『……ボス。例のヴィランたちがやってきました』
ホークスからの通信が難羽に届いたのは、太陽が南の海を最も高く照りつける正午過ぎのことだった。
「状況は」
難羽は高台の展望台のベンチに座ったまま、顔の向きを変えずに低く問い返した。
『本土とこの島を繋ぐ定期船の航路とは全く違うルートで、怪しげな小型船が島の港に向かっています……乗員は四名』
難羽は手袋を構成するナノマシンから極小のドローンを形成して射出し、上空からの映像を自身の脳内ナノマシンにリンクさせた。
映し出された小型船の甲板には確かに四人の人物の姿が確認できる。
その誰もが島の住人でも観光客でもない。
異質な服装に身を包み、不気味で好戦的な笑みを浮かべていた。
法的に彼らがヴィランであるという確証はまだ取れていない。
しかし、ヒーローとして公的機関に登録もされていない集団があんな格好で正規の航路を外れてこの小さな離島へと向かってきているという状況証拠だけで充分である。
実はヒーローではない一般人が許可を取らずヒーローやヴィランに似せたコスプレをするのは、現代では違法だ。
超常黎明期以前では警察のコスプレが禁止されていたのと同じである。
「警戒の度合いはどうだ」
『皆無ですね。完全にリラックスしています』
通信越しにホークスの呆れたような声が聞こえる。
『彼らは自分たちの行動が完全に先読みされ、この島にプロヒーローが待ち伏せしているなんて夢にも思っていないんでしょう……まるでピクニック気分だ』
「まあこの島にヒーローはいないからな……ナガン」
難羽はもう一人の部下へと通信のチャンネルを切り替えた。
『いつでもいけるよ、お爺様』
落ち着いた大人の女性の声が響く。
狙撃手レディ・ナガンである。
彼女は現在、島の港と海を見下ろせる絶好の狙撃ポイントである切り立った崖の上に身を潜め、自身の右腕を巨大なライフルへと変形させて、スコープの十字を小型船の甲板にいるヴィランたちにピタリと合わせている。
彼女の異常なまでの射程距離と精密さを考えれば、遮蔽物も逃げ場もない海上の船の上などただの固定標的に等しい。
「相手が水上から長距離攻撃を仕掛けてきた場合に備え、ホークスは上空で待機……船が射程に入り次第、無力化しろ」
『了解』
通信を切った難羽は自身の横に座っている二人の子供──島乃真幌と活真に視線を向けた。
難羽は昨日家に泊めてもらった際に、彼らにヴィランがやってくるという事実を包み隠さずすべて説明していた。
普通であれば、一般の子供を戦場に近しい場所に留め置くなど言語道断である。
しかしヴィランの狙いが活真の個性である以上、彼らがどこにいるか分からない状態のまま島内で戦闘を始めるよりも、難羽自身の近くに待機させて保護したほうが楽だ。
とはいえ、まだ変な人扱いではあった難羽を子供たちが簡単に信じるわけがない。
そこで難羽は二枚の豪華な色紙を二人に手渡していた。
『……これは、現在人気急上昇中のホークスと伝説の狙撃手レディ・ナガンの直筆サインだ……どうだ、本物だろう?』
二人はその本物のヒーローのサインを見た瞬間、目を丸くして歓声を上げた。
さらに難羽は島での聞き込みを一時中断させたホークスとナガンを密かにこの高台へと呼び出し、二人の子供と握手までさせてみせたのである。
ホークスはまだ年齢も若く新人として見られる部分もあるが、それでも圧倒的な人気を誇るトップヒーローだ。
そしてナガンは活動年数十五年を超える大ベテランであり、ヒーロービルボードチャートでも常に上位をキープしている実力者である。
そんな雲の上の存在である本物のプロヒーローたちが、「この人は私たちの先生なんだよ」と難羽を紹介したことで。
二人の子供の中で、難羽の評価は得体の知れない怪しい人から、少し目が怖いけど、すごいヒーローの先生へと、劇的なランクアップを果たしていたのである。
ただ難羽は誘拐犯の手口に思い切り引っかかっている二人を注意した。
「……始まったな」
難羽の呟きと同時。
遥か遠くの海上で、ナガンの放った不可視の凶弾が小型船の甲板にいたヴィランたちを正確に捉えた。
高台から見下ろす難羽たちの視界の先で、ヴィランのうち二人が何が起きたかも分からないまま悲鳴を上げて甲板に倒れ込むのが見えた。
「すごい……! さすが、ナガンさん!」
