「これでサエカさんの復活準備が整いましたね。」
「…そうだな。だが”前提条件”がクリアしただけで、不確定要素も、道具も何も揃ってはいない。ここから先はシャーレの先生…そなたの手腕にかかっている。」
己の不甲斐なさに打ちひしがれ、床に蹲っているとそんな声が聞こえてきた。
一時停止のまま硬直したディスプレイに映る地獄を見て、知っていたとしても眉一つ動かす程の反応すら示さない大人たちに再び憎悪の炎を燃やしそうになるが、ピィピィと鳴く彼女の声を聞いてそれはお門違いであると負の感情を収めようとする。だが―――。
「君たちはッ…これを見て…知っても、何も…何も思うことはないのかッ!?なぜそんな平然としていられるんだッ!!」
怒りは己の中で消化しきることは難しく、あくまで平常心を崩さない彼らに言葉のナイフを向け真意を問う。しかしその問いに返ってきたのは子供と大人の決して超えられぬ壁であり、現実そのものだった。
「…これは異なことを問う。そなたは他の子供より学があり、芸術への造詣も深く、思慮深い…そう思っていたがやはり子供は子供であったということか…残念な事だ。」
「だから何だというんだ!自身は大人だというのなら、冷笑していないで説明の一つでもしてみたらどうなんだいッ!?」
「―――知っているからだ。」
「………は?」
「言葉の通りだ、予言の大天使よ…。世界は広い…世の中はこのキヴォトスだけではなく…無数に広がり、雄大であり…それこそ芸術と同じく美しく、終わりの無いものだ。」
「…その中で、そなたが憤るような理不尽が…不条理はこれだけではない。そなたたちが認知できないだけで、世の中というのは残酷なのだ。そなたの妹一人を特別視するわけにはいかない…それこそが誰に認知されることも無く命を散らした子らへの冒涜であると…未だ成熟していないそなたに分かるようになるまで、暫し時間のかかることかも知れんな…。」
「セイアさん、今こうして話している間に世界では何人の子供が亡くなっていると思いますか?確かにアナタにとって妹というのは大事でしょう。ですが大人というのは意味もなく傾注することは出来ません。無償の愛とは。いずれ増悪の原因になりうる呪い故に。」
「…そうかい。君たちに人の心を期待した私が愚かだったよ…。」
「勿論先生、貴方にも釘を刺しておきます。貴方自身の手が届く範囲でならいくらでも救うと良いでしょう。ですが如何に貴方でも限界は何れ来ます、その限界が…その両手から命がこぼれた瞬間、道を踏み外す。努忘れない事です。」
”忠告どうも。もし両手からこぼれるものがあるのなら、大きい器でも持ってくるとするさ。”
「それで…私の記憶が戻ることが前提条件なら…次はどうするんだい。」
先生という大人を見て勘違いしてしまっただけかもしれない。大人は優しく、正しく芯を持っている存在だと。結果は元々抱いていたイメージよりも醜悪で、分かり合えない存在だった。
それでも今は大切な…それこそ私の命よりも大事な妹のために、歯を食いしばってでも彼らに助力を請わねばならない立場故に、失意のどん底に居ながらも停滞だけは避けるために言葉を絞り出す。
「記憶があればセイアさん、貴女に固執する理由はありません。あくまで前提条件とはキヴォトスに生きる存在がテクスチャの影響を退け、情報を保持すること。そこは勘違いしないでいただきたい。」
「…君は嫌いだ。一々癪に障るね。」
「それも構わないでしょう、非常に残念なことに私は貴女方子供にはウケが悪い。…慣れていますとも。」
「…このままでは進まない…。勝手に話を進めさせてもらうぞ…。前提条件は満たされた。次はひねりは特になく純粋なものだ…原因を打倒する…それだけに他ならない。」
”原因…?”
