バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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ミリオ好きなのに活躍シーンが書けねぇ!


99話 章の終わりは大体病院に居る

 

病室で少女は夢を見ていた

 

暗く、冷たく、そして痛い。

 

それが、少女の知る世界のすべてだった。

 

窓のない部屋。

埃っぽい空気。

そして、定期的に訪れる分解と修復の激痛。

 

自分は人を呪うために生まれてきた存在なのだと、その言葉が呪いのように彼女の奥底にこびりついている。

 

自分の存在そのものが罪であり、病なのだと。

 

 

そして、あの日の路地裏で出会った二人の温もり。

 

 

不意にぶつかってしまった、緑色の髪の少年。

彼に抱きしめられた時の、あの力強く優しい腕の感触。

 

そして、隣にいた金髪の少年の明るくて真っ直ぐな瞳。

 

彼らは少女を助けようとしてくれた。

見ず知らずの、こんな呪われた自分のために。

 

 

「君を!! 絶対に助け出す!!!」

 

 

壁を突き破り、飛び込んできたのは赤いマントを翻したあの金髪の少年──ルミリオンだった。

 

少女は息を呑んだ。

 

どうして。

なぜ、こんな恐ろしい場所まで。

治崎の恐ろしさを知っているはずなのに。

 

ルミリオンは圧倒的な強さで治崎たちを追い詰めていく。

その背中は大きく、頼もしく、少女の目には文字通りヒーローとして映った。

 

彼なら、本当に自分をこの暗闇から連れ出してくれるかもしれない。

そんな淡い期待が胸に芽生えかけた瞬間。

 

銃声が響いた。

 

ルミリオンの体が大きく体勢を崩す。

 

彼を狙ったものではなかった。

治崎の部下が放ったその凶弾は、あろうことか少女へ向けて放たれていたのだ。

 

そして、ルミリオンは己の身を挺して少女を庇った。

 

 

「……っ!!」

 

 

ルミリオンの力が消えた。

治崎の作り出した「個性」を壊す弾丸──それは他でもない、少女自身の血と肉から作られた呪いそのものだった。

 

自分のせいで。

自分がいるから、こんなにも優しくて強い人が傷ついていく。

 

治崎の言う通りだ。

自分は人を壊すだけの存在なのだ。

 

轟音と共に、天井が崩落した。

 

土煙の中から現れたのは、緑色の雷光を纏った少年──デクだった。

路地裏で壊理を抱きしめてくれた、あの震える手を持つ優しい少年。

 

 

「今度こそ、君を絶対に離さない!!」

 

 

デクの叫びが、地下空間に響き渡る。

 

激しい戦闘が始まった。

デクと、彼を援護するもう一人のヒーロー、サー・ナイトアイ。

 

しかし、治崎は部下を取り込み、巨大で悍ましい異形の姿へと変貌を遂げた。

その圧倒的な力の前にナイトアイは倒れ、デクもまた窮地に立たされる。

 

 

『おまえのせいで人が死ぬんだ! おまえは人を壊すために生まれたんだ!』

 

 

治崎の声が、少女の心に冷たい刃のように突き刺さる。

 

そうだ、自分が戻ればいいのだ。

自分が戻れば、これ以上誰も死なない。

ルミリオンも、デクも、助かるかもしれない。

 

少女は立ち上がり、ゆっくりと治崎の方へ歩み寄ろうとした。

しかしデクは血を流しながらも、決して治崎から目を逸らさなかった。

ボロボロになった体で、それでも少女へ手を伸ばす。

 

 

「必ず……救ける!!」

 

 

その言葉が、少女の心臓を強く打ち抜いた。

 

 

眩しい。

青く澄み渡る空が、少女の目に飛び込んできた。

地下の冷たい闇とは違う、果てしなく広い世界。

 

