まだ個性が「異能」と呼ばれ、法も秩序も崩壊し、圧倒的な力と恐怖だけが世界を支配していた超常黎明期。
その混沌とした時代において、「異能の自由行使は人間として当然の権利である」と声高に謳った解放主義者たちによって結成された巨大組織が、異能解放軍であった。
そして現在ではヒーロー公安委員会から明確に敵として分類され、社会の裏側で蠢く反乱分子となっている。
その異能解放軍の初代指導者、デストロこと
彼は超人社会の歴史において個性の母と呼ばれる女性の、実の息子であった。
異能はアイデンティティであり人間の個性の範疇であると、血を吐くように叫んだ彼女。
だがあの時代において彼女の主張は冷酷な嘲笑と迫害の対象でしかなく、最終的に彼女は異能排斥派の手によって無惨に殺害され、その生涯を終えた。
しかし時代が流れ、法と秩序を備えた新たな超人社会を築き上げようとする者たちが現れた。
そこで女の遺した「個性」という言葉と悲劇の死は、大衆を先導するためのスローガンとしてあまりにもうってつけであった。
権力者たちは彼女を都合よく祀り上げ、時代を変えた聖女へと作り変えたのだ。
だが、それは遺された息子の彼にとって、どれほど腸の煮えくり返るような屈辱であっただろうか。
母が命を懸けて血を吐くようにして絞り出した言葉は、国を束ねるための薄っぺらいプロパガンダとして悪用され、消費された。
若き主税の目にはそのように映ったのだ。
主税は母の死と社会への激しい怒りを原動力とし、思想を同じくする異能解放主義者たちを纏め上げ、異能解放軍を結成した。
現在を壊す者・デストロと名乗り、自らを解放戦士と称する構成員たちと共に、政府の弾圧に対して聖戦と称した大規模な武力蜂起を仕掛けたのである。
異能解放軍は数年に渡って政府軍や初期のヒーローたちを相手に激しく抵抗し、凄惨な血を流し続けた。
しかし結局は物量と組織力で勝る政府の前に敗北。
デストロと多くの構成員は逮捕され、解放軍は一度解体された。
デストロは獄中で自らの思想の正当性を後世に訴えるべく、自伝である異能解放戦線を執筆。
それを密かに世間へと出版し終えた後、獄中で自決した。
「……ここまでは、リデストロ。いや、
難羽はソファに沈み込む四ツ橋を見下ろしながら、極めて冷徹な声で語りかけた。
「だがな。あの超常黎明期を生きた者にしか分からない、真実というものもある」
現代において、デストロの自伝異能解放戦線を読んだ人間の多くはその内容を鼻で笑い、嘲笑する。
どこまで行ってもテロリストの戯言であり、自由の皮を被った無秩序を望んでいるだけではないかと。
能力の自由行使による創造性豊かで人道的な社会を謳ってはいるが、実際には個性の優劣がすべてのカーストを決める、野蛮な弱肉強食の社会に逆戻りするだけだと。
実際、現在本屋で十万部を突破したと豪語されている異能解放戦線に対し、異能解放軍の構成員は
これは単純に計算して、組織に属している人間しかこの本を買ってすらいないということを意味している。
いや、幹部や熱心な信者が布教用として一人で複数冊買い込んでいる実態を考えれば、純粋な一般読者はさらに少ないだろう。
「そして、ここからが重要だ……現在出版され、お前たちが教義として信奉しているその異能解放戦線。時代の波に合わせて、現代で出版されているものは過激な表現がいくつか変更されている」
難羽の瞳が鋭く光を放つ。
「が。実際には、初版が出版される前の段階。既に内容の改ざんは行われている」
「……な、何を……」
四ツ橋が虚ろな目を僅かに見開き、掠れた声を漏らした。
「これは少し考えれば当たり前のことだ。獄中にいる大罪人のテロリストが書いた原稿が検閲も受けずにそのまま、読者のもとへ都合よく届くなどと本気で思っているのか?」
難羽は現実を突きつける。
「だがやはり問題なのは、その検閲されて変更された部分だ。そこがデストロの思想の根幹に関わる最も重要な部分だったということだ……彼はなぜ、異能解放軍という巨大な武力組織を作り上げたうえで、最初から破綻が見えているような無秩序な社会を望むような真似をしたのか?」
難羽は言葉を切る。
そして時を超えた真実を、静寂の密室に投下した。
「結論から言えば、デストロは新たな社会の創造そのものを目指していなかった。彼が純粋に望んだのは、人間としての真の自由だ。そして異能の力の行使。それはその自由を獲得し、守り抜くために絶対に手放してはならない自衛の手段なのだという、切実な主張だ」