「そうだ。元々あの人工天使は私の作品を打倒できず、制御不能な力を行使したが故の反動のようなものだ…。ならばその事実を無かった事にする…そなた達に分かりやすく言うのであればリベンジマッチ…私の作品を別の形で越えて見せてくれ!」
”アレを倒せだと?生徒ではまともに戦う事すらできないのに?それにそんな危ない目に生徒達を合わせるわけにはいかないな。”
「勘違いするな、シャーレの先生…。アレは確かに人工天使や何の防御も持たないそなたでは致命的なダメージを被るだろう…。だが、正しく崇高を持ちえる生徒ならば…その恐怖心をはねのけることが出来るのならば…!我が芸術を凌駕することも可能であろう!」
勿論弱い崇高ではその限りではないのだがな…。そう最後に付け足す事を忘れない。
それが本当であれば、私達に倒す術はあると…そういう事らしい。そこでふと一つ思い出す。
「仮にそれが本当だとしたら…先生。やはりあれの出番じゃないのかい?」
”アレ…?ああ…アレね…。”
先生に提案した”アレ”。ここに来る前にシャーレで半ば戯れに提案した知力も何も感じさせない単純明快な作戦。それは圧倒的な武力を集め、問答無用で薙ぎ払う戦争もかくやというごり押し戦法、アヴェンジャーズチームを結成するというもの。
無論それを指揮するのも招集するのも先生の人徳が大事になる。だがそこは問題ないように思う。
きっと彼は―――先生は誰も覚えていなかった生徒のために身を粉にして、助けようと一人でもがき続けることが出来る人だと、皆知っているから。
「クックック…何やら妙案がある様子…。戦闘に備えるのは当然ですが、逆に何も起こらないという可能性もあります。しかし
”くどい。最悪を想定しろという話なら聞き飽きた。”
「違います。ここでいう最悪とは全滅を意味することではありません。」
?最悪の事態というのは負けるという話ではないのか?それ以上の最悪となると、戦闘に挑んだ生徒のヘイローが割れる…そのような事態を私は想像するが、マエストロという大人の言い分では命に係わるダメージはそうそう発生しない。ならば最悪の事態というのはいったいどれほどの事態だというのだろう。
「私は以前、彼女のキヴォトスでの役割…我々がリソースを割き、積極的に協力を行った理由はお話ししました。その時の事を覚えていますでしょうか。」
”……好きな言葉ではないが、
「そのまさかです。彼女は爆弾…それも一個人が携帯できるようなものでは無く、先生…貴方の世界で言う戦略核兵器など比べ物にならない程のエネルギーを内包しています。」
”そんな物騒なものを使う予定があるとは、ほとほとお前たちの思想には呆れるばかりだ。”
「これも多くの幸せを守るための苦肉の策です。…話を戻しますと、現在の彼女は
余計に難しい問題になってきた。彼らの言い分ではアクションを起こし、失敗すれば私達の命だけでなく、キヴォトスそのものが消し飛ぶ可能性があるという事。かといって放置すればサエカは戻らず、不発弾という脅威だけが残る。
―――最悪、私の命は構わない。大切な家族のために、理不尽に虐げられた妹の為に命を賭すことが無いのであればいつ己を賭けることが出来るだろうか。しかし他の者は違う。他人の妹に、しかも名前も姿も知らない相手のためにそこまで賭けられるだろうか。
危険な事を黙っているというのは以ての外だ。如何に妹が大事であっても、他の生徒が全く大事ではないという事ではない。
自由にBet出来るのは私の命一つ。先生を危険にさらすことも許されない。
それなら背に腹は代えられない―――そう思い静かに席を立とうとした時、大きく、私達の手とはまるで違う少しごつごつとした手。それが私の肩に乗せられていた。
”…君の考えていることは分かる。その懸念も尤もだ。でもね、一つだけ言わせてほしいんだ。”
私の肩に手を置いたまま正面に回り込み、子供に言い聞かせる親の様に膝立ちになると、若干下から見上げる形になる先生が私を覗き込むように見つめてくる。
