「くそ…何度やっても手ごたえを感じない……どうなってんの?」
目の前の異形に己に一切が通じず、初めて焦りの表情を見せるサエカ*テラー。
彼女の攻撃の一切合切を無効にし、たとえ通っても瞬時に回復する圧倒的タフネス。対してあちらはこちらの誰を狙っても一撃で殺せるほどの圧倒的な力を誇りながら、初撃以外は全て彼女を狙うという余裕すら見せていた。
だが、これでは張り合いがないと言わんばかりに、若干テンションが落ち着いたマエストロなるゲマトリアがヒントを出す。
「ときに先生。人工天使とは何だと思う?」
”なにを…。”
「なに、我が芸術の理解を深めて欲しく、作品の説明をするだけだ。気を楽にしたまえ。」
怪物とサエカ*テラーの介入を許さないとばかりの圧倒的な個による争いを眺めながら、徐に切り出す。
「恐らく黒服はワイルドカード…キヴォトスにおける決戦兵器のような役割であると説明していたのだろう。だがそれは結果による”転用”であって当初の目的ではない。」
「元々はベアトリーチェ…他のゲマトリアの研究題材であった。それも杜撰で美しさの欠片もない理解できるものでは無かったが…大本は「観測器」であった。」
”観測器だと?”
「そうだ。崇高のあらゆる可能性を観測し、記録、その身に宿し映し出す為の入れ物。本来であれば強大な神秘性を誇る百合園セイアがその役を担う予定だったのだがね…。」
”なんにしても生徒を攫い、非道な行いをして家族を悲しませ、苦しめたことには変わりない。そしてそれを容認したお前たちゲマトリアも同罪だ。私は決してそのような奴らと相容れる事は無い。”
「いずれ先生にも理解できる日が来るだろう…。話を戻そう。攫ってきた彼女は神秘も特筆すべき点はなく良くも悪くも平凡。莫大な神秘が無ければもう一つの崇高である、恐怖の面を観測するなど夢のまた夢。そのため、ベアトリーチェは人工的に神秘を埋め込み、実験に耐えうるだけの総量を再現したのだ。数多の生徒達のその命を使って。」
”……………。”
「そのような表情を私に向けて欲しくはない。私も当時は反対し、眉を顰めたものだ。乱暴であるし、何より美しくない。こうして莫大な魂と神秘を獲得した彼女はその崇高の一つたる神秘を裏返し、反転させることに成功した。だが…崇高とは本来表裏一体の不可逆な物だ。投げたコインがどちらかの面を見せる様に、”同時に”観測することなどできない。」
「故に元々適性のない彼女では、裏と表…二つを観測するための器としては強度が足らず、自壊してしまったのだ。その後どうやってかは計り知れぬ所ではあるが、神秘と恐怖。そのどちらの崇高も手にし、扱えている。」
”話が長い。要約してくれ。”
「ふむ…まだ先生には早かったか。いずれ語り合える日を楽しみにしておこう。」
「つまり、人工天使というのは崇高の一つを形にしたものであり、またその方向性を人為的に操られた形で顕現することに成功したことを言う。」
”で?その話が今何の関係があるんだ?”
「…私の作品であり、崇高の形。あれは名をヒエロニムスと言う。私達は崇高を手に入れる過程で、神秘と恐怖というものを知った。だが―――神秘は手をかけるどころか理解すらできず、近付けたのは恐怖のみ。コレの意味するところは…。」
”あの怪物…ヒエロニムスとやらは恐怖で構成されていると?”