しかしデクの背中で、少女の力は暴走を始めていた。「巻き戻す」力がデクの体を包み込む。

それは人の歴史を巻き戻し、滅ぼしかねない恐ろしい力だった。

 

 

「僕の身体を、君の力が巻き戻す! これなら、100パーセントを出せる!!」

 

 

デクは少女の力を逆手に取り、己の身体が壊れるそばから巻き戻すという荒業に出た。

 

それは、少女にとって初めての経験だった。

呪いだと思っていた力が誰かを壊すためではなく、誰かを助けるために使われている。

 

デクの背中から伝わる熱い生命力が壊理の力を受け止め、前へと進む推進力に変わっていく。

緑色の光と少女から放たれる黄金の光が混ざり合い、天空を駆ける。

 

デクは自身の盾を押し込むように足を添えて、渾身の蹴りを放つ。

星形のエネルギーを放ちながら落下していくその姿は、まるで流れ星だ。

 

 

 

「メテオバリンジャー────スマッシュッッッ!!!」

 

 

 

その蹴りが、ついに治崎の巨体を完全に粉砕した。

 

治崎が地に伏す。

長く続いた悪夢のような日々が、完全に終わりを告げたのだ。

 

 

「……勝った……」

 

 

空中で、デクの安堵の声が聞こえた。

 

しかし戦いが終わっても、少女の力は止まらなかった。

 

極限状態の中で引き出された力は、彼女自身にも制御できないほどに暴走していた。

デクの体を、今度は本当に消滅させてしまうかもしれない。

 

 

「壊理ちゃん、もういいんだ。もう、大丈夫だ」

 

 

デクは痛みを堪えながら、優しく壊理を落ち着かせようとする。

しかしどうすれば止められるのか、壊理自身にもわからなかった。

 

その時、黒い影が二人に近づいた。

 

 

「そこまでだ」

 

 

低く、落ち着いた声。

イレイザー・ヘッド──相澤消太の赤い瞳が少女を捉えた瞬間、暴走していた力が嘘のようにスッと消え去った。

光が収まる。

 

張り詰めていた糸が切れたように、少女の意識は急速に遠のいていった。

 

 

最後に感じたのは、自分をしっかりと抱きしめたまま倒れ込む、デクの温かい体の感触だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

微かな機械の音と消毒液の匂い。

 

ゆっくりと目を開けると、そこは一面の白い天井だった。

窓のない、あの暗くて冷たい部屋ではない。

眩しいほどの朝日が差し込む、暖かな部屋。

 

ふかふかの白いシーツに包まれ、自分の体にはいくつもの管が繋がれていた。

少し体がだるいが、あの恐ろしい分解の痛みはない。

 

ゆっくりと顔を横に向けると、ベッドの横の椅子には、白衣を着た見知らぬ男が座っていた。

 

ひどくくたびれたような顔である。

銀色の瞳の奥には、どこか底知れぬ昏いものが静かに宿っているように見えた。

 

 

「……お爺さん、誰?」

 

 

壊理は寝起きの掠れた声で、目の前に座る二十代の若い男に向かってそう問いかけた。

 

彼女自身、その言葉を口に出してから不思議に思った。

目の前にいるのは若い青年であり、白衣を着ているのだから、この病院のお医者さんのはずだ。

なぜ自分が彼をお爺さんと呼んだのか、自分でもよくわからなかった。

 

男はその言葉を聞いた瞬間、ハッとして自身の顔を大きな手で掴んだ。

そして、精神的な疲労を滲ませるように深く目元を揉みほぐすと、ぎこちない笑みを口元に浮かべた。

 

男は、懐から一つの小さな包みを取り出した。

どうやら彼女に贈り物があるようだ。

 

男が取り出したのは、不思議な形をした赤いカチューシャであった。

滑らかな半卵型と言えるような赤いパーツが、頭のラインにぴったりと合うように二つ取り付けられている。

 

