最強の白龍皇、最かわドラゴンになる   作:しが

2 / 2
ファーストインプレッションはマッチポンプとともに

駒王学園、2年B組。

放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、教室は喧騒に包まれた。

平和な日本の、ありふれた高校の日常。

その中心で、兵藤一誠――イッセーは、友人である松田、元浜と共に、今日も今日とて盛大なため息をついていた。

「あーあ、彼女欲しいなぁー! なんで俺には春が来ないんだよ、チクショー!」

机に突っ伏して嘆くイッセーの背中には、哀愁と、それ以上に煮えたぎるような煩悩が漂っている。

「ハイスクールD×D」の主人公にして、現時点ではただのスケベな一般人(と本人は思っている)。

彼の日常は、エロ動画の鑑賞と、女子の身体測定データの妄想、そして「いつかハーレム王になる」という野望だけで構成されていた。

「諦めろイッセー。俺たち変態トリオに近寄ってくる女子なんて、保健室のオバちゃんか食堂のオバちゃんくらいだぜ」

「バカ言え! 俺は諦めねぇぞ! いつか巨乳のお姉さんと付き合って、あんなことやこんなことを……グヘヘ」

イッセーは拳を握りしめる。その瞳は純粋な欲望で濁っていた。

本来の歴史――正史においてであれば、この日の夕方、彼は運命の転換点を迎えるはずだった。

歩道橋の上で、夕日を背にした美少女、天野夕麻こと堕天使レイナーレから「付き合ってくれませんか?」と告白されるイベント。

それは彼を殺すための罠でありながら、彼が赤龍帝として覚醒するきっかけとなる、残酷で甘い毒。

だが。

この世界線において、その「運命の女」は現れない。

なぜなら――彼女は既に、この世に存在しなかったからだ。

          ◇

駒王町の上空、あるいは路地裏、廃ビルの陰。

そこには、いくつかの「染み」だけが残されていた。

かつて堕天使や、その配下の神父たちであったモノの残骸。

『神器(セイクリッド・ギア)所有者の調査および排除』。

そんな任務を帯びてこの街に潜伏していた彼らは、昨日から今日にかけて、文字通り「蒸発」していた。

悲鳴を上げる暇もなかった。

何が起きたのか理解する時間すら与えられなかった。

ただ、銀色の閃光が走ったと思った次の瞬間、彼らの肉体は分子レベルで分解され、魂ごと消滅したのだ。

実行犯は、たった一人。

銀髪の、美しき龍の妖精。

『……汚らわしい』

彼女は、路地裏に残った黒い羽の燃えカスを、冷徹な瞳で見下ろして呟いた。

『私の愛しい人(赤龍帝)の周りを、羽虫が飛び回っているなんて。……目障りだ』

最強の白龍皇、ヴァーリ・ルシファー(現在は妖精騎士ランスロットの特性を強く発現中)にとって、赤龍帝とは自身の半身であり、運命の恋人(予定)であり、何よりも神聖な「獲物」である。

その獲物に、下級の堕天使風情が罠を仕掛けようなどと、万死に値する不敬だった。

だから、掃除した。

部屋を片付けるように。ゴミをゴミ箱に捨てるように。

彼女は街に巣食う悪意を、圧倒的な暴力で「無」へと帰した。

『これで綺麗になった。……さあ、会いに行こうか』

邪魔者は消えた。

舞台は整った。

彼女は、血の一滴すら付着していない純白の肌を夜風に晒しながら、獲物が通るであろう通学路へと、音もなく滑空していった。

          ◇

「はぁ……帰ってエロ動画でも見るか……」

イッセーは肩を落とし、夕暮れの道を一人で歩いていた。

友人たちと別れ、孤独感が胸をよぎる。

結局、今日も何もなかった。

ドラマのような出会いも、ラノベのような展開も、現実はそう甘くない。

本来なら、あの校門で声をかけられるはずだった。

だが、そこには誰もいない。

カラスが二、三羽、夕焼け空を横切っていくだけだ。

「……なんか、すげぇ寂しいな、俺」

自嘲気味に呟き、ポケットに手を突っ込んで歩く。

その時だった。

ヒュオッ!!

