「ん…。」
私は久々に最高の目覚めを感じ、晴れやかな気分で自室のベットで目を覚ます。
予知夢などない、純粋な回復のための睡眠。私にとっては忌むべき睡眠のそれだが、今回ばかりはそうではなかった。
はて、なぜこれほどまで調子が良いのだろうか?などと考えるのは私の悪い癖だろう。
「まぁ、たまにはそういう日もあって良いだろう…ふぁぁ~…。」
これほどベットが誘惑的になるのは初めてかもしれないが、体調が悪いわけでもないのに休むというのも気が引けて大きく背伸びをしてから床に足を下ろす。
と、ここで私の起床に気が付いた生徒が普段通りの様子で声をかけてきた。
「おはようございます、セイア様。今日の調子は…とても良さそうですね、よかったです。」
「ああ、おはよう。なんだかよく眠れてね。これならば朝起きられないと布団に包まる人種がいるのも理解できるというものだよ。」
そんな冗談を言いながら普段より数倍軽くなった気がする身体で、朝のルーティンをこなし、見慣れたティーパーティーの執務室に行くと、そこには既に先着がいた。
「おはよう、ナギサ。今日も随分と熱心なようで何よりだよ。」
「おはようございます、セイアさん。どうにも眠ることが出来ず…。」
先にいたのは友人でもあり同僚でもある桐藤ナギサだった。…まぁ、執務室にいる人間など給仕係を除けば今はナギサか私しかいないのだが。
そんな彼女は長く休憩していないのだろう、本人の言う通り、昨日までは目立たなかった疲労の証が目の下にくっきりと刻まれており、その疲労度を物語っていた。
「……クマがひどいね。そんな顔を見ながらでは、こちらの仕事も進みそうにないよ。……眠れなくても、今日は私に任せておくといい。ゆっくりお休み。」
「ですがセイアさん一人に任せるわけには…。」
「なに、今日はとても調子がいいんだ。いざとなったら、栄養と交流に飢えている友人でもなんでも使うから気にする必要はないさ。」
「そう、ですか。ではすみません、少しばかり横にならせていただきますね。」
そう弱弱しく返事をし、退出していく友人の背中を見送りながら思う。
あれほどの疲れを滲ませた彼女は初めて見る。それほどまでにエデン条約までの一連の出来事は彼女を疲弊させてしまったのだろうか?だとしたら申し訳ない事をした。せめて、そんな彼女への償いになるよう調子のいい日だけでも私が支えてあげないとならないだろう。
そんな調子で仕事を捌くこと暫し。一服がてら紅茶に舌鼓を打っていると来客が現れる。
「失礼します。特にアポは無かったと思いましたが、シャーレの先生がいらっしゃいました。…いかがしますか?」
シャーレの先生が?…ふむ。
「ああ、すまない。連絡するのを忘れていたよ。私が呼んだんだ、通してあげてくれ。」
「かしこまりました。」
そう言って下がる生徒とかわり、久しく顔を合わせていない先生がティーパーティーの城に入ってきた。見れば彼もナギサほどではないがその目の下には疲労の証が深々と刻まれており、現在のティーパーティーとは違った過酷さを滲ませていた。
「やぁ、久しいね、先生。アポもなしに来るとは麗しの姫君との逢瀬でも予定にあったのかな?だとすればその目の下のクマはいただけないね。」
”ごめんね、急に押し掛けるように来ちゃって。それと麗しの姫君だとすれば今日は君かな?あいにく私に出会いなんてなくてね、とほほ。”
「…おどけている様だが、疲れて君も頭が回っていないようだ…よもや夢遊病の様にフラフラと来たわけではあるまいね?」
私の皮肉に気が付いているのかそうでないのかは分からないが、適当に笑って済ませる先生。突然来た理由は不明だが、良く回る口とは裏腹に私に用事があったわけではなさそうだ。
であれば用事があったのはナギサか?だとすればニアミスもいい所だ。しかし上に立つ二人がこうも疲労で倒れそうとは何とも言えない終末感があるな。
等と関係のないことに思考を巡らせていると、先生が突然生気が戻ったかのように再起動する。
”ん?君も、という事はセイアの周りに疲労困憊の生徒がいるの?”
