―――ガチャン。
薄暗く人の往来が極端に少ない部屋で、優雅な生活を送っていた少女の人生において凡そ聞くことがない重厚な音が鳴り響く。
本来であればこの薄暗い部屋にも明かりはあって、正義実現委員会の生徒が幾人か常駐しているのだが現在は不在。そしてその不在の理由は未練がましくも、友人の晴れ舞台を自身のスマホからライブで眺めていたこともあり、大雑把ではあるが理解していた。―――そしてこの開錠の理由も。
「ミカ様、お助けに来ました。」
「お待たせしました、これで自由です!」
「ミカ様!」
重厚な扉を開けて現れたのは、中に居た少女のかつての部下であり、パテル派の後輩たち。
それを見て少女、聖園ミカは未だ被害報告と扇動や妄想を垂れ流すライブ動画を閉じ、ポケットにしまってから導かれるまま久々の外界に踏み出す。
「何となく状況は分かってるよ。やー、あなた達も物好きだよね。サインでもしてあげよっか?」
「いえ、今はそうではなく…現在のトリニティは―――。」
「さっき状況は分かってるって言ったばかりだよね?人の話を聞かないあたり脳味噌にゴミでも詰まってるんじゃない?」
「…………」
「黙っちゃったら分からないよ?思ったことは口にしなきゃ。好きでしょ?我慢もしないで思ったことを口にするのは。……まぁ今はいいよ、それで何?まさかとは思うけど、この状況でゲヘナに宣戦布告とか考えていたり?」
「……はい、おっしゃる通りです。今この瞬間は千載一遇のチャンスかと!」
「
少女たちはミカの露骨な煽りに屈さず、ただ淡々と目的を口にする。そのあまりの必死に自身を利用しようという気概が透けすぎて滑稽に感じて思わず笑いがこぼれる。
「…あはっ、みんなよく覚えてるね。私は確かにゲヘナは嫌い、大っ嫌いだよ。でもだから何?そんなに記憶力がいいならどうしてセイアちゃんが健在の今、そんな野蛮な発想になるの?」
「……はい?」
「当ててあげよっか。実際の所、武力に優れていないサンクトゥス派をこの混乱に乗じて防衛と言い張りながら黙らせることが出来る。そこで今回の原因はゲヘナにありと民衆に吹聴してトリニティの世論を全面戦争へと向けさせ打倒する。行動を起こすほど自信があるのなら宣戦布告なんて面倒くさいことしないで今すぐにゲヘナに殴り掛かればいいのに。―――ゲヘナが怖いの?」
「ぐっ…!」
「大方私を助けた理由は扇動の旗頭か戦力としてか。あるいは両方かもね?で?一人で何もできない臆病者の貴女達にできないことをやれって?残念だけど今そういう気分じゃないんだよね。」
「気分ですか…?今、どれだけ重要なタイミングなのか理解していらっしゃいますか?それをたかが気分で…。」
「何が気に入らないのか知らないけど、気分は大事だよ?だって私がゲヘナの事を嫌いなのは何より精神的な部分、気持ちなの。そこに含みもないし裏表もない。普段から声高に叫んでいたならともかく、この局面で短期的な視点で叫んでいるなら本当に脳味噌にゴミでも詰まってるんじゃない?やりたきゃ勝手にやりなよ、臆病者。」
「なんだと?」
「脳味噌だけでなく耳にもゴミが詰まってるのかな?耳掃除は大事だよ?……もう面倒だから帰ってくれない?面倒くさいんだけど。」
「下手に出ればいい気になって!」
流石に我慢の限界が来たのか、ミカの煽りを正面から受けた生徒は己の鬱憤を晴らすためミカの顔面を力いっぱい殴り飛ばす。
ミカから見ても素人同然のテレフォンパンチ。ティーパーティーの中で唯一武力に優れた彼女からすれば余裕をもって回避することは出来たが、ミカは自身の言う通り”気分”でそれを真正面から受け、勢いに逆らわず尻もちをつく形で倒れる。
そこから始まるのは癇癪を起こした幼子のように、思い通りに動かない人形に腹を立て集団で取り囲んでは無抵抗の少女を容赦なく暴行する。それこそが彼女らの本性であり、咎める者がいないがために次第にエスカレートしていった。
(あーもう…これも罰の一つ、なんだよね。悪い事をしたら怒られる、それは当然の事。でも…痛いなぁ…。)
「自分の立場を理解しろ!」
「権限が剥奪される分際の癖に、調子に乗るな!」