活真が双眼鏡越しにその光景を見て興奮した声を上げる。
難羽は倒れなかった残りの二人のヴィランに見ている。
一人は、とっさにエネルギーの盾のようなものを空間に生成して銃弾を防ぎ切っており、もう一人は、狼のような顔を持つ巨漢で、その強靭な肉体によって弾丸の衝撃を真正面から受け止めながらも、倒れることなく立ち上がっていたのだ。
(……ナガンの狙撃を耐えるか。厄介だな)
今回のナガンの銃弾はトゥワイスの協力を得てあえて複製してもらい、本来の殺傷能力を意図的に弱めた特殊な弾丸を使用している。
圧倒的な威力を持つナガンが全く警戒していない無防備なヴィランを本気で狙撃した場合、一撃で頭部を粉砕して殺害してしまう危険性があるからだ。
今回は彼らがどうやってオールフォーワンの力に連なる能力を手に入れたのかを聞き出すため、プロヒーローとして生け捕りにすることが至上命題であった。
「……ヒッ!」
難羽の横で双眼鏡を覗いていた活真が突如として息を呑み、恐怖に顔を引き攣らせて後ずさった。
「どうした、活真」
「い、今……あの船の上の人と、目が……!」
活真の言葉を聞いた瞬間、難羽の全身のセンサーが遠く離れた海上からの明確な殺意の指向を感知した。
肉眼では到底見えない距離。
にもかかわらず、相手はこちらの存在と位置を完全に把握して見据えている。
(……どうやら相手は、超広域の追跡か解析に特化した個性を持っているようだな)
犯人がこれまでに奪ってきた個性を考えれば、その追跡能力は途中でプロヒーローから奪ったものではなく、最初から主犯格の手元にあった個性の一つである可能性が高い。
奪う個性と見つける個性。
攻撃に特化した個性を集めていた犯人が持っていたシナジーのある個性。
(……ラグドールの『サーチ』の個性か)
かつて、林間合宿でヴィラン連合に拉致されたプロヒーロー・ラグドール。
彼女がオールフォーワンに奪われたその個性は、何百人もの人間の位置情報と弱点を完全に把握できる、解析・追跡の最上級能力である。
おそらく、
それがオリジナルかコピーかはともかく、今、相手のサーチの視界の中で、活真が自分の狙う個性を持った存在であることが完全に認識されたのだ。
「……来るぞ」
難羽が低く警告を発した、次の瞬間。
海上にいたはずのヴィランの背中側から人一人が吹き飛ぶような不自然な突風が発生し、その勢いのままこちらへ飛んできていた。
姿勢を直し、高台のコンクリートに重々しく着地したその男。
白い髪。背中から無数に突き刺さった、生命維持装置を思わせる不気味なシリンダー群。そして、口元を覆う紫色のマスク。
その異様な風体は、彼こそがこの一連の連続個性強奪事件の首謀者であり、オール・フォー・ワンの力と狂気に最も近い位置にいる男であることを如実に物語っていた。
恐怖のあまり腰を抜かしかけている活真と、彼を庇うように抱きしめる真幌。
難羽は震える二人を自身の背後へとゆっくりと下がらせながら、振り返ることなく自らの口元に人差し指を立てた。
「……内緒だぞ」
そう静かに伝えた難羽は子供たちから完全に視線を切り離し、前方へと向き直った。
両足を肩幅まで開き、右腕を斜め上へと真っ直ぐに伸ばす。
「……
静かに、絶対的な重みを持った掛け声と共に。
どこからともなく出現したベルトが難羽の腰に装着され、高台に吹き荒れていた潮風が突如として彼を中心に渦を巻き始めた。
激しく渦巻く風が彼の身体を包み込み、光と影が交錯する。
そして現れる。
漆黒の装甲に身を包み、淡く光る白い複眼を持った、絶対的な死と破壊の体現者。
「……仮面、アクター」
白髪のヴィランが、口元のマスクの奥で低くその名を呼んだ。
彼を改造したドクターによって、ナインはオールフォーワンを殺した仮面アクターについて事前に知らされていたようだった。
「俺はナインだ」
男は傲慢な声で宣言した。
「そこのガキが持つ個性を貰い受けにきた……どうやら、お前は俺の計画の邪魔をするつもりのようだが」
仮面アクターはそのナインの問いかけに対し、言葉で返事をすることはなかった。
代わりに右手を前方へ鋭く突き出し、左腕を腰の前に構える。
それは、かつて昭和の時代にテレビの中で正義を成したヒーローと同じ、ライダーファイトの構え。
一切の妥協なき、完全なる戦闘態勢への移行であった。
「……どけ」