「ん…ああ、ナギサも君と同じ様に疲労の色が濃くてね…本人曰く眠れないだけらしいが、あれでは下の者にも不安を与えるだろうから今日は休ませたよ。ナギサとの逢瀬を目的に来たのならアテが外れたね。」
”ナギサとはそういった関係ではないよ…私にはもったいない子さ。ってそうではなく彼女もか…。”
「なんだ違うのかい?という冗談より気になる事を今言ったね。彼女もか、と言うのはどういう意味だい?」
彼女”も”ということは他、ないしは複数の生徒がナギサと同じく疲労に喘いでいるという事。
確かに今朝のナギサ然り、目の前の夢遊病患者予備軍も正直ドン引きするほどの疲弊具合だが、別にこれは珍しい事ではないはずだ。一部自治区の役職を持つ所謂苦労人と称される生徒は元より、連邦生徒会やそれに属した先生などは日常のようなものだろう。―――尤もそれもどうかと思うのだが。
だがそんな事はこのキヴォトスに来てまだ日が浅い先生でも知っている事だろう。それが態々口に出して重要視しているような様子を見せるというのは少々引っかかる。
”ああ、ごめんね。実は最近トリニティに限らず、他自治区でも満足に休息できない子が増えちゃってね。それだけなら元々頑張りすぎてしまう子達だから偶々かと思ったけど、そんな子達に限って不思議な事を言うようになったんだ。”
「…聞かせて欲しい。」
どうやらただの夢遊病ではなさそうだ。アポもなしに遊びに来る大人だとは思っていないが、どうやら本当に大事な話だったらしい。だとすればしまったな、ナギサにもいてもらうべきだったか?いやそもそも私が元々ホストなのだ。であれば私が本来聞くべきだろう。あれ?そもそも先生がアポなんて取ったことはあっただろうか…私の記憶違いか?
”それはね、皆一様に記憶のどこかが欠落している、そう言うんだ。”
「―――ッ!」
”…どうやらセイアも心当たりがあるのかな?”
―――記憶が欠落している。そうだ、まさに今我々ティーパーティーや補習授業部が直面している問題であり、気が付けなかったこと。
指摘されるまで、報告の不備だと思われていた辻褄が合わない部分。あのハナコが混乱するほどの現象。それがただ失念していたという事ではなく何らかの要因で記憶が欠落しているのだとしたら?
「………辻褄が合う、か…。」
”…良ければ君たちの事も教えてくれないかな?今日はその調査のために来たんだ。アポなしになっちゃったのは…ごめんね。”
「なに、かまわないとも。推察するに記憶が欠落しているのは生徒だけに限った話ではなく、先生…君もなんだろう?それに気がついて調査を始めたというのならば焦る気持ちもわかるというものさ。」
”ありがとう。そしてセイア、君の予想は概ね正しい…だけどまだ確定するには情報が足りない。だから事態解決のためにも君たちの事を話してほしい。”
こうして私達は互いの持つ情報を共有し合い、問題点を洗い出していく。その結果浮き彫りになる空白地点と共通点。それらが纏まるころには日も暮れており、その日は一旦解散の流れになるのだった。
「さて…大分時間が経ったね。今日はこの辺にしようか。」
”そうだね、結構話し込んじゃったかも。長居するのも邪魔になってしまうから今日はお暇するよ。”
「さっきも言ったが構わない。確かに今日はナギサを休ませているがためにあまり進んでいないが、最近優秀な計算機が出来てね…1日2日程度ならサボっていても支障はないのさ。」
”そ、そうなんだ?ミレニアムにでも作成を依頼したのかな?”
「いや、正真正銘トリニティ製だとも。よく愚痴をもらすが、一々仕事を教える手間もなく、安上がりな報酬で必死に動くから愉快でね。よければ先生も見てみるかい?丁度この後仕事を置いて来ようと思っていたんだが…。」
”…何となくそれが
たったこれだけの会話で理解するとはさすが先生と言った所だろうか?なんて感心しながらチマチマと今日の分の仕事をティーカートに移していく。そしていざ向かおうという時、一人の生徒が現れる。
「ただいま戻りました…ってあら?」
”やぁナギサ、久しぶりだね。今日はお休みと聞いていたけど大丈夫?”