突如、背後から猛烈な突風が吹いた。

いや、それは風というにはあまりに鋭く、重かった。

まるで透明な壁が高速で通り過ぎたかのような、衝撃波に近い突風。

道端の看板がガタガタと揺れ、イッセーの学ランがバタバタと激しく煽られる。

「うおっ!? なんだ今の風!?」

イッセーは慌てて髪を押さえ、周囲を見回す。

天気予報では強風なんて言っていなかったはずだ。

今の感覚……何かが、俺の真横を一瞬で駆け抜けたような?

「……ん?」

違和感。

ズボンの後ろポケット。

いつも感じているはずの、あの「厚み」がない。

なけなしの小遣いと、TSUTAYAの会員証と、大事なポイントカードが入った、俺の命綱。

「あ、あれ? ない? ないないない!?」

イッセーは顔面蒼白になって尻をまさぐる。

ない。

財布がない。

「嘘だろ!? 今の風で飛んだのか!? やっべ、今月の新作借りる金が入ってんのに!」

パニックに陥り、地面を這いつくばって探そうとした、その時。

「……ねぇ、君」

背後から、声がした。

それは、イッセーの鼓膜を震わせ、脳髄に直接響くような、不思議な音色の声だった。

鈴を鳴らしたような透明感がありながら、どこか艶っぽく、そして絶対的な「格」を感じさせる響き。

イッセーは弾かれたように振り返る。

「は、はいっ!?」

そして、息を呑んだ。

時が止まった、と錯覚するほどだった。

そこにいたのは、一人の少女だった。

夕日を背負って立っているせいで、その姿は神々しい逆光に縁取られている。

月光をそのまま糸にしたような、流れる銀髪。

透き通るような白い肌は、夕焼けの朱色を受けてほんのりと桜色に染まっている。

服装は、このあたりの学校の制服ではない。黒を基調とした、どこかゴシックな雰囲気漂う私服。それがまた、彼女の浮世離れした美貌を際立たせていた。

(な、なんだこの子……!? めちゃくちゃ可愛い……いや、綺麗すぎる……!)

イッセーの貧困な語彙力では、「天使」か「芸能人」くらいしか例えが出てこない。

だが、本能が告げている。

この子は、ヤバい。

何がヤバいのか分からないが、とにかく俺なんかが直視していい存在じゃない気がする。

少女は、イッセーの反応を楽しむように、小首をかしげた。

その手には、見覚えのある安っぽい革の財布が握られている。

「財布、落としたよ?」

彼女はイッセーとの距離を詰める。

一歩。

その動きには、一切の無駄がなかった。地面を蹴る予備動作もなく、まるで空間を滑るように近づいてくる。

「あ……そ、それ、俺の……!」

イッセーは我に返り、慌てて財布を受け取ろうとする。

だが、少女の手と触れ合う寸前で、指先が震えた。

冷たい。

彼女の指先から漂う冷気は、冬の寒さとは違う。もっと硬質で、研ぎ澄まされた刃物のような冷たさ。

少女――ヴァーリは、イッセーのその反応を観察していた。

(……ふーん。気付かないか。私の魔力に触れても、反応なしか)

彼女の内側で、白龍アルビオンが嘆息する。

『まだ覚醒には程遠いな。器としては未熟もいいところだ』

(そうだね。拍子抜けするくらい弱い。……でも)

ヴァーリの爬虫類めいた瞳孔が、微かに収縮する。

(匂いはする。魂の奥底、そのさらに深淵に眠る、熱くてドロドロとした赤の気配。……ああ、間違いない。こいつが私の『赤』だ)

