バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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112.5話 飛田弾柔郎はヒーローになりたかった/ビギンズ・ナイト

 

雄英高校の文化祭開催を目前に控えた早朝。

キャンパス内がまだ静かな眠りから覚めきっていない時間帯。

 

難羽は自身が警備を担当するエリアに監視ドローンを数機残し、早々に持ち場を離れていた。

未来視によって予知されていた雄英を襲撃しようとする不審者の排除のためである。

 

難羽が指定のエリアから離れ、雄英の敷地外である市街地の一角に張り込んでいたのには理由があった。

襲撃の主犯格であるジェントルの記憶と行動原理を事前に追体験し、読み解いていたことによる推測だ。

 

 

(形から入ることに異常なほどこだわるタイプ……そういう人間は、大事な舞台の前に必ず自分のルーティーンを気にする)

 

 

難羽は人気のない路地裏の建物の陰から、通りに面した一軒の古びた純喫茶を見つめていた。

 

ジェントルは自身の動画の中で優雅なティータイムを演出するほど、紅茶をこよなく愛している。

これから厳重な警備が敷かれた雄英高校に侵入し、一世一代の動画撮影というテロ行為を成功させようとしている男が、作戦の最中に紅茶にありつける可能性は極めて低い。

だからこそ、彼は雄英に侵入する直前に最高の一杯を飲んで己を鼓舞しようとするはずだ。

 

その予測に基づき、難羽は雄英高校から一定の距離圏内にあり、かつジェントルの好む、ひどく珍しい茶葉を扱っているという条件を満たす寂れた喫茶店のデータを事前に抽出し、監視ドローンを配置していた。

 

その読みは的中する。

 

 

「……マジでいるとはな」

 

 

難羽はドローンから送られてくる映像を見て、呆れたように低く呟いた。

 

監視カメラの映像には映るのは、全身を分厚いコートで包み、不審極まりない出で立ちの二人の人物。

その寂れた喫茶店の扉を開けて中へと入っていく姿がはっきりと映し出されていた。

 

ジェントルと彼の相棒であるラブラバだ。

 

襲撃直前に喫茶店で一服するわけないだろうと難羽も半端考えていた最も可能性の低いルートである。

 

というか事前に彼は動画で次の動画が派手になることを告知している。

下手をすれば彼のルーティーンからこのルートを警察が察する可能性すらあった。

 

その愚行を平然と選択したジェントルに、彼の記憶を知る難羽はそういうところだぞと心の中でつぶやいた。

 

 

 

 

 

なお、難羽自身も紅茶は飲む。

だが実は圧倒的にコーヒー派である。

 

アットは大の紅茶好きであった覚上の影響を受けていた。

その彼女から淹れられる紅茶を、彼はただの一度も断ったことがない。

それは彼なりの願掛けでもあった。

 

しかし先日、そのまどかが蘇生を果たしたため。

彼は百年ぶりに封印を解き、祝杯の代わりにブラックのアイスコーヒーをジョッキに注いで一気飲みしていた。

 

覚上は、カフェインで酔ってるみたいで流石にキモイですわとこぼしていた。

 

 

 

 

 

 

難羽は両手で自身の顔を覆った。

 

彼の手に嵌められた黒い革手袋が意思を持ったスライムのようにドロドロと溶け出し、形を変えていく。

ナノマシンが顔を覆い尽くし、色と形状を再構築していく。

 

右半分が鮮やかな緑色。

左半分が漆黒。

そして、額には銀色のアンテナが二本。

 

仮面ライダー(ダブル)のチープなお面を付けた、スーツ姿の不審者の完成である。

 

難羽は音もなく移動し、喫茶店の出口付近で待ち構えた。

ドアベルの音が鳴り、ジェントルとラブラバが店から出てくる。

 

 

肌寒い日があるとはいえ、全身を分厚いロングコートで包み、顔の半分を隠すようなサングラスをかけた二人の前に。

 

突然、緑と黒の奇妙なお面を被り、ピシッとしたスーツを着た男が立ち塞がったのだ。

 

ジェントルは目の前に現れた男の姿を見て、サングラスの奥で目を丸くした。

 

 

 

 

(な、なんだこいつは……!? 雄英の警備員か!? いや、どう見ても不審者じゃないか!?)