現れたのはクマが凄まじく、こちらの気が滅入ると追い出した友人、桐藤ナギサだった。
そんな彼女はどうやら休むには休んだが、いてもたってもいられずに身支度を整えて再度ティーパーティー業務をするために足を運んだのだという。
まったく、これでは何故休ませたのかも分からない上に、今からとなると昼夜逆転してしまう。それに対して気恥ずかしさから友人を心配する心情を悟らせないよう、皮肉と小言を交えてつつく。
だが彼女は姿勢を正し、芯の通った声で自身の気持ちを伝えてきた。
「大丈夫ですよ、セイアさん。確かに少しばかりの無茶は否定しません…。ですが何か…胸騒ぎがするのです。今が踏ん張り時であり、トリニティという3本の柱で出来ている私たちが助け合い、安定して支え合うことが出来るのだという証明をするべき時だと。」
「ナギサ…。」
”無理しちゃダメだよ?しっかり休まないと。”
「それはお互い様ですよ、先生。様子を見るにこれからミカさんの所でしょうか?」
”やっぱりミカの所なんだね…良ければ一緒にどう?”
「はい。セイアさんが途中でダウンするかもしれないので。」
「私としては君の方がダウンしないかの方が心配だよ…。」
かくして我々はナギサを加え、今日の仕事を計算機の下へ押し付けるために向かうのだった。
「あぁー!やっと来た!もう遅いよー!ご褒美ちょうだいご褒美!!」
ミカのいる
まさか昨日の今日だと言うのに台車一台分の量をもう終わらせたというのか?これにはどれだけ暇なんだという感想と、ロールケーキ地獄がいかに苦痛であるかというのが伝わってくる。
”やぁミカ、調子はどうかな?”
「およ?先生も来たの?って、ナギちゃんもだけど先生もクマ凄いね…ちゃんと休まないとだめだよ?ロールケーキあげよっか?」
”ははは、しっかり休んではいるんだけどね…。”
「まぁ皆君ほど暇ではないという事さ…。」
「えぇー!セイアちゃんが酷いこと言うー!これだけの量頑張った人に対して暇とか意地悪!とりあえずご飯ちょうだい!話はそれからだよ!!」
”え…ご飯貰えてないの?流石にそれは…。”
「か、勘違いしないでください先生。しっかりとミカさんには3食紅茶付きで食事を与えています。」
「あれを食事とか言い晴れる根性は見上げたものだよ…とりあえずミカ。まさか一日で全部終わらせてなお暇を持て余していると思わなかったから2枚しか持ち合わせがない…明日用意するのでこれで勘弁してほしい。」
”あ…それこの前オススメしていた奴。どうかな、君たちの舌にも合えばいいんだけど…。”
しまった、貰ったのは私だが適当に横流ししたのがバレてしまう。別に舌が肥えているというつもりはないが、得体の知れないものに警戒して彼の善意を見方によれば無下にしてしまっているのは事実だ。どう弁明したものか。
等と保身に走る思考をしていると、そんな事にも気が付かずその食事を意の中に収めたであろうミカが満面の笑みで喜ぶ。
「あれすっごい美味しかった!昔だったら分からなかったかもしれないけど、環境が変わったせいなのか普段の食事のせいなのか、どんな料理よりおいしく感じたよ!」
”そ、そう?いつの間にか手元にあったやつだったけど、そこまで喜んでもらえたのなら紹介した甲斐があったね。あ、もちろんシャーレの経費にも書いてあったし、私が買ったやつだと思うから安心してね。”
なんだと。まさか先生も出所不明の食券を横流ししていたのか。食券を記憶にない状態で買うほど疲弊しているというのもどうかと思うが、それをとりあえずで私に渡してくる神経もどうかと思うぞ先生…。
「なんだかロールケーキの株がどんどん下がってきているように感じます…。」
「仕方ないだろう。君の作るあれは知識と情熱も相まって絶品なのは認めるが、断じて主食ではない…まさかナギサ、君の主食はあれでは無かろうね?」
「まさか。ちゃんと栄養が偏らずロールケーキに負けずとも劣らない淑女に相応しい食事をとらせていただいていますよ。」
「それはそれで問題じゃないかい?」
「え!?ナギちゃん自分はちゃんとした食事を食べて私にはあれなの!?拷問じゃない!?」
今回ばかりはミカに同意するところだ。まさか無駄に凝ったアレを主食として押し付けていた本人がまともな食事に舌鼓をうっていたとは…。ほら、先生も何か言いたそうに苦笑いしているぞ。
”あ、あはは…3人とも元気そうでよかったよ。”
「そういえば先生はどうしてトリニティに?まだ傷は塞がってないんでしょ?」
苦笑いする先生に、ナギサへの抗議の声を上げていたミカがその表情をコロコロと変え、体の状態を気に掛ける。彼女からすれば”撃たれた”という情報しかなく、実際にどの程度の怪我を負ったのか知らされていない。それでも自身の凶行を止めてくれた恩人には変わりなく、その表情の裏側には本気で心配している様子がうかがわれた。
”うん、もう元気いっぱいだよ!それとちょっと情報収集にね。”
「それならいいけど、無理しちゃダメだよ?」
”ところでその情報収集の一環なんだけど、最近妙な事ってなかったりしないかな?”
