリは、だぶつくシャツの裾をたくし上げながら、深くため息をついた。

その瞳孔の奥で、龍の光が鋭く明滅していた。

最強の白龍皇は、異界の最強種の姿を得て、新たな、そして前途多難な朝を迎えたのだった。

 

背中から生じていた鋼鉄の翼が、粒子となって大気に溶けるように霧散した。

意識を集中すれば、皮膚の下で何かが蠢く感覚がある。それはかつての神器(セイクリッド・ギア)の感覚とは異なり、自身の肉体の一部を出し入れするような、より生物的な直感に基づいていた。角も同様だ。頭部に触れても、そこにあるのはサラサラとした銀髪の感触のみ。どうやら、常時異形の姿を晒すわけではないらしい。

だぶつくシャツのボタンを一つ掛け違えていることに気づき、ヴァーリは苛立ち紛れに舌打ちをした。指先が細すぎて、以前の感覚で掴もうとすると布が滑る。

「赤龍帝はまだ目覚めていないか。本当だな? アルビオン」

鏡の中の少女――いや、ヴァーリは、自身の半身に問いかける。その口調は、可憐な容姿とは裏腹に、依然として冷徹な覇者の響きを帯びていた。

『ああ、赤いのが目覚めてる波動は感じない。我と奴は表裏一体の鏡合わせ、顕現すれば嫌でも分かる』

アルビオンの答えは簡潔だった。

二天龍。かつて神と魔王の争いを引っ掻き回し、両陣営に疎まれ、滅ぼされた最強の龍たち。その因縁は魂に刻まれ、神器となってもなお消えることはない。白が目覚めれば赤が、赤が育てば白が、互いに引かれ合うように運命は廻る。

「……今代の赤龍帝…どのような奴か…」

ヴァーリは目を細める。

歴代の赤龍帝の宿主たちの末路を思い返す。力に溺れた者、覇道に生きた者、あるいは平凡なまま散った者。

今、この時代に自分が生を受けた。魔王の血と最強の龍の力を併せ持つ、歴代最強の白龍皇として。ならば、対となる赤もまた、それに相応しい強者でなくてはならない。

鏡に映る自分の瞳孔が、興奮に呼応して縦に細く収縮する。

殺し合うのが楽しみだ。

全身の血が沸き立つような高揚感。この手で、最強の証明として赤を砕く。その瞬間のカタルシスを想像し、ヴァーリの唇が三日月のように歪んだ。それは、無垢な少女の顔に浮かぶ、あまりにも凶悪で美しい修羅の笑みだった。

だが、その高揚の頂点で、ふと脳裏にノイズが走る。

先ほど夢で見た、荒野の記憶。

孤独に朽ちた巨大な竜。その左手から生まれ、誰かを求め続けた妖精の慟哭。

『最強』であることは孤独だ。けれど、対となる存在がいるのなら?

鏡合わせの存在。運命によって縛られ、決して逃れることのできない「たった一人」の相手。

ヴァーリの思考の海に、インクを垂らしたように別の色彩が広がり始める。

殺し合うこと。命をやり取りすること。それは互いの存在を深く魂に刻み込む行為。

ならば、それは――。

「…もはやそれは運命に紐付けられたルールか。宿命とは面白い」

ヴァーリは独りごちる。先ほどまでの殺意とは違う、どこか熱っぽい、粘着質な感情が胸の奥で渦を巻く。

『どうしたヴァーリ』

急激な感情の変質に戸惑ったのか、アルビオンが怪訝な声を上げる。

ヴァーリは鏡の中の自分を見つめたまま、首を傾げた。銀の髪がサラリと肩を流れる。その仕草は自然で、優雅で、そして恐ろしいほどに甘やかだった。

「…ねぇ、アルビオン。それはさ、もはや素敵な素敵な私の恋人になるとは思わない? …男だろうと、女だろうとね」

『……は?』

アルビオンの絶句を置き去りにして、彼女は、いや彼は、鏡に映る自分の顔にうっとりと指を這わせた。

冷徹な戦士の表情は消え失せていた。そこにいるのは、運命の相手を想って頬を染める、恋する乙女の顔。ただし、その瞳の奥には、獲物を絶対に逃がさないという捕食者の光が宿っている。