 

 

 

 

どっちもどっちである。

 

 

「飛田弾柔郎、相場愛美……お前たちの企みはすべて分かっている。さっさとここから立ち去れ。さもなくば……」

 

 

難羽はまるで右半身と左半身を別々に動かしているかのような、独特な動きでポーズを決めた。

そして左手でジェントルを指差し、宣告する。

 

 

「……お前の罪を、数えろ」

 

 

ジェントルとラブラバの空気が変わった。

難羽の狙いが自分たちとわかったのである。

 

ジェントルは羽織っていた分厚いコートをバサリと脱ぎ捨て、洗練された燕尾服の姿となって優雅に構えをとる。

ラブラバは即座に手持ちの小型カメラを起動し、レンズを難羽へと向けた。

 

 

「罪など、数えるものではない! 罪とは、歴史の中に高く積み上げていくものだ!」

 

 

ジェントルはカメラ越しに、未来でこの動画を見るであろう視聴者に向けて、大仰な身振り手振りでポーズを決めながら反論した。

雄英に侵入してみたというダサいタイトル企画を実行するため、彼は一歩も引く気はなかった。

 

難羽が地面を蹴ってジェントルへと一直線に突撃する。

 

ジェントルは微塵も動揺せず、優雅な構えのまま難羽の打撃を受け止める準備を整えていた。

 

彼の個性である弾性は、触れたものすべてに名前の通り弾性を与える。

それは、空間を満たす空気に対しても例外ではない。

 

難羽が突撃してくれば、ジェントルが前方に作り出した透明な空気の膜に激突し、凄まじい勢いで逆方向へと弾き飛ばされることとなるのだ。

 

難羽の踏み込んだ足が地面から離れる。

ジェントルが口髭の下で勝利を確信した笑みを浮かべたその時。

 

難羽の蹴りが曲がり、ジェントルではなく地面に向かって炸裂した。

難羽の蹴りが、即座に前方への跳躍へと切り替わる。

 

 

「なっ!?」

 

 

ジェントルが驚愕の声を上げる。

 

難羽は高跳びの背面跳びのような姿勢で空中に舞い上がり、ジェントルが張った空気の膜の上部をかすめるようにして飛び越えた。

 

 

「……悪いな。私は熱心なリスナーなんだよ……飛田弾柔郎のな」

 

 

難羽の声がジェントルの頭上から降ってくる。

 

ジェントルの頭上を完全に飛び越えた難羽は、空中で鮮やかなサマーソルトキックを放ち、ジェントルの無防備な背中へと強烈な一撃を叩き込んだ。

 

 

「ぐはぁッ!?」

 

 

背後からの予期せぬ衝撃により、ジェントルは前方へと大きく前のめりに倒れ込む。

 

そして彼自身が難羽を弾き飛ばすために作り出していた空気の膜に真正面から激突し、自身の個性の反発力によって弾き返された。

ボールのように跳ね返ってきたジェントルの腹部に、難羽は右ストレートを深々と叩き込んだ。

 

 

「……あまりに世間が動画を見てくれないから、自分の能力を知っているリスナーが現れるとは思わなかったか? 皮肉なものだな」

 

「がはッ……!!」

 

 

ジェントルは肺の空気をすべて吐き出し、苦悶のうめき声を上げて路地に片膝をついた。

 

しかし彼の右手が地面に触れた瞬間、反撃の意思が閃いた。

 

 

「ジェントリー・トランポリン!!」

 

 

ジェントルの個性が発動し、難羽の足元の地面がゴムのように急激に弾性を持ち、大きく隆起した。

不意を突かれた難羽の身体が、凄まじい勢いで空中へと跳ね飛ばされる。

 

しかし、難羽は空中で冷静に身体を捻って回転し、猫のように姿勢を整えた。

近くの民家の屋根にそのまま着地する。

 

 

「……どうやらただの動画のアンチではなく、相当気合いの入った不審者のようだが……私には成し遂げねばならない偉業がある。どうか、邪魔をしないでもらいたい!」

 

 

ジェントルはラブラバを抱き抱える。

空中の空気に次々と弾性を付与して透明なジャンプ台を作り出し、雄英高校の方向へと空中を跳ねるようにして逃走を開始した。

 

難羽は屋根の上からその姿を見据え、スーツのベルトからあるものを取り出して構えた。

 

それは数日前に緑谷に渡した強靭なロープ。

その予備であった。

 

難羽は長く頑丈なそのロープを素早くほどき、ジェントルが作り出した空中のジャンプ台を正確に利用して、凄まじい速度で追撃を開始した。

 

難羽の瞳は義眼のカメラである。

その高度な視覚センサーは大気中のわずかな空気の揺らぎや密度の変化を視覚化し、ジェントルがどこに透明なジャンプ台を設置したのかを完全に捕捉していた。

 

難羽は空中を蹴り、ジェントルの背後へと一気に肉薄する。

そして自身の全筋力を込め、ロープを鞭のように大きくしならせた。

 

