バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

100 / 124
92話 ヴィランとは何か?

 

旧ヴィラン連合、ロシナンテの面々がアジトとして使用しているビルのすぐ隣には、天井が高く広大なスペースを持つ古い倉庫が隣接していた。

 

その場所は現在、彼らが自身の個性や技を磨くための訓練場として機能している。

 

裏社会に生きるヴィランという存在は、自身の能力を地道に鍛え上げるといった訓練を好まない。

彼らの多くは持って生まれた個性の圧倒的な出力や、相手が能力を知らないことを利用した初見殺しの暴力、あるいは実戦経験の中でのみ己を成長させていくのが定石である。

 

しかし、今のロシナンテは違う。

 

彼らはすでに林間合宿や神野区での事件を通して、警察やプロヒーローたちに誰がどのような個性を持っているかという手札の大部分を把握されてしまっている。

さらに先日のオーバーホールとの一件が証明したように、裏社会のパイを狙う他のヴィラン組織からも彼らは常に標的として狙われる立場にあるのだ。

大組織のように使い捨ての部下を持たず、少数の仲間たちだけでこの過酷な裏社会を生き残るためには、彼ら自身が手札の練度を極限まで高め、戦術を研ぎ澄ますしかない。

 

 

結果として、彼らはヴィランとしては極めて珍しい地道に技を鍛え上げる集団となっていた。

 

 

 

 

 

 

今日、薄暗い訓練場の中心で一人汗を流しているのはマスタードであった。

 

彼は学生服を脱ぎ捨て、動きやすい軽装で足を大きく開き、両手を顔の前に合わせて真っ直ぐに突き出した。

深く息を吸い込み、意識を極限まで集中させる。

 

 

「……ふっ!」

 

 

短く息を吐き出すと同時に、彼が合わせた両手の平の隙間から紫色の濃密な毒ガスが噴射される。

まるで高圧洗浄機から放たれる水流のように、凄まじい勢いで前方の一点へと射出された。

数メートル先のドラム缶を紫の霧が包み込む。

 

そして、マスタードが突き出していた両手を素早く左右に解いたその瞬間。

射出されていた毒ガスは空気に溶けるように一瞬にして霧散し、完全に姿を消した。

 

彼が現在行っているのは、ガスの指向性と濃度調整の特訓である。

 

マスタードの生み出す毒ガスは吸い込めば瞬時に意識を刈り取り、濃度によっては死に至らしめる。

対集団の制圧戦において、これほど凶悪で効率的な個性は他にない。

 

しかし少数精鋭で仲間と共に戦う上では、その広範囲に無差別に広がる性質が味方をも巻き込む致命的な弱点となってしまう。

 

 

彼は自身の個性の範囲を広げるのではなく、極限まで圧縮し、味方を避けて敵だけを狙い撃つ技術。

そして能力を解除した瞬間に、ガスが周囲に残留することなく瞬時に無害な濃度までにコントロールの特訓を繰り返していたのだ。

 

 

呼吸を整えたマスタードは次に自身のベルトに装着された小さなカプセルを手に取った。

それは彼がブローカーである義爛に注文したサポートアイテムである。

 

彼はそのカプセルを自身の後方——数メートル離れた床へ向けて強く投擲した。

カプセルが床に激突して砕け散ると、中に圧縮されていた彼自身のガスが小規模な紫の煙幕となって周囲に広がった。

 

マスタードの個性は、強力な毒ガスを生成してその気流を操ることができる。

ただし、あくまでガスの発生源は彼自身の肉体のみに限られている。

身体から遠く離れた空間に突如としてガスを発生させることはできない。

 

このサポートアイテムはその弱点を補うために、あらかじめ自身のガスをカプセルに封入して遠隔地で爆発させることを目的として製作したものだった。

 

 

「……失敗だな」

 

 

広がるガスを見つめながら、マスタードは忌々しそうに舌打ちをした。

確かに敵の背後や死角に投げ込めば、不意を突くことはできるだろう。

 

しかし、致命的な欠陥があった。

 

カプセルから発生したガスはマスタード自身の肉体から放出されたものではないため、このガスを動きを止めるためにわざわざ自身の身体から新たなガスを発生させ、そのカプセルのガスと物理的に繋げる必要があるのだ。

 