「だってそうでしょう? 私と対等に渡り合えるのは、この広い世界できっとその赤い人だけだ。他の有象無象なんて、触れただけで壊れちゃう。脆くて、弱くて、つまらない」

彼女はベッドの端に腰掛け、ぶかぶかのシャツの裾を弄ぶ。

思考のロジックが組み変わっていた。

最強であることは変わらない。戦いを求めることも変わらない。

だが、その目的が「力の証明」から、「愛の成就」へとスライドしている。

龍という種は、本質的に強欲で独占欲が強い。そして妖精騎士としての彼女の因子は、愛するものへの執着が何よりも深い。

その二つが、最悪の形で化学反応を起こしていた。

『ヴァーリ……お前、何を言って…』

「ん? 何か変かな。これが本来の私のような気がするよ。無駄な力みが抜けて、とてもクリアだ」

彼女は小さく笑う。鈴を鳴らすような、穏やかで優しい声。

だが、その内容はアルビオンを戦慄させるに十分だった。

「運命の相手と殺し合う。全力をぶつけて、肉を引き裂いて、骨を砕いて……そうやって互いの命を確かめ合うの。それって、最高のセックスよりも濃厚な愛の営みだと思わない? アルビオンもそう思うよね」

『……我は、そのような意味で戦っていたわけではないが』

「照れなくていいよ。君も、向こうの赤い龍に会いたくて仕方がないんでしょう? その気持ち、今の私には痛いほどよく分かる」

彼女は胸に手を当て、陶酔したように目を閉じる。

心臓の鼓動が早鐘を打っている。まだ見ぬ「彼」あるいは「彼女」への渇望。

赤龍帝。その響きだけで、下腹部が甘く疼くような錯覚すら覚える。

「名前も知らない、顔も知らない。でも、魂だけは繋がっている。素敵だね。早く会いたいな。会って、私のすべてを叩き込んで、向こうのすべてを受け止めたい」

彼女は立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。

カーテンを開け放つと、朝の光が部屋いっぱいに溢れた。

その光の中で、銀髪の少女は眩しそうに目を細め、しかしその視線は遥か彼方、まだ見ぬ宿敵のいる場所を探すように彷徨う。

「ねえ、アルビオン。もしその赤いのが、私の期待外れだったらどうしよう」

ふと、声のトーンが落ちる。

温度のない、絶対零度の瞳が虚空を見つめた。

「脆くて、弱くて、私の愛に耐えられないような粗悪品だったら」

『……その時は、どうするつもりだ』

「決まっているよ」

彼女は慈愛に満ちた、聖母のような微笑みを浮かべた。

「壊してあげる。跡形もなく、苦しまないように、一瞬でね。だって、私の相手が務まらないなら、その命に価値なんてないもの。それが最強である私の、最低限の慈悲だね」

純粋すぎる選民思想。あるいは、傲慢極まる愛の形。

ヴァーリ・ルシファーとしてのプライドと、妖精騎士としての純真さが、極めて危険なバランスで融合していた。

彼女は窓ガラスに手を触れる。

その華奢な指先から、微かに魔力が漏れ出した。

窓ガラスが音もなく振動し、共鳴する。

まだ見ぬ恋人へのラブレター代わりの、魔力の奔流。

「でも、きっと大丈夫。君が選んだ相手の対だもの。きっと私を楽しませてくれる。私を熱くさせてくれる」

くるりと踵を返し、彼女は部屋を見回した。

殺風景な男の部屋。かつての自分が、機能性だけを追求して整えた空間。

今の彼女には、それが少しだけ寂しく映る。

「まずは、この場所を整えないと。愛する人を迎えるのに、こんな殺風景じゃ失礼だものね。それから……服。このシャツは着心地は悪くないけど、彼に会うならもっと相応しい姿がいい」