彼女の中で、捕食本能と、歪んだ恋心が同時に鎌首をもたげる。

弱いなら、強くすればいい。

眠っているなら、叩き起こせばいい。

この手で。私の愛で。

ヴァーリは財布をイッセーの手に押し付けた。

その瞬間、わざとらしく指を絡める。

「っ……!」

イッセーが顔を赤くして硬直する。

初心な反応。チョロい。

かつてのヴァーリなら鼻で笑って切り捨てていただろうが、今の彼女(妖精騎士)の感性では、その無防備さが逆に愛おしく、嗜虐心を煽られる。

「あ、ありがとう! マジで助かった! これないと今月死ぬとこだったし!」

イッセーは財布の中身を確認し(金は減っていない)、安堵の息を吐く。

そして、目の前の超絶美少女に向き直り、背筋を伸ばした。

「あの、本当にありがとう! 拾ってくれて……いや、あの風で飛んでったのに、よくキャッチできたね?」

「……たまたまだよ。運が良かったね」

ヴァーリはしれっと嘘をつく。

運などではない。彼女が音速で彼を追い越し、すれ違いざまに抜き取り、風を起こし、そして「拾った」というシチュエーションを演出したのだ。

全ては、自然な形で接触するためのマッチポンプ。

「そ、そうか……。と、とにかく! 何かお礼をさせてくれ! ジュース奢るとか、そんなんじゃ釣り合わないかもしれないけど……なんかできることあれば!」

イッセーは必死だった。

こんな美少女と接点を持てたのだ。ここで「じゃあね」で終わらせては、男が廃る。あわよくば名前を聞きたい。連絡先を知りたい。

その言葉を、ヴァーリは待っていた。

彼女は目を細め、獲物を檻に誘い込む蜘蛛のように、艶やかに微笑んだ。

「ふーん……」

彼女はイッセーの周りを、ゆっくりと半周する。

品定めをするような視線。

イッセーは蛇に睨まれたカエル……いや、ドラゴンに見つめられた小動物のように縮こまる。

「お礼、か。……君、名前は?」

「え? あ、ひょ、兵藤! 兵藤一誠です!」

「イッセー……。ふうん、いい名前だね」

彼女は名前を舌の上で転がすように繰り返した。

その響きだけで、イッセーの背筋にゾクゾクとした電撃が走る。

ヴァーリは彼の正面に戻り、その顔を覗き込んだ。

距離が近い。

吐息がかかる距離。

銀髪から漂う香りは、甘い花のようでありながら、どこか鉄とオゾンの匂いが混ざっている。

「じゃあ……デートしてくれない?」

「…………へ?」

イッセーの思考回路が焼き切れた。

「デ……デト? でーと? デートって、あの、男女が遊ぶ、あのデート?」

「他にどんなデートがあるの?」

彼女は小首をかしげる。

その表情は無邪気そのものだが、瞳の奥には逃げ場のない光が宿っている。

「え、いや、だって俺たち初対面だし! 俺なんか全然イケてないし! 君みたいな超美人が、なんで俺と……!?」

「嫌なの?」

「嫌じゃないです!!」

即答だった。

男・兵藤一誠、煩悩と下心には正直である。

こんな美少女からの誘いを断る理由など、地球がひっくり返っても存在しない。

「なら、決まりだね」

ヴァーリは満足げに頷いた。

内心では、ガッツポーズを取りたい衝動を抑えている。

(やった。まずは第一段階クリアだ。これで公然と彼を観察できるし、干渉できる)

