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ダークマイトを倒した後。
ロシナンテが仕留めにかかったのは、この巨大要塞を個性によって空中に留めていたカミル・ゴリーニ。
組織の要とも言える最後の幹部。
しかし、彼が死の直前まで身を置いていた環境は戦闘の緊迫感とは無縁の空間であった。
高級な茶器が並べられ、芳醇な紅茶の香りが漂う外部の映像が投影された一室。
自らの主であるダークマイトが文字通り粉砕されているその最中に、彼は優雅にティータイムを楽しんでいたのである。
流石に主がやられた後には焦って逃走しようとしていたが、あまりに遅い。
その危機感を欠いた警備体制に、死線をくぐり抜けてきた黒霧達は最早唖然とするしかなかった。
しかし、問題が起きる。
あっさりとカミル本人は抹殺できたが、術者を失った要塞がそのまま重力に引かれて落下を始めたのだ。
だが、その問題も即座に解決された。
転弧がその両手を床に突き、崩壊の個性を全開にして放ったのだ。
要塞は大地に激突するより前に空中で灰と化し、無害な砂埃となって風に流されていった。
黒霧の個性で彼ら自身も安全に脱出する。
次代の象徴を自称し、世界を支配しようとした男の野望。
ダークマイト伝説は一日も経たずに、あっけなく終わりを迎えたのである。
そして、彼らが救出した二人の男女──ジュリオとアンナの処遇について。
現在、日本国内はオールフォーワンの侵攻によって未曾有の混乱状態にあり、正規のルートで海外へと脱出することは事実上不可能となっていた。
そもそも現状では日本からの飛行機や船を受け入れることはないだろう。
無論、彼らを救う義理などロシナンテにはない。
しかし、半ば偶然とはいえ命を救うことになった彼らをこの危険な戦場に放置して立ち去るには、彼らはいささか関わり過ぎていた。
結果として、最も安全な避難先として彼らを難羽の研究所へと連れて行くことになった。
黒霧のワープゲートを抜け、一行が到着したのは静岡県に位置する某遊園地。
その地下深く。
通常の入り口が一切存在せず、転移系の個性でしか立ち入ることのできない隔離空間、そこにバベルショッカーの本部は存在する。
ラボに案内されたジュリオとアンナを見て、難羽は当初、冷ややかな視線を向けた。
「……ここはホテルじゃない。チェックアウトだ、帰れ」
部外者の侵入に対して明確な難色を示したのである。
しかし、その態度は彼ら二人の個性を聞いた瞬間に一変した。
難羽が直面している個性終末研究の壁を打ち破る可能性を秘めたサンプルが自ら歩いてきたのだ。
掌を返して二人を歓迎した難羽は、すぐさま作業に取り掛かった。
「出来たぞ」
数時間後。
難羽は金属のトレイに乗せた小さな二つの物体を、戸惑う二人の前に差し出した。
仮にアンナの個性がこの地下空間で暴走した場合。
彼女の力によって急成長したバベルが研究所のすべてを消し飛ばす危険性がある。
それを未然に防ぐため、今後アンナの個性の暴走の危険を減らすために製作したサポートアイテム。
それは、銀色の二つの指輪であった。
シンプルではあるが品のあるデザインのそれはまるで婚約指輪のように思えた。
それは難羽が黒霧を含めた転移系個性の研究を応用して組み上げた、次元接続技術の結晶である。
ある程度近い距離にいることを前提とした設計だが、装着したアンナとジュリオの指輪同士の間の次元を歪め、物理的に離れていても常に皮膚が接触している状態を作り出す。
これによって、アンナの個性因子が限界を超える前に自動的にジュリオの相殺の個性が相互作用し、暴走を抑制するという安全装置であった。
まさにエンゲージリングというわけである。
この装置の作成前に原理と目的を説明された際、二人は首を振った。
命を救ってもらったばかりか、安全な匿われ先まで提供されている。
