「ここまでとはな……」
仮面ライダーザムザの放つ蜘蛛糸は状況に応じ、硬度と柔軟性を自在に変化させる特性を持っている。
現在その糸は純白の十字架を形成し、一人の男を磔にしていた。
幾重にも巻き付いた糸の鎖が対象の身動きを封じている。
それはまさに蜘蛛の巣にかかった獲物の姿。
かつて死穢八斎會を率いていた男、オーバーホールである。
彼の恐ろしさは他者の肉体を素材とし、己の手足として自在に再構築する力にあった。
対象を分解し、望む形に組み直す。
それは彼が配下の肉体構造と個性を深く理解していたからこそ成り立つ戦術である。
しかし、この戦場に彼の部下の姿はない。
では、周りのヴィランやヒーローで代用できないか。
それはできなかった。
未知の人間を素材にするには対象の人体構造をまず把握し、己の肉体と他者の肉体を接続して再設計する狂気が必要となる。
彼にはそれが可能であったかもしれないが、現状ではその賭けを行う時間すら与えられていなかった。
そして、彼が持つ手札の一つ。
触れられた瞬間に肉体を分解されるという初見殺しはザムザに通用しない。
彼らは同じ破滅の個性を持ち、さらに一度その能力を見られている。
むしろ、
戦いの主導権はザムザが握っていた。
「このままお前をタルタロスに戻すのは良いが……落とし前は付ける」
静かに告げられた言葉と共に、糸を通じて力が伝播していく。
オーバーホールはかつてのコンプレスと同じ目に遭うこととなった。
オーバーホールの右肩から伸びる腕が、崩壊の個性によって消失する。
彼の右腕だけが砂と化して風に散っていった。
「……ケジメってことか。やっぱり俺たちよりヤクザだな」
しかし、オーバーホールは喪失の痛みを噛み殺し、マスクの下で歪な笑みを浮かべた。
彼の口から漏れたのは皮肉であった。
もし目の前に立つ男が純粋な悪意の塊であったなら。
あるいは、己の欲望のままにすべてを壊すヴィランらしいヴィランであったなら。
この場でおとなしく捕縛されることなどなく、問答無用で命を奪われていたはずだ。
あるいは両腕を奪い、実質無個性へと変えられていたに違いない。
そうなれば己の野望どころか、
しかし、以前に相対した時と比べ、目の前の男の魂は光を放っていた。
過去の因縁に囚われず、罪を裁くための制裁に留めるその姿勢。
それは甘ったるく、隙だらけの思考である。
まるで正義を盲信するヒーローやヴィジランテのような振る舞い。
オーバーホールからすれば、その青臭い精神的成長こそが弱点に映った。
命を奪われないのであれば、必ず反撃の機会が巡ってくる。
全身を縛られ、片腕を失いながらも彼は諦めていなかった。
そして、戦場のうねりが彼の思惑を後押しするように状況の変化をもたらす。
空気を引き裂くような異音が接近していた。
振り返ったザムザの視界を覆い尽くしたのは、空を飛ぶ山であった。
否、それは人である。
ギガントマキアがこの場所へと吹き飛ばされてきたのだ。
マウントレディを始めとする対ギガントマキア部隊は、一つの戦術的課題に直面していた。
それは敵の体躯があまりにも巨大であるがゆえに、攻撃の余波が周囲の味方に被害をもたらすという問題である。
そこで被害を最小限に抑えるため、彼らは味方の存在しない方角へ向けて怪物を弾き飛ばした。
だが、ザムザも同じ思考に至った。
オーバーホールの個性は、他者の肉体を素材とした際に最大の脅威となる。
万が一の逆転を許さぬよう、転弧は周囲に誰もいない戦線を移動させながら戦っていた。
結果として、ヒーローたちが安全圏と見定めた空間と転弧が選び抜いた戦場。
それが交差してしまったのである。
轟音と共に、マキアの背中が大地を粉砕した。
周囲の建造物が衝撃波で薙ぎ倒され、視界を遮るほどの粉塵が巻き上がる。