ナインの指先から、貫くような鋭い高出力の光線が放たれた。
一直線に放たれた死の光。
仮面アクターはその光線を避けることすらせず、左腕の装甲で無造作に払いのけ、難なく弾き飛ばした。
そして光線が弾け飛んだ隙を突き、音を置き去りにする速度で踏み込み、ナインの顔面を正確に狙って右の拳を突き出す。
空気を叩き潰すような轟音。
しかし仮面アクターの拳はナインの顔面に届く直前で、彼が展開した六角形のエネルギーの壁に阻まれ、火花を散らして静止した。
攻防一体の盾。
先ほど、ナガンの銃弾を海上で防ぎ切ったあの個性である。
だが、自身の全力の一撃が防がれたというのに、仮面アクターの複眼に焦りの色は微塵もなかった。
『ジャンプ・ホッパー』
電子音声が高台に響き渡った瞬間。
仮面アクターの身体が視認不可能なほどの瞬間的な超加速によって、ナインの眼前から完全に消失した。
「な……ッ!?」
ナインが驚愕に目を見開く。
仮面アクターは空間を瞬間移動したかのような速度でナインの背後、完全な死角へと出現していた。
ナインが防御の壁を背後に展開しようと振り返るよりも早く。
仮面アクターの右足がナインの腰を真横から無慈悲に蹴り飛ばした。
「……裏ボス倒した後のストーリーボスみたいだな」
重機に激突されたかのような強烈な衝撃。
ナインの身体は高台のコンクリートを削りながら吹き飛び、そのまま眼下に広がる深い森の中へ木々を薙ぎ倒しながら墜落していった。
「……お前たちはそこにいろ。ナガンをここに呼ぶ」
仮面アクターは背後で腰を抜かしている二人の子供に短く告げると、脅威的なジャンプ力で自らも森の中へと跳躍し、ナインを追って姿を消した。
呆気に取られ、高台に立ちすくむしかない真幌と活真。
しかし、恐怖に震えていた活真の頭と瞳の奥には、彼を庇い、圧倒的な力で悪を蹴り飛ばした漆黒のヒーローの絶対的な背中が、決して消えることのない鮮烈な憧れとなって深く焼き付いていたのである。
森から少し離れた、草木も生えない荒涼とした岩場。
そこではナインの腹心である異形のヴィランと、若きトップヒーローによる死闘が繰り広げられていた。
狼の頭部に巨大な爬虫類の尾、そして分厚い鋼のような筋肉で構成された巨躯を持つ獣人ヴィラン、キメラ。
対するは、背中から生やした真紅の翼を操り、空を自在に舞うプロヒーロー、ホークスである。
ホークスの両手には、自身の鋭く硬質な剛翼を束ねて作り上げた長剣と場違いなほどに無骨で頑丈な灰色の紳士傘が握られていた。
二刀流の構えである。
キメラが剛腕を振るい、巨大な尾で岩盤を粉砕するたびに、ホークスはその圧倒的な速度と飛行能力を駆使して空中で軌道を捻り、すべての攻撃を紙一重で回避していく。
死角からの追撃に対しては難羽から支給された特殊な紳士傘を盾として展開し、その異常なまでの硬度で衝撃を完全に受け流していた。
しかし、戦況は決してホークスに有利に傾いているわけではなかった。
「……冗談みたいに硬いな、アンタ」
ホークスは空中で身を翻しながら、忌々しそうに呟いた。
彼の放つ剛翼の刃はキメラの肉体を確かに捉えている。しかし、複数の動物の特性を掛け合わせたそのヴィランの皮膚は、ホークスの速度と鋭さをもってしても表面に浅い切り傷を刻むことしかできず、致命傷には到底至らない。
「ちょこまかと逃げ回るだけの鳥野郎が。俺の皮膚は生半可な刃など通さない……いつまでその小賢しい速度が持つかな」
キメラが狼の顎から熱い呼気を吐き出しながら獰猛な笑みを浮かべた。
ホークスの攻撃は当たれど効かず、キメラの攻撃は当たらないが、もし一撃でも掠ればホークスの軽量な肉体は致命的なダメージを負う。
完全な持久戦の様相を呈していた。
だが、ホークスは突如として羽ばたきを止め、キメラの目の前、荒涼とした岩場の地面へと静かに降り立った。
「……なぜ飛ばない」
キメラは自身の射程圏内に自ら降りてきたホークスを警戒し、低く唸り声を上げた。
「空を飛び回り、その不快な速度で逃げに徹していれば、俺の攻撃はそう簡単には当てられない……地面に近く、逃げ場の少ない場所へとわざわざ降りてくるとは、自ら有利な状況を手放して死を望むか?」
キメラの指摘は極めて正しい。
だが、地面に降り立ったホークスは余裕の笑みを浮かべて肩をすくめた。
そして左手に持っていた灰色の紳士傘を、自身の背後の硬い岩盤へと深々と突き立てたのである。