アルビオンが『……お前、本当に回りくどいことをするようになったな。昔なら即座に殴りかかっていただろうに』と呆れているが、無視だ。

「い、いつ!? いつがいい!?」

イッセーが食い気味に聞く。

「今から」

「えっ、今!?」

「そう。善は急げって言うでしょう? それに……」

彼女はイッセーの腕を強引に取る。

その力は、華奢な見た目からは想像もつかないほど強く、抗うことなど不可能だった。

「私は気が短いの。欲しいものは、すぐに手に入れないと気が済まないんだ」

彼女はイッセーを引っ張り、歩き出す。

帰宅路とは逆方向。

駅前の繁華街か、それとももっと静かな場所か。

「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が! あと服とかこのままだし!」

「構わないよ。君がどんな格好でも、中身(ドラゴン)にしか興味ないから」

「え? 中身?」

「なんでもない。……さあ、行こうか、イッセー」

彼女は振り返り、夕焼けの中で微笑んだ。

その笑顔は、世界中のどんな宝石よりも美しく、そしてどんな魔王よりも危険な魅力を放っていた。

「私の名前は……そうだな」

少しの間。

彼女は自分の名乗るべき名を思案する。

ヴァーリ・ルシファーという名は、悪魔社会では有名すぎる。いずれバレるとしても、今の「デート」には不要なノイズだ。

ならば、今のこの姿、この魂の在り方を名乗るべきか。

「メリュジーヌ。……私のことは、そう呼んで」

「メリュジーヌ……ちゃん? 外国人?」

「まあ、そんなところだ。異郷の出身だからね」

あながち嘘ではない。異界の異界、剪定事象の果てから来た概念なのだから。

「よ、よろしく! メリュジーヌちゃん!」

イッセーは鼻の下を伸ばしながら、夢見心地でついていく。

彼にはまだ見えていない。

彼女の背後に、巨大なドラゴンの影が揺らめいていることも。

彼女が握ったその手が、かつて数多の戦士を葬ってきた最強の凶器であることも。

「……ねぇ、イッセー」

歩きながら、メリュジーヌ(ヴァーリ)が問いかける。

「君はさ、何になりたい?」

「え? 何って……」

「王様とか、英雄とか。あるいは……最強とか」

その質問に、イッセーは少し考え込んで、照れくさそうに頭を掻いた。

「いやぁ、そんな大層なモンじゃないけど……。ハーレム王? かな」

「……ハーレム?」

ピクリ、とメリュジーヌの眉が跳ね上がった。

繋いだ手に、ギリリと力がこもる。

「い、痛い痛い! メリュジーヌちゃん、握力すごくない!?」

「……へぇ。ハーレム、ね」

彼女の声の温度が、氷点下まで下がったことに、イッセーは気づかない。

彼女の瞳孔が、極限まで細くなり、殺意と独占欲の炎が揺らめいたことに、気づかない。

(なるほど。私の他にも女を侍らせたいと。……いい度胸だ、私の赤龍帝)

内心で、彼女は冷酷な計算式を組み立てる。

ハーレムという概念の破壊。

他の女という不純物の排除。

そして、自分だけを見るようにするための教育的指導(調教)。

「ふふっ……面白い夢だね。叶うといいね」

(私がその夢、悪夢に変えてあげるけど)

「だ、だろー! 男ならやっぱハーレムっしょ!」

無邪気に笑うイッセー。

その横顔を見つめながら、メリュジーヌは甘く、重く、底知れぬ愛を込めて囁いた。

「でも、まずは私だけで満足させてあげる。……覚悟してね?」

「え? 何か言った?」

「ううん。……あそこのクレープ屋、美味しそうだね。行こう」

二人の影が伸びる。

夕闇が迫る駒王町に、最強の龍と、まだ目覚めぬ龍の、奇妙で危険なデートが幕を開けた。

背後から吹く風が、まるでこれからの波乱を予感させるように、二人の髪を揺らして通り過ぎていった。

本来なら血なまぐさい悲劇で始まるはずだった物語は、今、銀色の“愛”による侵略の物語へと書き換えられたのだった。

 

駅前の喧騒は、夕暮れの茜色から夜の帳へと移り変わろうとしていた。

学校帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンが行き交う駅前広場。その一角にある人気のクレープ屋の前に、明らかに場の空気を変えている二人がいた。

一人は、ごく普通の、いや、挙動不審さが目立つ平凡な男子高校生、兵藤一誠。

もう一人は、この世の者とは思えない美貌を振りまく銀髪の少女、メリュジーヌ。

周囲の視線は釘付けだった。「なんだあの美少女?」「アイドルか?」「隣の男、何者だよ」「前世で徳を積みすぎだろ」といった嫉妬と羨望、そして純粋な感嘆の声がさざ波のように広がっている。

だが、イッセーにとってそれは心地よい優越感であると同時に、胃が痛くなるようなプレッシャーでもあった。

(夢じゃねぇよな……? マジで俺、この超絶美少女とクレープ食ってるんだよな?)

