那歩島の強い陽射しと潮風が吹き抜ける高台の展望台に、難羽の姿があった。
彼は海を見下ろしながら、微かな哀愁を感じさせる真顔で佇んでいた。
ホークスとレディ・ナガンがプロヒーローとして聞き込みを行っている間、彼には身元を証明する手段がなく、宿を借りることもできずに野宿が確定していたからだ。
不意に背後から複数の視線を感じ、難羽は静かに振り返った。
展望台に続く長い階段を登って、二人の子供がこの高台にやってきたところだった。
小学校低学年くらいの年齢で顔立ちがよく似ている。
おそらく姉弟だろう。
この長閑な島で子供たちが遊べるような施設や場所は限られている。
この見晴らしの良い高台は彼らの日常的な遊び場でありテリトリーなのだ。
難羽は、自分が彼らの縄張りに侵入してきた完全な異物であることを理解した。
(……顔を見せれば警戒も解けるだろう)
難羽は極めて事務的な思考に基づき、ゆっくりとサングラスを外した。
彼は自身の顔立ちが、客観的な造形としてある程度整っていることを自覚している。
「目が怖い」とか「思想がヤバい」と周囲から言われることは多々あるが、口を開かずに静かに顔を晒していれば少なくとも子供を無闇に泣かせるような顔ではないと判断したのだ。
「……っ」
姉らしき少女は難羽の素顔を見た瞬間、さらに警戒を強めて自身の背中に弟を庇うように隠した。
(……なぜだ。そこまで凶悪か?)
難羽は内心で首を傾げた。
彼は気づいていないが、ここは過疎化が進む離島である。
島民の顔ぶれはほとんど固定されており、このような時期に革のジャケット姿の男が一人でポツンと高台にいること自体が異常な光景なのだ。
難羽の何百年もの経験に基づく思考は、現代の子供の見知らぬ大人に対する警戒心を解きほぐすほどの人間らしい柔軟性を持ち合わせてはいなかった。
何より彼の視線が鋭すぎた。
無理もない。
彼が今、目の前にいる姉弟──特に、背中に隠れようとしている弟の顔を見た瞬間、彼の脳のナノマシンが即座に一つの合致を知らせていたからだ。
(……
難羽の目が獲物を見つけた鷹のように細められる。
警察の保護下にも置かれていないこの島で、ヴィランの標的と遭遇できたことは彼にとって僥倖であった。
「おじさん、誰?」
姉である少女──
「おじさんじゃない、お爺さんと呼べ…………間違えた」
難羽はすぐにコホンとわざとらしく咳払いをして誤魔化した。
二十代の青年の姿でお爺さんを自称すれば、不審者度合いがさらに跳ね上がるだけだ。
「私は難羽輪太郎……世にも珍しい個性について研究している者だ」
難羽は嘘とも本当ともつかない、極めて胡散臭い素性を名乗った。
「こういった本土から離れた離島の環境では、都会では見られないような変わった個性を持った人間や一族がいると思ってな。私の研究データはプロヒーローの強化や、学生ヒーローへの戦術的アドバイスに使われたりしている」
確かに難羽は個性の本質について深く研究しており、ホークスのようなトップヒーローや雄英高校の生徒たちに対して、個性の使い方や戦術の指導を実際に行っている。
その意味では嘘はついていない。
しかしそんな研究のために、わざわざ身分も明かさずに離島をうろつくようなフィールドワークを行う研究者など、この日本には一人も存在しない。
だが、そんな胡散臭さ満載の名乗りに対し、姉の背中に隠れていた活真がビクッと肩を震わせて強く反応したのを難羽は見逃さなかった。
活真の個性は細胞を活性化させる治癒系である。
多くの子供たちがテレビで活躍するオールマイトのようなヒーローに憧れる現代の超人社会。
しかし、直接的な戦闘に向かないサポートに特化した個性を持つ子供たちは、どうすれば自分も悪者を倒すヒーローになれるのかという深刻な悩みを抱えることが多い。
難羽は純粋な子供の心を優しく包み込むような情緒的なコミュニケーションは決定的に苦手だ。
しかし老若男女問わずその心理的な隙を突き、言葉巧みに思考を誘導し、自身のペースに引きずり込む技術にかけては彼以上の手練れは存在しない。
「……どうやらお前も、自身の個性について何か悩みがあるようだな?」
難羽が核心を突くような低い声で問いかけながら、ゆっくりと一歩近づこうとした瞬間。
突如として、難羽の目の前の空間が歪み、体長数メートルはあろうかという巨大なカマキリが出現した。
人間の胴体など容易く両断できそうな鋭利な大鎌を振り上げ、威嚇するような羽音を鳴らすその姿は相対した者に本能的な死の恐怖——自らが捕食される獲物となったかのような錯覚を味わせるのに十分な迫力であった。
「……刃牙みたいだな」
難羽は目の前の巨大昆虫を全く意に介することなく、ただポツリと呟いた。