なおもエスカレートする私刑。勿論いくら集団でミカを害そうが根本的にレベルが違う。これだけやっても与えられるダメージは擦り傷がやっとで、その気になればものの10秒もかからずとも少女たちを蹴散らすことが出来た。
だが殴られ、蹴り飛ばされ、挙句銃弾に撃たれようとも少女は一切の抵抗をしない。それに気を良くした生徒がさらにエスカレートを重ねるという本来あってはならないループ。
ここまでされてミカが一切の抵抗をしない理由。それは彼女自身が己の行いに罰を求めていたからだった。
ミカはその身分と同じくトップの二人とは友人関係。心情的に彼女等もその罪を裁きづらく、現在は保留という形で何の断罪もなく放置されていた。だが外観誘致と学園転覆というクーデターとも取れる行いは流石に看過できるものではなく、いずれ何かしらの沙汰は下されるのだが、その期間こそミカにとって地獄そのものであり、いつしか少女は罰を求めるようになってしまっていたのだ。
決して笑って許される罪ではない。しかし自身が嬲られることによって心情的な罪が軽くなるような錯覚。控えめに言って今のミカは己の罪によって潰れかけていた。
そんな集団リンチとでもいう目を覆いたくなる惨状に、正しく裁き、正しく救いを己の信じた正義によって成すこの場の誰とも相容れない一人の天使が舞い降りる。
「な、何してんのっ!?」
「なんだお前は!邪魔をするな!」
「しゅ、集団で寄って集って、い、いじめはダメッ!そんなの…私が許さないんだからっ!!」
「……!」
嬲られ続けるミカの間に割って入った影。それは自身よりも幾分小さく、腰も引けている頼りない小さな背中で正義を訴える少女。
ミカはこの少女の事を知っていた。人柄などは知らないが、友人が必死に学園と私を守ろうとした結果、罪なき罪を着せられ一連の騒動の被害者になっていた生徒。端的に言ってしまえばミカの行動の末の被害者の一人だ。
その騒動が終わり、彼女も首謀者が誰でその相手である憎むべき存在がミカであると知っている筈なのに、己の正義に従って蛮行を止めている。本来は彼女こそがあちら側に立ち、非難する権利があるはずなのに、だ。
そんな予想だにしない行動に、潰れかけていたミカの凍った心は少しだけ溶かされるのを感じた。
「あなた何をしているのか分かっているの!?緊急の事態なのよ!」
「そうよ!馬鹿はすっこんでなさい!」
「そっ、それでも私は…!」
「どけっ!!」
「い、いや!!私はあんまり頭良くないし、何が何だか分からないけど……それでもイジメていい理由にならないから!だからダメ!」
「っち、聞かない奴だ。それなら…。」
「……っ!」
どのような言葉を投げかけられても、怖がり足が震えても絶対にどかない少女。
それに対し遂に業を煮やした生徒達はついに実力行使に移り、集団での暴力を否定した小さな背中は降りかかる悪意に怯え、目を瞑る。
だが、そんな少女に振り上げられた拳が下ろされることは無かった。
「この非常時に…何私の友人を殴ろうとしてるんですか?」
その場に現るはトリニティが侮蔑し、遠ざけた怪物。またの名をシャーレの決戦兵器。
そんな彼女が大砲のような愛銃を片手に構え、拳を振り上げた生徒の腕をつかみ威圧していた。
「お、おまえは…!」
「化け物が何の用だ!」
「いやですね、人を化け物化け物って…私を人として見ているんですか?それとも心から化け物って言ってるんですか?」
突然の事に目を白黒するコハル。それとは逆に冷めた目で己の末路を悲観していたミカは冷静に、暴力を止めた少女、サエカの目を見る。
自身より身長がかなり小さいサエカに対して、尚もギャアギャアと喚く生徒。それに対し記憶とはまるで違うあまりにも冷めた表情の少女にミカは悪寒が走る。
「は?化け物は化け物だ!言葉の通じない怪物に用はない、さっさと放せ!」
「そうですか。」
―――バキリ。姦しく騒ぐ声が響き渡るこの部屋で、それはやけによく響いた。
放せと言われ、素直に従ったサエカ。だが彼女が握っていた手を放すと、掴まれていた部分から先が、だらんと力無く重力に引かれるまま垂れ下がる。
それを見てミカを除く全ての生徒は思考を停止させる。そして恐怖した。一切の表情の変化もなければ、力むことなく摘まむような気楽さで生徒の腕をへし折ったこの場の誰よりも小さな少女に。