超常黎明期の混沌から、現在のような表面上平和な超人社会を作り上げる過程において。
一般人には絶対に隠されている、極めて黒く巨大な要素が存在する。
それはヒーロー公安委員会の存在である。
彼らはこの超人社会が法整備され安定化した後であっても。
犯罪を行うヒーローやヴィランと裏で繋がりのある腐敗したヒーローの存在が世間に露見し、社会のシステムに泥を塗ることを恐れた。
それを防ぐため、暗殺による完全な隠蔽・排除は彼らにとっての当たり前の選択だった。
それは超常黎明期。
彼らが国を束ねるために行ってきた、血生臭い強権的手法の名残に他ならない。
彼らは政敵、自分たちに歯向かう指導者、超人社会というシステムを築き上げる上で邪魔になる存在を大義という名の下に裏で狩り続けた。
無論、彼ら公安の人間からすればそれは必要悪だった。
国を一つにまとめ上げ、多数の一般市民の平和を守る。
そのための尊い犠牲だったと考えている。
事実、現代においてその治安維持の恩恵を受け、平和に暮らしている一般人は数多く存在する。
「しかし……そんな力と恐怖によって社会を築き上げようとした国の姿は、当時のデストロの目にはどう映ったか?」
難羽の問いかけに四ツ橋の呼吸が浅くなる。
「……巨大な檻だ。人間から異能という抵抗の牙すら奪い取り、二度と逆らうことのできないようにするような」
現代の価値観から見れば、デストロはただ法と秩序を破壊するだけの狂ったテロリストでしかない。
しかし彼が破壊しようとしたその『秩序』は、本当に信頼に足るものだったのか?
『我々の言う通りにしろ。従わなければ、裏から銃を突きつけて静かに殺す』
そんな公安の論理で作られた恐怖を前提とした秩序に、彼が唯々諾々と従えるはずがなかった。
「彼が声高に掲げた異能の解放とは。力のある者が弱い者を蹂躙する、弱肉強食の世界を作ることではなかった……そういった国家という絶対的な暴力と怪物に抗うため、市民から自衛の手段、つまり異能を奪うなという、基本的人権を求める主張だったということだ」
難羽は分かりやすい例えを口にした。
「究極的に言えば。銃社会の国において強盗や暴君から身を守るため、自衛のために銃を保持する権利を彼は主張したわけだ。力なき市民の最後の牙としてな」
「…………」
四ツ橋の瞳が激しく揺れ動く。
彼が半世紀以上信じ続けてきた教義の根幹。
それが難羽の言葉によって全く違う色を帯びていく。
「……そうだ。ここまで言えば、もうお前にも全貌が理解できただろう」
冷たく重い真実が、四ツ橋の喉を通る。
「勝者によって歴史は作られる……公安は獄中でデストロが書いた原稿を検閲した。最初に出版された異能解放戦線の中から、公安に関する批判や国家の暗部を告発する内容を完全に黒塗りにした……喜ばしいことに、デストロ自身はそれを知らず希望を抱いて死んだがな」
「……ああ」
四ツ橋の喉からひどく乾いた、絶望的な呻きが漏れた。
「ああ、気付いたか。自分の組織の矛盾が」
四ツ橋の頭が、その悲劇の続きを自動的に導き出してしまう。
「お前を組織の最高指導者として祀り上げ、育てたかつての幹部達。彼らはその事実を知っていたはずだな」
難羽が語る歴史の濁流が、四ツ橋の意識を泥の中に流し込む。
目を背けたい真実が体の中へ入って這い回る。
「彼ら初期の幹部連中は、デストロの自衛としての自由という本質的な考えをもっと直接的に解釈した……異能という力を行使することは人間の絶対の権利であり、強き力を持つ者こそが、この社会の上に立つべきだ、という選民思想へとすり替えたのだ」
「……う、あ……」
「そうだな。子供がいることすら主税は知らなかった。何を考えていたかなんて、お前は知る由もなかった。だからこそ幹部たちの語る教義が間違っていることに、お前は気づくことができなかった」
難羽はさらに四ツ橋の心を抉る。
「そもそもだ。おかしいと思わなかったのか?」
「…………」
「主税が認知していなかった子供が、彼の意志を都合よく継いでいるわけがない。息子を解放軍の次期最高指導者にするという遺言を書き残していたはずもない」
難羽の言葉が四ツ橋の脳髄に突き刺さる。
その残酷な事実は、四ツ橋力也の人生の前提を根底から覆すものであった。
