予言の大天使―――目の前の人とも妖とも違う決して相容れない何かがそう口にした途端、私は警戒心から整備だけしかされず、使うことの無い愛銃を抜き真っ黒なスーツを着た何かに向ける。
真っ先に感じたのは嫌悪感。同じ人であるというのは頭で理解していても理性が受け入れられない矛盾を孕んだ存在。そんな私の心情を知ってか知らずか、隣にいたはずの先生は私の銃を手で押さえ、一歩前に出る。
”―――黒服。何の用だ?アビドスにおいてお前は不干渉を宣言したはずだ。”
「クックック…、そう敵意を剥き出しにしないでください。」
”ならここには何の用で現れた?返答次第によっては…”
「■■■さんの事についてです。私は現在の不可解な状態を良しとしません。…つきましては先生、百合園セイアさん。ご協力いただけませんか。」
”信用するに値しない。”
ここでようやく理解した。小鳥遊ホシノの言っていた”アイツ”と言うのが目の前の黒スーツであり、私達生徒の―――キヴォトスの敵であると。
そんな彼は礼儀正しく私達に協力を求めるが、先生の中で彼の信用など水に濡れたトイレットペーパー程しか価値が無いのだろう、その表情には生徒の前では一切見せない”敵意”のようなものが見え隠れしていた。
しかし先生のそんな態度も慣れているのだろう、にべもない態度に若干の寂寞を滲ませつつ続ける。
「困りましたね。ですが今回ばかりは我々に対する不信感を飲み込んでいただかねばなりません。我々ゲマトリアの為でもなく、先生自身の為でもなく、生徒の為でもない、このキヴォトスそのもののために。」
”なにが目的だ。”
「クックック…、先ほども申されました通り、キヴォトスを渦巻く不可解な現象の解決です。私としても知的欲求の擽られるこのキヴォトスが捻じ曲げられるのは気持ちのいいものではありませんから。」
”仮にそうだとして、どうして生徒であるセイアに関係がある?お前は前科がある以上おいそれと生徒に接触させるわけにはいかない。”
このままではいつまでたっても平行線だ。私とて目の前のキヴォトスの理の外にいる存在であり、何よりある程度の信頼と実績のある先生がここまで敵対的な態度をとっている相手に手のひらを差し出すことは出来ない。
それでも…私は先生が敵対している彼よりも、黒いスーツ故にあまり目立たずその肩で佇むシマエナガが。どうしても気になりこの平行線に終止符を打つべく口を開いた。
「君は―――君は現状キヴォトスで起きている事態を正確に把握していて、尚且つ解決する手立てを保有している。そう解釈してもいいのかい?」
”セイア…。”
「そんな悲しい顔をしないでくれよ、先生。私はこれでも大派閥のトップで薄汚い騙し合いなど飽きるほど見てきたつもりだ。引き際は弁えているとも…それに。」
「情報だけならば害はない、私はそう思っているよ。君の態度からすれば目の前の彼は確かに悪なのだろうね…。それでも悪を悪と切り捨てず、清濁併せ呑み、取捨選択することが大事なんじゃないかと思う。」
”…困ったな、これではどちらが大人かわからないね…そして、やっぱり君は彼女のお姉ちゃんだ。”
はて。私はどこか言葉を間違えただろうか。私の言葉に先生は嬉しいような悲しいような、それでいて懐かしむ様な不思議な百面相を披露し、その上で一つの解を出したのだろう、私が私の意思で不確定要素の前に…先生の隣に立つことを許してくれた。
「それで…答えはどうなのかな。」
「クク…クックック…!いえ、失礼しました。まず先に、私の事は黒服とお呼びください。敬称も不要ですがこの名前を気に入っていましてね。」
「黒服、か…。」
「ありがとうございます。それで先ほどの質問に答えさせていただきます。答えは半分NOと言わせていただきましょう。」
「それの意味するところは?」
「クックック…それを説明するには少々長くなります。夜の砂漠は冷えますし、私がここに居ることを好く思わない生徒がこの自治区にはおりますので、ゆっくりお話しできる場所へ移りましょう。」
”どこに連れて行くつもりだ?”