数舜。理解が追い付かず、時間のズレを感じた生徒はようやく自身の腕がありえない折れ方をしていることに気づき、遅れて絶叫を上げ蹲る。
「あっあぁああぁあああああ!?いた、いたい!なっ、ううう!?」
「あなた方が言ったんですよ。”化け物”って。化け物に人の道理など通用するわけがないでしょう。であれば私は言葉通り人ではなく、化け物として対応しました。…今は虫の居所が悪いんです。言葉を選んでください。」
「ぐっ…殺せ!化け物風情が!!」
「…言いましたよね。私は虫の居所が悪いって!」
突如サエカから波紋が広がるように突風が吹き抜ける。だがそれは偶然に発生したものでは無いとミカも含めその場の全員が理解する。
”ソレ”がなんなのか、最も顕著に表れたのは、パテル派の生徒達だった。彼女たちは次々に震え、
また、パテル派の生徒達ほどではないが、サエカの後ろにいたミカは凡そ生きているうちに感じたことの無いほどの本能的な
「この非常時に団結するでも、援助するでもなく、宣戦布告って聞きましたよ。よそに戦争を吹っ掛けるって事は、負けて文字通り地図から消滅する可能性も考慮すべきですよね。…私がトリニティを更地にしてあげましょうか?」
「ひぃ…!化け物、化け物!!」
「鸚鵡のように同じ言葉を繰り返すしか能がないんですか…?それなら
そう言って誰に一瞥するでもなく、一人部屋を後にするサエカ。それを見て腰を抜かした生徒達は我先にと足腰が立たないなりに這這の体で逃げだした。何とも情けないものだと普段のミカならば笑うところだが、自身も現状に安堵しているという事実で色々な意味で笑えなかった。
凡そ感じたことの無い恐怖。それが彼女の圧によるものなのか、別の何か…根源的な恐怖かは分からない。だがこのトリニティで育ち、初めて感じた身の危険に慣れないという事もあって半ばパニックになっていた。
それでも生来のものか、それとも一応は派閥のトップという環境で培ったものかは不明だが、理解が追い付かないでも周囲の仲間、とりわけ今は力を持たないなりに何とか自身を守ろうとした少女が微動だにしない事に気が付く。
「ねぇ、コハルちゃん…だっけ?大丈夫―――」
ドサリ。その場でしゃがみ込み動かない少女を後ろから指でつつくとそのまま音を立てて倒れる。
あまりの事に驚いて悲鳴を上げそうになるミカだったが、良く見れば呼吸はしておりとりあえずは安心する。どうやら暴力を振るわれそうになったところに、友人の豹変に驚き、元々小さかった精神のキャパが耐えられなくなり失神したようだった。
しかしそれはそれで幸せだったのかもしれないとミカは思う。何故ならあの心臓を鷲摑みされたかと錯覚する足が竦む様な恐怖を知る前に意識を落とせたのだから。いや、もしかしたらその恐怖で失神したかもしれない。だとしたらなんて不憫で可哀想なのだろうか。
「…ところでサエカちゃん友人とか言ってた割に、コハルちゃん放置して行っちゃうんだ…とりあえずそのままなのも可哀想だし、私の牢屋で休ませるべき…??」
この日、ミカは短時間の間に感情の乱高下を繰り返し、悲観的な気分も混乱によってどこかに行ってしまった。
そしてその後。ボロボロの先生が復活したその足で現れ、さらに情緒が崩れ泣いて謝る。己の感情を吐き出し、年頃の少女のようにありったけを。それはコハルが目を覚ますまで続くのだった。
sideサエカ
あぁ、くそ。むしゃくしゃする。イライラするというより全てが気に入らない。
常に八つ当たりの先を探している、そう自覚できるぐらいにはおかしかった。
さっきだってそう。普段ならあそこまで威圧したりしない。というより私が凄んだ所で、背丈も相まって精々が小動物の威嚇。それがあそこまで効果が表れたのは純粋に私が怖かったというより、”彼女”の力のせいだと思う。
”テラー”。神秘の反転であり、コインの裏表が同時に観測できない様に神秘と恐怖は表裏一体なもの。本来は私こそがそのテラーであり、神秘を持ちえない存在だと”彼女”は言う。それゆえ神秘に対して耐性がなく、普段から防御力に難があるのはそのせいだとも。
存在するだけで破滅を呼び寄せるテラー。神秘とは相容れないが為に、それを有する生徒に根源的な恐怖を植え付ける。今まではどうやってか彼女――百合園サエカが制御しており、私の恐怖は表層化しなかった。