その激しい振動と衝撃が、ザムザの糸による捕縛を弛ませた。
そしてオーバーホールの残された腕が、偶然にもマキアの肉体に触れる。
「しまった……!」
ザムザの口から焦燥の声が漏れた。
オーバーホールは確信に満ちた笑みを深める。
ギガントマキアという存在は、圧倒的な膂力と耐久力を誇る究極の素材である。
これほどの巨体を己の意志で操ることができれば。
あらゆる攻撃を跳ね返し、巨大な腕で触れるものすべてを分解する最凶の怪物が誕生する。
幸いなことにマキアは悶絶しており、その動きは鈍っていた。
彼は迷うことなくマキアの肉体の分解を開始し、自らの新たな手足として再構成する手順に思考を巡らせる。
しかし、それは彼にとって取り返しのつかない大失態であった。
本来、オーバーホールは未知の存在との融合を避ける傾向にあった。
彼の個性はあくまで対象の構造を分解し、自らの知識に基づいて構成を変える力に過ぎない。
それを応用して他者の肉体を操作していたのは、精密な人体構造の理解があったからこそである。
もし彼にその専門的な知識が欠けていれば、無謀な融合などという手段を選ぶことはなかったはずだ。
だが、焦燥と勝利への渇望が彼の判断力を狂わせた。
ギガントマキアの肉体は、単一の個性によって形成されたものではない。
複数の個性が複雑に絡み合う改造体である。
その無茶な人体改造の代償としてマキアの思考は混濁し、本能のままに動くことしかできない。
繊細で高度な処置を必要とする肉体の再構成を前に、異物が混ざり合った思考回路は処理落ちを引き起こした。
さらに、彼に付与されていた犬の個性が事態を最悪なものへと導く。
急激に増幅された嗅覚と聴覚が戦場のあらゆる情報を過剰に拾い上げ、脳内に情報の奔流を叩き込んだ。
その上、痛覚を遮断する個性が危険を知らせるブレーキを壊している。
故にその異常事態に気付くことができない。
歯車は狂い、事態は転げ落ちるように破滅への坂を転がっていく。
そこに誕生したのはマキアでもなく、オーバーホールでもない。
制御を失った別の何かであった。
「ウバァヤアアアアアアア!!!」
言葉にならない冒涜的な絶叫。
そこにあったのは、原型を留めない肉泥の巨塊であった。
異なる細胞が一つになろうと不気味に蠢動するが決して混ざり合うことはなく、絶えず粘性を帯びた肉が流動を続けている。
不定形の肉の波がマキアの巨大な口腔にへばりつき、まるで腐った肉を啄む鴉の
怪物の目的はただ一つ、
進行方向に立つプロヒーローも、逃げ惑うヴィランも、一切の区別なくその肉の海へと飲み込んでいく。
倒れた仲間を助けようと手を伸ばした者。
逃げ遅れて足をすくわれた者。
等しく泥濘へと引きずり込まれ、肉塊の一部へと変えられていった。
「止まれぇッ!!」
事態の急変を察知したマウントレディたちが、自らの巨体を壁として怪物の前に立ちはだかる。
以前のギガントマキアであれば、それは動く岩山のような硬度を持っていた。
力と力の真っ向勝負でぶつかることは可能であった。
しかし、今の怪物は骨格を持たない泥の流体である。
渾身の力を込めて腕を突き立てても、底なし沼のように沈み込むだけで押し返すための芯を捉えることができない。
「
「でもどうやって……!」
覚上が唇を噛む。
彼女に与えられた変身システムはあくまで超常黎明期の兵器である。
ヒーローという職業すら存在しなかった時代。
敵を殲滅することを目的として作られたシステムだ。
彼女のヒーローとしての姿は、火力と暴力で脅威を排除するものである。
だが、目の前の肉の濁流の中には、数多くの人間が生きたまま取り込まれている。
核となっているオーバーホールだけを正確に貫き、飲み込まれた人々を救出するような器用な真似は不可能であった。