「そうだ。神秘と恐怖は表裏一体であるがために、互いに反発しうる性質を持つ。だからこそ、両方の崇高を獲得してしまったがために、中途半端な性質をもつそなたの人工天使では私の作品を打倒することは出来ない。」
恐怖…これで合点がいった。どのようなものが相手でも怯えることなどなかったサオリとアズサを必要以上に恐怖させ、戦いのダメージ以上にその身に影響を及ぼしている理由が。
さらにはサエカ本人の攻撃がまるで雲を相手にするがごとく、まるで効果が見られないのも、彼女の扱う力の本質が恐怖であり、目の前のゲマトリアが言うことを信じるならば、純度の低い恐怖。
同じ崇高では効果が薄く、それもより弱い力では押し勝つことが出来ないのも納得だった。
”つまり…。”
あの化け物を倒すには本質が神秘でなければならないということ。
だがその神秘を扱う生徒というのは恐怖という相反するものに畏怖し、まともに戦うことなどできず、ましてや今近くにいる生徒は誰もがボロボロで戦うことなど許容できる状態ではなかった。
「つまりなんだ?私では勝てないと?舐めるなよ木偶人形が!親と似てすっとろいノロマの木偶の坊が!攻撃が私に当たらない限り、少なくとも負けはないね!」
どうやらこちらの会話に聞き耳を立てていたらしい彼女は、勝てないでも負けはしないと軽口が戻る。だがそれも一時だけであり、次の瞬間には彼女の左腕が飛んでいた。
「がぁっ!?」
「失礼した…。単に情報の観点からフェアじゃないと思い、手を抜いていただけだ。真に競い争って芸術を高めて欲しいのだが、これではワンサイドゲームになってしまう所だった。」
”サエカ!!”
「故に―――」
「見せてくれたまえ。そなたの輝きを。人工天使としての成長と矜持、その美しさを。」
その言葉を皮切りに、眼前の怪物はその巨体に似合わぬ速度で腕を振るう。
その速度は先ほどまでと大きく違い、余裕をもって避けていたサエカを襲う。
「ああああ!!くそがぁ!!舐めプとはいい度胸だ!!ぶっ殺してやる!!」
不意に切り落とされた左腕の激痛に耐えながら怒気を撒き散らす。
だが、涼しい顔?で何の反応も示さずただ淡々と処刑を行うヒエロニムス。
それにより、次々に切り裂かれ、夥しい血を撒き散らしながら順番に四肢を切り落とされてゆく。
「あああっ、ぐぁ!いぎ…!かはぁっ……!!」
”もういい、十分だ!やめろ!!”
「ふむ…これは異なことを言う。この程度ではあの人工天使は力尽きたりなどしない。それは先生、そなたも知っている筈。」
”だからと言って生徒が、子供がいたぶられるのをただ見ていることなどできるか!!”
「ならばやめるか?シャーレの先生よ。今の私はあくまでも芸術の為、後学のために人工天使同士で争わせている。やめにするならば当初の予定通り、ヒエロニムスは神秘に対する有効性の検証のため地上に進出するが…。」
コレが地上にだと?冗談じゃない。こんなものが未だ混乱が収まらない地上に出ればそれこそ終わりだ。生徒を、人の命をどう思っているかも分からないような奴を行かせれば、目の前で行われている惨劇をいくら繰り返すか分かったものでは無い。
「はっ、冗談きついぜ先公…まだ…たった一回殺されただけだ!!」
そう啖呵を切って赤黒いスパークと共に失った手足を再生させていく。
「…まずは一回。先ほどの言葉をそのまま返そう、人工天使よ。そなたは後何回殺せば死ぬ?」
余裕ように質問をする木人形。そうだ。今まで理屈は分からないが、死と再生を繰り返してきた彼女に少しばかり”慣れ”という本来あってはならない感覚を覚えていたが、彼女は言った。
私でさえ無限ではない、私の命は有限である。そう言っていた。であれば後何回だ?命のストック…このような言い方は嫌いだが彼女に残された時間はどれだけある?
ここに来て本来感じるべき危機感がさらに強くなり、嫌な汗が出る。
そんな彼女を救うため、私は再度自身の切り札であるカードを掴む―――が、またも彼女に阻止されてしまう。
「何度も言わせるなよ、先公。命の価値は平等じゃない。私のような価値の低い命に使うな。」
”命の価値に高いも低いもない!”
