雄英高校、サポート科1年H組の教室。
入学式を終えたオリエンテーションの時間、その空間は独特の空気に支配されていた。
一般的な教室のチョークの匂いではない。
切削油のツンとした香り、半田ごての焼ける匂い、そして微かに帯電した電子機器の熱気。
壁一面には大小様々な工具が整然と並び、生徒一人ひとりに割り当てられた作業台には、最新鋭のワークステーションが鎮座している。
集まった新入生たちは、これから始まる生活への期待と名門校特有の重圧に顔を強張らせながら、まだ誰のものでもない真新しい椅子に座っていた。
重厚な駆動音と共に、教室の扉が開かれた。
「席に着け。HRを始めるぞ」
入ってきたのは小柄な身体に似合わぬ巨大な掘削用ヘルメットを被り、重機のようなパワーアシストスーツを纏った男。
プロヒーローであり、サポート科の主任教諭パワーローダー、埋島干狩である。
彼は教壇に立つと、機械的な排気音を一発鳴らしざわついていた生徒たちを一瞥で黙らせた。
「私が担任の埋島だ。ヒーロー名はパワーローダー……お前たちがここに来た理由は一つ。ヒーローの命を預かる技術を学ぶためだ」
ヘルメットの奥から響く声は厳格だ。
「我々の仕事は、ただ便利な道具を作ることではない。一歩間違えれば、使用者の腕を吹き飛ばし、命を奪う凶器を生み出すことにもなる……半端な覚悟で作ったガラクタは、現場ではただの棺桶になる。そのことを肝に銘じておけ」
厳しい口調での訓示。
教室の空気がピリリと引き締まる。
単なる「ものづくり」の楽しさを夢見ていた生徒たちの顔から、浮ついた色が消えた。
パワーローダーは満足げに頷くと、ホワイトボードに太いマーカーで大きく一文を書き殴った。
『サポートアイテムとは何か?』
「さて、最初の問いだ。我々が作るべきサポートアイテムの定義とは何だ? ……答えられる者は?」
「ハイハイハイハイ! 私です先生!!」
教室の空気が重くなるのを待たず、間髪入れずに手が挙がった。
ピンク色のドレッドヘア、発目明である。
彼女は十字の瞳を爛々と輝かせて立ち上がった。
「サポートアイテムとは、ヒーローの個性を120%、いや200%引き出し、より効率的に、よりスタイリッシュにヴィランを倒すための可愛いベイビーたちです!」
彼女は身振り手振りを交えて熱弁する。
「私の作ったベイビーたちが、ヒーローのポテンシャルを限界突破させ、輝かせ、そして世界を平和にするんです! つまり、愛です!」
「……まあ、熱意は買う」
パワーローダーは苦笑交じりに頷いた。
発目の意見はサポート科の学生として最もスタンダードで、かつ健全な動機だ。
「個性の拡張や増幅は、確かにサポートアイテムの主要な役割の一つだ。攻撃力を上げ、移動速度を高め、派手な活躍を支える……だが、それだけが正解ではない……他には?」
パワーローダーの視線が、教室の後方へ流れる。
そこには、周囲の熱気から切り離されたように静まり返る一人の生徒がいた。
「そこの、サングラス。……名前は?」
パワーローダーに指名されたのは難羽だ。
難羽は腕を組み、冷徹な眼差しで黒板の文字を見つめていた。
「難羽です。難羽輪太郎」
難羽は音もなく立ち上がった。
クラス中の視線が集まる。
特に、隣の席の発目は「ナンバは何を言うんだろう?」と興味津々な様子だ。
だが、彼は周囲の視線など意に介さず、淡々と口を開いた。
「先ほどの拡張という意見に対し、私は別の定義を提示します」
難羽の声は低く、教室の隅々まで染み渡るように響いた。
「サポートアイテムの本質は拡張ではなく、補完にあると考えます」
「補完だと? 続けてみろ」
「個性は万能ではありません。強力な火力の代償に熱がこもる、高速移動の反動で関節がきしむ……必ず副作用や限界、物理法則による制約が存在します」