彼の視線は酷く真剣で信念の籠った瞳をしており、まさに私が信じた大人そのもの。そんな彼が空いたもう片方の肩にも手を乗せ、ただ一言だけ呟くように、それでいてハッキリと伝えてくる。
”信じて。”
たった一言。されど一言。サエカを探している折り、耳に穴が開くほど聞いたフレーズであり、そのたびに心を痛める結果となった自身にとって半ば呪いの言葉。
だが今度のそれは呪いなどではなく、私にとって祝福たるもの。そう信じさせてくれる何かが、彼の瞳には宿っていた。
「……そんなまっすぐ此方を見て言われたら…否定の言葉なんて出せるものじゃないよ…。あえて言葉をひねり出すなら…それは卑怯という奴さ。」
”はは、手厳しいね…。”
私の言葉に少しだけ苦笑いする彼は私の肩に手を置いたまま立ち上がり、ゲマトリアの二人に振り返りながら最後の言葉を交わす。
”さて、これ以上ここに居る理由もなくなった。サエカの救出方法はこちらで何とかする。それとマエストロ…お前の作品だか何だか知らないけど、私達に負けても文句は言うなよ。”
「…かまわない。寧ろ歓迎するところだ…アレは最早私の管理下にない…故に本来の力を発揮するであろう。それを超えてこそ浮かぶ美しさもまたあるだろうからな…。」
”いこうか、セイア。”
「……ああ。」
その後黒服は約束を反故にすることなく、私達をシャーレビルの近くまで送り届けてくれた。
スタミナのない私にとってはアビドス砂漠を歩いて帰る、なんてできれば避けたい事態にならなくて内心ホッとしている事は内緒だ。しかし肉体的には体力の余裕が出来たが精神的にはズタボロもいい所。どちらにしても今日はシャワーを浴びて休みたいという本音は変わりなかった。
ビルに戻ったらすぐに休もう、そう考えながら歩く。だが運命とやらはいつの時代も不測の事態をまとめてくるもの。この日もこのまま素直に休ませてなどくれなかった。
「…疲労とは充実も斯くやと思っていたのだけれどね、こうしてみると中々心身共に削られるものか。」
”ははは、確かに今日はちょっと疲れたかもね…今日はゆっくり休もうか。”
《そうですね、私もいい加減疲れました!ロールケーキを所望します!》
”なんだか懐かしいフレーズだね。でもセイアはナギサに沢山貰うでしょ?”
「ああ、そうだね。アレは偏愛というべきか依存というべきか理解に苦しむ…ん?今誰が喋ったんだい?」
”え?セイアが食べたいって言ったんじゃないの?”
「い、いや、私はあのような胃もたれのするものは好き好んで食べたりはしない…。」
足を止め、お互いに顔を向ける。まだ外であるため周りは暗く、その表情も街頭が照らすばかりではっきりとは見えないがどんな表情をしているのかは理解できる。そして同じ条件で私の表情も先生からははっきりと見えないだろうが、恐らく見つめ合う彼と同じ表情を私はしているのだろう。
困惑。どちらも先ほどの不可解な現象に浮かべた感情はまさにそれ。しかしそれは仕方がない事だ。薄暗いとはいえ周囲に人影はなく、また隠れる場所などない。私達しか会話の届く距離に人はいないにもかかわらず、自然と聞こえた声。
そんな理解不能な現象に先生は何か思いついたのか、突然コートの裏側やポケットをまさぐり、何かを探すようなしぐさを取るが、意外にも彼の思い至った原因ではなくもっと身近な場所に犯人はいた。
《私、私ですよ!ここです!》
唐突に聞こえてきたそれは私の頭頂部からであり、驚いて頭に手を伸ばすとその手に一羽のシマエナガが飛び移る。そのシマエナガの羽毛は黒一色であり、ゲマトリアの話を信じるのであれば花籠 沙華という人物。どうやら黒服に送ってもらう際に一緒に来ていたらしい彼女は私の頭の上を定位置として落ち着いていたようだ。
そんな彼女が先ほどまでのピイピイという鳥の鳴き声ではなく、明らかに人の言葉を叫び自己主張していた。
”キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!”