空気を切り裂く爆竹のような鋭い打撃音が響き渡る。

高速で放たれたロープの先端が、逃げるジェントルの背中を容赦なく打ち据えた。

 

 

「がぁっ!?」

 

「……ルナメタルといったところか」

 

 

難羽は追撃の手を緩めない。

 

強烈な痛みに体勢を崩したジェントル。

彼はラブラバを両腕で抱え込んだまま、空中に不規則なトランポリンを作り出す。

 

それをクッション代わりにしながら、建設現場の前の空き地へと不時着するように墜落した。

 

土煙を上げて着地したジェントルは自身を正確に追跡し、目の前に静かに降り立った緑と黒の追跡者に対し、警戒度を最大まで引き上げた。

 

彼は悟った。

目の前にいるこの男は、単なる自分を捕まえようとしている正義感の強いヴィジランテや動画の迷惑なアンチなどではない。

高い戦術眼を持った本物の手練れであると。

 

ジェントルの弾性の個性は、攻撃よりも防御において真価を発揮する。

相手の打撃に対して空気の膜を張ったり、相手の武器自体に弾性を与えて威力を吸収し、衝撃を無効化することができるからだ。

 

しかし難羽は彼への攻撃手段として、打撃用の鉄パイプや刃物ではなく、(ロープ)を選んだ。

 

元から柔軟にしなる構造であるロープに弾性を付与したところで、その衝撃を完全に吸収することは難しい。

さらに、鞭は軌道が変幻自在。

真っ直ぐに打ち込まれる打撃よりも遥かに読みづらく、防御の的を絞らせないのだ。

 

難羽はジェントルの個性の弱点を完全に理解した上で、この武器を選択している。

 

 

「ジェントル!!」

 

 

腕の中でラブラバが悲痛な声を上げた。

 

 

「ああ……ここで使うしかないようだ!」

 

 

ラブラバの個性、愛。

自身が心の底から愛したただ一人の人間に対し、その愛を言葉にして告げることで、短時間だけ対象の身体能力と個性を劇的に強化する能力。

 

強化の度合いは彼女の愛の深さとその時の危機的状況によって変動し、極限のピンチであればその力は数十倍にも跳ね上がる。

しかし、デメリットとして制限時間が非常に短いことと、個性の発動は一日一回が限度であるという厳しい制約がある。

 

文化祭の警備を突破するために温存しておくはずだった最大のジョーカーをここで切らざるを得ないほど、目の前の男は強敵であった。

 

 

「愛してるわ、ジェントル!!」

 

 

ラブラバの叫びと共にピンク色のオーラがジェントルの全身を包み込む。

肉体が内側から爆発的なエネルギーで満たされ、彼の瞳に強い光が宿った。

 

 

「うおおおおお!!!」

 

 

咆哮と共に、強化されたジェントルの拳が難羽の顔面を捉える。

 

しかし。

難羽はその数十倍に膨れ上がったジェントルの拳を、右の手のひらで完全に受け止めていた。

パワーアップしたジェントルの力に対し難羽の肉体は当然のように拮抗し、一歩も後ろに下がらない。

 

ラブラバの愛というジョーカーを前にしても、難羽という存在自体が初めから「ジョーカー」だったのだ。

 

ジェントルは一瞬驚愕するものの、怒涛のラッシュを難羽に浴びせる。

 

凄まじい速度と破壊力を持った拳の雨。

しかし、難羽はそれを手のひらの傘で受け止めることはしなかった。

 

ジェントルの拳が伸び切る直前。

難羽は最小限の動きで身体をかわし、ジェントルの前腕や肘の内側の関節部分に向かって、的確に自身の拳を打ち込んだ。

鈍い音が連続して響く。

難羽の打撃によって拳の軌道を強引に捻じ曲げられ、ジェントルの拳は次々と明後日の方向へと叩き落とされていく。

 

それはジェントルが純粋な超パワーに頼って押し切ろうとしたことへのしっぺ返しであった。

圧倒的な身体能力の差があればパワーでねじ伏せることも可能である。

しかし、相手が同等、あるいはそれ以上のパワーと反射神経を持つ相手であった場合、そこには純粋な技量と実戦経験の差が残酷なまでに浮き彫りとなるのだ。

 

 

「私の……私の愛が足りなかったの!? 愛が足りていれば、ジェントルはあんな奴に負けるはずないのに!!」

 

 

ラブラバが涙を流しながら絶叫する。

 

