ちょっと今回長いです。
「があああッッ!!」
痛みと流血、苦痛に満ちた叫び声。
絶叫を上げたのは標的とされた伊口ではなく、銃を構えていた男自身であった。
男は耐え難い激痛に顔を歪め、痙攣する手から銃を取り落とす。
引き金を引いた右手の人差し指が、アスファルトの上へと転がり落ちていた。
すぐ先の地面には、冷たく光るナイフが突き刺さっている。
「…………なんで?」
刃を投擲したのはトガであった。
しかし彼女自身、なぜ男がそのような暴挙に走ったのか理解できていなかった。
ただこの場に渦巻く得体の知れない悪意を肌で感じ取り、反射的に身体が動いたに過ぎない。
暴徒たちの熱狂はすでに冷め、争いの火種は鎮火したと彼女は思っていた。
だからこそ、なぜこの男が背後から伊口を狙って引き金を引こうとしたのか、その動機が掴めなかった。
「あぁ……なるほど。そういうことね」
困惑するトガの傍らで、コンプレスは地面を転げ回る男を見下ろしたまま呟いた。
彼の脳内で、今回の不可解な暴動の原因とトリックの糸が一本に繋がったが故の言葉。
彼は血に塗れた地面へと手を伸ばし、転がっていた肉の欠片を指先で拾い上げる。
拾い上げた人差し指の腹には、硬く変色した皮膚の隆起があった。
オールフォーワンが行進を始め、日本中が混沌の渦に呑み込まれてからまだ数日。
闇ブローカーたちから一般市民の手へと銃が出回り始めた時期を考慮すれば、その期間はさらに短い。
そのようなごく僅かな時間で、一般人が指に分厚いたこを形成するほど銃器を使うことはないだろう。
結論は一つ。
この男は、自衛のために武器を手に取った一般市民などではない。
銃器の扱いに長け、日常的にそれを使用している裏社会の人間である。
「そうだよな。なんで気付かなかった」
顎に手を当てて思考を巡らせるコンプレスの姿は、マジシャンというよりも事件の真相に迫る探偵のようであった。
「SNSで銃の情報が出回ってるわけでも、ブローカーたちが民間人の下へ売りに行ってるわけでもない……何処から一般の人間が銃に辿り着いた?」
「えっ?」
トガが首を傾げる。
残された答えは単純である。
人伝の噂だ。
しかし。
それは一般市民の集団の中に、銃の販売場所と入手経路を知っている人間がいる前提となる。
コンプレスは、痛みを訴えて喚き散らす男の首元へと手を伸ばす。
正確には首と衣服の境界線、その隙間に指を滑り込ませた。
「つまりお前は──」
そのまま一気に力を込め、男の顔面を覆っていた
「──バレたか」
「やっぱりお前か──義爛」
そこに現れたのは、コンプレスたちが探していた闇ブローカーの大物であった。
義爛本人である。
彼は脂汗をかきながらも痛みを堪える。
そして悪戯がバレた子供のように、前歯の欠けた笑顔を見せた。
「しかし、なんで一発で俺だと分かった?俺の手下かもしれねぇじゃねえか」
「マジックでも客の中にサクラを入れるやり方がある。確かに一般人の中に潜り込むのは盲点だった。裏に精通した俺たちが一番探り込まない場所だしな」
コンプレスはともかく、トガは変身しない限り顔でヴィランだとバレる可能性はある。
そんな痛い腹がある中で、そもそも情報をあまり持っていないだろう一般人に探りを入れ続ける理由はない。
そしてこの騒動の裏にいるのが同業者であると知っているからこそ、犯人は裏に潜んでいるという先入観に囚われていた。
この偶然のアクシデントがなければ、市民の間に潜伏した義爛を見つけ出すことなど不可能であっただろう。
建物の崩れかけた壁に背を預けた義爛は悪びれる様子もなくニヤリと笑い、当たりだと小さく呟いて懐へ手を入れた。
彼の手の中に現れたのは、先ほどまで彼自身が握っていたものと同じ形状の物体であった。
すなわち、銃である。
未だ抵抗を続けるつもりかと周囲の民間人が恐怖と怒りに顔を歪める中、コンプレスは片手を上げて彼らを制止した。
「悪いね」
彼は指の欠けた血塗れの手で器用に煙草を口にくわえ、銃口をその先端へと押し当てた。
