バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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121話 ストップ・ユア・エンジン!

 

高い天井と強固なコンクリートの壁に囲まれた広大な空間で、飯田天哉は一人立ち尽くしていた。

 

 

「……何をすればいいんだ?」

 

 

難羽から己の個性を磨けと指示され、指定されたトレーニングルームにやって来た。

しかし、そこには誰もいなかった。

 

特訓のメニューが書かれた端末が置かれているわけでもなく、指導してくれるトレーナーの類が待機している様子もない。

 

 

(難羽先生のことだ。これも何かの意図があるのだろうが……)

 

 

飯田はただぼーっと立っているわけにもいかず、とりあえずストレッチを入念に行って体を暖めておくことにした。

脚の筋肉を伸ばし、ふくらはぎに内蔵されたエンジンの排気管の調子を確認する。

 

そんな彼に、背後から不意に声がかかった。

 

 

「よう、天哉。遅れて悪かったな」

 

 

メニューの伝え忘れか、あるいは難羽先生が直接来たのかと思って振り向こうとした飯田だったが、その声の響きを聞いて硬直した。

聞き間違えるはずがない。

 

自分が最も尊敬し、その背中を追いかけ続けてきた、愛する家族の声。

 

 

「に……兄さん!?」

 

 

トレーニングルームの入り口に立っていたのは、飯田の兄──インゲニウム・リスタこと、飯田天晴であった。

保須市でヒーロー殺し・ステインの凶刃に倒れ、脊髄を損傷し、一生歩くことすらできないとヒーロー引退を宣告されていたはずの兄。

その兄がリハビリを乗り越え、今は慣らしも兼ねて少しずつヒーロー活動を再開していることは飯田も家族として知っていた。

 

 

「そんな、兄さんがなぜここに……!?」

 

 

驚きのあまり声を上げる飯田だったが、彼の視線は兄が身に纏っているコスチュームへと強く引き付けられた。

 

飯田家は、代々エンジンという同系統の個性を受け継いできたヒーロー一家である。

 

そのため、コスチュームの設計思想も自然と似通っていく。

高速移動時の空気抵抗を軽減するための流線型の装甲、顔を完全に覆い隠すフルフェイスのヘルメット、そして排気管を保護するマフラーカバー。

それが彼ら一家のヒーローを象徴する、伝統的なフォルムであった。

 

しかし、今目の前に立っている兄の姿は、飯田の知るそれとは根本的に異なっていた。

 

顔が露出した、頭部を保護するだけの白くシャープなヘッドギア。

上半身は無駄な装甲を削ぎ落とし、身体の動きに完璧に追従する柔軟な黒いボディスーツ。

下半身にはこれまでのような装甲が残っているものの、スリムな形状へとシェイプアップされて軽量化が施されている。

そして何より異質なのが、両腕の装備だ。

 

肘にエンジンを持つ兄の両腕には、前腕を覆う白いガントレット。

そして、その先端に黒いボクシンググローブが装着されていたのである。

 

それは高速移動に特化した鎧ではなく、近接格闘に特化したスタイルであった。

 

 

「……? ああ、これか。驚くのも無理はない」

 

 

天晴は弟の困惑した視線に気づき、自身のヘッドギアの側面に付いたスイッチをカチリと押し込んだ。

すると、ヘッドギアのパーツがスライドして展開し、顔全体を覆うフルフェイスのヘルメットへと変形。

同時にボディスーツの上から、飯田が見慣れたあの白い装甲が音を立てて形成された。

 

 

「ここをいじれば、いつものお前が知ってる装備にもなるぞ。外向けの広報活動や、追跡が必要な任務の時はこっちを使う」

 

 

天晴はそう説明しながら、再びスイッチを押す。

装甲を解除してボクシングスタイルへと戻った。

 

 

「ある人に言われたんだ。近所を乗り回すのに、いちいちF1カーに乗っている奴はいない……ってな」

 

 

天晴はグローブをはめた両手を顔の前に掲げ、軽やかにステップを踏んでファイティングポーズをとった。

 

 

「お前の相手は俺だ、天哉。……ミルコさんじゃなくて悪いが、兄ちゃんだって現役のプロヒーローなんだぜ?」

 

「兄さんが……僕の、相手……」

 

 

飯田は困惑しながらもヘルメットを被り、脚のスタンスを広げて深く構えた。

相手が尊敬する兄であろうと、これは己を磨くための特訓だ。

手加減などできるはずがない。

 

兄の肘のエンジンと、弟のふくらはぎのエンジン。

広大な空間に二つの排気音が同時に低く、そして熱く唸りを上げた。

 