人々が逃げ惑い、ヒーローたちですら防衛線を放棄して後退を余儀なくされる中。
「待ちなさい……何してますの!?」
覚上の制止の声が戦場に響く。
人の波が後方へと逃げ去る中、ただ一人、破滅の濁流に向かって歩みを進める者がいたのだ。
彼の瞳には、迷いや恐怖は存在しなかった。
彼に植え付けられた崩壊の個性。
元を辿れば、オーバーホールの持つ分解と再構築の能力から造られたもの。
破壊の要素だけを抽出して作られた改悪品である。
対象を塵に還すだけのその力は、まさに
だが、彼は抗った。
自らに課せられた絶望の運命と悪意によって仕組まれた暴力の連鎖。
それに己の意志で立ち向かったのだ。
だからこそ今の彼はその破壊の力を制御し、壊すべきものだけを選んで壊すことができる。
治崎と同じく、分解の力がここにあった。
しかし、それだけでは駄目だ。
圧倒的な質量を誇る肉の波を前にしては、崩壊の伝播速度が間に合わない。
分解する前に彼自身が泥の波に飲まれ、重圧によって圧殺されてしまう。
肉の壁に穴を開け、中心に潜むオーバーホールという核だけを瞬時に切り離さなければならない。
そして飲み込まれた者たちを壊してはならない。
そのためには、肉塊のどこに治崎の本体と飲まれた者達が存在するのかを正確に感知する必要があった。
(これは運命か)
転弧は心の中で呟いた。
かつてオールフォーワンに肉体の主導権を奪われ、精神の奥底へと幽閉されていた時の記憶。
その暗闇の中で、アメリカの英雄であるスターアンドストライプが命を賭して残した傷跡。
彼女の個性である
それがオールフォーワンの無数の個性と反発し合い、内側から破壊をもたらしたあの闘争。
確かにあの時、彼女の反撃は無意味であったのかもしれない。
しかし、彼女は転弧に希望の種を与えていた。
「ありがとう、スター」
彼は今この場で唯一、個性という力を深く知覚した存在なのだ。
そしてその肉体は、個性の倉庫ともいえるオールフォーワンの半身とも言えた。
彼には見えるのだ。
マキアの肉体が、まるで一つの宇宙のように。
そして、星のように輝く無数の個性の気配が。
その宇宙の中心。
他者を支配しようとするオーバーホールの個性。
「……そこだ!!」
両腕と背中にそびえる蜘蛛脚を真っ直ぐに前方へと突き出し、ザムザは大地を蹴った。
肉の波が押し寄せる中、彼は稲妻のごとき速度でその中心へと突撃する。
漆黒の弾丸へと身を変えたザムザが、マキアの肉体を貫く。
そして、ザムザは怪物の背中を突き破って空中へと飛び出した。
空を舞う漆黒の戦士の腕には、すべての元凶である男がぶら下がっている。
核を失ったマキアの肉体は、その流動を停止した。
周囲を埋め尽くしていた肉泥は次第に硬化し、ただの巨大な残骸へと姿を変えていく。
「あれ……俺さっき……」
「生きてんのか……?」
崩れ落ちた肉塊の中から飲み込まれていた人々が現れ、咳き込みながら身の安全を確認し合う。
崩壊の力によって再分離されたのだ。
「……流石に三度目はない」
仰向けに倒れて荒い呼吸を繰り返す治崎の胸に、転弧の指先が静かに触れた。
治崎の肉体に、致命的な亀裂が幾筋も走る。
それはもはや再生することのない、崩壊の始まり。
硬質な破砕音を伴って、彼の肉体が徐々に灰色の砂へと変わっていく。
最期の瞬間。
治崎は残された視線で虚空を見つめ、震える腕を空高くへと伸ばした。
「親……父……」
懺悔なのか、それとも妄執なのか。
その呟きを最後に、男の全身は崩壊した。
風と共に、何一つ残すことなく消え去った。
「……想える人がいるなら、こんなことするなよ」
誰もいなくなった空間に向けて、転弧は独り呟いた。
かつて、己の手で家族を壊した男の言葉である。
「邪悪なヴィランは殺すが、市民は殺さない! そんなおまえは、結局人質『ジャンプホッパー』ぺぎゃっ」