「私のオフィスに。勿論、あなた方に危害を加えるつもりは一切ありませんし、ご帰宅の際はシャーレビルの近くまで送らせていただきますよ。」
そう言って黒服は真後ろに突如できたドス黒い、まるで異世界への扉とでもいうべき円に躊躇なく入っていく。
それを見て私は少々面を食らうも、先生は見慣れているのだろう、私の躊躇いを察して手を取りエスコートをする。それに対し啖呵を切ったのにこれでは口先だけの臆病者というレッテルが張られるのを回避するために魔王の口へ飛び込む様な覚悟で、先生と共に光すら吸収してしまう穴に歩を進めるのだった。
「ここは―――」
「ようこそ、ここは私のオフィスです。どうぞゆっくりして行ってください。」
アビドスの砂漠を抜けて視界に映るは質素でありながら、それでいて使用者の性格が反映されたかのような機能美を追求した造りのオフィス。だが見る人が見れば気が付くそこかしらに主張しすぎない程度に配置された調度品の質の高さ。人によってはこれだけで地位の高さと社会的信用を理解するだろう。
そんなある種大人の色気が漂うオフィスには複数の来客を想定した大きめのテーブルがあり、そこにはすでに先客がいた。
「…久しぶりだな、シャーレの先生。此度は不測の事態を引き起こした事、謝罪の意を示そう。」
”おまえはっ…!!”
一目で高価であると分かりつつも、下品ではない応接用のテーブルソファーに腰を掛けていた人型の何かがどこから発音しているかも怪しいままに先生へと謝罪を口にする。そんな彼を見て先生は我慢の限界に達したのか、私という生徒を忘れて教職者の一線を越えそうになりつつも必死に堪え、胸ぐらを掴むだけに留まる。
「…すまなかった。アレは私の趣が多分に含まれていた。その上で必要な行為であったという事も理解してほしいものだ。」
”アレがか!?幼い子供の命を弄び、あまつさえ拷問のような想像を絶する苦痛を何の罪もない無垢な子供に強制しておいて、必要な事だっただと!?”
「…謝罪は幾重にも重ねよう。実際の被害者である彼女にも、そなたにも…そこの予言の大天使にも、な。」
恐らく彼らの間で何かあったのだろう、壮絶な主張のぶつかり合い。
それは私のような子供が口を挟む隙などなく、正しく大人の争いであった。
故に、子供同士の仲違いなどと言う生易しいものではなく、怒りよりも憎しみが強く彼を支配し、教職員という生徒へ常に手本を示し続けなければならない先生は理性と欲望の間で揺れ、こぶしを握り締める。
「先生、この辺にしましょう。そのあたりの説明もかねて、あなた方をお呼びしたのですから。」
”……納得のいく説明をしてもらう。”
「賢明な判断です。まずは気持ちを落ち着かれてはどうでしょうか。こちらをどうぞ、ダージリンです。」
結局胸ぐらを掴み、固く握られた拳はどこにぶつけられることも無く力無く重力に引かれ下がる。
それに合わせ、香りの強い紅茶を黒服から受け取り、一気に呷ってから悪態をつきながらソファーに座り話し合いの姿勢を取る。
そんな先生の様子に黒服は少しだけ嬉しそうな雰囲気を漂わせつつ、私の分も含めた人数分の紅茶を用意して整えられた場へ座る。
「さて…、何から話しましょうか。」
”隠し立ては一切しないと先に宣言してもらおうか。”
「ええ、ええ。かまいません。マエストロもかまいませんね?」
「…ああ。このような結果になってしまったのは予測できなかった此方の落ち度であろう…完成した作品の後始末も怠ることはしない。黒服同様、そなたらに隠し事は一切しないと約束しよう。」
”ならいい。”
「まずはそうですね…。先生が一番気にしているであろうことから話しましょうか。」
”………。”
非常に重苦しい空気の中、黒服と名乗る大人が自ら用意した紅茶をどうやってか口を少し付け、口が良く回るようにと口元を湿らせてから先生の威圧に怯みもせず話を始める。
そこから発せられる第一声は、先生…とりわけ私にとって希望を持つものだった。
「■■■■■■さんは生きています。」
”それは本当か!?”
「…凄まじいまでの食いつきですね。クックック…。」
”からかっているのか?”
「そのような意図はない、シャーレの先生よ。黒服も反応を見るために情報を小出しにするな。話がこじれて想定外を重ねるのは控えるべきだろう…。」
そう言って席から立ち上がった先生に静かに着席を促す異形の者。その彼?は私がじっと見つめていることに気が付いてか、ゆっくりと立ち上がり、木材の軋む音を立てながらも自らの名をマエストロと名乗る。
そんな名乗りをした彼?に一応礼儀として私も挨拶をするが、先生の表情は固く、あからさまに生徒と面識を持って欲しくない、そう書かれていた。
「さて、場も温まった事ですし、始めましょうか。」
「そう思っているのは貴様だけだ、黒服…。彼らの協力なしでは頓挫する可能性が高い。それ以上煽ってくれるな。」
”茶番はいい、進めろ。”
「ええ。では簡潔に。先ほど■■■■■■さんは生きている、そう伝えましたがこれは半分正解で半分不正解な情報です。」
”どういうことだ?”