 

「行くぞ、兄さんッ!」

 

 

開戦の合図などない。

飯田は開始直後、一切の躊躇いなく自身の最大出力であるレシプロターボを発動した。

エンジンの馬力を底上げし、十分間という制限付きで己の最高速度を維持し続ける、飯田天哉の必殺の型。

 

兄もまた肘のエンジンを全開にして、この最高速の勝負に応じてくるはずだ。

飯田はそう判断し、弾丸のように一直線に天晴へと突撃した。

 

だが。

 

 

「……え!?」

 

 

飯田の視界の中で、天晴はエンジンを吹かさず、ステップを踏んだままその場から一歩も動こうとしなかった。

 

 

(まさか、まだ後遺症で脚が……!?)

 

 

飯田の脳裏に最悪の想像がよぎり、無意識のうちに突撃のスピードを緩めそうになった、その瞬間。

 

飯田の思考を叩き斬るように、天晴からの強烈な返答が飛んできた。

それは言葉ではない。

 

鮮烈な左フック。

 

 

「しまっ──」

 

 

それは正面から放たれたものではなかった。

 

飯田が最高速で天晴に激突する直前。

天晴は肘のエンジンを瞬間的に、かつ極小の出力で点火したのだ。

 

そのごく短い推進力(ブースト)を利用して、天晴は飯田の突進の軌道上から右側へと滑るようにサイドステップを踏み、死角へと回り込んでいた。

そして、すれ違いざまにエンジンの推進力を拳に乗せた左フックを、飯田の後頭部へ叩き込んだのである。

 

 

「ガハッ……!!」

 

 

超高速で移動していた体に強烈な衝撃を加えられた飯田は、バランスを崩して錐揉み回転しながら床を転がり、そのままトレーニングルームの壁へと激しく突っ込んだ。

 

 

「……俺の最大の弱点は、狭い空間だ。最高速を出せない、直線距離の取れない環境でどう戦うか……それを学んだ」

 

 

壁にめり込み、呻きながら立ち上がろうとする弟に向かって、天晴は語りかけた。

 

エンジンの個性は、確かに他のどのヒーローよりも早く現場に急行し、誰よりも早く助けに行くことができる力だ。

逃走するヴィランの背中を、最速で追いつき捕らえることができる。

 

しかし、ステインと遭遇したあの狭く入り組んだ路地裏や、人質がいて十分な助走距離すら取れない閉鎖空間での戦闘において。

彼らの直線の速さという個性はその真価を発揮できず、無力化されてしまう。

 

天晴はステインの刃に倒れ、死の淵を彷徨ったあの絶望の中で己の個性の弱点を思い知らされた。

 

だからこそ彼は、復帰にあたって最高速を捨てた。

 

代わりに彼が徹底的に磨き上げたのは、己の個性を移動のためではなく、近接格闘における機動力と打撃力のブースターとして運用する新しい速さの形であった。

 

 

「くっ……!」

 

 

飯田は壁を蹴り、体勢を立て直して再度レシプロターボで突撃する。

今度は単調な直線ではなく、細かく軌道を変えながらの突進だ。

 

しかし、当たらない。

 

純粋なトップスピードも、エンジンの絶対的な出力も、間違いなく脚にエンジンを持つ飯田の方が遥かに上である。

それでも、天晴は飯田の放つ高速の蹴りを、精密なステップとエンジンによる小刻みな姿勢制御によってギリギリのタイミングで躱していく。

 

無駄な装甲と動きを削ぎ落とし、極限までコンパクトに洗練された天晴の動きに対し。

全身を装甲で覆い、スピードが速すぎるゆえに攻撃のモーションがどうしても大回りになってしまう飯田の蹴りは、見切られやすく、空を切るばかりであった。

 

 

(……このままヒットアンドアウェイの突撃を繰り返していても、躱されて体力を消耗するだけだ!)

 

 

飯田は瞬時に戦術を切り替えた。

一度レシプロターボを解除し、強引に距離を詰めて近接戦闘へと持ち込む。

 

蹴りのインパクトの瞬間のみにエンジンを爆発的に点火させ、最速の蹴りを放つ。

レシプロエクステンドの構えだ。

 

しかし、天晴のボクシングスタイルもまた、近距離での殴り合いに特化した型である。

 

 

両者は互いの間合いを測るように。

先ほどの超高速戦闘から打って変わって、ジリジリと歩をすり足で進めながら距離を詰め合う。

 

天晴が沈み込むようにしてアッパーの構えを取った。

 

飯田はそれを見て、即座に脳内で距離を計算する。

 

 

