真っ暗な空間。
光の一粒すら存在しない虚無。
先ほどまで彼らがいた崩れかけた廃墟の部屋は消え去っていた。
精神世界に投影された難羽の絶望が、部屋を満たしている。
「すまない。精神世界はこれが不便だな」
静寂を破ったのは難羽の声だ。
難羽の手元にカチリと音を立てて、古いランプが現れる。
彼がその紐を引っ張ると、暖かなオレンジ色の光が周囲を照らし出す。
再びコンクリートの壁が剥き出しになった廃墟の空間が戻ってきた。
ランプの光に照らし出された緑谷とオールマイト、そして歴代の継承者たちの顔は一様に沈痛に歪んでいた。
無理もなかった。
彼らは今、難羽が歩んできた、あまりにも壮絶で残酷な過去の追体験を終えたばかりた。
彼らは結局のところヒーローだ。
目の前で繰り広げられる悲劇。
誰かの苦しみ。
それをただ見ていることしかできないという状況は、彼らの魂を深く苛み、苦しめる。
もし難羽が、己の欲望のためだけに人を傷つける単なるヴィランであれば。
人々を苦しめるなと一喝し、その悪意を力でねじ伏せればそれで済んだはずだ。
しかし。
法を犯し、己のルールで人を裁き、時に殺しすら厭わないこの男は、未だ正気である。
あれほどの絶望と悲劇を経験し、愛する者を理不尽に奪われながらも、彼は狂うことなく己の意志で狂気の領域にいる。
悲しみや憎悪に溺れることなく、ただ冷徹に、目的を遂行するための手段として悪を選び取っているのだ。
その鋼鉄のような意志と彼が背負う十字架の重さに、彼らはかける言葉を見つけられずにいた。
「……後のことは、そろそろ思い出したはずだ」
難羽はパイプ椅子に深く腰掛け、静かにオールマイトを見つめた。
覚上まどかを生き返らせるため、そしてすべての元凶であるオール・フォー・ワンを抹殺するため。
難羽は個性因子に宿る意識、及び個性の本質について狂気的なまでの研究を重ねた。
そして、その長い旅路の果てに7代目継承者──志村菜奈と出会い、黄金の死神・ガイツとして、彼女と共にオールフォーワンと死闘を繰り広げた。
オールマイトの脳裏に、数日前に校長室で難羽が語った言葉が蘇る。
1人の男が幾度もの死と再生を繰り返し、過去から今に至るまで歩んできた、果てしない復讐と救済の旅。
「なぜ、教えてくれなかったのですか……?」
オールマイトは絞り出すような声で問いかけた。
その声には恩師に対する尊敬と、何も知らなかった己への悔恨が混じっていた。
「私がショッカーという組織を作ったのは最近ではない」
難羽は淡々と答えた。
「死にながら世界中にショッカーの支部を作ってきた。お前と会う前からヴィラン扱いは既定路線だ」
「それでも……!!」
オールマイトは声を荒らげた。
己が深く関わり、尊敬し、時に背中を預けた者が。
実は未だ悲劇に囚われ、癒えない傷を抱えたまま一人で戦い続けていた。
平和の象徴として世界を照らしてきた身でありながら、その近くで血を流し続ける彼に気づけなかった自分が、滑稽とすら思えた。
難羽は自己嫌悪の底に沈み込もうとするオールマイトを、片手を上げて静かに制した。
「……ともかく、私の素性はこれでいいだろう」
夢を利用したこの精神世界のセッティングには手間がかかる。
語るべきことは他にあるのだ。
「本題だ」
難羽の瞳が鋭い光を放ち、部屋にいる全員を射抜いた。
「オールフォーワンが『ストレス』という個性を得た。ワン・フォー・オールのプロテクトが突破される」
その言葉が落ちた瞬間、玉座に座る歴代の継承者たちの間に戦慄が走った。
オールフォーワンが新たな個性を手に入れたこと、それ自体は驚くべきことではない。
彼らが驚愕したのは、ワン・フォー・オールの譲渡条件という、長年彼らを守り続けてきた絶対の防護壁が突破されると宣告されたからだ。