男が無言のまま身を乗り出し、それを壊理の頭にゆっくりと装着する。

その冷徹な所作が、どこか治崎の雰囲気に似ているように感じて、壊理は一瞬だけビクッと体を震わせたが、抵抗することなくそれを受け入れた。

 

カチューシャが壊理の頭に触れた瞬間それはまるで意思を持っているかのように、ゆっくりと形を変え始めた。

赤いパーツから、頭の曲線に合わさるように前方へと赤いラインがスルスルと伸びていく。

そして壊理のおでこの左側で緻密な構造が組み上がり、小さな赤い角が形作られていった。

 

元から右側のおでこに生えていた壊理自身の角には、赤いラインが上から包み込むように形成され、左右で同じ長さの角が綺麗に揃う形となった。

 

男は、淡々とした口調で説明を始めた。

 

 

「お前のその巻き戻しの個性は、直接触れた生物にのみ絶大な効果を発揮する……逆に言えば、触れさえしなければ、その個性は外界に何の影響も及ぼさない」

 

 

男は手元のタブレット端末を操作し、カチューシャのシステムを常時発動モードへと切り替えた。

 

 

「……見ていろ」

 

 

男が、壊理の顔に触れようと手を伸ばす。

 

その手が壊理の肌に触れる直前。

赤いカチューシャの角の部分から半透明の赤い光の壁が展開され、男の手を物理的に弾き返した。

 

それはまるで、壊理を守る見えない絶対的な壁が他者の接触によって初めて姿を現したような、不思議な光景であった。

 

「お前が無意識に個性を発動しようと時、この装置がお前の脳に極度のリラックスを促す信号を送り、同時にこの赤い防護壁が形成される仕組みになっている……これで少なくとも、個性の暴走におびえる必要はなくなる」

 

男は白衣の裾を翻して立ち上がり、病室の扉へ向かって歩き出した。

そして部屋を出る直前で、一度だけ足を止めた。

 

彼は振り返ることなく、静かに感情を込めて言った。

 

 

「……正直に言えば、私はお前のその個性因子を、肉体から完全に取り除いてやりたい。個性は、あまりにも人の手に余る。呪いだ……だが、この時代にとってはその人間の個性(アイデンティティ)そのものだ……お前の場合、ようやく他者に受け入れてもらったばかりだしな」

 

 

男はそれだけを言い残し、足音もなく病室を去っていった。

 

 

 

その後の病院関係者の話では、そんな銀色の目の医者など誰も知らないし、そのような男が病室に入ったというセキュリティの記録も一切存在しなかった。

 

しかし壊理の頭には、確かにその赤いカチューシャが装着され続けている。

 

警察や病院の専門機関によって徹底的に解析されたそのカチューシャには、危険な爆発物や洗脳装置などは一切仕込まれていなかった。

壊理の個性因子を傷つけることなく、極めて安全に個性の暴走を抑制する機能だけが完璧に搭載されていた。

 

 

それは壊ではなく、理によって造られた、不器用な男からの贈り物であった。

 

 

─────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壊理の病室を後にした難羽は、人気のない白地の廊下を、革靴の音を響かせることなく静かに歩いていた。

 

 

彼がこの総合病院に足を運んだのには、壊理への贈り物を届けること以外にもう一つ、明確な目的があった。

 

その目的のために足を動かしていた難羽の携帯端末に、一つの着信が入った。

教師としての難羽が使っているものだ。

 

相手は雄英高校の教師、相澤であった。

 

難羽が離島でヴィランを解体している間に、本土の方でも大規模な突入作戦が実行され、凄惨な死闘が繰り広げられていた。

 

そして、その激戦の代償として。

雄英高校の三年生であり、次期No.1ヒーローに最も近いと嘱望されていた青年が、敵の凶弾によって自らの個性を完全に喪失するという、ヒーローにとっての死にも等しい悲劇的な結果を招いてしまったらしい。

 

 

『……難羽』

 

 