彼女はクローゼットを開ける。並んでいるのは黒やグレーの、実用一点張りの服ばかり。

小さくため息をついて、彼女は一着のジャケットを手に取った。

当然、サイズは合わない。だが、今の彼女には物質を構築し、改変する程度の魔力操作など造作もないことだった。

青白い光が掌から溢れ、ジャケットを包み込む。

繊維が解け、再構築され、彼女の今の体型に合わせた、戦闘服(バトルドレス)のような意匠のワンピースへと変化していく。

黒を基調とし、銀のラインが走るその服は、彼女の銀髪と絶妙なコントラストを描いていた。

着替えた彼女は、再び鏡の前に立つ。

スカートの裾を摘んで、優雅に一礼(カーテシー)。

「うん、悪くない。これなら、いつあっちが目覚めても大丈夫だね」

『……本気で、口説き落とすつもりなのか? 戦うのではなく』

アルビオンの問いに、彼女はきょとんとした顔をする。

そして、無邪気に笑った。

「戦うのと愛し合うのは一緒だよ、アルビオン。全力でぶつかり合って、どちらかが動けなくなるまで愛を注ぐ。それが龍の流儀でしょう?」

『……我々の流儀がいつの間にか書き換わっている気がするが、まあいい』

アルビオンは諦めたように嘆息した。

宿主の精神構造がどう変化しようと、その力が衰えるどころか、かつてないほど研ぎ澄まされているのは事実だった。

目的が「打倒」から「求愛」に変わっただけで、やることは変わらない。

最強を証明し、全てをねじ伏せる。それだけだ。

「さあ、行こうか。今日は天気がいい。空を飛ぶには絶好の日和だ」

彼女は窓枠に足をかける。

重力など最初から存在しなかったかのように、その身体がふわりと浮き上がった。

背中からは、再びあの美しくも禍々しい鋼鉄の翼が展開される。

ジェットエンジンのような低い駆動音が響き、大気が彼女の魔力に怯えて震える。

「待っていてね、私の愛しい赤龍帝。君がどこに隠れていようと、必ず見つけ出してあげるから」

高らかな宣言と共に、最強の妖精騎士は空へと飛び立った。

銀色の流星となって雲を切り裂き、彼女は世界の空を蹂躙する

 

音速の壁を越えるなど、今の彼女にとっては散歩にも等しい。

大気を切り裂くというよりは、大気が彼女の通り道を恐れて自ら道を空けているかのようだった。背中に展開された鋼の翼――アロンダイトの推進力は、かつての光翼を凌駕する機動性を発揮している。

雲海の上、成層圏に近い高度を滑るように飛びながら、銀髪の少女――ヴァーリは指を折り、当面のタスクを確認していた。

「2点ほど消化しないといけないことがある…面倒くさいな」

一つは、自身のこの変貌について、腐れ縁の保護者に顔を見せておくこと。

もう一つは、所属する組織――禍の団(カオス・ブリゲード)への顔出しだ。この姿で戻れば、オーフィスや他のメンバーがどのような顔をするか見ものだが、それ以上に説明の手間が煩わしい。

「まずは、クソ親父の方から片付けるか」

彼女は空中で急制動をかけることなく、滑らかな弧を描いて方向転換した。

その動きは物理法則を無視している。慣性が死んでいる。まるで最初からそのベクトルに進むことが決まっていたかのような、絶対的な軌道変更。

眼下に広がる大地。その一角にある、人間界からは隔離された空間。

グリゴリの中枢、堕天使総督府。

彼女の瞳が、獲物を狙う猛禽のそれのように細められる。

通常の手順で入館許可を申請する? まさか。

今の彼女は、一秒でも早くこの新しい肉体のスペックを試し、見せびらかしたい衝動に駆られている。

「開けておくね、アザゼル」

呟きは風にかき消えた。

次の瞬間、彼女は銀色の砲弾となって急降下を開始した。

 