「いやあ。俺は『速すぎる男』って世間から呼ばれてるし、自分でもそうありたいと思ってるんですがね」
ホークスは空いた左手で自身の首を軽く鳴らしながら、鋭い眼光をキメラへと向けた。
「サシでやり合うタイマンの場合は、ちょっと話が違うんですよ」
次の瞬間、ホークスの背中に折り畳まれていた剛翼が、視界を覆い尽くすほど大きく扇状に展開された。
そして彼の背中から無数の赤い羽が一斉に切り離され、空中へと乱舞するように吹き荒れた。
「数で押し切る気か……!」
周囲を包み込む無数の刃を前にキメラは腕を交差させ、自身の強靭な肉体をさらに硬直させて全方位からの斬撃に備えた。
しかしキメラの予想に反し、空中に散らばった赤い羽は彼に向かって飛んでこなかった。
それらは意志を持った群れのように空中で鋭く旋回すると、再びホークスの身体へと猛スピードで戻り始めたのである。
否、背中の元の位置に戻っていくのではない。
無数の赤い羽はホークスの両腕、両脚、首元、胸部、そして顔の輪郭を覆うように、彼の肉体の各部位へと隙間なく密集し、張り付いていくのだ。
「……なんだ、それは」
予想外の光景にキメラが怪訝な声を漏らす。
『……攻撃力不足? なぜその個性でそうなる』
いつかの訓練場。
難羽はホークスの戦い方を見て静かにそう指摘した。
『お前の剛翼はたった一枚で大人の人間を軽々と空中に持ち上げる……それが意味するところが分かるか。その数千枚の羽が持つ力をすべて合計すれば、本来ならば恐ろしいまでの物理的質量を誇るはずだ』
『そうなんですけどね。広範囲に羽を操作して人命救助に回す分、一点への純粋な威力が分散しちゃうんですよ』
『分散させなければいい。その羽が持つ力を、お前自身の肉体を包み込む外骨格として運用する』
難羽から提案された発想の転換。
ホークスの赤い羽は今、彼自身の肉体を幾重にも包み込み、疑似的な人工筋肉と分厚い装甲を形成していた。
そしてホークスは自身の背後の地面に突き立てていた灰色の紳士傘の柄に手を伸ばし、そこに仕込まれた特殊なスイッチを強く押し込んだ。
硬質な起動音が岩場に響き渡る。
それは雨を避けるための傘ではない。
サポートアイテムに使われる特殊素材コンデニウムを用いて設計した、変形型のサポートアイテムである。
分厚い灰色の布地と思われていた部分が幾重もの金属の装甲板となって展開し、柄の部分が長大に伸びていく。
数秒の変形プロセスを経てホークスの手に握られていたのは、中世の騎士が馬上の敵を叩き落とすために使用した、極めて無骨で巨大な
さらに、ホークスの腰から背中にかけて密集した赤い羽の集まりが、その巨大な突撃槍の柄の底面と物理的に連結する。
それはまるで、ホークスの背中から生えた巨大で強靭な爬虫類の尻尾のように、彼の重心の移動に合わせてゆらゆらと不気味に動き始めた。
そして突撃槍の内部に仕込まれたナノマシンが解放され、目に見えない微小な防護膜となってホークスの身体全体を包み込み、ヴィランの放つ高熱や炎に対する絶対的な耐性を付与していく。
そこにあるのは、もはや大空を華麗に舞う最速のヒーローの姿ではなかった。
ホークスは自身の最大の武器である、空を飛ぶための羽を完全に失った。
その点を見れば、これは退化と言える。
しかしその代償として彼が手に入れたのは、大地を力強く踏み締め、敵の装甲を粉砕するための、強大で純粋な太古の暴力であった。
全身を分厚い赤い羽の鱗で覆い、背中に長大な尾を引きずるその異様なシルエット。
それは空を舞う猛禽類などではない。
かつて地上を支配した恐怖の象徴。
獲物を骨の髄まで噛み砕き、圧倒的な力で君臨した最強の恐竜──ティラノサウルスを彷彿とさせる、あまりにも凶暴な姿であった。
「……さあ、第2ラウンドと行きましょうか」
赤い鱗と化した羽の隙間から、ホークスの鋭い瞳がキメラを射抜く。
最新の科学技術で復活した、最古の暴力を宿す捕食者。
今ここに圧倒的な耐久力を誇るヴィランと破壊の化身と化した若き英雄の、文字通りの肉弾戦が幕を開けたのである。
お暇があればぜひとも評価、お気に入りをお願いいたします。
作品制作の励みになります。
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