電話越しの相澤の声はひどく掠れ、僅かに震えていた。

常に合理性を重んじ、感情を顔に出さないあの男が、明確に動揺し、そして電話の向こうで深く頭を下げていることが電波を通して難羽にもはっきりと伝わってきた。

 

 

『お前の技術なら……あいつの個性を、助けることはできるか』

 

 

それは頼みというよりも、深い絶望の底からすがりつくような、血を吐くような祈りの言葉であった。

 

相澤自身、現代の医学において失われた個性を復活させる手段など存在しないことを熟知している。

だからこそ、相手がどのような手段を用いる得体の知れない男であろうと、教え子の未来を取り戻せる可能性があるのなら。

自身のプライドなどすべて捨てて頭を下げる覚悟だったのだろう。

 

しかし、その悲痛な祈りに対する難羽の返答は、あまりにも現実的だった。

 

 

「……そうだな、一ヶ月。長引いて一年ってところだな」

 

 

現実的な、治療にかかる日数についての返答。

 

電話の向こうで相澤が息を呑み、完全に硬直する気配が伝わってきた。

無理だという冷酷な返答か、あるいは何らかの莫大な代償を要求されるものとばかり思っていた相澤にとって、難羽の軽いトーンでの承諾は全く予想の範疇を超えていた。

 

だが、難羽は個性という概念の解析と治療に関して言えば、この世界で右に出る者のいない絶対的な専門家である。

 

絶句する相澤の反応を気にも留めず、まるで買い出しの注文を受けたように、難羽は通話を切った。

 

 

 

 

 

そして今、彼は相澤から指定された病室──通形ミリオが収容されている個室の前へと到着したのである。

 

ノックと共に病室の扉を開けると、ベッドの上で上半身を起こしていたミリオが、不意の来訪者に目を丸くしてこちらを見た。

 

ミリオの顔には明確な困惑が浮かんでいた。

 

今日の彼に担当医の検診の予定など入っていなかった。

治崎との死闘で負った物理的な外傷はすでにリカバリーガールや病院の治療によってあらかた塞がっており、肉体的なダメージはほとんど残っていない。

 

それにも関わらず、知らない若い医者が何の前触れもなく自分の病室に入ってきたのだ。

 

 

「……イレイザー・ヘッドからの依頼でやってきた。個性治療の研究と実務を行っている者だ」

 

 

難羽が白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、極めて事務的なトーンで自身の素性を名乗る。

 

その言葉を聞いた瞬間、ミリオの表情から困惑が消え、代わりに痛みを堪えるような、ひどく申し訳なさそうな色が顔全体に広がった。

 

ミリオは気付く。

自分が個性を失い、病室で笑ってみせたものの、恩師である相澤や周囲の大人たちにどれほどの心労と心配をかけてしまったのかを。

 

彼はすでに、壊理の巻き戻しの力が安定すれば、いつか自分の個性を元に戻してもらえるかもしれないという希望を相澤に語っていた。

 

しかし、相澤はそれだけでは足りず、彼のために方々の病院や、怪しげな個性治療の専門家と呼ばれる人間にまで頭を下げ、どうにか個性を治せないかと奔走してくれているのだと、そう勘違いしたのである。

実際には彼が思いつく最悪で可能性のある悪魔へ真っ先に連絡したのだが。

 

 

「……相澤先生が、わざわざ先生を呼んでくださったんですね。本当にご心配をおかけしてすみません」

 

 

難羽はそんなミリオのセンチメンタルな空気を完全に無視するように、真っ直ぐに彼の目を見て問いかけた。

 

 

「……ヒーロースーツは、まだ持っているか」

 

 

その唐突な質問にミリオは一瞬言葉を詰まらせた後、ゆっくりと視線を自身のベッドの脇へと落とした。

そこには四角い専用の収納ケースが置かれていた。

 

