毎日投稿より日を開けたほうが評価されてる……。
ウ…ウソやろ、こ… こんなことが、こ… こんなことが許されていいのか!
101話 ストレスフル
泥花市にある、地方の穏やかな風景を残したとある町。
だが、その実態は完全に独立した要塞都市である。
この町に住む住民全員が異能解放軍に属する解放戦士であり、この町自体が異能解放軍本部である。
その街のビルの一室。
革張りソファに深く腰を沈める一人の男の前に、難羽は静かに座っていた。
難羽が単身、異能解放軍の本拠地へと足を運んだのには理由があった。
少し前、I・アイランドで談笑した際に伊口がこぼした些細な愚痴。
そこから発展した、異形型個性持ち専用の健康ランドの設立計画が持ち上がった。
その施設の充実を図る上で、爬虫類の鱗や獣人の体毛など、多種多様な異形の肉体に合わせた専用の洗浄料やスキンケア製品の開発ノウハウが必要不可欠である。
しかし、その異形型向け製品の開発とシェアにおいて、国内で他を寄せ付けない圧倒的なトップに君臨している企業。
それがデトネラット社であったのだ。
よりによって、裏社会に膨大な私兵を抱える違法組織のフロント企業である。
難羽は、彼らが異能解放軍であるという正体を完全に見破っているという事実を交渉のカードとして突きつけ、表向きはビジネスとして接触した。
実際の目的は、ロシナンテとして活動していた転弧がリデストロと接触した後、完全に行方をくらました原因を探る事だ。
難羽は彼が異能解放軍と接触したことを知り、彼の裏にいる殻木の行方を探るつもりだった。
だが。
難羽は目の前のソファに力なく沈み込んでいる男──リデストロの姿を見て、想像より自体は進行していることに気付いた。
そこにいたのは、表社会で辣腕を振るう温和で知的なカリスマ社長の姿ではない。
裏社会で十一万人以上の解放戦士たちを熱狂させ、絶対的な力で束ねる最高指導者の威厳ある顔でもない。
極度の恐怖と疲労に完全に蝕まれ、頬がこけ、眼窩が深く窪んだ初老の男の姿だった。
その顔には血の気が一切なく、実際の年齢よりもさらに十歳は老け込んでしまったかのように思わせる。
難羽は彼と対面してすぐに、その肉体に起きた致命的な欠落の理由を聞き出した。
個性の喪失。
異能の完全なる解放と自由を絶対の教義として掲げる組織のトップが、あろうことか自身の異能そのものを完全に失うという、悪夢のような皮肉。
通常であれば、組織の根幹を揺るがす最大の弱点を敵対組織の長に絶対に明かすはずがない。
しかし、難羽が指示通りたった一人でやってきたという誠実な行動。
リデストロが対面直前になって、難羽1人で来るように指示したからだ。
仮面アクターという暴力。
その気になれば、この街ごと解放軍を物理的に壊滅させることすら可能であるという、埋めがたい実力差の認識。
そして誰にも言えない絶望を吐き出して、少しでも楽になりたいという限界を超えた精神の悲鳴が彼に口を開かせたのだろう。
リデストロは自身が最も信頼する幹部たちにすら、この事実を打ち明けていない。
彼らには、「あの忌まわしい男に、個性を封じ込める未知のウイルスのようなものを打ち込まれた」と、苦し紛れの嘘を吐いて誤魔化している状態だった。
「…………」
顔を両手で覆ったまま微動だにしないリデストロ。
難羽は彼を見つめて思考を巡らせた。
個性『ストレス』。
自身が感じる恐怖、怒り、嫉妬、不安といったあらゆる負の感情を純粋なパワーへと変換し、肉体を巨大化させて放出する異能。
リデストロは、その力を永遠に失ったのだ。
単純な戦力の大幅な低下。
しかし、難羽は事態がそんな生易しいものではないことを見抜いていた。
リデストロにとって個性を失うということは、ストレスの解放先を失ったことを意味しているのだ。
難羽はかつてショッカーの幹部たちに語った。
