今回少し短いです。
『……僕は、轟燈矢……現No.1ヒーロー、エンデヴァーの長男として、この世に生まれました』
街を行き交う人々の足が止まり、ざわめきが波紋のように広がっていく。
彼は手元から一枚の紙を取り出し、カメラのレンズに向けてはっきりと提示した。
それは、公的な医療機関の印が押されたDNA鑑定書であり、それは彼とエンデヴァー──轟炎司が血の繋がった実の親子であることを証明していた。
『……エンデヴァーは、オールマイトを超えるという利己的な夢を満たすためだけに、氷の個性を持つ母の家を金で買収し、個性婚を強要した……俺はその身勝手な野望のための道具として作られ、そして……才能の限界を悟られ、ゴミのように捨てられた』
青年の口から語られるのは、栄光に満ちたトップヒーローの醜悪な真実。
大衆は息を呑み、画面に釘付けになる。
『……俺を生み出し、狂わせたのは、あの偉大なるエンデヴァーです』
「……やられた……ッ!!」
バベルショッカーの新たな拠点として稼働を始めた研究所。
その一角に設けられたトレーニングルーム。
難羽はスマホに表示されたSNSのタイムラインを見つめ、奥歯を噛み締めて顔を歪ませた。
先ほどネット上に突如としてアップロードされた、轟燈矢を名乗る者による街頭テレビのジャック映像。
それは瞬く間に拡散された。
凄まじい勢いでトレンドを席巻し、社会全体に疑心暗鬼の炎を延焼させている。
トレーニングルームでは、難羽の指示のもと、ロシナンテの面々が訓練を行っている最中であった。
マスタードが放つガス。
それをトゥワイスは自身の個性を使って周囲の空気を爆発的に増殖させ、その風圧で毒ガスを押し出して相殺している。
認識と判断力を鍛えるトレーニングだ。
その訓練の手を止め、トゥワイスがおどけた足取りで難羽のもとへと歩み寄ってきた。
「焦んなくてもいいんじゃねぇか? あんなのどう見ても嘘の映像なんだからさ!」
トゥワイスは難羽の焦燥を理解していない様子で、あっけらかんと言い放った。
「ボスがカチャカチャ、ターン! って感じで裏から手を回せば、あんな動画あっという間に消せるだろ! ……分かんねぇよ、そんなの無理だ!!」
一人で矛盾したツッコミを入れているトゥワイスだが、その態度の根底にあるのは己のボスである難羽、そして仲間である燈矢があんなことするわけないという信頼であった。
確かに難羽の持つ情報処理能力をもってすれば、この映像がフェイクであるという真実を突き止めることは容易い。
仮に映像自体が加工されていない本物であったとしても。
この超人社会においては変身の個性、映像を操る個性、精神を操作する個性など、人を欺くための可能性は無数に存在している。
この告発がヴィランによる悪質なでっち上げであると、説明する材料を揃えることはできるだろう。
しかし。
それだけでは足りないのだ。
「……だめだ、覆すことはできない……死柄木が肉体の調整中で動けないからと油断していた……私のミスだ」
難羽の口から漏れた死柄木という名前に、ロシナンテの面々がピクリと反応し、視線を向ける。
だが、難羽が警戒と憎悪を込めて呼んだその名前は、彼らの救うべき主である死柄木弔のことではない。
その肉体を乗っ取った死柄木全、すなわちオールフォーワンのことである。
なぜこれほどまでに焦っているのか。
難羽の沈痛な表情に疑問を浮かべるトゥワイスに対し、彼は説明する。
「……我々ショッカーのような、影の組織では。たとえ真実の証拠を公表できたとしても、それを一般大衆に真実だと信じてもらうことはできないのだ」
それは難羽の弱点であった。
難羽は合理性と論理に基づいて行動する。
だからこそ正しい情報と真実さえ手に入れば、それを基に次の最適解を導き出すことができる。
しかし、一般の人間は論理や合理だけで動いているわけではない。
感情と印象。
そして誰がそれを言っているのかという、発信者に対する社会的な信頼の積み重ねによって情報を判断しているのだ。
新たなNo.1ヒーローの醜悪な家庭の闇という、あまりにも刺激的で扇情的なスキャンダルを前に。
正体不明のぽっと出の怪しいアカウントが発信する『真実』など、一体誰が信用するというのか。
「……それに。あの告発は、全てが嘘というわけじゃない」
タオルの端で額の汗を拭うナガン。
訓練を終えた彼女は難羽の隣へと歩み寄り、難羽の言葉に同調した。
「この告発は……エンデヴァーの過去を知る者からすれば、否定することのできない事実が含まれている」
エンデヴァーが、自身の炎の限界を超えられない長男の燈矢を、結果として失敗作のように扱ってしまったという悲劇。
それは燈矢自身の視点からすれば、決して間違いや誇張ではない。
母親である冷を、家庭内で精神的に崩壊するまで追い詰めてしまったのも事実だ。
冷を氷叢家から金と権力で買い取り、個性婚を強要したこと。
それも調べれば裏が取れる紛れもない事実である。
そして焦凍の顔の火傷も、元を辿ればエンデヴァーの家庭内における圧力が原因である。
焦凍に対して明確に虐待まがいの鍛錬を強いていたことは事実なのだ。
「……それほどまでに狂った環境で育てられ、精神が歪み切ってしまったのなら……その長男が社会を憎むヴィランとなり、大量虐殺者になったとしても、何の不思議もない。そう大衆に納得させてしまうだけの説得力がある」