にも関わらず、自分たちのためだけにこれほどの超技術を浪費させるわけにはいかない。
何より自分たちはこれから先、互いの傍を離れるつもりは一切ない。
だから、個性が暴走するような事態は二度と起きない。
そう真剣な眼差しで訴えたのだ。
そんな彼らの固い絆を示す言葉に対し、難羽は真顔で問いかけた。
「……お前ら、子供出来たらどうするんだ?」
その直球すぎる言葉が静寂のラボに落ちた後。
一瞬の空白を置いて、ジュリオとアンナの顔が首まで赤く染まった。
視線を交わした二人はすぐさま気まずそうに顔を背け、互いに視線を明後日の方向へと彷徨わせる。
「……単純に考えて、お前たちの子供は将来的に爆弾になる……産まれたら顔を見せに来い」
難羽はそれだけを言い残すと背を向けて自らの作業机へと向かい、椅子に深く腰掛けた。
無論、彼の言葉は二人の特異な個性を継承した子供が、将来的にどのような危険な個性を発現させるか分からないという研究者としての分析に基づいた発言である。
しかし。
長い時を生き、歴史の影で数え切れないほどの人間の誕生と死を見届けてきた彼にとって。
その言葉の裏に別の意味が込められていることを、彼は否定しないだろう。
ジュリオたちを生活用の居住ブロックへと案内し、休息を取らせた後。
難羽はラボの最深部、デヴィッドが常駐している終末対策研究室へと足を運んだ。
「……しかし、アンナの個性。これは興味深い」
無数のモニターと複雑な計算式が浮かび上がる空間で、難羽は腕を組みながらそう静かに呟く。
難羽が強い関心を寄せているのは、アンナの能力そのものではない。
彼女の個性が発動する根源的なメカニズム、その原理そのものであった。
彼女の体内にある個性因子。
これが彼女の触れた人間の肉体へと流れ込む。
それによって、本来その人間が持っている個性因子量が擬似的に増大し、結果として個性の出力が異常なレベルにまで強化される。
逆に、対象の肉体が彼女の流し込む個性因子に適合できない場合、強烈な拒絶反応を引き起こしてダメージを受ける。
そしてその不適合の際には、彼女の個性因子は対象へと流れ込まず、彼女の体内に留まり続ける。
彼女が陥る個性の暴走。
それは、彼女の体内で無尽蔵に増幅し続ける個性因子がアンナの肉体という本来の器の許容量を超え、外へと溢れ出そうとする現象だ。
難羽がかつて提唱した、肉体というハードウェアは個性の力に合わせて最適化され変質していくという理論と、一見すると矛盾しているように思えるかもしれない。
しかし、これ自体は適合者が周囲にいれば、個性因子を流し込む先の新たな器が存在することになるため、理論上の問題は生じない。
彼女の暴走状態とは言ってしまえば排泄行為のような生理現象を我慢している状態に等しい。
彼女の肉体と個性の性質が根本的に適合していないわけではないのだ。
事実、適合者が多数存在していたゴリーニファミリーに囚われていた際、彼女の個性が暴走を起こすことはなかった。
「個性因子の増大と器……これで壊理ちゃんのエネルギー源が分かったね」
難羽の考察を聞いていたデヴィッドが、手元のホログラムキーボードを叩く手を止め、頷きながらそう言った。
壊理が持つ、生物限定で過去へと巻き戻す個性。
この個性は、彼女の額にある角に溜め込まれたエネルギーの量によってどれだけ巻き戻せるかが決定される。
だが、当初はその角に蓄積されているエネルギーの正体が何なのか、明確な答えを持っていなかった。
それが先ほどのメカニズムを確認できた事で判明したのだ。
「時間経過によって体内で自発的に増加し、蓄えられた個性因子。それ自体が巻き戻しを発動させるためのエネルギー源となる」
難羽がデヴィッドの言葉を引き継ぐ。
彼女の個性もまた、アンナと同じく個性因子を自ら増幅させる性質を内包していたのだ。
その増幅した因子が、角という器官にエネルギーとして溜め込まれていたのである。
かつてオーバーホールが、彼女の肉体と血液から生成していた個性破壊弾。