彼は手にしたチョコバナナ生クリームのクレープを強く握りしめ、痛いほどの現実感を確かめる。

隣に立つメリュジーヌは、イチゴとベリーをふんだんに使った豪華なクレープを、まるで王室のティータイムのような優雅さで口に運んでいた。クリームが唇につくことさえ計算されたかのような、完璧な所作。

「ん……甘いね。ここのクリーム、悪くない」

彼女は満足げに目を細める。

その仕草一つで、周囲の男子数人が鼻血を出して倒れそうな破壊力があった。

イッセーもまた、直視できずに視線を泳がせる。

「そ、そうか! よかった! ここ、女子に人気だって聞いててさ……一度来てみたかったんだよな!」

「へぇ。イッセーは甘いものが好きなんだ」

「おう! 疲れた時は甘いもんに限るしな!」

虚勢を張って答えるが、内心はバクバクだ。

メリュジーヌはそんな彼の様子を、爬虫類を思わせる縦長の瞳孔でじっと観察している。

彼女が見ているのは、イッセーの表情ではない。その内側、魂の器に眠る「赤龍帝」の力の奔流だ。

(まだ眠っている。……でも、私の近くにいることで、少しずつ活性化しているね)

彼女の内側で、白龍アルビオンが小さく唸る。

『……悪趣味な楽しみ方をするな、ヴァーリ。餌付けか?』

(失礼な。愛の育み合いと言ってほしいな)

メリュジーヌはクレープを一口食べると、ふとイッセーの手元に視線を移した。

彼が食べているチョコバナナ。

黒いチョコレートソースと、白い生クリーム。

「……ねぇ」

不意に、彼女が顔を近づけた。

甘い香りがイッセーの鼻孔をくすぐる。

「イッセー、そっちのクレープ美味しい?」

「え? あ、うん! チョコとバナナは最強の組み合わせだからな!」

「ふーん……」

彼女はイッセーのクレープと、自分のクレープを見比べる。

そして、悪戯っぽく、しかし拒否を許さない響きを含んで言った。

「ひとくちちょうだい? 私のもあげるから」

「ぶふっ!!?」

イッセーは危うくクレープを握りつぶすところだった。

一口ちょうだい。

それは、女子同士なら普通のやり取りかもしれない。

だが、異性間で、しかも出会って数十分の相手とする行為としては、あまりにもハードルが高い。

それはつまり――。

(か、かかか、間接キッス!? これって間接キッスのお誘いですよ!?)

イッセーの脳内で警報が鳴り響く。

まだ自分が口をつけていない部分を差し出すべきか? いや、もう結構食べてしまっている。どこをどう回しても、唾液の接触は避けられない。

「ど、どうしたの? 嫌?」

メリュジーヌが小首をかしげる。その瞳が「まさか断らないよね?」と語りかけてくる。

「いや! 嫌とか滅相もない! ただ、その、俺の食べかけだし、汚いかなーって!」

「イッセーのなら、汚くないよ」

彼女はサラリと言ってのけた。

そして、イッセーが差し出すのを待たず、自ら顔を寄せた。

彼の手首を、あの華奢で冷たい指先がそっと掴む。逃さないように。

「いたーだき」

パクッ。

小さな音がして、彼女の薄い唇が、イッセーのクレープの端を食んだ。

そこは、数秒前にイッセーが口をつけた場所そのものだった。

「~~~~ッッ!!??」

イッセーの顔が沸騰する。

唇の感触こそないが、視覚的な情報は強烈だ。

自分の唾液がついたであろう場所を、美少女が躊躇なく口に含み、咀嚼している。

その喉が、ゴクリと動く。

メリュジーヌは、ゆっくりと味わっていた。

舌の上で広がるのは、安っぽいチョコレートと植物性油脂のクリームの味。

だが、彼女が求めていたのは「それ」ではない。

(……あぁ)

物質的な味の奥にある、霊的な風味。

イッセーの唾液を介して伝わってくる、微弱だが確かに存在する「赤龍帝」の残り香。

それは、マグマのように熱く、泥のように濃く、そして未熟な果実のような青臭さを含んでいた。

(微かに感じる赤龍帝の痕跡、美味だね)

背筋がゾクゾクと震える。

かつてのヴァーリ・ルシファーなら、戦場での血の味こそを求めたかもしれない。

だが、今の彼女――妖精騎士としての本能は、この「交わり」にこそ至上の悦びを見出していた。

捕食。融合。愛液の交換。

間接的とはいえ、彼の因子を体内に取り込んだという事実が、彼女の細胞を甘く疼かせる。

『……お前、変なスイッチが入っていないか?』

(静かにしててよ、アルビオン。今、味わってるんだから)

