すみません、次からオールフォーワン戦です。
オールフォーワンとの決戦が行われる中でも、ダツゴク以外のヴィランの動きが止まるわけではない。
魔王オールフォーワンを討つため、日本の有力なヒーローたちの多くがその死地へと駆り出されている。
結果として、各地の治安は一時的に悪化せざるを得ない。
抑止力となるべきヒーローが足りていないのだ。
薄暗い路地裏や半ば倒壊したビルの影。
そこでは法と秩序が崩壊したことでタガが外れた者たちが、己の欲望のままに暴れ回っている。
「ヒャハハハッ! もっと逃げろよ! ヒーローは来ねェぞ!」
腕が複数生え、顔は3つ。
阿修羅を思わせる異形型のヴィランが、瓦礫の散乱する通りで逃げ惑う一般市民を追い回していた。
彼の顔には悪意と弱者を蹂躙する愉悦が浮かんでいる。
それは生存のための略奪ですらなく、ただ純粋に暴力という名の娯楽に酔いしれている姿であった。
「誰か! 助けて……っ!」
逃げ惑う者たちは悲痛な叫び声を上げる。
しかし、倒壊した家屋の隙間を虚しく反響するだけで、その声が届く先はない。
今もこの街のどこかで、同じように逃げ惑う者達とそれを守るヒーローは確かに存在する。
だが、この場にはいなかった。
絶望が市民の背中に迫った、その時である。
「──騒がしいな」
ヴィランと逃げる市民の間に、音もなく割って入った男がいた。
白スーツに身を包み、黒地のマスクを着けた男。
長く伸びた白髪をオールバックに撫で付けたその姿は、周囲の荒廃した風景の中でひどく異質に映った。
「あァ? なんだてめェは……俺の獲物を横取りする気か!」
複数の腕を同時に振り上げ、ヴィランが男へと襲い掛かる。
だが、男は避ける素振りすら見せなかった。
ただ無造作に手を伸ばし、ヴィランの巨体に触れた。
その瞬間。
「ガ……ァッ!?」
ヴィランの身体から刃や翼、そして無数の棘といった異質な器官が突如として生え出した。
それは男の手から放たれた攻撃ではない。
ヴィランの身体の内側から見知らぬ力が溢れ出す。
みなぎるその力が器の許容量を超え、肉体を突き破って飛び出したような光景であった。
あまりにも突然で暴力的な
ヴィランはその力を制御することなどできなかった。
まるで適合しない他人の臓器を捩じ込まれたような、異様な感覚。
呼吸が浅くなり、口からは泡と胃液が混ざったようなものが吐き出される。
吐き気が止まらず、焦点の合わない視界が激しく揺れ動く。
「あ、ア、ガァ……」
そして脳髄を焼き切るような激痛にヴィランはそのまま仰向けに白目をむいて地面に崩れ落ちた。
「……さっさと行け」
男は気絶したヴィランを一瞥もせず、無表情のまま背後の者たちに告げた。
腰を抜かしていた市民たちは目の前の惨状と男の底知れない力に怯えながらも、何度も頭を下げる。
「あ、ありがとうございます! 最近、こういう見た目の人たちが問題を起こすことが多くて……あなたも、お気を付けて」
そう言って、彼らは逃げるようにその場を去っていった。
そして男は特に頷きもせず、走り去る一般人たちの背中を見つめながら思考を巡らせた。
少し前。
彼が豚の顔をした男に話を聞いた時のことだ。
その男は、異形と見たら見境なく襲い掛かってくる者がいると恐怖に震えながら語っていた。
「……何かがおかしい」
男は顎に手を当てて呟いた。
異常事態の状況下、法という枷が外れたことで、社会の底に淀んでいた異形差別が顕著になるのはあり得ない話ではない。
だが、あまりにも綺麗に事が起き過ぎている。
幾らそうした差別があるとはいえ、都心部における異形に対する差別傾向は低い。
それがたった数日の被災状況となっただけで派閥が出来るほどの亀裂が生まれるとは考えにくい。
そう考えて彼は自嘲気味に鼻で笑った。
見た目で判断し、異形を恐れるというのならば。
「もし俺が囚人服のままだったら、あいつらも一目散に逃げだしていただろうな」
整った白いスーツを着ていたからこそ、彼らは自分を助けに来たヒーローかと勘違いしたのだ。
男の名は、
かつて、ナインと名乗った男であった。
気絶していたマスキュラーをヒーローに引き渡した後、トガ、コンプレス、
青年はトガ達に、伊口と名乗った。
彼は一般人の筈であったが、トガ達に対して一般人とは違う何かを感じ取っており、ヴィランではないかと疑っていた。
しかし、二人が素直にヒーローへ連絡したため信用できると思ったのだろう。
近くにある避難所へ彼らを案内しようとしたのだ。
しかし、そんな彼らは信じがたい光景を目の当たりにする。