あれは撃ち込まれた対象の個性因子にのみに彼女の因子が作用し、因子が誕生する前へと巻き戻していたのである。
そして、オーバーホールが彼女の肉体をいくら修復出来ても弾の量産ペースを上げることができなかった理由。
それは肉体を治癒したからといって、消費された個性因子までが即座に増幅し、回復するわけではなかったからだ。
「個性因子の増幅機能……逆に言えば、あの個性はそれが無かったから欠落していた」
そして、この個性因子の増幅と消費という仕組みを理解したことで、難羽とデヴィッドは人類の歴史における一つの途方もない可能性にたどり着いた。
すべての始まりとも言える始祖の個性。
それがなぜ、あのような不完全で弱々しい状態だったのか。
それは、持ち主が自らの個性因子をすでに他者へと放出した後だったからだ。
自前で個性因子を増幅させる機能を持たなかったその個性は、一度因子を他者へと譲渡してしまえば、二度と回復することはない。
それはたった一度きりしか使えない個性だったと言える。
「計画変更だ。あの個性を使えば、確実に世界に種を蒔ける……デヴィッド、偶然だが我々は大きな一歩を進んだぞ」
「ああ。こういう状況で言うのも不謹慎かもしれないが……ようやく人類の未来への可能性が見えて、ワクワクしているよ。僕らは個性の分野で世界の誰よりも先にいて、まだ前へと進んでいる」
難羽によって強引に誘拐され、人類の破滅という絶望的な未来のビジョンを見せられたデヴィッド。
彼が背負わされた重圧は計り知れない。
それでも彼の根底にあるのは、真理を追究する研究者の魂だ。
これまで一切の解決策が見えなかった闇の中の研究に一条の明確な光が差し込んだ途端、彼は口元に笑みを浮かべずにはいられなかった。
不器用な不死の怪物と、かつて平和の象徴を支えた天才科学者。
二人の間に異端の研究者同士としての奇妙な友情が、確かに芽生え始めていた。
激動の連続であった三日目が終わり、オールフォーワンの軍勢が次なる標的である刑務所へと歩みを進める四日目の朝。
そんな研究所の邁進とは別に、トガとコンプレスは任務を帯びて地上で動いていた。
ダークマイトが錬金の個性で街を飲み込む騒動の前。
彼らが別行動を取っていたのは元々、裏社会で不穏な動きが活発化しているという情報を掴んでいたからだ。
そして、崩壊した市街地の瓦礫の陰で彼らが調査を進める中。
しかし、実際のところ、深く調査するまでもなくその異常事態は明確に彼らの眼前に現れた。
「……何で一般人がサポートアイテムを持ってるんだ?」
コンプレスが瓦礫の隙間から双眼鏡を覗き込み、信じられないものを見るように声を潜めた。
倒壊した建物の影で身を寄せ合い、ただ怯えてヴィランの襲撃を待つばかりのはずの一般市民たち。
それが今、彼らは敵意を剥き出しにし、互いに声を掛け合いながらやってくるであろうヴィランの影を鋭く警戒している。
その瞳に宿っているのは単なる絶望ではない。
自らの手で運命を切り開こうとする、反骨と叛逆の兆しであった。
彼らの震える手には、黒光りする銃型のサポートアイテムが固く握られていた。
誰もが持っているわけではないが、明らかに一つのコミュニティに複数丁が配備されている程度にはある。
それはプロヒーローが自身の個性を補助するための専用アイテムではない。
引き金を引くという単純な動作。
それだけで使用者の個性の有無にかかわらず、誰でも他者の肉体を容易く傷つけることが出来る純粋な暴力の形。
それがヴィランでもない、戦闘訓練すら受けていない一般の素人たちの手に渡っているのだ。
それはオールフォーワンのように、圧倒的な力で上から押し潰し、君臨するような悪ではない。
人の心の隙間に入り込み、不安を煽り、暴力という名の解決策を密かに手渡す。
まるで足元から立ち込める霧のように、社会の根底から見えない悪が這い寄っていることを示していた。