《おはようございます。よく寝れましたか?》
「ん…ああ、君か。おはよう。よく眠れたよ。」
朝、仮眠室で支度を終え、シャーレの事務室に顔を出すと黒色のシマエナガが元気よくあいさつしてきた。見る人が見ればギョッとするかもしれないが、どうやら彼女の記憶がない物にはピィピィと鳥が囀っているようにしか聞こえず、会話をしていると驚かれるのはこちらの方であると分かったのはつい昨日の事だ。*1
そんな彼女が小さいながらも、その嘴で丁寧に書類の仕分けをしながら此方を気遣うが、私は軽く取り繕い、小さな嘘をつく。
本当であれば今すぐにでも妹を助けに行きたいという逸る気持ちでいっぱいであり、罪悪感に押しつぶされそうであるのだが、それを彼女の前で出すことは配慮に欠けるというもの。
魂だけを見れば目の前の彼女も私の妹であることに変わりはないのだが、本人がそれを否定している。何故彼女が妹と同じ色の魂を持っているのかはいまだ不明ではあるが、私の妹であると認識している。寧ろ妹が増えたような感覚で嬉しさ半分、悲しさ半分で複雑な心境というのが本音だ。
―――彼女からすれば迷惑な話かもしれないが。
《あ、もうこんな時間…。すいません、先生起こしてきますね。》
私が色々考えているうちに少々時間が経っていたようで、彼女は慣れ親しんだ身体かの様に羽ばたき、事務室を出て行く。気にせず通してしまったが、自然にその言葉が出てくるあたり、私が知らないだけでこれがいつものシャーレの光景なのかと先生のだらしなさに眉を顰める。
「どんな聖人君子といえど裏の顔はある…という奴だろうか。」
彼も激務の中少ない睡眠で頑張っているのだろうと思うと、少しだけ可哀想に思えた私は溜息をつきながらも一時的なシャーレの助手としての役目を全うするため食料を漁るが、出てくるのは調味料と簡単な保存食ばかり。ナギサが見たら朝の優雅な時間こそがのちの仕事効率が云々などと垂れ流しそうだが、無いものは無いので、もう一度溜息をつき下のコンビニで食パンと卵を買ってくることにした。
(私は何をやっているのだろうね…。)
幸いシャーレビルの館内店舗であるため、時間はそうかからなかった。そして買い物をしている間に先生も起こされたのか、丁度寝起きですと言わんばかりの顔で歩く先生を見かける。
「おはよう、先生。疲労で起きれないという気持ちは分からないでもないけどね、うら若き娘に世話をされる、というのもどうかと思うんだ。」
”おはよう、そして耳が痛いね…うちの相棒は鶏の様にけたたましく鳴くから次からはセイアに起こしてほしいなぁなんて…。”
《相棒だなんてそんな…って誰が鶏ですって!?耳が痛いってそれどっちの意味ですか!!》
「仲がいいのは結構な事だけどね。先に朝食を取らないかい?」
”ん?そうだね。たしか棚にカップラーメンが…。”
「…まさか君、そんな栄養も何もないような添加物の塊で済ませようだなんて考えてないだろうね?」
”う゛っ!”