          ◇

地下深くに設けられた、特別研究室。

そこでは、堕天使の総督でありながら、三度の飯より研究を愛する男、アザゼルが狂気の笑みを浮かべて実験に没頭していた。

ビーカーの中で極彩色の液体が沸騰し、複雑な魔法陣が幾重にも展開されている。

人工神器の試作品。龍の因子の複製と定着実験。倫理観などとうの昔にドブに捨てたような光景だが、彼の目は少年のように輝いていた。

「クックック……いいぞ、この波動。これなら神滅具(ロンギヌス)の領域にまた一歩近づけるかもしれん! やはり龍の因子というのは興味深い。ヴァーリの奴のデータを解析した甲斐があったというものだ!」

黒い翼を窮屈そうに折りたたみ、白衣を纏った彼は、試験管を振るいながら独り言を漏らす。

「さて、ここに触媒として堕天使の羽を――」

彼がピンセットで黒い羽をつまみ、溶液に落とそうとした、その時だった。

警告音すら鳴らなかった。

結界が反応する暇もなかった。

轟音。

いや、音すら置き去りにした衝撃波が、研究室の厚さ数メートルの隔壁を紙細工のように貫通した。

「なっ――!?」

アザゼルの視界が白一色に染まる。

爆風が機材を吹き飛ばし、貴重なサンプルが粉砕され、書き溜めたレポートが紙吹雪となって舞い散る。

防御術式を展開する暇などない。純粋な運動エネルギーによる暴力。

実験室の中央に、土煙を巻き上げて着地した「何か」がいた。

衝撃の余波で天井が崩れ落ちてくるが、その「何か」が軽く手を振っただけで、瓦礫は砂のように分解され、触れることすら許されない。

「ゲホッ、ゲホッ……! なんだ、敵襲か!? 天界の連中か、それとも悪魔共か……!」

アザゼルは煤だらけになった顔をしかめ、瓦礫の山から身を起こした。

愛用の実験器具は全滅。数ヶ月の苦労が水の泡だ。

額に青筋を浮かべ、侵入者へと殺気を向ける。

「おいコラ! どこのどいつだ、俺の聖域(ラボ)を土足で踏み荒らす命知らずは……!」

煙が晴れていく。

そこに佇んでいたのは、禍々しい怪物でも、武装した天使の軍団でもなかった。

一人の少女だった。

月光を紡いだような銀髪。華奢で、守ってあげたくなるような可憐な肢体。

しかし、その背中には鋭利な鋼の翼が展開され、ジェットエンジンの排熱のような陽炎を揺らめかせている。

何より、その瞳。

美しくも冷徹な、爬虫類を思わせる瞳孔が、アザゼルを見下ろしていた。

アザゼルは言葉を失う。

(誰だ? 知らん顔だ。だが、この魔力の質……どこかで……)