「き、君、喋れたのかい…!?」
《私ずっと喋ってましたよ!ようやく聞こえたようでちょっと安心している所です!》
掌でピイピイと鳴きながらも、人の言葉に聞こえるあまりにも不可解な現象を目の当たりにして腰を抜かしかけるが、分かりやすく発狂した先生を見て逆に冷静になる。あれだね、自分よりも怒り狂っている人を見たら逆に冷静になる、それと似た情緒だろうか。
《てっきり無視されてるかと思って不安だったんですからね!》
「これも私が記憶を取り戻したことによる発展…なのだろうね。」
《色々話す前に聞いていいです?私の身体はどうなってしまったんですか?記憶ではアリウスと戦っていたところまでしかないんですけど。》
「平然と鳥の身体になっているのを受け入れているのは流石だね。君は案外図太かったりするのかい?」
《いえいえ、最初は驚きましたけど、第二の人生だったり死者蘇生だったり、権能がどうとか崇高がどうとか…もうびっくり箱が多すぎて驚きもしませんね。強いて言えば不便です。》
”あまりそういったことに慣れて欲しくはないなぁ…。
《まぁまぁ。で、私はどうなってしまったんですか?詳細な情報プリーズですよ。》
”うーん、かくかくしかじかでね…。”
《なるほど。にゃるにゃる、ふたぐんですか。》
それはなんかよくない呪文な気がするね…。私の内なるフォックスセンサーが何となくマズいと告げている。
”あ、伝わった?便利だねこれ。”
《いいえ?適当に合わせただけで1mmも理解できません。》
”ですよねー。”
その後歩きながら彼女に事情を事細かく説明しながらシャーレへと帰路を辿る。意外だったのが黒服はある程度の意思疎通が取れるのを確認していたのにもかかわらず、彼女に一切の説明もしていなかったことだ。そのあたり律儀そうに見えたんだが、それをしなかった理由…。
いや、これに答えは無いだろう。何か理由があるのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。印象では礼儀正しく律儀に見えてもその実、という事もあるかもしれない。考えても仕方がない所にリソースを割くべきではないだろう。
シャーレへの帰路、姿形が変わってしまった彼の相棒と彼自身、何のかんので楽しそうにしていることに少しだけ胸のどこかががチクリ痛む。人通りが少ないわけでもないはずの道で、彼ら以外に音を立てる者がおらず、それはまるで私の幸福な結末は無いと世界を告げているような疎外感を感じた。これは存外に―――寂しいものだ。
「…罪と罰、か。これもまた私の償いなのだろうね。」
その嵐の前の静けさとでもいうべき静寂に、一人離れて溜息をつく。願わくば―――
side黒服
「願わくば、順調に行って欲しいものですね。」
3名を約束通り送り届け、ゲートが締まり切ったことを確認してから独り言をこぼす。その様子に同好の士とも言えるマエストロが意外そうな声を出す。
「…希望的観測とは、らしくない。ここまでは計画通りなのだろう…。」
「ええ。彼女達には悪いとは思いますが、仕方ありません。
「それこそらしくない…。必要な事であるのは理解している。……その上で言わせてもらおう。
「クックック…、もはやなり振りなど構っていられない、というだけですよ。―――数多の失敗を重ね、それでも辿り着いた先が賭けだなんて、己の拙劣さを恥じるばかりです。」
「…コレが明るみになればベアトリーチェも黙ってはいないぞ。」
「構いません。あちらも此方に秘密で何やらやっている様子…。デカルコマニーやゴルコンダの意向は気になりますが、
「…まさか世界の行く末を一人の少女に委ねるとはな…。」
「カードは全て揃いました。恐らくあちらではテクスチャに変化のあった花籠 沙華さんと情報共有している頃合いでしょう。ここから…ここからです。」
脳裏に微かにチラつくのは、自身がまだ人としての心を失っていなかった頃。自身の全てを費やし、救おうとしたが手の届かなかった彼女たちの幸せ。それを違う形で叶えることが出来るかもしれないという期待。
犠牲を一切許容しなかった事で得られなかったのであれば、逆に小さな犠牲は許容することで多数を幸せにすることを選んだ
これが鬼が出るか蛇が出るか一切予想のつかない現実に多少の高揚感を得る。私は正しかったのか、それとも今尚間違い続けているのか。そう己に問い続けるが、答えは出ていない。
いや、きっとこれには答えなどないのだろう。人の身では未来のことなど露ほども理解などできない。それが分かるのはきっと―――。
「期待していますよ…ええ、本当に。」
黒服は元先生ですがタイムリープなどの事はしていません。