メリュジーヌは口元のクリームを舌先でペロリと舐め取った。

その妖艶な仕草に、イッセーは石化したまま動けない。

「ん、美味しい。……チョコの味だけじゃないね。もっと深く、熱い味がする」

「あ、あつい……?」

「イッセーの味ってこと」

彼女はニッコリと笑う。

それは獲物を前にした捕食者の笑みではなく、愛しいペットを愛でる飼い主の顔だった。

だが、イッセーにはその「深意」は分からない。ただただ、ドギマギするばかりだ。

「さ、約束通り」

彼女は自分の食べかけのクレープを、イッセーの口元に差し出した。

「ほら、あーん」

「えっ、ええっ!?」

「私のを上げるって言ったでしょう? それとも、私に食べさせてもらうのは嫌?」

「いやいやいや! 最高のご褒美ですけど! いいの!?」

「もちろん。……ここ、食べて」

彼女が指し示したのは、やはり彼女が一口かじった跡のある部分。

真っ赤なイチゴが、誘うように艶めいている。

イッセーは覚悟を決めた。

ここで引いたら男じゃない。

震える口を開き、彼女のクレープへと顔を寄せる。

ガブッ。

勢い余って、少し大きく頬張ってしまった。

口いっぱいに広がる甘酸っぱいベリーの香り。そして、上品なクリームの甘さ。

だが、それ以上にイッセーの脳を揺さぶったのは、「彼女の食べかけを食べている」という背徳感と高揚感だった。

(う、うめぇ……! なんかめっちゃ良い匂いするし! これが美少女の味……!?)

イッセーが咀嚼して飲み込むのを見て、メリュジーヌは満足げに頷いた。

「どう? 私の味」

「す、すげぇ美味しい! なんかこう、食べたことないくらい上品で……!」

「ふふっ、そう。私の一部がイッセーの中に入ったね」

彼女の意味深な言葉は、駅前の雑踏にかき消されることなく、イッセーの耳にこびりついた。

一部が入った。

その言葉に、イッセーの左手――神器(ブーステッド・ギア)が宿る左手が、一瞬だけ熱を持った気がした。

『……ほう。向こうも反応したか』

アルビオンが興味深そうに呟く。

白龍の因子を含んだ食物(唾液)が体内に入ったことで、赤龍の因子が防衛本能、あるいは対抗意識から微弱な活性化を見せたのだ。

「さて、お腹も満たされたことだし」

メリュジーヌは残りのクレープを一口で平らげると、空いた手で再びイッセーの手を握った。

今度は、先ほどよりも強く。指を絡める「恋人繋ぎ」で。

「ちょ、メリュジーヌちゃん!?」

「デートはまだ終わらないよ。……少し、静かなところに行こうか」

彼女はイッセーを引いて歩き出す。

賑やかな駅前を離れ、人通りの少ない公園の方角へ。

「ねぇ、イッセー」

「は、はい!」

「君はさ、自分の中に『何か』がいるって感じたことはない?」

唐突な質問。

だが、その声はひどく真剣で、イッセーはふざけて返すことができなかった。

「何か……? いや、特には……。たまに左手が熱くなったりとか、変な夢見たりとかはあるけど……」

「そっか。……まだ、眠っているんだね」

彼女は少し寂しそうに、けれど愛おしそうに呟く。

そして、イッセーの耳元で囁いた。

「もし、君の中に恐ろしい怪物が眠っていたとしても……私は君を愛してあげるよ」

「え……」

「だから、早く起きてね。……私、待ちきれないから」

夕闇の中、公園のベンチに座る二人のシルエット。

イッセーは心臓が破裂しそうだった。

こんなに可愛くて、不思議で、積極的な子が、なんで俺なんかに?