男の口から紡がれるはずだった侮蔑の言葉は、突如として響き渡った機械的な音声によって遮られる。
直後、ゴキリという音が鈍く鳴った。
「私のことを知っていたらしいが……私の最速が、お前のよく回る舌より速いことは知らなかったか?」
ダツゴクの一人、ディテクター。
背骨を大きく曲げ、前かがみになった姿勢をとった小柄な男。
ピエロ風のマスクを付けた異様な風貌である。
彼が持つ個性は独裁。
背中から伸びる無数のコードを繋げることで本人の意思とは関係なく、人を操ることが出来る。
それによってプロヒーローたちを操り、仮面アクターへと襲撃させた。
そして今死んだ。
顔だけが後ろで嘲笑っていたヴィラン達の方へと向いて、戻らなくなった。
「……どうした。脱獄した犯罪者が好き勝手して、まさか殺されないとでも?」
超高速化によってディテクターの首をねじ切った仮面アクター。
彼は狼狽えたヴィランたちを前にそう問いかけた。
ヒーローとの戦いにおいて、ヴィランの死による決着は少ない。
それはヒーローの目的があくまで捕縛だからである。
事故による死はあっても、明確な殺意を向けられるのはヴィラン同士の戦いのみ。
ヴィジランテであっても、殺害をメインとする者は少数である。
仮面アクターが命を奪う者であることは裏社会でも周知の事実であった。
しかし、今回の彼はヒーローの協力者としてこの場にいる。
それもプロヒーローたちが目の前にいる状態である。
命まで奪われることはないと、ヴィランたちは高をくくっていた。
甘かった。
それはプロヒーローたちも同じ気持ちだった。
ディテクターによる支配の糸から救われたにもかかわらず、まるで命が助かった気がしない。
そもそも彼がこの作戦を主導する一人であることは、作戦会議の中でも問題視された。
しかし、何故かホークスやレディ・ナガン、果てはエンデヴァーまでもが信用できると支持したのだ。
現在、監視付きによる特例という名目で仮面アクターはこの戦場に立っている。
そして周りにいるプロヒーローたちは彼を信用できない筆頭であったが、ここでようやく気付いた。
監視など全くの無意味。
彼が本気を出せば一瞬で全滅する。
交渉という形をとっただけで、立場は何も変わっていないことに。
(だが、救われたのは確かだ……)
この傲慢な正義に助けられてしまった。
それは彼の正義を否定できるほどの力が、プロのヒーローであるはずの自分たちに無いことを意味していた。
(彼の行いは明確に犯罪、許されることではない……しかし、我々の立場でそれを言う資格はあるのか?)
彼のようなヴィジランテは、過去にも存在していた。
しかし、それが深く問題視されたことはなかった。
それは結局のところプロヒーローたちの方が強く、多く人々を救った実績があるからだ。
そのバランスが崩れればどうなるのか。
この騒がしい戦場の中で、一人のヒーローが何かに気付き始めていた。
「やぁ」
重苦しい思考に沈みかけていたヒーローを置き去りにし、仮面アクターは目的地へと到達した。
満堂刑務所の監視塔。
そこから戦場を見下ろしていた男は、まるで長年の知己を迎えるかのように彼を迎え入れた。
この大戦争の主犯にして、仮面アクターが最も命を奪いたいと渇望する相手。
死柄木全。
魔王オールフォーワンである。
「おっと──君が最初の勇者だよ。ヴィランたちを捕縛せず、殺して進んだ君が一番早いのは納得だけどね」
オールフォーワンは突如として目の前に現れた拳をかわし、口角を不敵に吊り上げた。
「私は二度死に、お前は一度死んだ」
監視塔の頂上にいつの間にか現れた死神は、突き出した拳をゆっくりと引き戻しながら告げる。
「次もお前の番だ」
死を超越した者たちが相対する。
真の最後の戦いが、始まる。