普通の人間であれば腰を抜かして逃げ出す光景だ。
しかし、難羽の脳内に構築されたナノマシンと眼球型カメラは、そのカマキリが質量を伴わない光と音で構成された単なる幻影であることを出現と同時に解析した。
そもそも、難羽は活真の姉である島乃真幌がホログラムの個性を持っていることを事前のデータベースから把握している。
「……幻影で私を脅そうとしても無駄だぞ」
難羽が全く動揺する素振りも見せずに、淡々とその事実を指摘した。
その難羽の冷静さと初見でホログラムの個性を見破ったという事実が、皮肉にも活真の中でこの人は本当に個性の研究者なんだという勘違いを決定的に加速させた。
「あのっ……!」
活真は姉の背中から飛び出し、難羽に向かって必死な声で問いかけた。
「僕の個性は、細胞活性っていうもので……傷を治すことしかできないんです……それでも、僕、ヒーローになれますか!?」
切実な藁にもすがるような少年の問い。
「なれる……むしろ、派手な攻撃系個性を持っている連中よりもよっぽどヒーロー向きだ」
難羽はサングラスをジャケットの胸ポケットにしまい、活真の目を真っ直ぐに見下ろして一切の迷いなく即答した。
その力強い断言に、活真の瞳にパァッと希望の光が点る。
難羽は二人の子供を展望台のベンチに座らせると、自身の懐から高性能なタブレット端末を取り出した。
そしてその画面に、子供向けに急造したプレゼンテーションの資料を表示させた。
『治癒系個性でヒーローになるには?』
画面にデカデカと表示されたそのタイトルを見せて、難羽は即席の青空教室を開講した。
難羽はまず、治癒系個性が世間一般で非常に珍しいと言われていることを説明する。
しかし、その説明に対し、活真と真幌は「知ってるよ、それくらい」と、少し自慢げに胸を張った。
活真の個性が希少であることは島の人々からもよく言われていたからだ。
だが、難羽はその得意げな二人を、冷酷なまでにバッサリと切り捨てた。
「違うな……実は、治癒系の個性自体はそれほど珍しいものではない」
「えっ……?」
驚愕の表情を浮かべる二人の子供に難羽は淡々と説明を続ける。
「お前たちの認識が間違っているわけではない。この超人社会において『治癒系個性は珍しい』というのは、まごうことなき常識の一つだ。しかし、これは単純な統計ではなく印象の話だ」
難羽はタブレットの画面をスワイプする。
「では、なぜ治癒系個性が珍しいと言われているのか……それは、医療の現場などで実用可能なレベルにまで到達している治癒系個性が少ないからだ」
二人はまだよく意味が分からず、首を傾げている。
難羽は彼らの理解度に合わせて、順を追って説明を始めた。
「個性というものは筋肉などの身体能力と同じだ。使い続ければ限界値が伸び、鍛えることが可能である。炎を出す個性なら、使い続ければより高温で広範囲の炎を出せるようになるし、肉体を硬化させる個性なら、より強固な装甲へと進化する」
難羽は活真の目を真っ直ぐに見て問いかけた。
「では、治癒系個性の場合はどうだろうか? もちろん、自身の持つ治癒の個性を何度も繰り返し使うことでしか、その力は鍛えられない」
難羽は少し意地悪な笑みを浮かべた。
「治癒系個性を鍛えるために絶対に必要なものとは、何だ?」
活真はうーんと悩んでいたが、横で聞いていた真幌がピンときたように顔を上げた。
彼女は以前、自分が転んで擦り傷を作った時に活真に個性で治してもらった経験があったからだ。
「……怪我人!」
元気いっぱいに答えた彼女に、難羽は拍手を送った。
「その通りだ……単なる攻撃系の個性ならば、山奥で岩や木を的にして攻撃を繰り返せば鍛えられる。概念系の個性なら、日常的に使い方を工夫して学べばいい」
難羽の声音が少しだけ真剣みを帯びる。
「しかし、治癒系個性はどうだ? 日常生活の中で、偶然大怪我をした人間と遭遇して応急処置をすることはあるかもしれない。家族のちょっとした擦り傷を治すこともあるだろう……しかし、個性を限界まで鍛えるという反復行為を行うためには、常に重傷を負った
倫理的に、個性の訓練のためにわざと人に怪我を負わせるわけにはいかない。
「治癒系個性の持ち主は自身の個性を意図的に鍛える機会に恵まれることが少なく、能力が成長しないまま終わる……結果的に、生まれながらにして強力な治癒の力を持っている一部の天才だけが世間に認知されるため、治癒系は珍しいと錯覚されている、というわけだ」
活真と真幌は目から鱗が落ちたような顔で難羽の説明に聞き入っている。
「そして、理由はこれだけじゃない」
難羽はさらに彼らの思考を一段階上へと引き上げるための質問を投げかけた。