思考を巡らせるアザゼルに対し、少女は瓦礫の上に優雅に腰を下ろした。

まるで王座に座る女王のように。

そして、呆れたようにため息をつく。

「耄碌したかな、アザゼル」

その声は、鈴を転がすような美声だったが、アザゼルの神経を逆撫でするような親密さと侮蔑が含まれていた。

「……あぁ? 誰に向かって口を利いてやがる、お嬢ちゃん。迷子なら案内所は地上だぞ」

アザゼルは警戒を解かずに睨み返す。

この少女、危険だ。見た目は儚げだが、内包しているエネルギー量が桁違いだ。

魔王クラス? いや、それ以上か。龍の気配が濃厚にする。

少女はふっと笑った。

それはアザゼルがよく知る、生意気で、不遜で、戦いを何より好む「あの男」がよく浮かべていた笑みと、恐ろしいほど重なった。

「悲しいね。育ての親に忘れられるなんて」

少女は立ち上がり、アザゼルの目前まで音もなく滑るように移動する。

そして、整った顔をアザゼルの煤けた顔に近づけた。

「義理とはいえ息子の顔を見間違うなんてね」

時が止まった。

アザゼルの脳内で、ニューロンがスパークする。

息子。義理の息子。銀髪。龍の気配。生意気な態度。

条件は揃っている。揃いすぎている。

だが、視覚情報がそれを全力で否定していた。

「……は?」

堕天使の総督らしからぬ、間の抜けた声が出た。

アザゼルは瞬きをし、目をこすり、もう一度少女を見る。

銀髪の美少女。どう見ても美少女。100人が見たら100人が振り返る美少女。

「お前、ま、さか……ヴァーリ、なのか?」

「他に誰がいるのさ」

少女――ヴァーリは、つまらなそうに自分の長い髪を指でくるくると巻き取った。

「ヴ、ヴァーリ……? お前、その姿……いや、性別まで変わって……」

「昨晩、少しばかり『脱皮』してね。目が覚めたらこうなっていた」

「脱皮で性転換してたまるか! どんな生態系だ!」

アザゼルはツッコミを入れつつ、即座に研究者モードに切り替わった。

彼はヴァーリの肩を掴み(その華奢さに再び戦慄しつつ)、全身をジロジロと観察し始めた。

「魔力の波長は確かにヴァーリだ。だが、構成が違う。人間の因子が極端に薄れ、ドラゴンの因子が変質している……。おいアルビオン、生きてるか? これはどういうことだ」

ヴァーリの背後、見えない領域に問いかける。

すると、少女の身体から白い光が明滅し、疲れたような龍の声が響いた。

『……生きてはいるが、我のアイデンティティは崩壊寸前だ、アザゼル』

「アルビオンもか。心中察するぜ」

「ちょっと、気安く触らないでくれる? アザゼル」

ヴァーリは不快そうにアザゼルの手を払いのけた。その動作一つにも、魔力が乗っており、アザゼルの手が痺れるほどの衝撃が走る。

「私の肌に触れていいのは、私の愛しい人だけだ」

「……は?」

再びアザゼルが固まる。

愛しい人? ヴァーリが? あの戦闘狂が?

