「ぐっ……!」
想定外の頭突きによってスターはたたらを踏み、後方に控えていた戦闘機の機上へと着地して体勢を立て直した。
スターが距離を取ったその刹那、死柄木の肉体から放たれる気配が再び変貌を遂げた。
猛り狂っていた転弧の怒りは再び深淵へと押し込められ、魔王の人格が肉体の支配権を掌握する。
「さて、ゲームの続きをしようか」
余裕の笑みを浮かべ、彼が一歩を踏み出したその瞬間。
表層の人格がオールフォーワンに切り替わったことで、先ほどスターが付与したルールが遅れてその牙を剥いた。
『オールフォーワンはここから少しでも動いたら──心臓が止まる』
宣言通り、彼の胸で力強く脈打っていた心臓がその活動を停止する。
だが、そこまでだ。
魔王の顔には、死の恐怖など浮かんでいない。
そもそも心臓が停止するという現象は、即座に死と直結するわけではない。
心臓の停止は脳への酸素やエネルギーの供給の停止、そして血液を循環させる機能が失われることによる老廃物回収機能の停止などを引き起こす。
結果として脳死、ひいては肉体の死を招くプロセスに過ぎない。
故に通常の人体であれば、活動限界を迎えるまでの時間はわずか十秒程度。
しかし、オールフォーワンは個性使用によって、現在肺呼吸を必要としていない。
酸素を体内に取り込み、血液に乗せて脳へ送るという過程を省き、直接脳細胞へと酸素を供給する。
よって影響が出るのは、血液の循環が停止したことによる老廃物の蓄積が限界に達するまでの時間。
結果として弾き出されたリミットは、三十秒。
この高速戦闘領域において、命に手を届かせるには十分すぎる時間。
オールフォーワンは心臓が止まれば死ぬという、常識に縛られた決着のズレを狙ったのだ。
しかし、アメリカNo.1ヒーローの判断もまた、超常の域にあった。
相手が心臓を止められてなお平然と動こうとしている事実を瞬時に受け入れ、スターは即座に次の一手を打つ。
「これより大気は、私の正面一メートル先の空間で固まる!」
「!?」
世界に新たなルールが書き込まれる。
オールフォーワンの周囲の空間が突如として硬質化し、目視することのできない檻となって彼を閉じ込めた。
新たなルール付与によって彼の心臓が鼓動を始める。
(だが、甘い……!)
透明な檻の中で、オールフォーワンはにやりと口角を吊り上げた。
先ほどの真空空間を作り出した時と違い、今回は大気そのものが物質化している。
故に、物理的な掘削が可能となるのだ。
崩壊の個性を使っても、即座に周囲から別の大気が流れ込んでくるだけで意味をなさない。
だが、単なる破壊の連撃であれば、穴を開けて前へと進むことができる。
スターの
もし、オールフォーワンの力をもってしても破壊できないレベルまで大気を強化することが可能であれば、彼をこの檻に閉じ込めたままにしておく事が出来たはずだ。
また、先ほど彼に拳を叩きつけた際、一撃で殺し切るだけの威力が足りなかったこと。
それらすべては、彼女の個性が持つ強化上限というルールがあるからに他ならない。
しかし、アメリカの防衛網もただ手をこまねいて見ているわけではない。
大気の檻を拳で砕き、強引に脱走しようとするオールフォーワンに向けて、編隊を組む戦闘機から高出力のレーザーが一点に集中する。
激しい光と熱が魔王を焼くが、それでも彼の命には届かない。
(……? ……そういうことか)
激しい砲火を浴びながらも、オールフォーワンは状況を把握する。
そして機上で毅然として立つスターが冷静な様子を保っていることに気がついた。
つまり、この檻も、このレーザーの集中砲火も、彼女にとって本命の攻撃ではない。
対象の確保や殺害を目的としたものではなく、時間稼ぎなのだ。
あれが、ここへ配達されるまでの。
スターの背後、遥か遠くの空。
即ち、アメリカ本土から放たれた矛が音を置き去りにして迫りつつあった。
極超音速大陸間巡航ミサイル『ティアマト』
最新鋭の科学技術の粋を集めた、戦略級の破壊兵器である。
スターは空の彼方から迫り来るミサイルの群れを、静かな決意と共に見据えていた。
ミサイルという兵器は、そもそも二メートル弱の人間という極小の的を狙い撃つように設計されてはいない。
オールフォーワンに直撃させるためには、ティアマトが着弾する直前のタイミングでルールの付与を行い、軌道と威力を一点に集中させる調整を行う必要があった。