「な、なんだあれ……」
コンプレスが息を呑んだ。
人の死体程度で恐怖や混乱する男ではない。
ヒーローとヴィランとの戦いで怯えるわけでもない。
一般市民同士による凄惨な暴動が繰り広げられていたからだ。
片方は、一般的な人間の姿をした者たちの集団。
もう片方は、異形型の個性を持つ者たちの集団。
彼らは互いに武器となるサポートアイテムや不慣れな個性を振りかざし、血みどろの争いを繰り広げていた。
「……どうして殺し合ってるの?」
トガが理解できないというように眉を顰める。
オールフォーワンの息がかかったダツゴクたちが暴れるのなら分かる。
だが、目の前で争っているのはただの一般市民たちだ。
しかも、彼らの顔に浮かんでいるのは悪意ではない。
どちらもが自分たちこそが被害者だという顔をし、同時に相手を排除しなければという加害者の顔をしていた。
理由が分からず困惑するトガとコンプレス。
しかし、伊口だけはこの争いがなぜ起こったのかを理解した。
社会の底に積もった
一発の弾丸という直接的な引き金があったことまでは知らなくとも、彼は誰よりも身をもって知っていたからだ。
彼もかつては社会の片隅で膝を抱え、自分の異形を呪いながら引きこもっていた。
だが、今は同じ悩みを持つ者たちと苦しみを分かち合った。
そして「普通」の見た目の友人を得た。
彼らと共に過ごし、ゲームや他愛のない会話を通して、見た目の壁など存在しないのだと知った。
遂には己の思いつきが形となり、架け橋が生まれようとしていた。
双方の歩み寄りを願い、誰もが笑顔で個性を解放できる未来を夢見ていた彼にとって。
今の光景は己の希望を真っ向から踏みにじられるようで、耐え難いものだった。
「やめろ……! やめろぉっ!!」
「おい伊口! 待て!」
コンプレスの制止を振り切り、伊口は一人で暴動の真っ只中へと飛び込んでいった。
彼が同じ異形型個性持ちであることは知っていても、この状況に突っ込んでいく理由が彼にあることを、コンプレスは知らなかった。
石や制御されていない個性のエネルギーが暴動の中で飛び交う中、伊口は両手を広げて二つの集団の間に立ち塞がった。
「やめてくれ! あんたたち、なんでこんなこと……っ!」
柔らかい肌をした市民たちを背にかばい、伊口は迫り来る異形型の市民たちに向かって叫んだ。
しかし恐怖に駆られた彼らの耳に、伊口の悲痛な叫びは届かない。
「どけよ、化け物!」
背後から、伊口が庇おうとした者たちの一人が、石を投げつけてきた。
石は伊口の肩に当たり、鈍い痛みが走る。
そして前方からは同じ異形型の市民が、怒りと悲しみに満ちた顔で伊口を睨みつけていた。
「お前……なんであっちを庇うんだよ!」
「違う! 俺はどっちの味方とかじゃなくて──」
「裏切り者!!」
全身が岩で覆われた大柄な異形の男。
彼は涙と怒りで顔を歪ませながら、伊口に向かって巨大な拳を振り下ろしてきた。
(……なんで、こうなっちまうんだよ)
伊口は逃げることもできず、ただ目を瞑り、その一撃を覚悟した。
「……弱いのに出てくるな」
目を開けた伊口の前に立っていたのは、白いスーツを着た見知らぬ男だった。
男は振り下ろされた岩の拳をするりと避け、そのまま男の腕に触れた。
直後、あの異変が起きる。
「ガァァァッ!?」
あの阿修羅のようなヴィランと同じように。
マスキュラーと名乗っていたヴィランと同じように。
ナインが行ったのは攻撃ではない。
ナインは自身が元々持っていた個性を含めて9つの個性を持つことが出来る。
これは殻木球大による改造で与えられた、劣化オールフォーワンともいうべき個性を持つが故だ。
逆に言えば、彼は他者に個性を与えることも出来る。
では仮に、8つ同時に個性を与えられたらどうなるか。
それがこれである。
複数の個性を同時に譲渡されたことにより、凄まじい肉体負荷が襲うのだ。
さらに個性を使おうとせずとも、攻撃的意思があれば植え付けられたばかりの個性は勝手に動いてしまう。
結果、暴走状態となった複数個性が宿主のエネルギーを限界まで消費して気絶させる。
本来はギフトを与える力である。
しかし、受け取る対象の許可を必要としないのであれば、こういった使い方も出来るのだ。
異形型の男は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
それを見た周囲の暴徒たちは敵も味方も関係なく、得体の知れない恐怖に悲鳴を上げて後ずさる。
(こいつがマスキュラーをやったのか……!)