「…じゃあ本当に死にそうになった時でいい。今は黙って見てろ…それに。」
ギロリとヒエロニムスからその横で佇んでいる木人形に視線を変える。
「こいつは倒せなくてもゲマトリア!お前を殺せばまた違った道が見えると踏んだ!!」
「……人工天使よ、私を落胆させてくれるな。」
その言葉通り、サエカ*テラーは恐らく召喚者であろうマエストロに向かって絶死の光を躊躇いもなく発射する。いくら人と離れた外見を持とうが、知性があり、意識がある相手を殺す。それは立派な人殺しであり、どのような状況であれど忌避すべきこと。
さらにはそのゲマトリアが目の前の異形の怪物を制御している。彼?を殺してしまえばどのような影響が出るかも分からない為、避けるべきだ。
そのため私は制止の声を上げるが、結果はそのどれでもなかった。
「なぁ!?」
「これは黒服の技術だが…悪くない。我々もキヴォトスの外から来た身…。シャーレの先生程脆弱な身体ではないが、対策はして然るべきだろう。」
彼女の決死の一撃は不可視のバリアによってその軌道を変え、壁に穴をあける。
対して、いまだ余裕の崩れない木人形は埃ひとつすら見られず、戦闘は振出しに戻っていた。
「ならこれなら!!」
それでも尚、戦闘において脆弱な部分を狙うという基本を信じ疑わない彼女は、遠距離でダメなら直接、という考えの下だろう。その身で可能な限りの速度で接近し、愛銃を振りかぶる。
だがそれすらも想定されていたかのように、届くことは無かった。
「…二回目だ。」
「あが………!」
普段のサエカからは想像もつかないほどの速度で接近したが、それを許す相手ではなく、沈黙していたヒエロニムスがそれを阻止する。上半身と下半身を分断させて。
「…愚かな子供だ。私を叩くのは戦術上では正しいのかもしれないが、”美しくない”。それに人工天使よ…、そなたは忘れていることがひとつある。」
「……………なん…だ…。」
「そなたら人工天使という作品の作り方を知っているのだ。であれば―――壊し方も知っているという事に他ならない。……これ以上私を落胆させてくれるな。」
それの意味するところは、目の前のコイツは私の生徒を…サエカを殺すことが出来るという宣言に他ならない。私はそれを聞いてさらに頭へ血が上る。
だが私が声を荒げる前に、先に怒りに声を荒げ、叫ぶ者がいた。
「ふざけるな!おまえに…お前に何の権限があって私の友達を!!」
”アズサ…。”
眼前の根源的恐怖に怯えながらも、大切な友人が凄惨な目にあうことに我慢できず、己を縛る恐怖の足枷に抵抗して叫ぶ。
だがそんな叫びもそよ風のように受け流し、相容れぬ思考でもって返答をする。
「口を挟むな、呪いを逃れし小さな奇跡よ。これは聖戦…芸術と崇高が輝く舞台において、そなたは観客でしかない。であればステージの役者ではない者は静かに見守るのがマナーというもの。」
「ならっ!私を…私をやれ!!私の友達は…サエカは巻き込まれただけだ!!」
あくまでも自分の責任であると主張する彼女は、目の前で広がる濃厚な死の気配に足を震えさせる。だが私はそんなことを許したりはしない。補習授業部の皆も。
そして当の本人であるサエカ自身も。
「言ったでしょ…
「なにを…。」
「あなたが巻き込まれ、命を落とすことはあってはならない。そんな事をすれば、聖園ミカは救われず、補習授業部は壊れ、アリウスは灰燼に帰す。だから大丈夫だよ、
「君は……。」
アズサに優しく語りかけるサエカ*テラー。その姿は普段の嗜虐に満ちた様子は一切感じられず、慈愛に満ちていた。
「さて…二回殺したくらいでいい気になってる木偶人形…一つ質問だ。」
「私の事は、芸術への敬意もこめてマエストロと呼んで欲しいのだが…まぁいいだろう。なんだ?」
「てめぇなんぞ木偶人形で十分だ。せめて有機物になってから出直せ…。質問の内容だが、そのヒエロニムスとか言ったか?これも私と同じ人工天使なんだろ?……何人の命を使った?」
そうだ。サエカ自身も人工天使であり、その過程で多くの子供の命を使用したと言っていた。
であるならば、同じ創造物であるヒエロニムスもその過程でどれだけの命が失われたのだろうか。
彼女の疑問は至極まっとうであり、本来私が気が付かねばならぬことだ。命を軽く見ているつもりは全くないが、己の推察力の低さに悔しくて歯噛みをする。
「確かに同じものだが…、私をあの芸術を理解しないイカレポンチと一緒にするな。私の信ずる芸術とは作品の結果、出来上がりだけではなく、その制作過程も重視するものだ。」
「……古来より、生き物や人間を使用した芸術は数え切れぬほど存在するが、そんなものは狂気の沙汰だ。その替えの利かない美しさは一定評価に値するが、私の目指すところではない。」
「今更常識人のつもりか?芸術家気取り。まぁ今は何でもいい…とどのつまり、そこな怪物は命を材料にしていない。そうだな?」
「そうだとも。そなたの様に無理やり創造された継ぎ接ぎだらけの天使ではなく、これそのものは一柱で完成された別のアプローチによって完成した天使だ。」
「なら話が早いや…いやはや。散々人には言っておいて、自分がやることになるとは。」
そのやり取りにその場の誰もが疑問符を浮かべる。この場において誰よりも情報を持っているであろうマエストロも、その表情が変わらない為に窺い知れないが、困惑を浮かべているのは分かった。
だがその答えを、私達はすぐに知ることになる。
「くふっ…ははは……ははははははは!なぁんだ…簡単じゃないか。私では本質が恐怖であり、仮初の神秘しか扱えず、そのどちらも天使を堕とすには純度が足りない。」
”…何をするつもりかな?”