個性というものは人間に不思議な力を与えるだけの付属物ではない。
その個性を効率的に運用できるよう、人間の肉体や脳の構造そのものを根底から最適化させていく。
ストレスを力に変える個性を持って生まれた
鈍感な人間であればこの力は不要であるが故に。
これまでは巨大な組織の長としての重圧や、自身の思想が世間に理解されない焦燥感、そして日常のあらゆる不満から膨大なストレスが溜まったとしても。
それを個性として巨大なパワーに変換し、物理的に放出することで彼は精神の均衡を保つことができていた。
だが、今の彼はストレスを溜めることしか出来ない。
ストレスの解消方法を
異能解放軍の動向を探る中で、難羽はリデストロの私生活についても監視と分析を行っていた。
そこで難羽が一つの異様な点として気付いていたこと。
四ツ橋力也という男には、個人の趣味というものが一切存在しないのだ。
普通の人間であれば。
運動をして汗を流す、読書の世界に浸る、映画を見る、あるいは友人と酒を飲む。
何かしら自分の好きなことに時間を使って心のストレスを解消する。
それが生きる上での精神防衛の手段だ。
防衛といっても人は無意識にその行動をとっている。
だが、彼は物心ついた時から異能解放軍の指導者としての教育を施された。
己の全存在を組織と大義のために捧げてきた彼には、自分のための時間を使うという概念が欠落している。
そして、彼にとってはその必要もなかった。
彼の体内に溜まった猛毒のようなストレスは、個性を使うという行為によって物理的に解消されていたからだ。
例えるなら排泄と全く同じ、生命維持のための絶対的な循環機能である。
しかし、その循環機能がある日崩壊したのだ。
彼の脳内では組織を率いる重圧や個性を失った絶望、そして些細な環境の変化に対する過剰なストレスが、逃げ場を失ったまま無限に生産、蓄積され続けている。
出口を失った黒い感情の奔流が彼の内側を焼き尽くし、精神をドロドロに溶かし始めているのだ。
自分自身の脳が作り出す猛毒に彼は苦しんでいた。
「……あれは、なんだ……」
リデストロが指の隙間から暗い瞳を覗かせた。
そして、悪夢にうなされるような掠れた声で難羽に問いかけた。
「私は、確かに死柄木弔という一人の青年と対面し、言葉を交わしていた。……だが、彼と握手をした瞬間に見えた、あれは……あの、内側から溢れ出してきた悍ましいものは、一体なんだ……」
リデストロの脳裏には、あの絶望的な記憶がこびりついている。
青年の姿をしていながら、その口の動きと全く噛み合わない、底知れぬ年月の重みと悪意を持った老人の笑い声。
器を内側から食い破ろうとする、巨大で真っ黒な化け物の気配。
「……オールフォーワンだ」
難羽は苦虫を噛み潰したような顔をして、その忌まわしい名を吐き捨てた。
難羽が個性因子に関する研究を進める中で辿り着いた、個性因子に定着した記憶と人格を利用した、別の肉体への人格の移動技術。
他者の個性を取り込む過程で、因子に宿る意志に気付いたのだろう。
魔王は難羽の思考の先を行き、すでに殻木の手を借りて自身の意志のコピーを死柄木弔──志村転弧の肉体へと移植し終えていたのだ。
神野区での死闘、殺害されるよりも前に、すべての布石を打ち終えていた。
そして、あえて転弧を自由にさせていた。
肉体の主導権を乗っ取るための最適なタイミングを、あの寄生虫はずっと内側で息を潜めて待ち続けていたのである。
転弧とリデストロが接触することはオールフォーワンにとって想定内、否、予定通りの出来事だ。
リデストロの個性を奪い取ることが目的だったということだ。
もし死柄木が単なるヴィランだったら、ここまでスムーズにリデストロと接触出来なかっただろう。
彼が自由に焦がれたが故に、その意志に共感するようにリデストロは誘われていた。