引き金を引くと、銃口からは弾丸の代わりに小さな炎が揺らめき、煙草の葉を焦がした。
「……ライターだよ」
紫煙を吐き出しながら、義爛は銃型ライターと煙草のケースを地面へと放り投げた。
そして抵抗する素振りも見せず、大人しくロープで縛り上げられる道を選ぶ。
「……なんでこんなことしたの?お金いっぱい稼げるからって、大変じゃない?」
トガがしゃがみ込み、義爛と視線を合わせて純粋な疑問をぶつけた。
実際、義爛の行った一連の工作はあまりにも手際が良すぎると同時に、彼自身の身を危険に晒す暴挙であった。
治安の悪化を狙って安価な武器を流通させ、社会の底に淀む差別感情を刺激して購買意欲を煽る。
一般的な人間と異形型の人間、双方の集団に金で雇ったヴィランを差し向けて襲撃させ、相互の不信感と溝を深める。
そして義爛自身は人混みを隠れ蓑として立ち回り、事態を悪化させ続ける。
その手法は狡猾で計算し尽くされていたが、それは彼が末端の売人であればの話である。
裏社会で影響力を持つ大物ブローカーである彼が、今更現場を這い回る必要などどこにもないはずだ。
「俺もね、最後にヴィランっぽいことしてみたかったのよ……もうすぐ、時代が変わるからな」
肺に吸い込んだ煙を夜空へと吐き出しながら、義爛は寂寥感を滲ませてそう返した。
その言葉は、どこか諦念を含んだため息のようにも聞こえた。
トガは少しの時間をかけてその言葉の意味を脳内で反芻し、やがて不満げに頬を膨らませて再び問い詰めた。
「……何それ。要は、オールフォーワンが勝つって話?」
あの戦場には自分たちの仲間が、自分たちの
彼らが負けるとは思いたくなかった。
トガの視線を受け、義爛は縛られたままゆっくりと顔を上げた。
その横顔に浮かんでいたのは、時代の終焉を悟ったような落胆と奇妙な安堵が入り交じった、複雑な表情であった。
彼は視線を空に固定したまま言葉を紡いだ。
「いいや──オールフォーワンが負けるからさ」
その頃、真の最終決戦が始まった監視塔では、絶望と希望が激しく交錯していた。
オールフォーワンと対峙する仮面アクターの装甲が、低い駆動音と共に限界を超えた出力を叩き出す。
『ジャンプ・ホッパー』
本来必要のない超近距離からの高速化。
視認すら困難な超音速の加速が、二人の間の距離を瞬時にゼロへと縮める。
オールフォーワンに個性を発動する時間を与えないためだ。
無数の個性をその身に宿すオールフォーワンの弱点。
それは莫大な手札の中から最適な能力を選択し、発動するまでに生じる僅かな思考の空白である。
単一の個性を極めた者と比較すれば、その初動には無視できない遅延が存在するのだ。
故に彼が個性を発動するその一瞬の隙を突いて、急所を破壊する。
『カッター・マンティス』
仮面アクターの腕部装甲が変形し、蟷螂の鎌を思わせる鋭利に湾曲した刃が展開される。
その切っ先が、オールフォーワンの首元へと容赦なく振り抜かれた。
「──正直ヒヤヒヤしたよ……だけど安心もした」
驚異的な超再生能力を持つオールフォーワンであっても、限界は存在する。
四肢を失おうとも瞬時に復元することは可能だ。
しかし、頭部を切り離された場合は違う。
果たして蘇生が可能なのかは彼自身にも未知数であった。
再生する可能性は確かにある。
だが、目の前に迫る戦士が首の再生を待ってくれるような甘い存在でないことは百も承知である。
しかし、オールフォーワンの懸念は杞憂に終わった。
仮面アクターの放った刃は首筋の皮膚を切り裂いたものの、そこから先へは一寸たりとも進まなかった。
無数の個性の負荷に耐え得るように最適化された彼の肉体は、常軌を逸していたのだ。
膨張した首の筋肉繊維が、侵入した刃を締め付け動きを封じ込めたのである。
白刃取りというには致命的過ぎる光景ではあるが、確かに首が刃を受け止めていた。
動きを止められた仮面アクターに対し、オールフォーワンの指が容赦なく迫る。
