世界に触れて、私は私になる   作:浅風境

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仮構の足場

 

 

人は、自らをどこまで「個」として規定できるのだろうか。

 

 

かつて、そうであったように、生まれ育った共同体から切り離されたとき、人は初めて、自己という存在の輪郭の曖昧さに直面する。

 

それまで当然のように与えられていた役割も、居場所も、承認も、すべてが剥ぎ取られ、ただの存在として世界の中に投げ出される。

 

自身にとって都市オラリオとは、そうした「剥き出しの個」を、徹底的に試す場所であった。

 

 

天を衝く塔と、その地下深くに口を開ける巨大迷宮。

 

神々が地上に降り立ち、人とともに生きるこの都市では、日常と神話が未分化のまま共存している。

 

ここでは、奇跡は特別な出来事ではなく、管理され、測定され、流通する。

人は、神の名のもとに集い、群れを成す。

それを、人々はファミリアと呼んだ。

 

 

神を中心に形成されるこの小さな共同体は、家族であり、職場であり、信仰の場であり、そして社会的な「身分証明」でもある。

 

この都市で生きる以上、いずれかの神のもとに属さぬ者は、半ば都市の外側に立たされることになる。それは排除ではなく、構造であった。

 

神の加護――〈イコル〉によって刻まれる紋様――〈ステイタス〉を持つ者だけが、迷宮へ降りる資格を得る。

 

 

だがその刻印は、祝福であると同時に、等しく零から始めよという、無言の命令でもある。

 

年齢も、知識も、経験も、過去の世界で積み上げてきたすべては、ここでは数値化されない。

 

都市は、すべての冒険者に同じ地点からの出発を強いる。

それは公平であると同時に、合理的であった。

 

少なくとも、当時の自分には、そう見えた。

 

 

かつての世界で三十年を生きた記憶を持つ己にとっても、それは例外ではない。

 

集落で育まれた自己の輪郭も、人々との関係性の中で形作られた役割意識も、この都市の論理の前では、容易く解体されていく。

 

だが、その解体は、恐怖ではなかった。

むしろ、理解さえすれば、再び組み上げられるという、奇妙な確信があった。

思考は、世界を分解し、再構築できる。

そう信じて疑わなかった。

 

都市が要求するのは、ただ一つ。

数値として示される「成果」だけだった。

 

 

ダンジョンは、都市の心臓部である。富も、名声も、権力も、そのすべてが、地下の深淵から汲み上げられる。

 

人々は力をもって未知に挑み、その成果としてそれらを得る。

 

だが同時に、迷宮は容赦なく人を選別する。

 

 

「冒険者は、冒険してはならない」

 

昨日まで共に酒を飲んでいた者が、翌日には戻らぬことも珍しくない。

 

床に染み付いた血の跡と、酔客の笑い声の混ざる酒場で、その現実を、何度も突きつけられた。

 

都市の活気の裏には、常に、積み重なる死と断念が沈殿している。

 

この循環の中で、ファミリアは、単なる組織以上の意味を持つ。

 

それは、互いに背を預け合う最小単位であり、精神的な避難所でもある。

 

 

しかし、その安らぎは、集落でのそれとは質を異にしていた。

 

集落において、役割は固定され、関係性は長期的に維持される。

そこでは、多少の失敗や停滞も、共同体の緩やかな許容の中に吸収されていく。

 

だがオラリオにおいて、役割は常に流動的であり、価値は即座に更新される。昨日の功績は今日の免罪符にはならず、明日の生存も保証しない。

 

ここで成立する自己は、脆く、不安定で、仮初めの均衡の上に成り立つ。

 

 

それでも、人はこの都市を目指す。

 

魔法という未知。

神という存在。

そして、世界の構造そのものを呑み込む巨大迷宮。

 

それらは、恐怖と同時に、抗いがたい誘惑として、人の内側を揺さぶる。

 

己もまた、その例に漏れなかった。

 

かつての世界で抱え続けた知的渇望は、この都市においても明確な対象を得た。

理解したい。

解き明かしたい。

そして、それが、生き延びるための最短距離だと、どこかで信じていた

 

 

だが、その探究の道は、必ず共同体への帰属を要求する。

 

ファミリアに属し、神の加護を受け、迷宮へ降り、成果を持ち帰る。

その反復の中で、人は再び、自己の輪郭を刻み直していく。

 

それは、集落で完成したはずの自己の輪郭を、もう一度、別の形で再構築する営みでもあった。

 

この都市において、自己肯定感とは、内面に静かに宿る感情ではない。

それは、他者との関係と、世界との摩擦によって、何度でも削られ、磨かれ、作り替えられる仮構の像である――そんな感覚が、拭いきれずに残っていた。

 

それでも、その不安定な構造の上に立つことを、自身は選んだ。

 

安定した安らぎではなく、揺らぎ続ける探究を。

完成ではなく、未完のまま問い続ける生を。

そうして、都市の雑踏へと身を沈めていく。

 

 

 

これらの認識は、数日の都市散策と、冒険者たちの何気ない会話、酒場の噂話、神々の派閥争いを断片的に観測する中で、かつての世界で積み上げた思考の癖と結びつき、次第に形を成していったものであった。

 

 

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