ミリオはそのケースを両手で大切に抱え上げ、自身の膝の上へと置いた。

そして金属の留め具を外し、静かに蓋を開ける。

 

ケースの中に収められていたのは、死穢八斎會との激闘の末、各所が引き裂かれ、ボロボロになった彼のヒーロースーツであった。

 

通形ミリオの個性『透過』は、発動すると身につけている衣服すらもすり抜けてしまい、全裸になってしまうという致命的な欠点があった。

それを補うため、このスーツは彼自身の髪の毛から培養した細胞を特殊な技術で編み込んで作られており、彼の個性の発動に完全に連動して透過する、世界でただ一つの特注品であった。

 

しかし、彼の肉体から透過の個性が完全に失われた今。

このスーツが再び彼と共に物体をすり抜け、ヒーローとしての活動を支えることは二度とない。

ただの彼自身の髪の毛で編まれた、丈夫な布切れへと成り下がってしまっていた。

 

 

「……俺は、個性を失いました。二度と、元に戻らないかもしれません」

 

 

ミリオはケースの中のボロボロのスーツを、両手で強く、震えるほどの力で握りしめた。

その言葉の響きには個性を失ったことへの壮絶な喪失感と、自身が背負ってしまった現実の重さが確かに滲み出ていた。

しかし、彼が顔を上げた時、その瞳には絶望の泥濘に沈み込むような暗い影は微塵も存在しなかった。

 

 

「それでも。……無個性になってしまったとしても、俺は、依然としてヒーローの『ルミリオン』なんです。サーが見てくれたあの未来のように、俺は絶対に、最高のヒーローになってみせますよ!」

 

 

少しだけ目が潤んでいた。

しかし、彼のその宣言に一欠片の嘘や覚悟の陰りはない。

彼は己の誇りと亡き恩師から託された未来を胸に、個性という絶対的な力を失った事実を真正面から受け入れ、それでもなお前へ進むことを選んだのだ。

どこまでも眩しく、尊い、真のヒーローとしての魂の叫び。

 

 

 

 

しかし、その熱気に満ちた魂の叫びを真正面から浴びた難羽はただひたすらに、心の底から困惑していた。

 

 

 

(……なんの話?)

 

 

 

難羽はスーツを今現在所持しているかどうかの事実確認を行っただけである。

 

「まだそのスーツを持っているのか。個性を失ったのに、諦めきれずに未練たらしく保管しているのか?」などという、相手の心情を抉るような問いかけをしたつもりは毛頭なかった。

 

熱く語り終え、清々しい表情を浮かべているミリオに対し、難羽は空気を木っ端微塵にぶった切るように、極めて平坦な声で言い放った。

 

 

「ああ、じゃあそれ。貰っていいか」

 

「……え?」

 

 

ミリオが間の抜けた声を漏らすのと同時に。

 

難羽はミリオのベッドの脇へと無遠慮に歩み寄り、彼が膝の上に抱えていたスーツケースの端をガシッと掴んだ。

こっちはこれから予定もあって急いでいるんだとばかりに、強引に持ち去ろうとした。

 

 

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 今の俺の話、聞いてました!?」

 

 

ミリオは慌ててケースの反対側を両手で掴み、必死に抵抗する。

 

 

「俺は個性がなくても、この誇りを胸にルミリオンとして生きていくって……!」

 

「お前をルミリオンに戻すために必要なんだよ。いいから早く寄越せ」

 

「ええっ!?」

 

 

静寂に包まれていた病室の中で、白衣の不審な医者と筋骨隆々の青年が、一つのスーツケースを挟んで無言のまま物理的な引っ張り合いを行うという極めてシュールな光景が展開された。

 

難羽にとってこの仕事は、相澤から頼まれたからやっているに過ぎない。

この後の大仕事と並行してやるだけの作業だ。

事の顛末や科学的根拠を丁寧に説明してやる義理も、時間的な余裕もない。

 