「なぜだ!」
6代目継承者、煙が立ち上がって鋭く問い詰める。
ワン・フォー・オールがオールフォーワンによってこれまでを奪われなかったのは、譲渡と強奪という条件だったからだ。
これまでもオールフォーワンに継承者が触れられたことはあった。
しかし、オールフォーワンの強奪は全て弾かれている。
これは譲渡と強奪のルールがぶつかったが継承者の意志によって多対一の関係となったから、精神敵綱引きに勝つことができたからだ。
そしてそれは、彼らが幾世代にもわたって命を懸けて守り抜いてきた、この個性の根幹を成すルールのハズだった。
難羽は冷徹に言葉を続ける。
「ストレスという個性は負の感情を力に変える。つまり、意志そのものに力が宿ることとなった」
難羽の言葉が部屋に響く。
「幾ら奴の精神がカスとはいえ、物理的に精神力を上げている以上、ワン・フォー・オールを奪われる可能性が格段に上がっている」
オールフォーワンがリデストロからストレスを奪ったのは、目障りな異能解放軍の力を削ぐためではない。
ワンフォーオールを奪うための鍵となるからだ。
超常黎明期から生きる彼なら、デストロの存在やその個性の特異性は知っていただろう。
当時は必要ないと考えていたが、それがワン・フォー・オールを奪取するための鍵だと気づいた後。
わざわざ、オリジナルであるデストロから奪う必要はない。
なぜか?
より強力に、より強大にその個性を進化させ、宿している子どもがいるからだ。
育ったそれを、オールフォーワンは奪った。
「そして」
難羽は最も残酷な事実を口にした。
「オールフォーワンは、転弧の身体を乗っ取った」
緑谷が息を呑む。
難羽は緑谷に向き直り、静かに告げた。
「……体育祭の時に一瞬、干渉されただろ?それと同じだ」
緑谷の脳裏に、体育祭での心操との戦いが蘇る。
心操の洗脳によって自我を奪われ、自ら場外へと歩みを進めていたあの時。
彼はワン・フォー・オールを暴発させ、強引に意識を取り戻した。
しかし、それが出来たのは、因子に宿る歴代継承者たちの意志が緑谷の抗う意志に呼応したからである。
逆に言えば。
あれは個性に肉体を乗っ取られた瞬間でもあった。
「転弧が!?」
難羽の言葉に、志村が玉座から弾かれたように立ち上がった。
その顔には信じられないものを見るような驚愕と、深い悲しみが浮かんでいた。
難羽は救えなかった転弧を思い、彼女に向かって小さく頭を下げた。
守りきれなかったことに対する、無言の謝罪だった。
「個性オール・フォー・ワン。そのオリジナルを、奴は志村転弧……現在の死柄木弔に移植した。そして、その意識を支配した」
「死柄木が……」
緑谷は絶句した。
ヴィラン連合のリーダーがオールマイトの師匠の血縁であり。
そしてその彼が今、オールフォーワンの器としてに支配されている。
得体の知れない邪悪な意思の介在を、緑谷は確かに感じ取っていた。
「肉体の調整と強化、及び個性の移植には時間がかかる。恐らく……早くて二月、予想通りなら三月に奴は目覚める」
難羽はオールフォーワンの完成を予測する。
「死柄木に寄生する段階。奴はこれまで奪ってきた個性を置いていっている。もし死柄木が逃げられなければそこで終わっていた」
しかし、奴はその賭けに勝った。
肉体を乗り換え、新たな力を得るための賭けに。
今はその報酬を受け取る形で、どこかに深く潜伏している。
ヴィラン連合のように派手に集団で動いていない以上、奴1人を見つけ出すことは困難に近い。
オールマイトが自身の膝の上で、拳を白くなるほど強く握りしめる。
平和の象徴という座を降りたのは、未来に憂いがなかったからだ。