仮面アクターが持つ個性擬きを奪う意味は本来無い。
しかし、仮に奪われた場合肉体の意識は絶たれ、仮面アクターのシステムは停止する。
瞬時の判断で仮面アクターは己の腕から刃のユニットを切り離し、後方へと跳躍して離脱を図った。
首の筋肉に刃を噛み合わせられた状態では、腕を引き抜くことすら不可能だった。
「『剛力』+『筋力強化』+『バネ化』+『肥大化』+『ジェット』+『鋼化』+『握力増強』+『瞬間強化』」
逃れる仮面アクターを追撃すべくオールフォーワンが放つのは、テレフォンパンチ。
無力化するよりも、圧倒的な暴力でその身体ごと粉砕することを選んだのだ。
洗練された武術の技術など欠片もない、素人の放つ拳。
だが、そこに上乗せされた数々の強化系個性。
その一撃は次元の違う完全なる暴力へと昇華していた。
武の理合を無視した暴の奔流。
相殺を許さない規格外の圧力と質量。
回避を許さない超速度。
超速移動を可能とするジャンプホッパーはスーツへの負荷が大きく、連続での使用は不可能である。
冷却時間が不足していた。
「──クソッ!」
仮面アクターが選んだのは防御であった。
スーツの内部に装填されたナノマシンが瞬時に展開され、黒鋼の輝きを放つ球体状のシールドが彼の全身を覆い隠す。
その直後、万物を粉砕する巨腕がシールドに激突した。
鼓膜を破るような轟音と共に、黒い鉄球がまるで射出されたように監視塔から飛んでいく。
幾つもの倒壊したビルの残骸を貫通し、抉れた大地の果てでようやくその運動エネルギーを喪失して停止した。
球体の表面に亀裂が走り、耐えきれなくなったナノマシンの結合が崩壊していく。
仮面アクターは防御姿勢を解き、砕け散る盾の中から姿を現した。
「壊れる想定じゃないんだがな……」
仮面アクターの装備する武装。
それらは通常折り畳まれてスーツの内部に格納されている。
つまり一点ものだ。
ナノマシンを用いてその都度兵装を生成する方式では形成までのタイムラグが生じるだけでなく、エネルギーを浪費してしまうが故の選択。
そして今、彼の盾は破壊された。
二度目はない。
「難……仮面アクター!大丈夫!?」
「名前はどっちでもいい──それより距離をとってしまった!来るぞ!!」
ヴィランの群れを掻き分けて駆けつけた緑谷が切迫した声をかける。
しかし、彼らに状況を分析しているような猶予は与えられていなかった。
オールフォーワンには洗練された格闘技術はない。
それでも彼が長きにわたり闇の帝王として君臨し続けられたのは、技術を必要としないほどの火力を持っていたからに他ならない。
彼は戦いにおいて、常に他者を蹂躙できる遠距離からの広域殲滅を好んだ。
「『光塵』+『圧縮』+『放出』+『爆裂』+『螺旋』+『エネルギー増幅』」
膨大なエネルギーの渦が、オールフォーワンの右腕に収束していく。
ただそれを解き放つだけで、視界にあるすべての命を灰燼に帰すことができる。
仮面アクターの視覚センサーが限界値を超えた警告を明滅させ、危険感知が緑谷の脳裏に最大級の危機を告げる。
彼ら二人が回避すれば済む問題ではなかった。
オールフォーワンの突き出した腕の延長線上、その後方には、傷つきながらも戦い続ける無数のヒーローたちの姿があった。
「緑谷ッ!!」
仮面アクターの叫びとほぼ同時。
緑谷の姿がその場から消失した。
ワンフォーオールに継承された二代目の個性、変速の解放である。
慣性の法則を完全に無視し、対象の速度を自在に操る力。
初速から最高速へと一瞬で到達するその能力を用いて、彼は音の壁すら置き去りにする超高速移動を実現した。
「──スマッシュッ!!」
破壊のエネルギーを放とうとするオールフォーワンの砲身、その右腕に向かって、緑谷の渾身の蹴りが振り抜かれる。
変速による圧倒的な速度に加え、三代目の個性である発勁を乗せた一撃。
蓄積された運動エネルギーが爆発し、オールフォーワンの右腕の骨に亀裂を走らせる。
完全に伸びきろうとしていた腕が、衝撃によって僅かに軌道を逸らした。