「お前、頭まで打ったか? それとも女体化した影響で精神構造まで書き換わったか?」

「失礼だね。私は正常だよ、かつてないほどに」

ヴァーリは胸を張り、うっとりとした表情で天井(今は青空が見えている)を仰いだ。

「強さを求めることに変わりはない。ただ、その終着点が少し変わっただけだ。……ねぇ、アザゼル」

「な、なんだ。その熱っぽい目はやめろ、気色が悪い」

「赤龍帝は、まだ見つからないのか?」

その問いに、アザゼルの表情が引き締まった。

赤龍帝。ヴァーリの宿命のライバル。

「……まだだ。神器(ギア)の反応はあるが、微弱だ。おそらくまだ覚醒していないか、あるいは所有者が自分の力に気づいていない」

「そうか……」

ヴァーリは残念そうに、しかしどこか安堵したように息を吐いた。

「まだ眠っているのか、私の恋人は」

「……お前、今なんて言った?」

「恋人だよ。運命で結ばれた、私の半身」

ヴァーリはアザゼルの困惑など意に介さず、頬を紅潮させて語り出した。

「殺し合い、傷つけ合い、互いのすべてを暴き合う。それ以上の愛の営みなんてないだろう? だから彼は私の恋人だ。まだ会ったこともないけれど、私には分かる」

アザゼルは額に手を当て、深い深いため息をついた。

事態は思った以上に深刻だ。

かつてのヴァーリは、純粋に強さを競うライバルとして赤龍帝を求めていた。

だが、今のこいつは違う。

強さを競うことは手段であり、目的が「愛」という名の執着にすり替わっている。

これは厄介だ。ストーカー気質の最強種など、誰が止められるというのか。

「……おいヴァーリ。一応言っておくが、相手がどんな奴かも分からんのだぞ? もし相手が、戦いを好まない平和主義者だったらどうする」

「関係ないね」

ヴァーリは即答した。その瞳に、慈悲のない光が宿る。

「私が愛するんだ。相手も私を愛するように、形を変えてあげればいい」

「……お前、禍の団よりタチが悪くなってるぞ」

「最高の褒め言葉だね」

ヴァーリはクスクスと笑い、スカートの裾を翻した。

「確認したいことは終わった。赤龍帝がまだなら、私は少し寄り道をしていくよ」

「寄り道? どこへ行く気だ」

「本部の方へね。オーフィスに、この新しい姿を見せてあげないと。あの子なら、きっとこの『完全な姿』を気に入ってくれるはずだ」

「おい待て、今の状態でオーフィスに会うのは――」

アザゼルの制止を聞かず、ヴァーリは再び宙に浮いた。

背中の鋼鉄の翼が展開され、キィン、という甲高い駆動音が高まる。

「またね、アザゼル。研究室の修理、頑張って」

「誰のせいだと思ってるんだバカ息子! ……いや、バカ娘か!?」

「ふふっ、どっちでもいいさ。私は最強なんだから」

言い捨てると同時に、彼女は加速した。

ドンッ! という衝撃波が再びアザゼルの研究室を襲い、辛うじて残っていた壁の一枚をトドメとばかりに粉砕していく。

「あぁぁぁぁ! 俺の『人工神器(アーティフィシャル・ギア)Ver.3.5』のデータがあぁぁぁ!」

瓦礫の中で絶叫する堕天使総督を尻目に、銀色の流星は空の彼方へと消えていった。

上空へ戻ったヴァーリは、機嫌よく鼻歌交じりに飛翔する。

アザゼルの反応は予想通りだった。

彼が赤龍帝を見張っているなら、いずれ情報は入るだろう。

それまでは、この新しい力を使いこなすための調整(あそび)が必要だ。

「さて……次は」

彼女の思考は、まだ見ぬ「赤い人」へと向かう。

どんな顔をしているのか。どんな声で鳴くのか。

想像するだけで、身体の奥が熱くなる。

「早く起きてね、私の王子様。……あまり待たせると、迎えに行っちゃうから」

その呟きは、誰に聞かれることもなく雲間に溶けた。 

 

 

次元の狭間に隠された、禍の団(カオス・ブリゲード)の拠点は、相変わらず陰鬱な空気に満ちていた。

光の届かない空間。淀んだ魔力。世界から見放された者たちが集う吹き溜まり。

かつてのヴァーリ・ルシファーなら、この閉塞感を「力ある者が雌伏する場所」として許容していただろう。だが、新生した彼女――妖精騎士ランスロットの感性は、この場所を酷く「美しくない」と断じていた。