《いつもなら私が用意していたんですけどねー…。》
「はぁ…。まぁそんな事だろうと思って下のコンビニでパンを買ってきたよ。とりあえずはこれで済ませよう。君は先に顔を洗ってくることだね。」
情けなさすぎる大人を前にまた溜息が出る。仮にも私はお嬢様であり、他人のために甲斐甲斐しく世話など焼く立場の生徒ではないのだが、これはこれで新鮮でいいのかもしれないと無理やり現状を飲み込む。というか飲み込まなければ現状、この二人は栄養が偏りすぎるか餓死するかの二択を迫られてしまう。
「前途多難だね…これは。」
こんな調子で私の妹は返ってくるのだろうか。今もYシャツのボタンを掛け間違っているこの大人を本当に信じていいのだろうか。不安しかない現実に最近最早癖になりつつある溜息がまた漏れるのだった。
「さて、先生、使える命は私だけだ。アヴェンジャーズ計画は難しくなってしまったし、どうしたものか。」
朝食を手早く平らげ、余韻に浸る間もなく本題を切り出す。それを先生はただ難しい顔をして唸るだけ。
正直私は強大な敵を打倒するだけならば正義実現委員会やミカなどを投入し、圧倒的物量で押しつぶせばよいと考えていた。必要であればゲヘナの風紀委員会の手も借りる事すら視野に入れて。
しかしその考えは危険性と特殊性ゆえに一蹴されてしまう。流石に命の危険がある戦場にただ青春を謳歌するだけの彼女たちを送るわけにはいかないのだ。
やはり私が一騎打ちで…などと現実的でない考えを巡らせている時、唸っていた先生がついに方針を出す。
”いや、骨組みはそのまま。少数精鋭で打倒しよう。”
「正気かい?危険なんだろう?」
”正気だよ。君たち生徒に怪我を負わせることはしない。それに人数をあまり多くできない理由もある。”
「君の考えを聞かせて欲しい。」
”うん。まずそもそもで敵…ヒエロニムスとサエカが消滅した場所はトリニティのカタコンベ…要は地下なんだ。その狭い場所に榴弾砲はおろか、大人数の動員はまずできない。”
「そんなところで…。」
”だから協力要請と別に有志を募ってみようかな。”
「ちなみに誰を呼ぶつもりだい?」
”うーん…生徒の善意を利用するようで悪いけど―――。”
◆
「あー!やっほ、先生!久しぶりー!」
「あれだけ仕事を増やされてもまだそんなに元気だとはね。君が今までどれほどサボタージュに興じてきたか理解できたよ。」
「うぐっ…わ、私にだって色々やることがあったんだよー!」
先生に言われるがまま付いていき、訪れたのはトリニティの牢屋。たった数日顔を会わせなかっただけだというのに、えらく久しぶりに感じてしまう部屋の主は記憶と変わらず、能天気に私達を歓迎していた。
”久しぶり、ミカ。調子はどうかな?”
「絶好調…って言いたいところなんだけどなんだかモヤモヤするんだよね。夢見が悪いというか。」
「ふむ…そうか。」
「何?セイアちゃん。言いたいことがあるならハッキリ言ってくれないと分からないよ?」
「…いつも通り、君の嫌う皮肉屋の私らしく言葉を選んでもいいのだけどね…今日は少し真面目な話をしに来たんだ。」
「およ、珍しい。こりゃ私の処分内容も決まっちゃったかな?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。未来とは本来知りえないもので、希望に胸を膨らませる者、絶望に頭を抱える者など様々だ。しかし、未来の一部を知りえてしまう私は未知に対してもはや心動かされるという事はなくなってしまった。」
「んん…?何が言いたいのか分からないよ?」
「ミカ、君は罪の一部を覚えていない。そうだね?」
「あー、この前行ってた記憶が云々の話?そうだねー自分が間違ったのは分かるんだけど、いまいち整合性が合わないというか。それと私の処分に何か関係あるの?」
「…君は己の罪を取り戻しに行く気はあるかい?」
私はこれから話すことを慎重に切り出そうと頭の中で様々な言葉を考える。
事は人一人の命では収まらない可能性のある危険な仕事。自身の身が可愛ければ決して首を縦には振らない常識を疑うような提案だ。
それを友人…過程はどうであれ善意で妹の捜索にも乗り出してくれた彼女を巻き込もうとしている。
確かにミカ自身、まったく関係のない話ではないし、重すぎる罰ではあるが今回の件を誘発させた罪として有無を言わせず徴用することは出来るだろう。
だが―――それで万が一人命が失われることがあれば。後戻りなどできない何かが失われることがあれば、大切な人をその危険の理解をしていながら背中を押したとあれば、私こそが真の魔女足りえるだろう。
だからもし彼女がこの提案を蹴ったとして…私が彼女に何かを言うつもりは無かった。しかし傲慢に善意をトッピングしてできたような彼女が私の提案を聞いて帰した言葉は、予想していた返しのどれでもなかった。
「何を言うかと思えば…。セイアちゃんさ、無理してるでしょ?」
「な…。どうしてそう思うんだい?」