「……あの男は、神野で君が完全に殺したと聞いていたが……」
リデストロが震える声で事実の確認を求める。
「確かに、私はあの男の肉体を完全に消滅させた……だが魔王から寄生虫へと、転職を果たしていたようだな」
難羽は舌打ちをし、胸の奥の激しい苛立ちを吐き出すように、長いため息を吐き出した。
「……それで。お前はこれから、どうするつもりだ」
難羽はリデストロを見下ろし、現実的な問いを投げかけた。
リデストロは答えない。
いや、答えられない。
彼は目前の絶望から目を背け、問題を先送りにすることしかできていない。
しかし、異能解放軍の最高指導者が自身の異能を喪失したという事実は、遅かれ早かれ必ず露見する。
このまま問題を放置すれば、その反動は計り知れない。
力と象徴を失ったトップに対し、野心を持つ者や過激派が必ず反旗を翻す。
彼らの求める社会の先取りだ。
11万人を超える巨大組織は確実に分裂し、統制を失った解放戦士たちによる内部抗争と派閥争いが、日本中で同時多発的に勃発するだろう。
難羽からしても絶対に避けなければならない最悪の事態である。
社会の裏側に潜む
(無秩序に分裂したテロリスト集団の相手など、相手にしている余裕はない)
さらに厄介なことに、彼らの幹部連中だけを始末すれば済む話ではない。
日本全国に散らばる解放戦士たちを一人残らず警察に捕縛させることなど、物理的に不可能に近い。
明確な犯罪行為に及んでいない一般市民も多数紛れ込んでいるはずだ。
法治国家において犯罪を犯していない人間を裁くことはできない。
逆に、リデストロをはじめとする幹部の頭だけをすげ替える、あるいは捕まえるのも危険だ。
コントロールする人間を失った暴徒の群れが、不満と狂気を抱えたまま社会に散らばる。
それこそ国家が崩壊するが、難羽が彼らを皆殺しにするわけにもいかない。
11万の兵を穏便に管理し、社会に溶け込ませる。
それにはどうしてもリデストロという首輪が必要なのだ。
(やりたくない)
難羽は心中でひどくうんざりとした、吐き捨てるようなため息をついた。
彼の心情とは裏腹に、彼の脳が最短の手段を思いつかせたからだ。
だが、その手段は悪魔的な碌でもないものであった。
難羽は、リデストロがなぜこの巨大な違法組織のトップという立場に収まることになったのか、その歴史的背景と、彼個人の血の呪縛を知り尽くしている。
だからこそ、難羽には彼の心の奥底にある、本当の望みが分かってしまう。
難羽は深く目を閉じ、自身の中に残っていた僅かな躊躇いを完全に切り捨てた。
そして仮面を被る。
マスクとしてではなく、ペルソナ的な精神の仮面を。
悪を粉砕する仮面アクターとしての顔でなく。
秘密結社ショッカー首領としての、支配者の顔でなく。
超常黎明期という狂気の時代。
その始まりと終わりをこの目で見届けた過去の遺物として。
一人の男の、この世界で唯一の『理解者』としての顔で
ある。
「……私は、お前を知っている」
難羽はソファに深く腰掛けたまま、静かに告げた。
「……私を知っている、だと……?」
リデストロが顔を覆っていた手を下ろし、虚ろな目を僅かに見開いて問い返す。
「どういう意味だ。初めて会った男が、私の何を……」
難羽は言葉で答える代わりに、ゆっくりと右手を持ち上げた。
そして自身の額の中央に親指を当て、人差し指を天に向かって真っ直ぐに突き立てた。
「な……っ!」
その奇妙なハンドサインを見た瞬間。
リデストロの虚ろだった瞳孔が収縮した。
それは異能解放軍の教義の根幹であり、彼らが神の如く信奉する初代指導者──四ツ橋力也の実の父親が定めた印であった。
仲間以外に見せたことのない同士のサインである。
「私は……デストロ本人に会ったことがある」
時を超えた男の告白が、静まり返った部屋を支配した。