本当は傷の完治などしていないのだろう先生。そのような状態でもワーカーホリックなのだから傷があろうがなかろうがいずれ倒れてしまう事は想像に難くない。だがそんな疲労や負傷などおくびにも出さず、力こぶを出して問題ないように見せながらさりげなく話題を変える。
「妙な事?」
”うん、例えば―――思いだせないことが多くなった、とか。”
「あー…それはあるかも。ここで生活するようになって反省したりネガティブになる事があるんだけど、イマイチ思い出せない事が多くて。やー、私麗しの女子高生だと思っていたのにもうお婆ちゃんかー、なんて思ってたところなんだよね。」
「…これは驚いた。」
「ええ…私もです、セイアさん。」
「え?なになに?私、何かやっちゃった?」
これに驚くなと言う方が難しいだろう。そうか、ミカは―――
「「ミカ(さん)に反省する事が出来たなんて…。」」
「あれ?もしかしなくても私、今喧嘩売られてる??」
「だってそうだろう。反省の2文字を知らず猪突猛進で進むことしか知らない、ブレーキの壊れた人間など君意外になどそうそういるものじゃないよ。」
「こんなにも立派になって…!ママは嬉しい限りです…!!」
「そんなに殴られたいなら素直に言えばいいのに☆ほら、2人ともこっちにおいで?」
「おっと、檻の中のゴリラが怒ったぞ。」
「すいません、今バナナを切らしておりまして…代わりと言っては何ですが、ロールケーキをどうぞ。」
「(#^ω^)ビキビキ…」
私達の揶揄いに流石に怒ったのか、檻の中のゴリ…ミカのオーラが膨れ上がる。流石に本気になられたらこの程度の檻では心もとないので引き時を弁え、いくつか彼女の欲しいものを用意するという約束をして事なきを得る。
だが私よりも付き合いの長いはずのナギサは疲労のせいか引き際を誤る。
「おっ、ナギちゃんの手作りじゃん!これを一日の楽しみにして待ってたんだー!折角だからアーンして?ナギサママ??」
「まったく甘えんぼですね、ミカさんは。ほら、味わって食べt…あ゛ぁぁああ!!??」
危険を察知して離れた私と先生とは逆に、手作りスイーツを誉められた事が嬉しかったのか不用意に
ところで話は変わるが、世間の皆はテレビやネットなどで怒ったゴリラに人が不用意に近づいて服やその体を引きずり込もうとする映像は見たことはないだろうか。キヴォトスの生徒であれば一部力負けはしないかもしれないが、私や先生は言わずもがな、ナギサなどの一般的な腕力しか持たない生徒であればあの恵まれた体躯から発せられる腕力に、成す術もなく引きずり込まれるだろう。
怒った猛獣には檻越しとはいえ不用意に近づいてはいけない。齢10を過ぎる頃には誰に教えられずとも本能で理解できるはずのもの。
つまり何が言いたいのかと言うと―――檻の中へアーンするために手を入れたナギサの腕はミカに掴まれ、衝撃映像よろしく引きずり込まれようとしていた。
「ナギちゃん捕まえたぁぁ!!」
「あぁぁあ!ミカさんちょっ!力つよっい゛た゛たたた゛!?」
アレは映像で見るから笑っていられるのであって、いざ実際に目の前で似たような事故が起こるとホラーでしかない。ナギサ自身も無駄に行儀よく両手を入れたものだから踏ん張りもきかず彼女と私達を隔てる檻へ顔が押し付けられていた。
”なんか既視感あると思ったら、びっくり仰天系の映像で見たことある奴だ…。”
「奇遇だね先生。私も同じものを連想していたよ。」
「おふっ、お二人とも!しみじみしてないで助けてくださぁぁぁぁああああ!!??」
自業自得なのだからみっちり絞られたまえよ。
そんな天罰はこの場の誰が助けることも無く、ミカの怒りが収まるまで続くのだった。