「私達、そう長い付き合いじゃないけどさ。それでもわかることくらいあるよ。今の態度だって、子供が親に遠慮して頼み辛い事を言葉を尽くして頼もうとしてるみたいに見えるし。」
「そんなことは…。」
図星であった。私はどこか彼女の事を甘く見ていたのかもしれない。記憶を取り戻し、進むべき道を見据えている私とは違い、記憶を失いながら現状に混乱し、精神的に疲弊している筈の彼女はそれを噯にも出さず、私の一挙手一投足を見て心情までも言い当てて見せたのだ。
―――そうだ。そもそも彼女は普段の傲慢さと浅慮こそ目につくが、その根底にあるのは優しさ…善意なのだ。
であれば人を見る目など誰よりも優れていて当然の事。私に最初声をかけ来た時と同じように、彼女はしっかりと私を見ていたのだ。
「セイアちゃん、私ね?まどろっこしいのは好きじゃないんだ。私達…”友達”でしょ?だったらさ、遠慮なんてやめてよ。どんなことでも話してほしいの。」
「っ!……その結果、君が苦しむことになっても、かい?」
「さっき罪がどうのとか言ってたでしょ。ごめんなさいだけで済まされない事をしたなら、まず行動して報いる!何もしないでうじうじするのは性に合わないからね!」
「……君は…本当に馬鹿だな……。」
「えぇー!?なんで!?私結構いいこと言ったと思うんだけど!?」
私は少し間違えていたのかもしれないね。無償の愛とは、血の繋がりによって齎されるものだと思っていた。だが―――友達とは…嬉しいものだ。
「あれー!?セイアちゃん反応してくれなくなっちゃった!先生ー!セイアちゃんが無視するー!!」
”はは、きっと嬉しいからだよ。そっとしておこっか。”
「ぶーぶー!」
”それでね、ミカ。セイアの頼みというのは、私からのお願いでもあるんだ。」
「先生の?」
”そう。でもこれは「お願い」であって指示でも命令でもない。強制するものでは無いから断ってくれて構わない。”
「聞かせて。」
私がミカの顔を見られなくなってから、先生が代わりに話を引き継ぎ、説明を行う。
隠し立てなど一切ない情報の全開示。ここ、トリニティでは悪手もいい所だが、彼女はそれを悪用などしない。何故なら善意と馬鹿で出来ているから。
そして全てを聞いてミカが下した判断は―――。
「いいよ。」
”えっ?もっとよく考えて―――。”
「拒否する理由なんてないよ。友達が困ってる。それだけで十分だからね。それに―――。」
「私が償うべき罪も、そこにあるんでしょ?」
「…すまない。ありがとう…。」
「それに頭使うよりも、ムカつく相手ぶっ飛ばしてた方が性に合うし!ロールケーキばっかりじゃ太っちゃう!あ、今のナギちゃんには内緒ね?」
”ははは、ミカ、ありがとうね。さて、できればあと一人欲しいところだけど…。”
「あーうん。セイアちゃんも必須となると私だけじゃ巻き込んじゃうかも?」
「むっ…私だって心得くらいは…なんて言いたいところだけどね。今回は人命がかかっている。反論はないさ。」
私もある程度できると自負しているが、サエカが押しきれなかった相手だ。どれほどの戦力なのか想像もできない中、ミカという戦力の足を引っ張ることは避けたい。だが腕の立つ他の生徒にお願いをしようにも、前述の理由で難しい。かといって志願制にしても誰が手を貸してくれようか。
そこで頭を悩ませていると丁度よく扉が開く音が聞こえてきた。その扉を開けた相手は…。
「こんにちは、先生。そしてセイアさんも。」
”こんにちは、ナギサ。”
「久しぶりだね、ナギサ。ミカに追加のお仕事かい?」
「いいえ。ミカさんへの仕事は後ほど他の者がたっぷりと持ってきますので。」
「ええ…。」
「ではなく。用事があるのは私ではありません。」
そう言って一歩横にずれると、本来の来客者が室内に入ってきた。
「久しぶり、先生。」
”アズサ…?”
ナギサの後ろから現れたのは、良くも悪くもこの場の人間は全て縁のある生徒、白洲アズサだった。そんな彼女を見てミカが少しだけ悲しそうな雰囲気を滲ませるが、それすらも何故なのか理解できない。そんな彼女の感情の機微を正確に見抜けたのはこの場に何人いただろうか。
「トリニティに先生が来てるって噂を聞いて、私なりに頑張ってきたんだ。」
「別に止める理由もありませんので、次から手順を踏むことを忘れないでもらえるとありがたいですね…。」
”ははは、手順だなんて難しいこと言わず、アズサのお話ならいつでも聞くよ。”
「らしいので仕事を増やさないでいただけると…。いえ、私なりの贖罪として誠意を持って対応はさせていただきますが…。」
なにかあったらしい。
「先生…先生はこの空白の記憶を調べてるんでしょ?それなら私にも手伝わせてほしい。」
何か燃え尽きたような、諦めたような表情をするナギサをよそに、ただひたすらに目的だけを伝える。その表情はこの中で最も関わりの薄い私にも伝わるほどひどく真剣で、単に先生の手伝いをしたい、そういった気持ちから言っているのではないと分かる。しかしなぜ彼女が…?