しかし、ミリオの鍛え上げられた腕力とケースを手放すまいとする強い意志を前に、難羽は小さくため息をついてケースから手を離した。

 

 

「……よく聞け」

 

 

難羽は白衣の襟を正した。

 

 

「お前の個性は、治崎が撃ち込んだ個性破壊弾という特殊な薬効によって、体内から個性因子が綺麗さっぱり消滅した……しかし、お前の肉体や骨格、神経系の構造自体に、物理的な変異や欠損が生じたわけではない。ここまではいいな?」

 

 

ミリオは突然始まった医学的な説明に面食らいながらも、ベッドの上に座り直してコクリと頷いた。

 

 

「この場合、再び能力を発現させるために必要なのは、失われたものと全く同じ個性因子を外部から取り入れることだ……なぜならお前の肉体は、透過の個性に適合するように形作られているからだ」

 

 

難羽はミリオにも分かりやすいように、一つの比喩を用いた。

 

 

「例えるならお前の今の体は、最高の肥料が撒かれ、水路が完璧に整備された農場だ。ただそこに植えるための種だけが、丸ごと失われている状態だ」

 

「う、うん……?」

 

 

ミリオの頭の中には、すでに聞きたいことが山ほど溢れかえっていた。

 

どうやってその種を作るのか。

それができるなら、なぜ世間では個性の喪失は不治の病とされているのか。

 

しかし難羽の有無を言わせぬ圧力の前に、彼はとりあえず質問を飲み込み、黙って続きを促した。

 

 

「失われた農場に、再び芽吹かせるための種が必要となる。で、本来であれば、その種を一から遺伝子培養で生成するために時間と手間がかかるわけだが」

 

 

難羽は真っ直ぐに指差した。

そこにあるのは、ミリオのスーツが入ったケースである。

 

 

「今回は最初からそこに存在している種を、そのまま使うことにした」

 

 

難羽が何を言わんとしているのか、ミリオの頭脳がその一つの答えに辿り着いた。

 

 

「お前の個性に連動するそのスーツは他の誰のものでもない、お前自身の細胞を培養して編み込まれたものだ……だからこそお前の発動する個性に反応し、透過することができる」

 

 

それはすなわち。

彼の肉体から個性因子が破壊され、完全に消滅した今であっても。

 

その肉体から切り離され、スーツという形で保存されていた過去の彼自身の細胞の中には、未だ破壊されることなく、純粋な透過の個性因子が手付かずのまま保存されているということを意味していた。

 

ミリオは息を呑み、ケースの中のスーツを見つめた。

 

自分に残された誇りの象徴だと思っていたスーツが、自分自身の未来を取り戻すための、文字通りの希望の種であったという事実。

彼は全身の産毛が総毛立つような戦慄を覚えた。

 

 

「そのスーツの繊維から個性因子を抽出して培養する。それを、お前の空っぽになった肉体へと再び移植し直す」

 

 

難羽は極めて単純な算数の答えを合わせるように、淡々とその後のプロセスを口にした。

 

 

「移植後、細胞が完全に定着してからのリハビリ期間を考慮して……それで大体、早ければ三週間。長引いたとしても、一ヶ月で完全復帰だ」

 

「…………え?」

 

 

ミリオがあまりにもあっさりとした、そしてあまりにも短すぎる奇跡完遂のタイムリミットを告げられ、思考を完全に停止させた、その隙を突いて。

 

 

「……貰っていくぞ」

 

 

難羽はミリオの手から抵抗なくスーツケースをかっさらい、脇に抱えた。

 

そして唖然とするミリオを病室に置き去りにしたまま、振り返ることもなく足早に病室の扉を開け、そのまま白地の廊下へと消えていった。

 

静まり返った病室の中。

窓から差し込む夕暮れの光に照らされながら、ミリオは呆気に取られ、ただ一人、ポツンとベッドの上に取り残されていた。

 





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