そんな疑問は、彼女の甘い体香と、繋がれた手の温もりに溶かされていく。

メリュジーヌは、イッセーの肩に頭を預けた。

その銀髪が、イッセーの制服にかかる。

彼女は目を閉じ、イッセーの鼓動と、その奥にあるドラゴンの脈動を聞いていた。

(赤龍帝、ドライグ。お前の宿主は、こんなにも無防備で、温かいよ)

彼女は、イッセーの手の甲に、そっと自分の爪を立てた。

痛みを感じさせないほど静かに、しかし確実に痕跡を残すように。

(この子は私のものだ。誰にも渡さない。天使にも、悪魔にも、堕天使にも)

「……イッセー」

「な、なに?」

「今日は楽しかった。……また、明日も会ってくれる?」

上目遣いの最強種。

断れるはずがない。

「も、もちろん! 俺で良ければいつでも!」

「約束だよ。……破ったら、針千本じゃ済まさないからね」

彼女は悪戯っぽく笑い、そして――

チュッ。

「え」

イッセーの頬に、柔らかい感触が走った。

一瞬の出来事。

メリュジーヌが、背伸びをして彼の頬にキスをしたのだ。

「これは、予約金。……残りは、君が『本当の姿』を見せてくれた時にね」

呆然とするイッセーを残し、メリュジーヌは軽やかに立ち上がった。

「じゃあね、イッセー。気をつけて帰ってね」

彼女は手を振り、夜の闇へと消えていく。

まるで、夢幻のように。

だが、頬に残る熱と、口の中に残るイチゴの甘さは、確かに現実だった。

「……すげぇ。マジですげぇ……」

イッセーはその場にへたり込んだ。

彼の左手が、ドクン、と大きく脈打った。

まるで、去り行く白龍の気配を惜しむように、あるいは警戒するように。

覚醒の時は近い。

だがそれは、本来の悲劇的な覚醒ではなく、銀色の愛による強制的な孵化となるだろう。

最強の白龍皇に見初められた赤龍帝の運命は、もう誰にも――神にさえも止められない軌道に乗り始めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

汎モルガン「どけ!!! 私はお姉ちゃんだぞ!!!」(作者:花のお姉ちゃん)(原作:Fate/)

 第一人格「どけ!!! 私はお姉ちゃんだぞ!!!」▼ 第二人格「ならば私は、全力でお姉ちゃんを遂行する!!」▼ 第三人格「ブリテン姉妹ぃぃいい!!! ファイヤーッッ!!!!」


総合評価:1558/評価:8.58/連載:4話/更新日時:2026年03月05日(木) 22:25 小説情報

Re:TS白黒ストライプバニー老害によるナツキ・スバルの悲喜劇観賞会(作者:F・M・T (フランチェスカ、マジ年増))(原作:Re:ゼロから始める異世界生活)

「アハハハハッ!始まり、始まりぃー♪パンフレット買った?ポップコーン持った?早くしないと世紀の戦いを見逃しちゃうよ?」▼ Fakeのあのキャラに転生したオリ主が、スバル君の奮闘を眺めてケラケラ笑いながら観賞をする話。▼「……あれれー?もしかして、このスバル君。放っておいたら正史から簡単に外れちゃうぅ?」


総合評価:4044/評価:8.77/連載:3話/更新日時:2026年05月07日(木) 18:00 小説情報

君は完璧で究極の式神(作者:スギ花粉ナイトメア)(原作:呪術廻戦)

少女、アイは異質で魔性だった。▼母親に疎まれ、ガラス入りの米を食わされる。▼腹の底から湧き出す負の感情。▼――なんか影から犬、出てきた……。▼


総合評価:2463/評価:8.41/連載:16話/更新日時:2026年05月11日(月) 17:47 小説情報

テスカになって冥界で魂を導く話(作者:ナイ神父)(原作:Fate/)

▼此処はミクトランパ、なんの因果か死後に冥府の神に成った男は今日も冥府にて死者と語らい魂を導く▼だがここに来る戦士は皆違う世界の存在で…?▼・作者が思いついた死んでほしくかったり諸々様々な作品の人を冥界でテスカトリポカ成り代わり主が導く話です▼・その都合上多重クロスオーバータグを付けていますが各々のシリーズではテスカトリポカ以外は他作品と繋がることはありませ…


総合評価:2601/評価:8.84/連載:4話/更新日時:2026年05月10日(日) 23:34 小説情報

パ リ ピ 時 臣(作者:融合好き)(原作:Fate/)

信じて送り出した夫がキラキラなギャルにどハマりして夜な夜な怪しげな場所で遊び呆けているなんて…


総合評価:4984/評価:8.62/連載:7話/更新日時:2026年04月13日(月) 14:31 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>