(……届かない。兄さんの腕のリーチと踏み込みの距離を考えても、今の間合いは明らかに圏外だ)

 

 

飯田がそう判断し、防御を固めるよりもカウンターとして放つ蹴りに意識を割いたその瞬間。

 

天晴の構えた拳が突如目の前に出現する。

 

 

「!?」

 

 

格闘技の歴史が廃れたこの超人社会だからこそ、誰もが無意識のうちに抱いている普遍的なイメージ。

 

「ボクシングにおいて、パンチを当てるためには必ず足での踏み込みとステップが必要である」という常識。

 

しかし、これはボクシングではない。

飯田天晴という肘にマフラーの生えた異形専用の、個性と格闘技を掛け合わせた戦闘スタイルだ。

 

天晴はアッパーの構えをとった状態のまま、両肘のエンジンを後方に向けてブーストしたのである。

足での踏み込みという予備動作を完全に省略し、地面を滑るようにしてスライド移動。

一瞬にして飯田の懐へと潜り込んだのだ。

 

飯田は驚愕と共に咄嗟に両腕を交差させてガードを固めたが、あまりにも遅すぎた。

それは地雷を踏み抜いてしまった人間が爆発の瞬間に頭を庇うような、ただの反射的で無力な行動に過ぎなかった。

 

ガードの隙間、そのさらに内側の死角を縫うように。

天晴の放った、エンジンの推進力をすべて乗せた右のアッパーカットが飯田の顎の先端を正確に捉え、真下から天を貫くように突き上げた。

 

 

「……レシプロ・ライジング!!」

 

 

鈍い衝撃音がヘルメットの内部で反響する。

飯田の視界が激しく揺れる。

脳髄がシェイクされたことで、一瞬意識がホワイトアウトした。

 

膝から崩れ落ちそうになる飯田。

 

しかし、不屈の精神と兄と同じエンジンを宿すヒーローとしての意地が、彼をその場に繋ぎ止めた。

 

 

「あああああぁぁぁッ!!」

 

 

意識が混濁した状態のまま、飯田は両脚のエンジンを起動させた。

 

顎を打ち上げられ、後方へ倒れそうになる力を逆手に取る。

そのままの勢いで後方宙返りを行いながら、全身のバネとエンジンの推進力を乗せた渾身のサマーソルトキックを放った。

 

 

「がっ……!?」

 

 

飯田のブーツが、アッパーを振り抜いて無防備になっていた天晴の顔面を捉えた。

 

飯田が食らったクリーンヒットに比べれば、顎の中心から少しズレた浅い当たりではあった。

 

しかし、個性の出力の差と、腕よりも強靭な筋力を持つ脚という部位。

そして何より、視界確保と軽量化のために天晴がヘッドギアを選んでいたことがダメージを深刻化させた。

 

今度は天晴の意識が揺さぶられ、脳の機能がシャットダウンしかける。

天晴は本能的に肘のエンジンを吹かし、後方へとブーストして飯田の追撃圏内から脱出した。

 

飯田は着地と同時に揺れる視界を無理やり定まらせ、兄を睨みつける。

 

 

(……ヒットアンドアウェイは僕の最大の強みだと思っていた。でも、兄さんが相手じゃ、その戦法では勝てない!)

 

 

直線の速さだけで押し切るのではなく、相手の懐に飛び込み、足を止めて打ち合う泥臭い覚悟。

 

飯田はレシプロバーストを発動し、エンジンの限界を超えた出力で、怒涛の連続蹴りを放ちながら天晴へと立ち向かっていった。

天晴もまた、逃げることなくその正面からの挑戦を受けて立つ。

 

トレーニングルームの空間で二つの排気音が幾重にも重なり合い、爆音のセッションを奏でる。

 

飯田の重く鋭い蹴りの暴風雨が天晴を襲う。

天晴は最小限のステップと肘のブーストを駆使して、その蹴りの大半を紙一重で躱し、捌いていく。

 

しかし、捌ききれずに被弾する飯田の一発の蹴りは、ガードの上からでも骨を軋ませるほどに重い。

 

対する天晴から放たれる拳は、的確に飯田の装甲の隙間や死角を打ち抜いていく。

しかし、飯田をノックアウトするほどの重い一撃を放つ事が出来ない。

飯田の蹴りを回避し続けなければならないため、十分な踏み込みのタメを作る隙がなかったからだ。

 

蹴りと拳。

兄と弟。

 

インゲニウムという名を持つ者同士の意地と誇りがぶつかり合う乱打戦。

 

その激闘の終幕は、突然訪れた。

 