難羽は空中に指を走らせ、見えない設計図を描くように語った。
「サポートアイテムは、その足りない部分を技術で埋め合わせ、マイナスをゼロに戻すためのサポーターであるべきです。……そして何より」
彼は一息つき、誰も触れようとしなかった点を指摘する。
「サポートアイテムは、そのヒーローでなければ扱えないものでなくてはなりません」
「ほう?」
パワーローダーが興味深そうに眉を上げる。
「現在、銃刀法および個性使用法において、殺傷能力のある武器の携帯は厳しく制限されています。それは『誰にでも使えてしまうから』です」
難羽の言葉に、教室が静まり返る。
生徒たちの多くは強力なビーム砲や鋭い剣を作ることばかり考えていたからだ。
「もし、私が開発した高出力のアイテムが、戦闘中にヴィランに奪われたとします。その時、ヴィランがそれを使い、私や市民を攻撃できたとしたら? ……それはもはやサポートアイテムではありません。開発者が社会にばら撒いた、ただの凶器です」
難羽の銀色の瞳が冷やりと光った。
それは、かつて力が管理されず、暴力が溢れていた時代を知る者としての痛烈な警告だった。
「同様に、戦闘の余波で紛失したアイテムを一般市民が拾った時、誤って作動させて怪我をするような物であってもならない。トリガーを引けば誰でも弾が出る銃や、振れば誰でも切れる剣……そういった『汎用的な武器』は、ヒーローの装備として不適格です」
彼はクラスメイトたちを見渡し、断言した。
「真のサポートアイテムとは、使用者の生体認証、思考パターン、あるいは使用者の個性を前提とした構造にし、その持ち主の意志下にある時のみ機能するシステムであるべきです……所有者の手を離れれば、それはスクラップになる。そこまでのセキュリティと専用設計が施されて初めて、我々はヒーローに力を渡す責任を果たせるのです」
教室内は水を打ったように静まり返っていた。
高校1年生の口から出たとは思えない、あまりに重く、そして倫理的な技術者の責任論。
それは、単に「すごいメカを作りたい」「有名になりたい」と夢見ていた生徒たちに、冷や水を浴びせると同時に、目指すべき頂の高さを見せつけるものだった。
「……ッ」
発目明は膝に乗せた手をを無意識に強く握りしめた。
(難羽くん……あなた、すっごい難しいこと言いますね……でも、燃えます!)
彼の言葉は、彼女の「拡張」という思想を否定するものではない。
むしろその拡張された力をどう制御し、安全に運用するかという、より高次元の課題を突きつけたのだ。
パワーローダーは数秒の沈黙の後、ニヤリと口角を上げた。
「……合格だ、難羽。その通りだ」
教師はチョークを置き、生徒たちに向き直った。
その目には先ほどまでの威圧感とは違う、一人の技術者としての誇りと、有望な若者への期待が混じっていた。
「我々が作るのはオモチャじゃない。社会の安全と、ヒーローの人生を背負う『責任』の塊だ……奪われて悪用されるような代物を作る奴は今すぐここから出ていけ。だが、その責任を背負い、技術で未来を守る覚悟があるなら……ようこそ、サポート科へ」
教室の空気が変わった。
緊張感はそのままに、しかしそこには確かな覚悟という熱が灯り始めていた。
「座れ、難羽」
「はい」
難羽は静かに一礼し、席に戻った。
その表情は変わらず無機質だったが、隣の席の発目明だけは見ていた。彼が座る際、ほんの少しだけ口元を緩め、満足げに黒板の文字を見つめていたことを。
この瞬間、1年H組における難羽輪太郎の立ち位置は決定した。
単なる優秀な生徒ではない。
クラスの基準を引き上げ、技術的な倫理を問う、冷徹なる指針として。