しかし、それはあくまで照準が数度狂ったというだけ。
腕の内部で圧縮されたエネルギーの奔流を止めることはできなかった。
『ダブルアーム・ヘラクレス』
本来であれば仮面アクターの腕部に装着し、近接格闘の破壊力を増幅させるための巨大なマニピュレーター。
彼はそれを自身の腕には装着せず、背後へと展開。
大地に深く突き刺してアンカーとして機能させた。
『レーザー・ファイアフライ』
そして、両腕に内蔵された蛍型の光線照射装置を限界まで解放する。
装甲の隙間から淡い緑色のエネルギーが漏れ出し、周囲の空気を焼き焦がす。
安全領域を無視した最大出力の熱線が、一直線に放たれた。
「黒霧、飛ばせ!!」
オールフォーワンの放つ破壊の奔流と、仮面アクターの熱線が空中で激突する。
出力差によって押し込まれることが明白な状況下。
仮面アクターはあらかじめ渡しておいた通信機に向かって叫んだ。
エネルギーの射線上に立ち尽くしていたヒーローたちの足元に、突如として黒い霧が渦を巻く。
彼らの姿がワープゲートに飲み込まれ、戦場から次々と消失していった。
黒霧に課せられていた重要な任務、それは味方の撤退支援であった。
「──『エネルギー強化』+『波動』+『照射』」
空を割るような光の衝突は、瞬く間に終わりを迎えた。
均衡が崩れ去る瞬間。
仮面アクターはアンカーを引き抜き、身体を横方向へとスライドさせて回避行動を取った。
オールフォーワンの放ったエネルギー波が仮面アクターの熱線を飲み込み、射線上に存在した大地のすべてを消滅させた。
どれほどの数のヒーローがワープゲートに飛び込めたのかは分からない。
逃げ遅れた者がいたとしても、そこには何もなかった。
仮面アクターが焼け焦げた両腕を振るう。
オーバーヒートを引き起こし、内部構造まで融解しきった兵装ユニット。
それが意味を成さない鉄屑となって地面に転がり落ちた。
「──ッ」
緑谷が仮面アクターの傍らに出現した。
変速を用いた超高速化は、彼の肉体に細胞が悲鳴を上げるほどの負荷を強いる。
往復しただけにもかかわらず、緑谷は額に滲む汗を拭い、肺が破れんばかりの荒い呼吸を繰り返した。
あのまま変速を維持し、オールフォーワンに追撃をかける選択肢も彼にはあったかもしれない。
しかしあの魔王を討ち果たすには、勇者の数が足りていなかった。
単独で挑んで万が一彼が捕縛されれば、その時点で世界の希望は費える。
「必死だね。でも……僕の腕は二本あるんだ」
重力を無視して宙に浮かび上がったオールフォーワンが、愉悦に満ちた声で告げた。
その左腕には、すでに次なる破壊のエネルギーが満ち溢れている。
「ん……?」
しかし、彼の手の中で膨張していたエネルギーが突如として霧散した。
そればかりか彼の体を空中に留めていた力までもが失われ、身体が重力に引かれて落下を始める。
「なるほど」
オールフォーワンは落下する視界の中で、遠く離れた瓦礫の上に立つ一人の男の姿を捉えた。
イレイザーヘッド、相澤消太の血走った眼光が彼を真っ直ぐに射抜いていた。
個性「抹消」によって、オールフォーワンの体内に渦巻く個性が沈黙させられたのである。
相澤の周囲には、彼を死守すべく複数のヒーローが幾重にも陣形を組み、最大の警戒を敷いている。
しかし、個性を封じられたオールフォーワンの顔に焦りや恐怖の色は一切無かった。
ただただ、彼方を見下ろすような嘲笑が深くなるだけである。
確かに無数の個性を封印された今の彼は、最大の武器を奪われた状態にあると言える。
だがそれは、ヒーローたちの実力が向上したことを意味するわけではない。
個性を奪われたとしても、オールフォーワンの戦闘能力が圧倒的であるという絶望的な事実は何一つ変わっていなかった。
「間に合わなかったか……!」
相澤は唇を噛み締めた。
オールフォーワンが最初の攻撃を放とうとしたあの瞬間。
最もヒーローたちの注意が分散し、回避に専念せざるを得ないタイミング。