「なに、簡単な事だよ。天使を堕とすのは同じ天使ではなく、いつだって悪だってね。」
その言葉に何か合点がいったのか、それまで一切余裕を崩すことがなかったマエストロが急に焦りを見せる。
「まて…その力は時期尚早だ…制御などできるものでは無い。」
「どうせ勝てないのなら知った事ではないね。私の崇高ではどうやっても現状の打破はできない。じゃあさ―――」
そのどちらでもない者に倒してもらえばいいよね。
何をするつもりかは私には分からないが、マエストロの様子から相当に危険な事をしようとしていることは分かる。
それを止めるために私は走り出し、彼女を止めようとするが、私はその体を抑えられ、止められてしまう。
「ダメだっ…!先生!」
”アズサ!!行かせてくれ!これ以上無茶をさせるわけにいかないんだ!”
「ダメなんだ!アレは…アレだけは生きるとか…死ぬとかそう言った次元のものじゃない!!だから先生…行かないでくれ…!!」
”だけどっ!”
「分かってる!私だって友達を失いたくはないんだ!でもっ!先生の事だって、失いたくは無いんだ!!どうか分かってくれ…!!」
何とかしてサエカを止めようともがくが、衰弱しても尚大切を守ろうと必死なアズサの拘束からは逃れることは出来ず、只々茫然と彼女の変わりゆく気配を見る事しかできなかった。
―――我が魂を贄とし、主の言祝ぎを賜らん。
―――千の無貌、這い寄る混沌、闇をさまようもの、大いなる使者。其は定型を持たぬ者。
―――その大いなる力をもって、汝に慈悲を与えん。
「oooooOOaaaaaAAAAAAAA!!」
それを聞き、かの人工天使、ヒエロニムスにも本能があるのかはたまたマエストロの焦りがそうさせるかは分からないが、膝を折り、その両手を合わせ祈祷する彼女を始めて声を上げ、全力で切り刻む。
だが、腕を切り落とし、体を両断し、如何に貫こうともその祈りは止められず、五度目の首を落としたところで大きくなる死の気配。それによってこれ以上は危険と判断したのか、マエストロは撤退を選択する。
「本来ならば芸術を昇華する好機であり、それを逃すのは忸怩たる思いだが…そうも言ってられない。さらばだ先生。このような形で幕引きとは興醒めだが、これもまた意味のある終幕であり次なる創作への足掛かりとなろう。…次に相まみえる時はさらなる芸術をお見せしよう。楽しみにしていてくれたまえ…。」
それだけ残し、ゲートのような黒い輪を潜り、消えて行った。これまで余裕だった彼に即時撤退を選択させるほどの”何か”。
それは残されたヒエロニムスの結末をもって、その力の一端を目の当たりにする。
―――悪いがこれ以上は聞かせられない。無事に起こすので勘弁してほしい。
それを最後に私達は意識を暗闇に引きずり込まれる。だが最後に、すでに意識を手放したアズサを守るために気合で意識を保つと少女の口から言葉が聞こえた。
―――わたしと…いっしょに……こい。神名解放………「■■■■■■■■」
それを最後に私の意識は保つことは出来ず、暗く何もない虚無へと引きずり込まれるのであった。
次回、エデン条約編エピローグ。
その後は恐らくカルバノグ編。たぶん。