けど、先の戦闘で無理やり制御を奪ったせいで力の逆流が起こり、元の恐怖の力が私の魂に戻ってしまった。それによって感覚的に負の力を撒き散らすことが可能に。今はまだ弱いソレだが、神秘の弱い相手に浴びせ続ければヘイローに関わるらしく、先ほどは彼女に留められてしまった。
恐らくだけど、無性にむしゃくしゃするというのも、先生の事以前に私が”そうゆう存在”に戻りつつあるのが原因だと思う。
そうして一人やり場のない怒りを抱えながら歩いていると、ふと思い出す。そういえばセイアさんから貰ったメモ用紙があったっけな、と。それを周囲に誰もいないことを確認して読む。
【サエカへ】
【これを読んでいるという事は、暫く私と愛する妹であるサエカとは言葉を交わすことが出来ない時期になっている事だろう。】
【というのも、今の私は睡眠をとらずともあらゆる可能性を知覚することが出来、私が暫くの後床に臥す事を知っているからだ。】
【あの場で話すにはあまりにも時間が足りなく、また、格好悪い所を見られたくなかったという私の我儘の結果だ。どうか許してほしい。】
【さて、今後起こることだが、大まかな流れは先生と共有はしてある。どうやって?と疑問に思うだろう。確かにサエカにメモ用紙を渡すタイミングでは先生はその怪我故に目覚めていない。しかし私の意識は覚醒していても幾分かは夢の世界で揺蕩っている。そこで現実に意識のない先生と会話を重ねているんだ。】
【大丈夫。先生の意識は元気だ。決して死なない。すぐにでも起き上がる事だろう。だが…サエカにとっては残念かもしれないが雨が降っているうちは直接会うことは出来ないかもしれない。】
【未来ではキミたち二人の行動は噛み合わず、すれ違う。だがそれも1日…雨が止むまでだ。だからサエカ。どうか嘆かず、
【どうか歩むべき道を見失わないで。キミの超カッコいい頼れるお姉さんのセイアより。】
なんじゃこりゃ。あまりに突飛な話にむしゃくしゃもどこかの吹き飛んでしまう。
確かに百合園セイアは未来を知る特別な力があると記憶で知っている。だけどこのメモ用紙にどのような意味が?ただの激励?いや、先生が死なないというのは素直に嬉しい。もし万が一その命を落としたのであれば、私はすぐにでもアリウスがいそうなところを片っ端から更地にして回るだろうし。命拾いしたな、アリウス!
怒りの方向が良く分からなくなっていると、ポケットのスマホが鳴っていることに気が付く。
「はい、此方シャーレ補佐官の百合園サエカ。」
『あ、良かった繋がりましたね。こちらは救急医学部の氷室セナです。ご報告なのですが良いニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きますか?』
「えぇ…じゃあいい方から…。」
『そうですね…死体…ではなく先生が目を覚ましました。』
「それは良かったです!無茶しちゃいけませんて理解するまで引っぱたかなきゃダメですね!で、悪い方は何でしょうか。」
『その先生がどっか行きました。多少ならば動いても生死にかかわりは無いと思いますが、見つけたら引きずってでも連れ戻してください。以上です。』
それだけ言うとすぐに通話は途切れてしまう。まず先生の意識が戻ったのは良かった。セイアさんの宣言通りになり安心から足の力が抜ける。よかった…本当によかった…。
でも悪い方のニュース。生死を彷徨った怪我人が動き回っている??really??何やってんのあの人。今度は違う意味で力が抜けた。
「はぁー……護衛もなしに歩き回るとか正気なのかなぁ…まともな感性してたら銃弾飛び交うこの世界で生きて行こうとしないか…とりあえず闇雲に動いても迷惑かかるでしょうからハナコさんと合流しようかな…。」
本当ならすぐにでも先生を探しに行きたいが、思い出すのはセイアさんの手紙。
”シャーレとしての”責務。今は最も信頼できる先生とセイアさんを信じて、自分にしかできないことを優先しようと思う。
そのために、司令塔代理になりえそうなハナコと合流すべく、ミカのいる場所へと向かう先生とすれ違いで歩み始めるのであった。