「暗いね。湿っぽくて、カビ臭い」

空間を切り裂いて現れた銀色の流星は、拠点の広間に音もなく着地する。

背中の鋼鉄の翼が畳まれ、粒子となって消える。

黒と銀のドレスを纏った美少女は、周囲を見回して小さく鼻を鳴らした。

その異質な侵入者に、即座に反応した気配が三つ。

「おいおい、どこのお姫様だよ。ここは迷子が泣いてママを呼ぶ場所じゃねぇぞ?」

軽薄な笑い声と共に、如意棒を肩に担いだ猿顔の青年――美猴が現れる。

「あら、可愛い子猫ちゃんね。でも、入るところを間違えてない? お姉さんがミルクでもあげようかニャ?」

艶然とした微笑みを浮かべ、黒髪の着物姿の美女――黒歌が屋根の梁から見下ろす。

「……下がっていろ、二人とも。ただの子供ではない。この剣気……只事ではないぞ」

冷静な声と共に、眼鏡をかけたスーツ姿の青年――アーサー・ペンドラゴンが、聖王剣コールブランドの柄に手を掛けて歩み出る。

三者三様の反応。かつての戦友たちの警戒心に、ヴァーリはくすりと笑った。

その笑みは可憐だが、同時に彼らの背筋を凍らせるような、圧倒的な「強者」の余裕を孕んでいた。

「相変わらずだね、お前たち。美猴は軽率で、黒歌は呑気、アーサーだけが正しく私の『本質』を見ている」

「あぁ? なんだその口調。俺たちのことを知って……」

美猴が眉をひそめた瞬間、ヴァーリは一歩踏み出した。

たった一歩。それだけで、広間の空気が沸騰した。

膨れ上がる覇気。魔王の血統と、神をも殺す龍の毒。そして、星の内海より来たりし妖精の純度。

「ッ!?」

三人が同時に身構える。

その魔力の波長を、彼らは知っていた。知っているが故に、脳が理解を拒絶する。

「まさか、ニャ……?」

「嘘だろ、オイ……」

呆然とする二人に、ヴァーリは銀髪をかき上げ、傲然と言い放つ。

「遅いよ。気付くのに三秒もかかってる。戦場なら死んでるね」

「……ヴァーリ、なのか? その姿は」

アーサーが眼鏡の位置を直しながら、信じられないという顔で問う。

ヴァーリは優雅に頷いた。

「少しばかり生まれ変わったんだ。どうだい? 以前よりも『完成』されているだろう」

彼女はその場でくるりと一回転してみせる。フリルのついたスカートがふわりと広がり、絶対領域とも言える白い太腿がちらりと覗く。

だが、そこにあるのは色気よりも、研ぎ澄まされた名刀のような美しさだった。

「完成ってレベルじゃねーぞ! 性別変わってんじゃねーか!」

「可愛い~! ヴァーリ、すっごく可愛いニャ! 前の仏頂面よりずっといいニャ!」

美猴が叫び、黒歌が目を輝かせて飛びついてこようとする。

ヴァーリは冷ややかな視線だけで黒歌を制した。

「触らないで。今の私の肌は、私の『王子様』のために取ってある」

「……王子様?」

三人の頭上に巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。

ヴァーリはそれを無視し、広間の奥、玉座の間へと歩を進めた。

「ついておいで。オーフィスに話がある。今後の私たちの『覇道』についてね」

          ◇

玉座の間。

そこには、無限の静寂があった。

ゴスロリ衣装に身を包んだ少女――無限の龍神、オーフィスが、虚空を見つめて座っていた。

「……来た」

オーフィスが視線を向ける。

その感情のない瞳が、ヴァーリの姿を捉えた瞬間、わずかに揺らいだ。

彼女は「無限」を司る龍。故に、ヴァーリの中に混ざり込んだ「異界の理」と、そこにある「龍としての格」の変化を敏感に感じ取ったのだ。

「ヴァーリ。……変わった。白いの、違うものになった」

「そうだね、オーフィス。私はもう、ただの白龍皇じゃない」

ヴァーリは玉座の前で立ち止まる。

以前のように傅くことはしない。対等な、あるいはそれ以上の存在感を持って対峙する。

「アルビオンの無念、妖精の祈り、そして私の渇望。全てが混ざり合って、私は『妖精騎士ランスロット』になった。……あるいは、アルビオンという龍の、本来あるべき完成形と言ってもいいかな」

『……自分で言うか、それを』

ヴァーリの中から、アルビオンの呆れたようなツッコミが聞こえるが、彼女は意に介さない。

オーフィスは小首を傾げた。

「強くなった。……倒せる?」

「グレート・レッドか。……フフッ」

ヴァーリは口元に手を当てて笑う。その笑みは、以前の力を誇示するだけのものとは違う、どこか艶を含んだものだった。

「倒せるさ。今の私なら、あの赤い龍すらも凌駕できるかもしれない。……でもね、オーフィス。私の中で優先順位が変わったんだ」

「優先順位?」

「そう。私は最強だ。それは揺るがない。けれど、最強であることの証明は、ただ強い奴を倒すことじゃない」

彼女は胸に手を当て、陶酔したように目を細める。

「運命の相手を見つけ、その全てを愛し、その全てに愛されること。……私と対等に渡り合える『赤龍帝』を見つけ出し、彼を私のものにする。それが今の私にとっての至上命題だ」