ナガンの分析が事態を明確にし、絶望をさらに深めていく。
「それに炎系の個性持ちなんて、この国には山ほどいる……今考えれば、あの火傷だらけのツギハギの姿は強烈な視覚的印象付けのためのブラフだ。特殊メイクで十分に似せることができるし、顔が見えなくとも。事件現場で火傷跡を見た人間は、勝手に燈矢だと判断してしまう」
難羽は頭を押さえながら思考をまわす。
九割の真実。
一割の
この状況下。
仮にエンデヴァーが記者会見を開き、過去の個性婚や虐待まがいの事実をすべて正直に認めて謝罪したとする。
『だが、息子が大量虐殺者になったというのは嘘だ』
そんな都合の良い弁明を一体誰が信じるというのか。
一度地に落ちた信頼の中で真実と嘘を都合よく切り分けることなど困難である。
「……ヒーロー公安委員会を経由して、情報を操作する……? いや、だめだ。私は深く恨みを買っている。この土壇場で奴らが私の思い通りに動く保証はない」
難羽の思考が次々と対抗策をシミュレートしては捨て去っていく。
「ナガンやホークスに真実を証言させるか? ……いや、確かにプロヒーローとしての信頼はあるが、発言の情報源を疑われる。下手をすれば、ナガン達の過去に目が向く。却下」
考えれば考えるほど、この盤面はオールフォーワンによって仕掛けられた妙手であった。
難羽及びショッカーでは世論をひっくり返すことは不可能である。
そもそも燈矢は過去にオールフォーワンの手下であるドクター、殻木球大が運営する孤児院に密かに収容されていた時期がある。
燈矢の遺伝子データや医療記録が保存されているのだ。
映像で示されたDNA鑑定書の用紙は、適当なでっち上げではない。
表社会で実際に名医として活動している殻木にとって、本物の鑑定書類を作成することなど容易だろう。
その時。
難羽の脳内に埋め込まれたナノマシンに通信が飛び込んできた。
ホークスからだ。
「……どうした」
難羽は脳内通信に応答した。
『ボス! ……燈矢の映像見ましたよね!?』
ホークスの焦燥しきった声。
そして猛烈な風切り音と激しく翼を打ち振るう音が聞こえてくる。
彼は現在空を飛びながら、どこかへと急行しているらしい。
『……あの映像の目的はエンデヴァーのイメージダウンや、社会への嫌がらせなんかじゃない! ……あれは、新たにNo.1になったエンデヴァーを『殺す』ための準備です!!』
「……なに?」
ホークスはエンデヴァーという男の背中に憧れを抱き、彼の熱を信じ続けてきた。
そして公安の任務の一環として、轟家の複雑で呪われた家庭環境についても、ある程度調査し、理解していた。
だからこそホークスは映像を見て、オールフォーワンの真の狙いに気づくことができたのだ。
『もし、今! ……轟家の『焼死体』が上がったらどうなると思いますか!?』
「……狙いは母親かッ!!」
SNSやネットの掲示板では無数の情報が飛び交い、大炎上している段階だ。
しかし、大衆の中にも冷静な者はいる。
『そもそもあんなヴィランは初めて見た』
『轟家の長男は、十年前ほど前火事で死んだはずだ』
この映像自体がエンデヴァーを陥れるためのフェイクであると判断し、静観している者たちも存在している。
だが、もしここで。
エンデヴァーの妻であり、燈矢の母親である轟冷。
彼女が炎によって焼き殺されたとしたら、どうなるか。
母親を狂わせた父親への憎悪と、息子を見捨てた母親への復讐。
そのおぞましいドラマの筋書きに、真実が生まれてしまうのだ。
大衆は、悲劇の息子による復讐劇を疑うことはなくなる。
さらに、難羽たちはエンデヴァーと燈矢が和解したという事実をまだ把握していない。
家族の絆を取り戻し、真の意味で父親として、そしてNo.1ヒーローとして前を向いて歩み出そうとしたその矢先。
自分の妻が殺されたという事実を突きつけられれば。
轟炎司の心は砕け散るだろう。
プロヒーロー・エンデヴァーとしても。
一人の父親としての轟炎司としても。
彼は完全に死ぬ。
和解直前という、偶然にもオールフォーワンにとって最高のタイミングで破裂した過去。
過去の清算が、轟家を壊そうとしていた。
東京の上空。
夕暮れの空を、ホークスは最速の男の限界を超えた最高速で飛翔していた。
大気を切り裂く風圧が彼のゴーグルをと揺らす。
心臓は肋骨を突き破るほどの激しい鼓動を打ち鳴らし、血液が沸騰するほどに熱くなっているというのに。
彼の身体の奥底、魂の芯の部分は冷たさに支配され、凍りついていた。
「────間に合え、間に合ってくれ……ッ!!」
彼は、あの不器用で、誰よりも熱く、そしてようやく前を向こうとしていた男の背中を、こんな理不尽な悪意で折らせるわけにはいかなかった。
しかし、彼が目的地の病院の上空へと到達し、その光景を視界に捉えた瞬間。
ホークスは絶望に翼の動きを止め、虚空に力なく立ち尽くすことしかできなかった。
眼下に広がる、精神科病棟。
轟冷が入院しているはずのその病室の窓ガラスが、内側からの爆発によって粉々に吹き飛んでいる。
そして、その破壊された一室から、空を焦がすような赤い炎が燃え盛っていた。
(……ああ……)
ホークスはその炎の熱を肌で感じながら、己の無力さに絶望した。