「ティアマトは……ッ!?」
スターが飛来するミサイルに触れるためのタイミングを計り、全神経を研ぎ澄ませていたその時。
突如として、あの飛行脳無がスターの乗る戦闘機へと突っ込んできた。
それ自体は、本来であれば問題ではなかった。
彼女は肉体強化のルールを維持している。
いかに脳無の特攻であろうと、カウンターで迎撃することは容易い。
仮にミサイルへ新たなルールを付与するために大気の檻のルールを解除したとしても、オール・フォー・ワンはブラザーたちのレーザーによって足止めを食らう手はずになっていた。
だが、この戦場において、ただ一つだけ見落としがあった。
EMP対策が施されていない、即ち、オールフォーワンが保有する電波の個性の影響を受ける対象が、一つだけ存在していたのだ。
「爆ぜろ」
魔王の指令。
それを受信した脳無の体内に仕込まれた生体爆弾が大爆発を起こしたのである。
近距離で発生した爆炎と衝撃波。
ミサイルへの接触タイミングに、ほんの一瞬のズレが生じた。
「僕はコミックの敵キャラじゃない。必殺技の邪魔もするさ」
音速の飛翔物に対してその一瞬は致命的である。
スターの手からすり抜けたティアマトはルールの修正を受けないまま、オールフォーワンの遥か後方の海面へと激突した。
莫大な水柱が天を突き、海に大穴が開く。
だが、本来の標的である魔王はその爆心地から外れて無傷であった。
そして最後の大気の壁を、空気を押し出す個性で吹き飛ばしたオールフォーワンが黒煙の中からスターの眼前へと姿を現した。
彼の腰の周囲には、眩い光の輪が発生している。
それは空中での自由な移動を可能にする飛行系の個性であった。
(ブラフ……! 脳無の背に乗り、戦闘機を足場にすることで飛行系の個性を考慮させなかったのか……!)
スターは己の戦術の敗北を悟り、目を見開いた。
「チェックメイトだ、アメリカ」
勝利を確信した魔王の凶悪な手が、スターの顔面を鷲掴みにした。
崩壊と力の略奪。
二つの死と絶望の力が彼女の肉体へと行使される。
顔面から亀裂が走り、肉体が灰のように崩れ始める。
同時に彼女の魂に根付いていた個性の因子が、オールフォーワンの体内へと強引に引きずり出されていく。
「私は……崩れない……!」
スターは最後の力を振り絞り、新秩序で己の身体の崩壊を食い止めようとルールを付与した。
だが、新秩序には強化の上限がある。
崩壊という底なしの破壊力を、相殺することはできない。
「……! 駄目か……」
肉体の耐久力の強化にも、限界が訪れる。
ひび割れは全身へと広がっていく。
「完全勝利だ……
世界最強の個性を奪い取ったオールフォーワンが歓喜に打ち震えながら、新たな指令を世界に下そうとした。
だが、その時。
不敵な、そして誇り高い笑みを浮かべたスターの姿が見えた。
目の前のNo.1の残骸ではない。
オールフォーワンの中からだ。
次の瞬間。
魔王の肉体が、激しく爆ぜた。
「まさか……!?」
オールフォーワンの口から驚愕の声が漏れる。
彼の体内、血管、筋肉、そして魂そのものが、内側から引き裂かれるような凄まじい激痛に襲われる。
『新秩序は他の個性と反発する』
それがスターが最期に付与した、起死回生のルールであった。
無数の個性を略奪し、溜め込み続けてきたオールフォーワンの肉体は、いわば巨大な個性の火薬庫である。
そこに新秩序という爆弾を自ら取り込んだのだ。
(私にとっての最悪は、死ぬことじゃない。新秩序を奪われることだ)
己の肉体を守るためではなく、魔王の命を取るための必殺の矛として、スターは己を捨てたのだ。
魔王を道連れにするための相打ち。
オールフォーワンの個性は、奪うか与えるかの二択。
即ち与える対象がいなければ、新秩序を捨てることはできない。
オールフォーワンは生き残るため、戦闘機を操る彼らにこの個性を押し付けようと手を伸ばす。
しかし、彼らもまたスターの意志を継ぐ者たちだ。
魔王の接近を許さず、機銃とレーザーで執拗な足止めを行う。
その間にも新秩序が、彼が長年かけて集めた個性を次々と破壊し、消滅させていく。
スターは己の半身が魔王の中で暴れ回る光景を見届けながら、崩壊する戦闘機から暗い海へと落ちていく。
砂のように肉体がほどけ、意識が暗闇へと溶け出していく中。
壊れていく肉体で、キャスリーン・ベイトが最後に取った姿勢。
それは、かつて自身を救ってくれた
死の直前、最後のただ一瞬まで。