「離島に住むお前たちでも、これくらいは想像がつくはずだ……『治癒系個性持ちの医者だけを集めた専門の巨大病院』なんてものを、これまでに聞いたことはあるか?」
二人は顔を見合わせ、首を傾げた。
「あれ? ……そういえば、聞いたことない」
確かに治癒系個性が珍しいとはいえ、全国を探せば一定数は存在するはずだ。
個性を使うだけで怪我や病気が一瞬で治るなら、彼らを集めた病院を作れば医療崩壊など起きず、社会は大助かりである。
では、なぜそのような施設が公的に存在しないのか。
「それは……
難羽は一つの例え話を始めた。
「ある日、病院でふらついている老人がいた。そこに、君のような細胞を活性化させて怪我を治す個性を持った少年がやってくる。少年は老人を心配し、良かれと思って自身の個性を老人に使った……老人は元気になり、少年に感謝して帰っていった」
「うん、うん!」
活真は自分なら絶対にそうすると、強く頷いた。
「しかし、その翌日……その老人は、突然亡くなった」
「な、なんで!?」
活真が悲鳴のような声を上げた。
自分と同じように、苦しんでいる人を助けようとしたはずなのに。
難羽はタブレットに人体の模式図を表示させ、冷徹に事実を突きつける。
「お前の個性は細胞を活性化させるものだ。簡単に言えば、肉体を構成する細胞の働きをパワーアップさせる個性だと言える」
難羽が画面をスライドさせると、模式図の一部が黒く変色した。
「……その老人は、重度の
活真は血の気が引いたような顔で息を呑んだ。
「このように、個性というものは人によってどのようなプロセスで結果をもたらしているのかが全く異なる……ただの傷を治すだけの個性かと思ったら、実は対象の寿命を前借りして無理やり塞いでいるだけの個性だった、とかな」
難羽の言葉は決して子供を怖がらせるための作り話ではない。
超人社会における個性の残酷な真実である。
「治癒系個性を使いこなすには、自身の力がどう作用しているのかという医学的な理解が必要不可欠だ……雄英高校のリカバリーガールという治癒の専門家ですら、あまりに大きな怪我の場合はあえて個性を使わない。対象の体力を過剰に消耗させ、逆に死に至らしめる危険性があるからだ」
難羽は静かに結論を口にした。
「治癒系個性は深い医学的理解と個性の本質への探求を前提としている……治癒系個性を使いこなすプロヒーローが圧倒的に少ないのは、その高すぎるハードルを乗り越えなければならないからだ……勿論、治癒系の個性持ちにも戦闘させるという馬鹿ルールがあるのも原因だが」
活真は解説を食い入るように真剣な眼差しで聞いていた。
島に住む大人たちが優しくかけてくれる「凄いね」「珍しいね」という曖昧で無責任な言葉とは違う。
目の前の怪しい男は決して子供扱いせず、厳しい現実とそこに至るためのプロセスを、ただ純粋な事実として教えてくれている。
それが活真の心に深く刺さったのだ。
「……そして、それらすべての過酷な前提を理解した上で。ヒーローになるために必要なこと」
難羽はタブレットを最後のスライドへと切り替えた。
そこに表示されたのはたった三つの項目である。
『一、自身の個性を理解し、いつ、誰に使うかを見極める判断力』
『二、ある程度の医療分野・解剖学の勉強を行うこと』
『三、一秒でも早く怪我人の元へたどり着くための、圧倒的な足の速さと体力を鍛えること』
「以上……私が研究から導き出した、治癒系個性持ちがヒーローになるための三項目だ」
難羽はタブレットの電源を落とし、二人の顔を見つめた。
図解を交えながら可能な限り分かりやすく説明したつもりだが、難羽の長い生涯の経験上、ここまで幼い子供に対して医学的リスクの講義を行うことなど数えるほどもない。
彼自身、この説明が子供たちに受け入れられるのか密かに妙な緊張感を感じていた。
しかし。
「……あのっ! 先生!!」
活真は難羽の講義に完全に心を奪われ、目を輝かせながら勢いよく手を挙げた。
「じゃあ、足が速くなるためには、どんな特訓をすればいいんですか!? 医療の勉強って、どんな本を読めばいいんですか!?」
次々と質問を投げかけてくる弟の熱中ぶりを見て。
姉の真幌は呆れたようにため息をつきながら、ちらりと難羽の顔を見た。
「……もう。暑いから、続きはうちの家でやりましょうよ……ねえ、お爺さん先生?」
難羽は表情こそ崩さなかったものの、内心で深い安堵の息を吐き出していた。
胡散臭い男に対する姉弟の警戒心は見事に解かれた。
難羽は図らずも子供たちの心を掌握し、野宿の危機を見事に回避することに成功したのである。
こんな感じで個性に疑問がある方なども感想欄でお書き下さい。
今作は個性に関して考察しているので大歓迎です。
小学生には難しすぎる?それはあれだよ、活真君たちがすごい賢かったんだよ。