合流したコンプレスとトガが伊口のそばに駆け寄った。
「お前……何者だ」
コンプレスが警戒を露わにし、懐のビー玉に手を伸ばす。
トガもまた、ナイフを構えながら男を睨みつけた。
「その力……オールフォーワンと同じ個性。つまり……お前が個性強奪事件の犯人か?」
ナインはトガたちの警戒を気にする風でもなく、静かに彼女たちを見つめ返した。
トガたちは数ヶ月前に起こった個性強奪事件の犯人がこの男であることを知っている。
だが、彼がかつてナインと名乗り、新しい世界の王になろうとしていたことまでは知らない。
殻木はナインをマスターピース、つまり
故にロシナンテの面々には伏せていたのだ。
結果として、トガたちも彼がどのような経緯でオールフォーワンと似た力を得たのかは知らない。
ただ裏社会の情報から知っただけの、記憶の片隅の存在でしかなかった。
「……俺の目的は、もう終わっている」
ナインは淡々と答えた。
「終わってる?」
「ああ。俺が奪った個性を元の持ち主に返すこと。それが俺の目的だった。そしてもう終わった」
その言葉にコンプレスは眉をひそめた。
「個性を返すだと? ヴィランが今更懺悔でもしているつもりか」
「……そんな高尚なものじゃない」
ナインは自身の掌を見つめた。
「複数個性は最早俺にとって毒でしかない。さっさと捨てたかっただけさ」
限界を超えた個性の連続使用による細胞の死滅。
複数個性に耐えられる肉体を持っても、結局その器を常にいっぱいにしていれば同じことである。
彼がすべきことは過剰な力を放棄することだったのだ。
難羽との戦いでそれを思い知らされた彼は、力への執着を失っていた。
「だが、そこらのヴィランにこの力を譲渡するのはプレゼントをしているようで反吐が出る。だから、持ち主に返すことにした」
しかし、タルタロスに収監されたままでは元の持ち主に接触することなど不可能である。
個性を返したいから持ち主に合わせてくれと言ったところで信用される筈がない。
だからこそ、彼はオールフォーワンによる襲撃の混乱に乗じて脱走した。
彼に従っていた三人の部下たち──彼らには、これ以上罪を重ねさせないよう独房に留まるように指示を出して置いてきた。
ただ逃げ出さなかっただけだが、その方が多少は印象は良いだろうと判断したためだ。
「脱獄したおかげで絶望していたヒーローたちが救われるなんて、皮肉な話だろ」
ナインは口角をわずかに上げ、嘲るように言った。
だが、トガは納得出来なかった。
彼女の瞳が、ナインを真っ直ぐに射抜く。
「……嘘」
「何?」
「個性を返すだけなら、どうしてさっき守ったの? ヴィランから助ける必要なんてないじゃん」
ナインの動きが止まった。
なぜ、無関係な一般人を助けたのか。
なぜ、伊口を庇うように手を出したのか。
その問いを投げかけられた瞬間。
『この悪魔が悪いんだ!』
「……何となくだ」
それ以上、彼は何も語ろうとはしなかった。
ナインという、どちらの派閥にも関係ない異物の乱入。
そして、どちらも守ろうと立ち塞がった伊口の姿。
その二つの異常事態を前にして、広場を包んでいた暴徒たちの熱は冷め、狂気の連鎖は止まろうとしていた。
彼らはただの市民である。
集団心理の波に飲まれて溺れていただけ。
足が付くと分かれば、彼らの感情は静まっていく。
武器を下ろし、我に返ったように血塗られた掌を見つめる者たち。
暴力の嵐が過ぎ去り、重苦しい静寂が辺りを支配し始める。
(……よかった)
伊口は肩で息をしながら、安堵の息を漏らした。
誰もがこの不毛な争いの終結を確信した、その時である。
未だに恐怖と憎悪に思考を支配されたままなのか。
一人の男が、震える手で黒光りする銃を構えていた。
その銃口は争いの中心で立ち尽くす異形の青年──伊口の背中を狙い澄ましている。
破裂音と、絶叫が響いた。