彼女は、間違いなくヒーローであった。
『パージローカスト』
「危なッ!!」
死という安息を待っていた彼女の前に飛来したのは、天国からの天使たちではなかった。
おぞましい羽音。
彼女の滅びゆく肉体を喰い漁るかのように、漆黒の飛蝗の大群が彼女の身体へと群がった。
崩壊の伝播を止めるための最も確実な方法は、崩壊が進行している部分を物理的に切除することである。
飛蝗たちはスターの欠けていく肉体の先端を喰いちぎっては自らと共に消失していく。
そして残りの飛蝗たちは彼女の欠損した部分に密集し、失われた肉体の代わりとなるように結合していく。
もはや、彼女に意識はない。
このおぞましい状態の彼女、否、肉塊を果たして生きていると言っていいのかは分からない。
肉体の半分以上がうごめく黒い繭で包まれたような、異様な状態。
「本当にギリギリだったな……」
水上を走る、サイクロンアバド。
そのシートの上に立ち上がり、装甲の一部を喪失した仮面アクターが、上空から落下してきたスターの肉体を受け止めた。
彼はすぐさまブーストモードを解除し、変形したサイドカーへと彼女を乗せた。
この絶望的な状況において現れた、全くの意味不明な乱入者。
その存在に、上空のブロスたちは困惑と敵意を向けた。
オールフォーワンを討った英雄であり、彼らが愛した妹分。
たとえ死んでしまっていたとしても、せめて故郷のアメリカへ、きれいな姿で帰らせてやりたい。
得体の知れない怪物に奪われるわけにはいかない。
『スターを離せ!!』
戦闘機が一斉に機首を下げ、仮面アクターをロックオンしようとする。
「油断するな!! まだ終わってはいない!!」
ブロスたちの警告に対し、仮面アクターは彼らを見向きもせず、逆に空へ向けて警告の声を張り上げた。
彼が捉えているのはオール・フォー・ワンであった。
いつの間にか、肉体の破裂が止まっていたのだ。
ここで、オールフォーワンと腹心である殻木によって行われてきた、脳無計画の真の目的について説明しなければならない。
異形の怪人、脳無。
それは複数の個性を内包させられた、意思を持たない生きる屍である。
しかし、その本質は単純な戦力を量産するための兵器開発などではなかった。
段階を踏むごとに、脳無が内包する個性はより複雑かつ強力なものとなり、やがてそれらを自在に使いこなすための知性すらも兼ね備えるようになった。
それがハイエンド脳無である。
さらに彼らは、オールフォーワンという個性の劣化版でありながらも同じ力を持ち、個性のストックを八つまで可能としていた
では、これらの膨大な実験データを統合し、殻木がマスターピースと呼んだ脳無の最終完成形とは、一体どのような機能を持つものなのか。
それが、今の死柄木弔の肉体──オールフォーワンの現在地に変貌を与えていた。
オールフォーワンの肉体が、まるで脱皮するかのように縦に二つに裂け始める。
一つは黒髪の青年となって、海へと落下していく。
仮面アクターはサイクロンアバドを急発進させ、海面に叩きつけられる寸前でその身体を受け止めた。
「転弧……!!」
マスターピース。
それは無数に取り込んだ個性の負荷に耐え、器である肉体の最適化を自動的に行うというものである。
その究極の肉体の中で、もし二つの魂が独立して存在していたら、どうなるか。
しかも、そのうちの一つが外部から取り込んだ毒によって汚染され、崩壊の危機に瀕しているとしたら。
肉体の最適化機能が導き出した答えは、極めてシンプルであった。
ならば、汚染された部分ごと肉体を分けて捨ててしまえばいい。
新秩序を押し付けるための他者は、決してパイロットだけではなかった。
オールフォーワンの内側に、志村転弧という別個の魂が存在していたのだ。
「パーフェクトゲームは無理だったが……まぁ、想定通りだね」
そして空中に残った、もう半分の肉体。
それは瞬く間に最適化と再構築を繰り返し、短い白髪を持つ男の姿へと変わった。
二十代後半といった若々しく力強い肉体を持ちながら、その端正な顔立ちには長い年月を生き抜いてきた底知れぬ知性と純粋な悪意が宿っている。
本当の完全体。
全盛期以上の魔王の再誕。
死柄木弔という肉体を
現在最終章の作成中ですが、投稿ペースはどちらが良いでしょうか?
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