「つまり。お前の母親を特定し、お前という血筋を探し出し。お前を改革者の象徴として祀り上げるように誘導したのは……他でもない、その幹部たちだ」
「……あ、あ……」
「どこかで聞いたな……そんな話」
難羽は自嘲気味に鼻で笑い、この超人社会の根幹に横たわる皮肉的な歴史の反復を口にした。
「かつて排斥派に殺されたお前の祖母……個性の母を。新たな社会を築こうとする権力者たちが都合よく時代を変えた聖女として祀り上げ、プロパガンダとして悪用したようにな」
四ツ橋の肩が大きく跳ねる。
「お前の父、四ツ橋主税は。母が口にした言葉が体制側に都合よく扱われるその光景を見て、屈辱を味わい、絶望した……だというのに」
無慈悲な宣告。
歴史は繰り返される。
片や聖女、片や破壊者。
その血筋はどこまでも
「その息子であるお前もまた。大人たちの野望と都合のために、新たな神輿となった」
四ツ橋力也は両手で頭を抱え、獣のような悲痛な叫びを上げた。
「そして異能の解放という言葉も、薄っぺらいスローガンへ成り下がったとさ」
難羽の話を聞いたリデストロの身体は小刻みに、激しく震え続けていた。
それは難羽に対する怒りではない。
自分を騙した過去の幹部たちへの怒りですらない。
難羽の語った言葉のすべてが、真実であることを。
彼自身の優れた頭脳とこれまでの人生で感じていた微かな違和感によって、理解してしまったからだ。
己が初代指導者である実の父の、本当の想いや思想を何一つ受け継ぐことができていなかったという事実。
今はもうこの世にいない、自分を最高指導者という呪われた玉座に縛り付けた大人たちの存在。
かつて母の言葉が悪用されたと忌み嫌っていたその悲劇と、全く同じ構図の悪用を自分自身が今現在進行形で受けていたという、取り返しのつかない事実。
個性を喪失し、心の排出口を失い、最高指導者としての自己認識すら完全に崩壊しかけていた彼にとって。
この真実の開示は、精神の核を粉砕する完全なる致命傷であった。
「……だったら。……私は、これから……どうすればいい……」
消え入りそうな、掠れた声。
すべてを失い、人生の足場を完全に崩された初老の男が、目の前の青年に向かって問いかけた。
それは絶望の淵に立たされた者が唯一真実を教えてくれた神に祈るような、あまりにも惨めで、切実な響きだった。
思想という一本の柱を心の支えとして生きてきた者達。
その絶対の柱が実は中まで完全に虫に食われ、腐りきっていたと知った時、彼らは二つの反応を起こす。
一つは、「嘘だ」と耳を塞ぎ、狂気の中に逃げ込んで現実を一切認めないこと。
もう一つはすべてを理解して絶望し、立ち止まってしまうことである。
リデストロは後者であった。
難羽は心の中で小さく息を吐いた。
彼自身、実際に超常黎明期の混沌の中でデストロという男と直接接触し、言葉を交わしている。
デストロの掲げた思想は、難羽が当時所属していたレジスタンスの方向性とは違っていた。
しかし、少なくとも彼が語る自由への渇望という根本の思想は、決して否定できるものではなかった。
今の超人社会においても、個性を使えるのは公的な資格を持ったヒーローだけであるという厳格なルールを敷いた結果。
一般市民が個性を使えないことによる抑圧とストレスは、社会全体の澱のように確実に溜まり続けている。
異能解放軍に十一万人もの構成員が集まっているという事実が、何よりその証拠だ。
彼らの全員が、力で他者を支配する無秩序な解放を望んでいるわけではない。
ただ、息苦しい社会のルールから少しだけ解放され、自分らしく在れる自由を望んでいるだけの人間たちも多くいるはずなのだ。
難羽はソファからゆっくりと立ち上がった。
そしてすべてを失って項垂れるリデストロに、その右手を差し伸べた。
「……私は今の社会が嫌いだ。だが、破壊すればすべてが思い通りになるわけではない。社会に変革を与える方法は破壊だけではない」
難羽の瞳が真っ直ぐに四ツ橋を見据える。
「それは、思想の伝播だ」
異能解放軍という組織の枠組みだけで考えれば、彼らは国家を脅かす危険分子に過ぎない。
しかし、十一万人というその途方もない人間の数は社会に大きな声を上げ、ムーブメントを起こすには十分すぎる人数だ。
「私が先日、お前にビジネスの提案として伝えたように。異能によって異形となった者たちが誰の目も気にせず、自由に安らげる場所を作ろうとしている」