「あなたもご存じの通り、彼女は一人であり、2人以上の複数体が集まって自我を形成している歪な魂を持っていました。」
「生命として理解できないが、二重人格と言う訳ではない、完全に独立した魂が共存し、生を得ている…これこそが神秘と恐怖という反発する崇高を持ちえた理由だ…。」
「そのうちの当時表層で自我を得ていた本来の■■■さんがどうやってかキヴォトスという世界が定めたルールを逸脱してしまい、認識できなくなりました。これは私の専門ではないのですが、同じ知見を持ちうる同好の士曰く
”テクスチャ…?何のことだ?”
「私も詳しくはありませんので正解かどうかは確定ではありませんが…テクスチャとはその名の通り”外側”。魂を覆い、視認し、”そうあるべき”と形をかたどった物。」
「…つまるところ、テクスチャの喪失により我々は彼女を視認することが出来なくなった。だが、魂そのものは依然健在だ。だが中身があっても、入れ物が無ければ移動も何もできない。」
”つまり肉体は無いが、魂があるから死んでいない、そう言いたいのか?それなら生きているのは半分正解という理屈は理解できないな。”
彼らの説明を受けて、最初こそ希望を持っていたがその難解さと価値観の違いから、私と先生は前のめりの姿勢を崩し、無駄に心地のいいソファーの背もたれに体を預ける。
なんだ?まるでわからない。肉体が無いのであればそれは死んでいるのと変わらないだろう。それとも彼らの死生観や宗教、価値観…なんでもいい、霊体だけの状態でも”魂がそこにあるから”という理由だけで生きていると表現するものなのだろうか?だとすれば全く話にならないね…。
「…恐らくですが貴方方は勘違いをしています。」
”勘違い?”
「■■■さんに限れば死亡という言葉の定義が曖昧になりますが、あくまでも彼女はテクスチャが剥がれただけ。生命活動的な意味での死亡とはかけ離れた状態にあります。」
”分かるように言ってほしい。”
「そうですね…。例えばですが先生、貴方は天使や悪魔を知っていますか?」
”物語的な意味でなら一般認識程度には。”
「では、彼ら彼女らを象る一般的な外見、逸話をなくした時に何が残るでしょうか。テクスチャとは対外的な”イメージ”であり、本質ではありません。先生に分かりやすく言うならばゲームのMOD、と言ったほうが伝わりやすいですかね?」
「その形を象る肉体の情報が失われているのが現状であり、失われたのであれば再度付与することも可能と言う訳だ…。」
”生命はそんな付けたり外したりできるものじゃない。頭がおかしいのか?”
「クックック…。それは先生、貴方の方です。」
”なんだと?”
「我々の知る外の世界や別の時空でならその理屈は大いに理解できるものです。ですがここは奇跡と神秘が詰まった世界。我々の常識など吹けば飛ぶような世界に”常識”とは何の意味があるのでしょう?」
”…………。”
難しい顔をする先生を前に心底楽しそうにくつくつと笑う黒服。
確かに常識とは人それぞれの固定概念であり、住む世界が違えば意味の無いものだ。それでも物理法則や絶対に覆らない物があるように、共通認識というものはあるだろう。それすらも異なるとなれば、本当に私たちキヴォトスの人間と先生のような外の人間では根本から違う生物だと突き付けられたようで、少しだけ胸の奥がチクリと痛む。
「そして半分生きている、といった理由はテクスチャの話に関係…は若干ありますがそれとは別にあります。」
”聞かせて欲しい。”
「……いますよ?今、この部屋に生きている彼女が。」
なんだと!?いるのか!?先ほどの黒服の言い方からして魂だけのテクスチャが剥がれた存在ではなく、視認できる存在が!
思ったことは先生と二人で同じだったようで、彼の言葉を受けて立ち上がり、周囲を忙しなく探す。
それでも多少高価なものはあれど、簡素で機能美を追求したこの部屋にはいくら小柄な生徒でも隠れるようなスペースはなく、また揶揄われただけかと思い視線を目の前の黒服に戻す。
しかし視線を戻した先で、またくつくつと笑っているのかと思えば、表情の読み取れない顔をしているくせにえらく真剣である様子が初対面である私にも理解できた。
「ここに。」
そう言って顔を向けた先を釣られて私達もその視線を追う。
するとそこにいたのは想像していた妹という人物ではなく、何故か端の方に出されたロールケーキを一生懸命啄む黒色のシマエナガがいた。
「すまない、黒服…君のいう事をそのまま飲み込むのなら、そこの幸せそうなシマエナガが私の妹という事になってしまうんだが…。」
「ええ。その認識で間違いありません。」
悲報、私の妹は人ですらなかった。
なんて冗談は置いておいて、アレが私の妹というのか。なにをどうやっても、はいそうですか、と飲み込める話ではないな。どうしたら二足歩行の私の妹が元気に飛び回る鳥類という話になるんだ。そこはせめて狐であってほしかった。
そんなある種達観して現実逃避に勤しんでいると、黒服は神妙な面持ちで説明を始めた。
「言いたいことは理解しています。ですがそこのシマエナガこそが■■■さん…より正確に言うのであれば花籠 沙華さんです。」
”どういうことだ…?”