ジェントルは心の中で強く否定した。

彼女の愛が足りないはずがない。

彼女の愛はいつだって自分を奮い立たせる最高のものだ。

足りないのは自分の器の方だと歯噛みする。

 

ジェントルは最後の力を振り絞り、姿勢を低くして難羽に向かって渾身のタックルを仕掛けた。

力で押し倒すしかない。

 

しかし彼の心の声に続くように、難羽の声が響いた。

 

 

「……そうだ。足りないのはお前の愛だ、飛田」

 

 

難羽はタックルを躱すことなく、カポエイラのような極端に低い姿勢となる。

ジェントルの顎の先端を下から上へと的確に擦り上げるような、鋭く小さな蹴りを放った。

 

くぐもった音が響く。

 

それは決して派手な破壊力を持つ一撃ではない。

しかし人間の肉体がどれほど個性の力で強化されようとも、頭蓋骨の内部に浮かぶ脳髄そのものを鍛え上げることは不可能である。

 

顎の先端を的確に撃ち抜かれた衝撃は、ジェントルの脳を激しく揺さぶった。

 

 

「あ……」

 

 

強化のオーラを纏ったまま、ジェントルの白目が剥き出しになる。

 

彼は抵抗する間もなくその場に崩れ落ち、完全な意識の暗闇へと沈んでいった。

 


 

 

 

 

 

 

 

どれほどの時間が経ったのだろうか。

木の温もりを感じる、どこか懐かしい匂いのする室内の天井。

 

ソファの上で横になっていたジェントルは、ゆっくりと目を覚ました。

自身のおでこの上には冷たい濡れタオルが置かれている。

 

 

「……ここは……?」

 

 

ジェントルが上半身を起こして周囲を見渡す。

そこは数時間前、彼らが紅茶を飲むために立ち寄った、あの寂れた喫茶店の店内であった。

 

カウンターの奥では、初老の店主が静かにグラスを磨いている。

 

そしてジェントルの座るソファの対面の席には、先ほどまで彼を圧倒していたお面の男──仮面を外した難羽と彼を警戒するように睨みつけるラブラバが向かい合って座り、何やら話をしている最中であった。

 

 

「……貴様ッ! 彼女に何を……!!」

 

 

ジェントルは瞬時に立ち上がり、ラブラバを庇うようにして難羽の胸ぐらを掴みかかろうとした。

 

 

「お前の負けだ、飛田」

 

 

難羽はジェントルの威嚇を片手で軽く制し、カウンターの店主に向かって声をかけた。

 

 

「マスター。彼が目を覚ました。彼にも、私と同じ紅茶を一つ頼む」

 

 

怒りをあらわにするジェントルに対し、ラブラバが彼の袖を引っ張って制止した。

 

 

「ジェントル、待って。……この男、私たちを警察に突き出すつもりはないみたいよ」

 

 

ラブラバの言う通りであった。

気絶したジェントルと抵抗する力のないラブラバを捕らえ、そのまま警察署へと連行することは容易である。

しかし難羽はそうはせず、わざわざ彼らをこの喫茶店へと運び込み、休ませていたのだ。

 

 

「……不審者が雄英に侵入した、いや、しようとしたという事実があれば、その時点で文化祭は即時中止となる……だから、お前たちの行為は最初から無かったことにしなければならないのだ」

 

 

難羽は運ばれてきた紅茶のカップを手に取り、一口飲みながらジェントルにそう告げた。

 

実際彼らを警察に突き出したところで、難羽に利益は何一つない。

 

もし彼らが警察の取り調べで雄英を襲撃する予定だったと供述してしまえば。

それが公になった瞬間に、成功した文化祭に汚点を残すことになってしまうからだ。

今後の雄英のイベント開催の許可にも影響するだろう。

 

 

「それよりも、だ」

 

 

難羽はティーカップをソーサーに置き、ジェントルに向かって一つの質問を投げかけた。

 

ショッカーの冷酷な首領でも、仮面アクターとしての非情な顔でもなかった。

それは相棒を持つ一人の人間としての真摯で、本質を突くような鋭い視線であった。

 

 

「お前はなぜ相場愛美の力を、動画の撮影や編集といった裏方作業にしか使わない……例えば、少し前にアップロードしたコンビニの動画だ。あれは見ていて意味が分からなかったぞ」

 

 

難羽が指摘したのは、ジェントルがコンビニエンスストアを襲撃する動画であった。

 

ジェントルがその店を襲ったのは、そのコンビニチェーンであるJストアが、消費期限ギリギリのプリンのラベルを店内で不正に張り替え、偽装して販売していたという疑惑がネット上で浮上したからだ。