難羽は差し出した手をそのままに、明確なビジョンを語り始める。
「そこに、デトネラット社が持つ最高の技術を投入して建設する。そして、その施設の存在意義を通して伝えるのだ。異能解放軍が本来掲げていた、今の社会の過度な抑圧の問題を。合法的に世間に指摘するのだ……これは暴力ではない。社会の流れを根底から変えるための、確かな風になるだろう」
難羽の力強い言葉に、顔を覆っていた四ツ橋がゆっくりとその顔を上げた。
「……私に、協力してくれ……一緒に、社会を変えよう」
難羽は穏やかで絶対的なカリスマ性を帯びた笑顔を浮かべ、再び彼に握手を求めた。
四ツ橋の窪んだ瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
父親の本当の想いを知り、自分の人生が偽りであったことに絶望しながらも。
すべてを許容し、新たな、そして正しい道を指し示してくれた目の前の青年の存在に、彼は完全に心を救われていた。
四ツ橋は顔を俯かせ、声を殺して嗚咽を漏らしながら。
差し伸べられた難羽のその手を、すがりつくように両手で強く、強く握りしめた。
「…………」
涙を流し、深々と俯いているリデストロの視界に入らない角度。
先ほどまでの穏やかな笑顔がスッと消え去り、一切の感情を持たない、冷徹な顔へと難羽は戻っていた。
難羽が今行ったこと。
それは、リデストロを自身へ完全に依存させることである。
リデストロが本当に心の底から求めていたものは、異能の解放ではない。
自由である。
彼は幼い頃から、異能解放軍という狂信的な組織の教義と、幹部たちの期待によって、その人生を完全に支配されていたと言っても過言ではない。
そして無自覚なものであったが、心のどこかで彼は破滅することを望んでいた。
表社会ではデトネラット社の社長として立派に会社を経営し、経済の合理性と秩序の恩恵を理解している彼が。
その裏で無秩序な社会を望むという、自身の存在を真っ向から否定するような矛盾した思考を抱えて生きているのだ。
経営者として優秀な彼が自身の行動と理想が破綻しているという矛盾に、気づかないはずがないのである。
だからこそ、難羽は彼の隣に立つ「唯一の協力者」となった。
彼を異能解放軍の最高指導者という、重く苦しい孤独な頂点から強引に引きずり落としたのである。
莫大なストレスを抱え、限界を迎えていた今の彼が最も望んでいた立場へと下ろしてやったと言ってもいい。
だが、難羽の目的は、巨大な爆弾である異能解放軍の暴走を完全に抑え込むことである。
決して彼を慰めるためだけに、先ほどの歴史の授業をしたわけではない。
難羽は先ほどの話の中で、意図的に指摘していないことがあった。
公安がこの社会を作るために邪魔な敵を裏で暗殺し、排除してきたということ。
異能解放軍も全く同じである。
彼らもまた、裏で自分たちの教義の邪魔になる政敵を排除し、思想に賛同しない者を見下し、容赦なく排除してきた。
いったい何が違うというのか。
そして、狂気と熱狂に酔いしれる異能解放軍の構成員たちは、本当に気付いているのだろうか。
彼ら自身がまともに生きられる社会は、最早暴力によって上下が決まる社会しかないということを。
彼らはこれまで、裏社会で数々の犯罪行為に手を染めてきた。
テロの準備、非合法な資金調達、そして殺人。
それらの犯罪行為が世間に完全に露見すれば、待っているのは組織の破滅しかない。
法治国家である限り、過去の犯罪が明るみに出れば彼らは一網打尽にされ、確実に投獄される。
それはこれから難羽と協力し、合法的に社会貢献を行って、素晴らしい社会システムを創り上げた後であっても同じだ。
だからこそ、本来彼らが生き残ることのできる社会は一つしかない。
自分たちの都合の悪い過去の罪を、個性という暴力で有耶無耶にできる社会だ。
逆に言えば、法を超越するような世界を実現できなければ、彼らはいつか必ず終わりを迎える運命にある。
このまま共にこの社会を楽園に変えれば、共に地獄へ落ちるのだ。
難羽は、自身の手を握りしめて涙を流す初老の男を見下ろしながら、その残酷な真理を思考していた。
悪魔はプロパガンダに取り込まれた男を、プロパガンダによって支配した。
秘密結社ショッカーの首領は、異能解放軍の最高指導者と肩を並べたのである。