「言葉通りの意味です。テクスチャの消失をしてしまったのが■■■■■■さんであり、同じテクスチャを借りていた彼女は弾き出されてしまった。その際に魂の強度や大きさから反映されたのでしょうか…このキヴォトスで生きるための”新たなテクスチャ”を得た。」
「…私としてもこの結果には驚愕させられた…。だがこれは紛れもない事実であると同時、人工天使である彼女の性質も幾何かは有している。」
私は信じられず、おいしそうにロールケーキを突くシマエナガを穴が開くのではないかという程に凝視する。
そんな視線に気が付いたのか、彼女?は突くのをやめ、軽い足取りでぴょんぴょんと机の上を移動し、私の前で止まるとピィピィと鳴いた。
―――ただ鳥が鳴いただけ。たったそれだけの行動に、私の胸の奥が熱くなるのを感じる。
何かを思い出したわけではない。それでも私の胸に去来するこの感情は、なんだ?
理解できずに私は戸惑う。言葉を発することも出来ずに、只々その場で。
そんな私を正面から黒く、大きな影が覆いかぶさると体を寄せられる。これは、先生か。
どうして?最初はそう思った。だが、先生の肩が濡れているのにしばらくして気が付いた。
その理由は考えるまでもなく明らかで、それによって私の目元はさらに熱くなり、収拾がつかなくなる。―――私はこの日、いつぶりかも思い出せない程に感情のコントロールが出来なくなっていた。
「……恥ずかしい所を見せたね。」
”いいんだ。セイアのそういった気持ちはとても大事なものだし、それを見せてくれたことは嬉しく思うよ。”
感情のコントロールを失って暫し。その胸を年甲斐もなく濡らしてしまった事、それを複数人に見られてしまった事に恥ずかしさを感じながら、可能な限り毅然とした態度で平静を装う。
そんな私を先生は普段と変わらない様子で受け入れてくれたようだが、それを眺める彼らは感情の機微には疎いようで、ただ空気を読んで黙っていた。それでもそんな配慮が今はただ少しだけ嬉しかった。
「…続けても?」
「…ああ、すまない。続けて欲しい。」
「クックック…では、続けます。現状シマエナガのテクスチャを取得している花籠 沙華さんですが、マエストロの言う通り、人工天使としての性質も引き継いでいます。これが今回の一つ目のカギになります。」
”カギ…?”
「はい、そうです。彼女はシマエナガとして在り方を世界に決められていますが、その中身は人工天使としてのテクスチャの欠片も保有していることになります。これを利用して、テクスチャを再構築、彼女たちの在り方をもう一度世界に問うのです。」
”何となく言いたいことは分かった。だけど今
「クックック…、せっかちはいけませんね、先生。それでは女性に嫌われてしまいますよ。…まぁ貴方の場合いらぬ世話かも知れませんがね…クックック…。」
”御託はいい。続きを。”
「クックック…。では続きを。二つ目のカギ…それは記憶です。それも深く、魂の繋がりともいえるほどの濃密な記憶。彼女の事をまったくの外部から補完する強度のあるフレームを作る必要があります。」
”それがセイアの協力が必要な理由か?”
「その通りです。彼女は唯一の家族であり、このキヴォトスにおいて最も近しい存在。ですがその記憶は穴があり、不完全な物。それではダメなのです。」
”私の記憶ではだめなのか。”
「ええ。ダメでしょうね。先ほどのテクスチャの話に戻りますが、これはキヴォトスの中でだけ適応される所謂ご当地ルール。我々は外から来た存在が故に、そのルールに適応されません。その為、■■■■■■さんの事を覚えている。故に干渉も出来ません。」
”だからこそのセイア、というわけか…。”
「はい。ですが残念なことに悠長に思い出す時間は然程ないでしょう。今こうしている間にも、花籠 沙華さんの中にある人工天使というデータの欠片は失われつつあります。」
”………!”
「…何を驚くことがある。シマエナガという小鳥に人工天使などという莫大な情報は元来不要で抱えきれるものでは無い。魂の分離というイレギュラーがあったからこそ一時的に保有しているだけにすぎず、それは世界の誤りとして修正される。当然のことだ。」
「だからこそ急ぐべきでしょう。…そのために少々過激ではありますが方法も用意してあります。」
”……その方法は?”
「―――ショック療法です。」