もし戦闘中、このカプセルのガスが風に流されて味方の方へ向かってしまった場合。

瞬時に止める手段がない以上、このアイテムは仲間の命を脅かす最悪の兵器へと変貌してしまう。

 

 

(自分の個性ながら……本当に凶悪だ)

 

 

自身の肉体に宿る紫色の影を見つめながら、彼は自嘲気味に息を吐いた。

人を殺傷するためだけに存在し、周囲の人間を無差別に巻き込む。

 

誰も幸せにしない、まさにヴィランと呼ぶにふさわしい忌まわしき個性。

 

 

「…………」

 

 

訓練場に漂う微かな毒の残り香を嗅ぎながら。

マスタードの意識は彼がこの裏の世界へと足を踏み入れることになった、あの絶望的な過去の記憶へと引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスタードがまだ申波真斗(さるは まさと)という名の中学三年生であった頃。

 

彼は県内でも有数の進学校で、ただひたすらに勉学に励む毎日を送っていた。

 

彼の母親はいわゆる教育熱心なスパルタママであった。

彼に幼い頃から長時間の勉強を強制し、テストの点数と偏差値だけが彼という人間の価値であるかのように厳しく管理し続けた。

 

申波にとって、息の詰まるようなその管理を鬱陶しいと感じることも多々あった。

しかし、彼自身も「良い成績をとってトップクラスのヒーロー科に入学し、いつかテレビで見るような人を救うかっこいいヒーローになる」という純粋な夢を抱いていた。

だからこそ彼はその重圧に耐え、机に向かい続けていたのだ。

 

しかしそんな彼には、学校で友人と呼べる存在が一人もいなかった。

 

理由は二つ。

一つは彼が成績優秀でありながらも、極度に引っ込み思案で、他者とのコミュニケーションを苦手としていたから。

 

そしてもう一つの最大の理由。

 

 

彼の持っている個性が、周囲の生徒たちから見て『ヴィランみたいで気味が悪い』と思われていたからである。

 

 

現代の中学校において生徒が日常生活で個性を使う機会などなく、そもそも未成年による個性の無断使用は法律で固く禁止されている。

しかしこの超人社会において、その法律は半ば形骸化している。

それどころか、生徒たちの間ではどのような個性を持っているかということが、スクールカーストや人間の価値そのものを判断するための最も重要なステータスとなっていた。

 

申波の個性は人を救うヒーローのイメージからは最も遠く、凶悪犯罪者を連想させるものとして周囲から強烈な偏見の目で見られていたのだ。

 

そんな彼を標的にし、執拗ないじめを始めたグループがいた。

彼らは申波よりも成績が劣る、素行不良の生徒たちであった。

 

彼らの動機はひどく単純で醜悪な嫉妬である。

 

自分たちの持っている個性の方が、毒ガスなんかよりも遥かにヒーローに向いているはずなのに。

なぜこんなヴィランみたいな個性を持った薄気味悪い奴が、自分たちよりも成績が上で、教師から優遇されているのか。

その事実が彼らの狭い自尊心を酷く傷つけたのだ。

 

いじめは日を追うごとにエスカレートしていった。

 

彼らは申波に対して個性を使った攻撃を行うことは決してなかった。

個性を使えば大事になり、教師や警察の介入を招くことを知っていたからだ。

彼らが用いたのは見えない場所での執拗な言葉の暴力と、純粋な殴る蹴るの物理的な暴力であった。

 

申波は自身の個性の危険性を誰よりも理解していた。

もしここで自分が反撃として毒ガスを少しでも噴き出せば、彼らを殺してしまうかもしれない。

だからこそ彼は顔を腫らし、腹を蹴られながらも、必死に歯を食いしばってその暴力に耐え続けた。

 

ヒーローたちは社会の平和を守るために街のパトロールを行っている。

 

しかし、会社や学校といった閉鎖空間の中で行われる悪意に対してはどうだろうか。

ヒーローが教室の中まで入ってきてくれることはない。

警察も明確な事件化されない限り、子供同士のいじめにすぐさま介入してはくれない。

 

そして何より、暴力と恐怖の環境に置かれ続けた人間は正常な判断力を失い、思考が極端に狭まっていく。

 

中学三年という受験を控えた最も重要な時期。

ここで警察沙汰などの問題を起こせば内申点に響き、自分のヒーローになるという夢が絶たれてしまうかもしれない。

その強迫観念が、申波を誰にも助けを求められない地獄へと縛り付けていた。

 