緑谷という後継者がおり、オールフォーワンを打倒したと信じていたからだ。
しかし、この絶望的な事態を知っても、今の自分では出来ることが何もない。
かつて世界を救ったその腕は、今はただ震えることしかできない。
己の不甲斐なさに彼は深く唇を噛んだ。
「私は雄英生を鍛える」
難羽は宣言した。
「継承者は緑谷だ。確実に雄英に奴は現れる……学徒動員となるがな」
「……っ!」
難羽の言葉に、緑谷は心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に陥った。
それでは、まるで。
ワン・フォー・オールを受け継いだ自分のせいでみんなを危険に晒すということではないか。
「考えていることはわかるが、そんなわけないだろ」
緑谷の思考を見透かして難羽が冷たく言い放つ。
「誰が継承しても何処かしら襲っていた。むしろ戦える人間が集まっている雄英に来てくれる方が防衛としては楽だ」
自己嫌悪歴なら、難羽の方が何百年も長い。
緑谷が自分を責め、ドツボにハマろうとする思考を論理で強引に断ち切る。
「そういうわけだ。これで私の目的、経歴、オールフォーワンの襲撃タイミングは伝えたが……聞きたいことはもう無いな?」
難羽が部屋にいる全員に向かって問う。
大量の情報の濁流に呑み込まれ、整理しきれない点もある。
しかし、継承者たちは、戸惑いながらも無言で頷いた。
それでも緑谷だけが、まだ納得できていなかった。
彼は難羽の瞳の奥にある真意を探ろうと、じっと見つめ返していた。
いずれ来るオールフォーワンを倒すために、ショッカーという組織を作った。
それはわかる。
そしてショッカーが裏社会でどんな活動をしていたかも、校長室で聞いていた。
個性をもっと社会に馴染ませるような活動を行うこと。
それもわかる。
オールフォーワンを倒したとしても、この社会が抱える問題や歪みは残ったままだからだ。
しかし。
彼がやっていることは、どう考えても善だ。
悪を倒すための力を蓄える。
社会の歪みを正すための活動を行う。
救助の人手を増やす。
幾ら違法な手段の方が手回しなどが早くなるからといっても、後のことを考えればデメリットが多すぎる。
非合法組織という立場は彼らの活動を常に危険に晒し、人々の理解を得ることを困難にする。
そう、これは。
「……合理的じゃない」
緑谷はポツリと漏らした。
難羽という、誰よりも合理性を重んじる男が選ぶ手段としては、あまりにも破綻している。
「……だったら。なんで、難羽くんは『悪』のつもりなの?」
緑谷の問いかけが静かな部屋に響いた。
難羽は表情を変えず、淡々と答える。
「……犯罪者だからだ」
その答えに、緑谷は強く首を横に振った。
「それは難羽くんがよく知っているはずだよ。罪と信念は、違う」
法を犯したからといって、その信念までが悪であるとは限らない。
難羽がこれまで語った悲劇や打倒オールフォーワンの決意、そして何より、彼が見せてくれた不器用な優しさが嘘だとは思えない。
しかし、だからこそ非合法な手段を使ってまで自らを悪だと規定して動く理由がわからない。
「……ネタバラシを今するつもりはなかったがな」
難羽はパイプ椅子からゆっくりと立ち上がり、両腕を大きく広げる。
その姿はかつてステインを断罪したあの時を思い出させた。
「……悪の組織は、悪をするためにあるものだ。最初からな」
難羽の声が一段と低く、そして冷酷な響きを帯びる。
「……私は悪を成して、世界を救う」
秘密結社ショッカー。
その設立理由が語られる。
人類の終わりを回避するために。
個性という呪いによる終末を、根底から覆すために。
「私は、全人類を改造人間にするつもりだ」