しかしJストアの本社はその疑惑に対し、現場の店長が独断で行ったことであり、本社は一切把握していないと組織的な関与を完全に否定し、しらを切ったのだ。

 

これに対し、ジェントルは本社の隠蔽姿勢を糾弾するという名目で店舗を襲撃し、レジの金を奪う。

そして最終的には金が目的ではないと、その金をすべてその場に置いて立ち去るという、中途半端な義賊行為を行っていた。

 

 

「……本社がしらを切ったと判断したのなら、なぜ末端のコンビニ店舗を襲う。最初から本社ビルを襲撃すればいいだろう……相場愛美の持つハッキング技術を使えば、本社のメインサーバーから直接偽装の指示を証明するデータを抜き取って、世間に公表することくらい出来たはずだ」

 

 

そもそも彼が襲撃したあの店舗は、偽装を行ったとされる店舗ではない別の系列店である。

 

本当に彼が世直しを掲げる義賊を名乗るのであれば、無関係の店員を怯えさせるのではなく、相棒の力を使って巨悪の根源を断つべきなのだ。

逆に彼らの発表が真実であればそれを知らしめ、不当なイメージに苦しむ会社を救えばいい。

 

しかし、ジェントルは難羽の提案を強い口調で拒絶した。

 

 

「……それは、できない! 彼女の技術を直接的な犯罪行為に利用すれば、彼女は私の手伝いではなく、明確な共犯者となる! 彼女にそんな重い十字架を背負わせるわけにはいかないのだ!」

 

 

それはジェントルなりの、相棒に対する不器用で深い愛情と責任感の表れであった。

 

難羽はジェントルのその熱い言葉を、完全に無視した。

難羽の視線はジェントルではなく、その隣で俯いているラブラバの方を真っ直ぐに見据えている。

 

難羽からすれば、ジェントルの「彼女を犯罪者にさせたくない」「重罪で捕まるリスクは負わせられない」という反論は、相棒であるラブラバが胸に秘めている覚悟を舐めた自己満足でしかない。

 

 

「……本当に、心の底から愛した奴がいるのなら」

 

 

難羽の声が喫茶店の静寂の中に響いた。

 

 

「安全な場所に一人で置いていかれるよりも……地獄の底まで相乗りすることを選ぶ……それが相棒というものだ」

 

 

その選択を選び、実際にその地獄の道を共に歩み続けているのが他でもない難羽であった。

 

難羽は言葉を失ったジェントルと、目を見開いて震えるラブラバを前に、残っていた紅茶を一気に飲み干した。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

難羽は飛田弾柔郎という男の記憶を追体験した際、彼を「承認欲求を拗らせただけの、ありふれた普通のクズ」と評した。

その本質的な評価に変化はない。

 

しかし普通のクズであるからこそ、きっかけ一つで彼は変わることができるはずなのだ。

 

絶対的な巨悪になる才能もなければ、狂気に染まりきるほどの純粋さもない。

どこにでもいる、挫折を知るただの人間なのだから。

 

難羽は自室のパソコンで、とある動画サイトを眺めていた。

 

そこにあるのは、かつてのジェントル・クリミナルのチャンネルではない。

 

現在そのチャンネルは『天才ハッカー・ラブラバ』をメインに据えた、全く新しい構成の動画へと生まれ変わっていた。

 

動画の中ではラブラバが高度なハッキング技術を駆使して、悪質な隠蔽工作を行う悪徳企業や詐欺集団の不正データを次々と摘発し、世間に暴露している。

 

そしてその暴露によって逆上し、彼女に物理的な報復を加えようと迫る悪党たちの前に。

 

燕尾服を着たジェントルが、彼女を命懸けで守る専属の騎士(ナイト)として立ちはだかり、彼らを華麗に撃退する姿が鮮明な映像として映し出されていた。

 

 

飛田弾柔郎は世間から賞賛されるような、輝かしい職業的ヒーローにはなれなかった。

 

しかし彼は今、相場愛美という一人のためだけに戦い、彼女を守り抜くただ一人のヒーローとして、確かな居場所を見つけていた。

 

 

歴史の教科書に名を残すという空っぽで無意味な執着を捨て去り、ただ愛する者のためにその力を使うことを選んだのだ。

 

 

「……相棒とはそういうものだ」

 

 

歴史に名を残すことよりも、愛する者と共に地獄を歩むことを選んだ先輩として。

 

難羽は二人の姿を静かに祝福して、ブラウザのウィンドウを閉じた。

 





この章はこれで終わりです。
あと3章程度で完結となると思います。

現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?

  • 段落を使った普通の文章のほうが良い
  • 今の文章の方が良い
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