オーフィスはパチクリと瞬きをした。

彼女の理解を超えた概念。愛、執着、恋情。

「……よく分からない。でも、ヴァーリ、楽しそう」

「ああ、楽しいよ。とてもね。血が滾るんだ、まだ見ぬ彼を想うだけで」

ヴァーリは一歩、オーフィスに近づく。

「だからオーフィス。私はお前の『静寂』を取り戻す手伝いは続けるよ。約束は守る。……ただし」

そこで彼女は言葉を切り、鋭い瞳孔で無限の龍神を見据えた。

「私の邪魔はさせない。禍の団の方針が、私の恋路の邪魔になるなら、私は躊躇なくこの組織を抜ける。あるいは――組織ごと『彼』へのプレゼントにするのもいいかな」

不穏極まりない発言。

だが、それは彼女の偽らざる本心だった。

かつては力を求めてオーフィスと手を組んだ。今は、愛を成就させるための舞台装置として、この状況を利用する。

後ろで聞いていた美猴たちが、顔を引きつらせる。

組織をプレゼント? 恋路? あの戦闘狂のヴァーリが?

だが、そこにある圧倒的な「本気」だけは伝わってきた。

「ヴァーリ」

オーフィスが口を開く。

「お前が何をするかは、興味ない。……強ければ、それでいい。『真』を倒す力、貸せば、それでいい」

「交渉成立だね」

ヴァーリは満足げに頷いた。

そして、くるりと振り返り、呆気にとられているチームのメンバーを見渡す。

「聞いた通りだ。私はこれからも戦う。より強く、より激しく、より美しくね」

彼女は右手を掲げる。

その細い指先から、眩いばかりの魔力が立ち昇り、天井の闇を払った。

それは宣戦布告であり、新たな旅立ちの合図。

「美猴、黒歌、アーサー。ついてくるか?」

問いかけではない。確認だ。

彼らが自分以外の誰かに従うなどあり得ないという、絶対的な自負。

アーサーがふっと笑い、眼鏡を押し上げた。

「やれやれ。姿が変わろうと、その傲慢さは変わりませんか。……いいでしょう。あなたの行き着く先、見届けさせてもらいますよ。それに、今のあなたの剣気……聖王剣の使い手として、非常に興味がある」

黒歌が尻尾を揺らしながら歩み寄る。

「ま、ヴァーリが強くなったなら文句はないニャ。それに、その姿なら一緒にお風呂に入っても恥ずかしくないし、お姉さんが色々教えてあげるニャ~」

「……あーあ、俺だけかよ、常識的な反応してんの」

美猴は頭をガシガシと掻きながら、ニヤリと笑った。

「まあいいぜ。面白くなりそうだしな。それに、お前のその『王子様』とやらがどんな奴か、俺も見てみたい」

三人の了承を得て、ヴァーリは微笑んだ。

それは女神のように美しく、悪魔のように残酷な笑み。

「いい子だね、みんな」

彼女は窓のない壁を見つめる。その視線は、壁を透過し、遥か遠くの空、まだ見ぬ誰かへと向けられている。

「覇道を突き進むのは変わりないよ。けどその過程で一つ拾い物をする」

その言葉に、アルビオンの光が呼応する。

拾い物。

それは世界でたった一つの、彼女の魂を埋めるピース。

「行くよ。まずは赤龍帝の居場所を探る。……隠れん坊は終わりだ、私の愛しい人」

ヴァーリ・ルシファー、改め妖精騎士ランスロット。

最強の白龍皇は、新たな目的を胸に、再び歩き出した。

その背中には、目に見えない鋼鉄の翼が、世界を覆うほどに大きく広がっているように見えた。

彼女が通り過ぎた後の玉座の間には、甘い花の香りと、ピリつくような焦燥感がいつまでも残っていた。

オーフィスは一人、誰もいなくなった空間で、小さく呟いた。

「……ヴァーリ、赤いの、好き? ……ドラゴン、不思議」

無限の龍神ですら理解不能な「愛」という名のバグを抱え、物語は加速する。

まだ何も知らない赤龍帝――兵藤一誠の日常が、銀色の爆撃機によって粉砕される日は、もう目の前まで迫っていた。

 

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