”その気持ちは嬉しいよ。それじゃあアズサには情報収集を―――。”
「今度は、逃げないから。」
今この場において先生の必要とする手伝いとは、すなわち戦場へ立つこと。文字通り命を賭す可能性のある平穏に暮らす事の出来る者にとって縁のない行為。
その危険性を先生という立場上、許容したくない彼はやんわりと安全な手伝いを要請するが、彼女はそれを一蹴する。
そしてその短い言葉は、彼女もまた抗う者であり、不完全ながら戦場に立つ権利を有する証明になった。
”アズサは…思い出して…?”
「ううん。この気持ちが何なのかは分からない。でも、私の力不足で招いた事態なのは覚えてる。だから…もう一度私に立ち向かうチャンスが欲しい。」
”アズサは強いね…でもこれはアズサのせいなんかじゃないよ。”
「だとしても先生。私は恐怖に膝を屈した。それを克服できないと同じ状況になった時、私は大切なものを守れない。どんなに虚しい世界でも、決して無駄は無いと信じさせて欲しい!」
”…危険だよ。”
「大丈夫だ先生。私は様々な過酷な訓練を受けて来た。だからこの任務…成功させて見せる。」
”そっか…なら私はアズサを信じる。だからアズサも私を信じてくれる?”
「もちろん。」
”わかった。それじゃあアズサを一時的にシャーレの部隊に組み込むよ。ナギサ、アズサとミカを借りてくね。”
「アズサさんは分かりますが、ミカさんもですか…?」
「勿論私もさ。すまないね、ナギサ。君は仕事に専念していてくれ。」
「はぁー…。何をするかは知りませんが、シャーレの先生と権限はほぼないとはいえティーパーティーの二人が動くのです。バックアップくらいはさせていただきますね。」
この理解の追い付かない状況に、あまりにも深い諦観と悲哀の混じった溜息をつくナギサ。そんな彼女も私達の友人であり、根は善性そのもの。ミカと同じで何かを感じ取ったのだろう、細かい事はこちらでやるから悔いの無い様にと言外に伝えてくる。こうゆうのを阿吽の呼吸とでもいうのだろうか、私は随分と友人に恵まれているようだ。
「ありがとう、ナギサ。先生、どうかな?」
”うん。みんなの優しさが嬉しい限りだよ。”
「欲を言えばツルギの支援も欲しかったとこだが…私の我儘にこれ以上巻き込むわけにはいかないし、死ぬのは少ない方がいいだろう。」
「えっ、死―――?」
「もぉ~セイアちゃんってば、私じゃ不安って言いたいの?安心してよ、邪魔する奴はみんなぶっ飛ばしちゃうから☆」
「私も援護する。それに死の恐怖や拷問に対しての訓練はしてきた。だから安心して。」
「え、ちょっと先生、何をするつもりですか?ミカさん?セイアさん?説明を―――。」
「なに、ナギサ。深く考える必要などないよ…ちょっと門限を守らない子を指導しに行くだけさ。」
想像以上に事が大きそうだと理解して右往左往するナギサ。なに、気にする必要なんてないさ…全てが上手くいったとき、理解できるだろうしね。だから今は何も聞かず、ただいつものようにまた会えることを疑わず送り出してほしい。それも支えになるからね。
「うぅ…、また私は…何も教えてもらえないのですね…う、恨みますよミカさん…セイアさん…!」
「えぇ!?私もなの!?」
「何を言うんだい。私の話に乗っかった時点でミカ、君も共犯だよ。一緒に地獄に行こうじゃないか。」
「それちょっと笑えないからやめにしない??」
尚も恨み言を吐くナギサ。巻き込まれたと若干後悔するミカ。それを煽る形で棘を飛ばす私。
隅で巻き込まれないよう情報共有する先生とアズサ。それは今まで通りの日常であり、これからも望むもの。そんな何物にも代えがたい平凡は、先生が方針を打ち出すまで続くのだった。
サエカは空気を読んで黙ってます。どうせ喋ってもセイアと先生にしか聞き取れないので。
アズサは一人で呪いの一部をはねのけました。一部なのでサエカの記憶は不完全です。思い出したのはサオリとの一騎打ち、その後のヒエロニムスに戦意喪失まで。
またしても何も知らない桐藤ナギサさん(17歳)