 

だが、人間の精神と肉体の忍耐には明確な限界がある。

 

 

ある日の放課後。

旧校舎の裏で、いつものように数人から激しい暴力を受けていた時。

腹部を強打され、呼吸が止まり、意識が白濁していく中で。

 

限界まで追い込まれ、膨らみきっていた申波の精神の風船が、ついに音を立てて破裂してしまった。

 

 

 

「……あ、アァァァァァァァァッ!!」

 

 

 

生存本能による無意識の防衛機制。

申波の肉体から彼自身も制御しきれないほどの全力の紫色の毒ガスが、爆発するように噴き出した。

 

それはあっという間に旧校舎の裏を覆い尽くし、彼を蹴りつけていたいじめっ子たちを飲み込んだだけでなく。

 

風に乗って広がり、近くの外の廊下を歩いていた全く無関係な生徒たちまでもその紫の絶望の中へと引きずり込んでしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

限界を超えたストレスと恐怖の果てに、無意識で噴き出した毒ガス。

それは旧校舎の裏で彼に暴力を振るっていたいじめっ子たちを意識不明の重体に陥らせただけでなく、偶然近くの廊下を通りかかった無関係な生徒たちをも巻き込み、一週間近く体調不良で寝込ませるという大惨事を引き起こした。

 

この事件を境に、申波真斗の人生は完全に崩壊した。

警察の取り調べを受け、保護観察処分となった彼は社会から明確に『ヴィラン』として扱われるようになったのだ。

 

 

「……あいつらに、毎日暴力を振るわれていたんです」

 

 

取り調べの密室で申波は必死に訴えた。

自分から危害を加えようとしたわけではない。

あれは命の危機を感じた上での、制御不能な事故だったのだと。

 

しかし、彼が長年いじめを受けていたという事実は、警察や教師たちの前でひどく都合のいいヴィランの虚言として片付けられてしまった。

 

 

なぜなら暴力を振るっていた生徒たちは、彼に対して個性を使った攻撃を一切行っていなかったからだ。

 

 

この超人社会における法的な定義はどこまでも残酷で、表層的であった。

 

いかに陰湿で凄惨な暴力を加えていようとも、個性を悪用していない以上、彼らは単なる素行不良の生徒に過ぎない。

そして彼らが意識不明の重体に陥ったという事実が、彼らを完全な被害者へと仕立て上げた。

逆にどのような経緯や防衛本能であれ、個性を使って他者に多大な危害を加えた申波は、社会のルールを破った明確な加害者として断罪されたのである。

 

仮にいじめの事実が客観的に証明されたとしても、結果は同じだっただろう。

彼らはヴィランとは呼ばれない。

 

 

 

ヴィランとは個性を使った犯罪行為を行った者だけを指す、社会からの烙印なのだから。

 

 

 

事件後、彼を待っていたのは家族からの完全な絶縁であった。

 

これまで彼のテストの点数だけを愛し、有名校への入学を強要していた母親は、彼がヴィランとして補導されたと知るや否や掌を返したように彼を激しく罵倒して家から追い出した。

 

近所の人間たちもヒソヒソと噂話を交わしながら口を揃えてこう言った。

 

 

 

「やっぱりね。あの子、昔から気味が悪かったもの」

 

 

 

それは申波という人間の性格や本質を知っての発言ではない。

ただ単に、彼の個性がヴィラン向きの毒ガスだったからという浅はかな偏見による同調圧力であった。

 

 

家を失い、学校を追放された申波は夜の公園や廃墟で野宿をして暮らすしかなくなった。

 

裏通りを歩けば社会の底辺で燻る本物のヴィランたちが、小柄な彼から金目のものをカツアゲしようと群がってきた。

しかし彼が自身の個性を解放すれば、そのようなチンピラどもに負けることは決してなかった。

紫色のガスを少し吸わせるだけで、彼らは泡を吹いて地に伏した。

 

 

 

 

 

 

そんな泥水のような生活を続けていたある日。

 

申波は都市の繁華街で、見覚えのある制服を着た高校生の集団を見かけた。

それは彼がかつて必死に勉強し、入学を夢見ていた県内トップクラスのヒーロー校の生徒たちであった。

 

申波は路地裏の影から彼らの顔を見て、自身の目を疑った。

 

 

 