互いに体力を限界まで削り合い、息を荒らげていたその時。

飯田が蹴りのモーションを止め、足を止めたてしまったのだ。

 

天晴は、その一瞬の静止を見逃さなかった。

 

回避に割いていた意識をすべて攻撃へと転換し、肘のエンジンを最大出力で点火。

砲弾のように放たれた天晴の右ストレートが、無防備な飯田の腹部の装甲を打ち砕き、めり込む。

 

 

俺の勝ちだ。

天晴がそう確信し、勝利の言葉を口にしようとした。

 

しかし、ヘルメットの奥。

バイザー越しに見えた弟の瞳を見た天晴は、己の勘違いに気づき、全身の血の気を引かせた。

 

天晴の拳が当たったのではない。

飯田が、その一撃をあえて待ち構えていたのだ。

 

 

(……僕は今まで、ずっと己の速さだけに依存していた。最高速で戦い、誰よりも速く動くことこそが、インゲニウムというヒーローの最強の形だと信じ込んでいた)

 

 

腹部に拳を突き刺された状態のまま、飯田は前屈みになる。

痛みに血を吐きながらも、両腕で天晴の右腕をがっちり掴み込んだ。

 

 

「しまッ……!」

 

 

天晴は慌てて腕を引き抜こうとしたが、逃れることはできない。

 

天晴の新しい戦闘スタイルの要であるエンジンは肘にある。

腕を固定されてしまえば、ブーストによる回避が封じられてしまう。

 

 

(……でも、違ったんだ。兄さんが一度立ち止まり、新しいスタイルを見つけて蘇ったように……ただ速く走るだけじゃない、時には立ち止まり、傷を負ってでも相手を逃がさないという覚悟も、ヒーローには大事なんだ!!)

 

 

「おおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」

 

 

飯田の両脚のエンジンが、凄まじい爆音と共に始動した。

それは蹴りをメインとして戦い続けてきた飯田が、実戦において初めて使用する投げ技への布石であった。

 

飯田は天晴の右腕を抱え込んだまま、自らの身体を後方へと大きく反らせ、エンジンの最大推進力を使って天井高くへと跳躍した。

 

空中で互いの身体が密着したまま、凄まじい速度で縦に回転する。

遠心力、重力、そして、レシプロターボの加速力。

 

そのすべての運動エネルギーを一点に集約し、飯田は兄の身体を床のコンクリートへと一直線に叩きつけた。

 

 

「レシプロ──スープレックス!!!」

 

 

 

トレーニングルーム全体が地震のように激しく揺れ、凄まじい粉塵が舞い上がった。

 

 

「が、はァッ……!!」

 

 

後頭部と背中から叩き込まれた天晴は肺の中の空気を吐き出し、ノックダウンされた。

 

しかし、そのすぐ横で。

全ての力と使い果たした飯田もまた、大の字になって床に倒れていた。

 

 

「……ハァ、ハァ……」

 

 

静寂を取り戻した粉塵の中で、二人の荒い呼吸の音だけが響く。

 

 

「……くくっ、ははははっ」

 

 

やがて、仰向けに倒れ込んだままの天晴が天井を見つめながら、嬉しそうに笑い声を上げ始めた。

ヘッドギアを外し、汗と埃に塗れた顔を弟の方へと向ける。

 

 

「……成長したな、天哉」

 

 

それは兄として、そして先を走るプロヒーローとしての、誇り高き承認の言葉だった。

 

 

「……ハァ……兄さんこそ……そんな戦い方、一体誰に教えてもらったのさ……?」

 

 

飯田は息も絶え絶えになりながら、苦笑交じりに問いかけた。

 

 

「ああ……俺の脚を治療してくれた人にな……まだこのスタイルは学んでいる最中だ。次は、足技も教えてもらう予定でな」

 

 

天晴は、自身を地獄から引きずり上げて別の地獄に堕とした恩人の顔を思い浮かべながら、ニヤリと笑った。

 

 

兄の脚を治してくれた、命の恩人であることは間違いない。

しかし、兄の真っ直ぐさを、直進する弾丸に魔改造してしまうような者でもある。

 

現代の医学では不可能な医療技術と、人を叩き潰すことだけに特化した格闘術を教える存在。

 

 

「……まるで、悪魔みたいだ……」

 

 

飯田は苦笑交じりにそう呟いた。

 

もしも、飯田のその純粋な感想を悪魔(難羽)が聞いていたならば。

彼はきっと、こう返すだろう。

 

 

『誰が悪魔だ』

 

 

現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?

  • 段落を使った普通の文章のほうが良い
  • 今の文章の方が良い
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