楽しげに笑い合いながら歩くその集団の中心には、あの中学時代、彼に陰惨な暴力を振るい続けていたいじめっ子の主犯格の姿があったのだ。

 

 

 

後から裏社会の情報屋を通じて聞いた話では。

 

彼らは申波の毒ガスによって意識不明となり、正規の受験日に入学試験を受けることができなかった。

しかし、ヴィランによる痛ましい事件の被害者であるという事実を重く見たそのヒーロー校は、彼らに特例措置として別日での受験資格を与え、見事合格させたのだという。

ヒーロー校の寛大な心と学生の熱意が実った素晴らしい話である。

 

その話を聞いた瞬間、申波の胸の中で、何かが完全に冷え切って固まるのを感じた。

 

 

(……そうか。分かったよ)

 

 

彼は薄暗い路地裏の壁に背中を預け、空虚な笑いを漏らした。

自分が個性を使って防衛した時点で、社会のシステムは自分をヴィランとして処理した。

それがどのような理不尽な経緯であれ、結果がすべてだ。

自分は社会的な加害者であり、彼らは保護されるべき善良な被害者。

 

 

あんな他人の尊厳を平気で踏みにじるような薄汚い、学歴だけの馬鹿でも。

個性の使い方さえ間違えなければ、社会に守られ、ヒーローになることができる。

 

 

「……狂ってるよ、こんな社会」

 

 

申波はこの日。

自分が社会から完全に弾き出された異物であり、紛れもないヴィランであることを心の底から自覚し、受け入れたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

訓練場の冷たい床に座り込み、嫌な過去の記憶に浸ってぼーっとしていたマスタードの目の前に、不意に冷えたスポーツドリンクのペットボトルが差し出された。

 

顔を上げると、そこには肩にタオルをかけて汗を拭っている死柄木の顔があった。

どうやら彼も別室で自身の個性のトレーニングを行っていたらしい。

 

最近の死柄木はひどく身体の調子が良いようで、以前は自身の肉体にも負荷がかかるため使うのを嫌がっていた崩壊の個性を恐ろしい精度で使いこなせるようになっていた。

マスタード自身も敵組織との戦闘で、彼の蜘蛛の糸によって敵の攻撃から間一髪のところで逃がしてもらった恩がある。

 

 

「終わったらゲームやろうぜ」

 

 

死柄木はいつものように無造作にそう言い残し、スポーツドリンクをマスタードの膝に置いて背を向けた。

 

その何気ないあまりにも日常的な響き。

 

 

マスタードにとって、死柄木は自分が所属する組織のリーダーであると同時に、初めてできた友人であり、気の置けないゲーム仲間であった。

 

 

学生時代、母親の監視下で勉強ばかりを強制され、一度も触れることができなかったテレビゲーム。

個性への偏見といじめによって、ただの一人も作ることができなかった友人。

 

彼は社会から追放され、この裏社会の泥沼に流れ着いて、ようやく。

自分が心から求めていた当たり前の青春と、等身大の居場所を手に入れたのだ。

 

 

「……黒霧も、呼びます?」

 

 

マスタードは受け取った冷たいスポーツドリンクの表面についた水滴を指で拭いながら、死柄木の背中に向かって少しだけ口角を上げて問いかけた。

 

 

「ああ。あいつ、最近格闘ゲーのコンボ練習してるらしいからな。ボコボコにしてやる」

 

 

死柄木が振り返ることなく楽しげに答える。

 

 

 

マスタードは自身の掌を見つめた。

この手から生み出されるのは人を傷つける猛毒のガスだ。

社会から見れば自分たちは救いようのない悪党であり、排除されるべきヴィランに他ならない。

 

だが、それでいい。

 

彼らと一緒にいる時だけは、自分はヴィランという肩書きを捨て、ただの申波真斗という一人の少年に戻ることができるのだ。

 

 

この居心地の良い最高で最低の場所を守るためなら、自分の毒を極限まで鍛え上げ、どれほど手を血で染めることになっても構わない。

 

 

社会に居場所を持たない獣たちが寄り添い合う、ロシナンテという名の箱庭。

いつか必ず訪れるであろう破滅の足音から目を逸らしながら。

 

マスタードは冷たいスポーツドリンクを一気に飲み干し、仲間たちの待つアジトへ確かな足取りで歩みを進めていった。

 

 





この後のスマブラ大会は黒霧が最下位でした。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。