それこそが、相澤が個性を発動して介入すべき時であったはずだ。
「気にするなとは言わんが、落ち着け。むしろ最初に出ていたらどうなっていたか分からん」
彼を護衛する陣形の中から、相澤の後悔を察したヒーローの一人が静かに声をかけた。
抹消は対象の力を断ち切る強力な個性であるが故に、致命的な弱点を抱えている。
彼の個性は、視界に捉えた対象の個性を一時的に封じ込めることができる。
複数人を同時に視界に収めれば、その全員の力を奪うことも可能である。
しかし、前提としてこの個性の対象となるのは個性を発動した際に見た者たちである。
カメラで言えばシャッターを下ろした瞬間。
つまり、特定のヴィラン一人のみを無力化したい場合。
その標的が孤立している瞬間を見計らって発動しなければ、周囲の味方まで巻き込んでしまう危険性がある。
仮に相澤一人が黒霧のワープゲートを用いて個性を封じようとしたとしても、魔王が他のヒーローを肉の盾として利用すれば終わりである。
さらに敵の力を封じ込めるというその性質上、戦場におけるヘイトを一身に集めることとなる。
他の脅威を無視して集中砲火を浴びるリスクもあった。
彼の個性は集団戦に不向きであると語られてきたが、それは味方が入り乱れる大規模な乱戦においても同様の足枷となる。
そして何より手札を封じられたオールフォーワンが、この目障りな能力を排除しようと動かないはずがない。
己の後悔に苛まれるよりも先に、彼らは目前に迫る死の気配に対処しなければならなかった。
個性を封じられたオールフォーワンが激突した大地にすり鉢状のクレーターが形成され、土煙が舞い上がった。
そこから、悲鳴と共にヒーローたちが次々と空高く吹き飛ばされていく光景が相澤の目に映る。
そして、相澤たちの陣取る高台に向かって、何か巨大な物体が猛烈な速度で飛来した。
周囲の瓦礫を投げつけるという原始的な物理攻撃であっても、オールフォーワンの常識外れの腕力から放たれれば、それは容易く人体を粉砕する凶器となるのだ。
だが、相澤を守ることを至上命題とするヒーローたちにとって、その程度の飛来物は恐れるに足らない。
彼らは冷静に個性を発動し、迫り来る物体を空中で迎撃しようと身構えた。
しかし、攻撃を放つ直前。
彼らはその動作を強制的に停止させられた。
迎撃をやめるどころか、自らの肉体を盾にして飛来物を受け止める姿勢をとったのだ。
そうせざるを得ない理由があった。
「
オールフォーワンが投擲していたのは瓦礫などではなかった。
自らを包囲していたヒーローたちの肉体である。
己の個性を封じられながらも彼は怪力だけでヒーローたちの手足を掴み上げ、次々と放り投げていたのだ。
彼にとって、数十キロの肉の塊を放り投げる程度の作業は容易い。
「クソ野郎が……!!」
護衛のヒーローの一人が、怒りに震える声を漏らす。
彼らヒーローが、空から落ちてくる味方を見捨てるなどという選択肢を選ぶはずがない。
魔王は彼らのその
オールフォーワンがそのまま一直線に突撃してくる方が、彼らにとってはよほど戦いやすかっただろう。
だからこそ、これは攻撃ではない。
ヒーローの心をへし折るための嫌がらせなのである。
戦場にオールフォーワンのくぐもった嘲笑が響き渡った。
しかし、彼が最後の一人を掴み上げ、相澤に向けて投げ飛ばそうとしたその瞬間。
魔王の手から、ヒーローの身体が不自然に滑り落ちた。
どさりと音を立てて地面に崩れ落ちたヒーローの足首。
そこにはオールフォーワンの右手が、手首から先ごと千切れた状態で張り付いていた。
「……中々の威力だ」
眉を僅かにひそめたオールフォーワンは、手首の断面からすでに肉芽を膨らませている己の右腕を一瞥し、忌々しげに空を仰ぎ見た。
「流石っスね、レディ・ナガン!」
「確かに弾は当たってる!でも一瞬で再生したぞ!」
オールフォーワンの遊びを中断させたのは、かつて公安の暗部を担っていた二人であった。
ホークスの操る真紅の羽がナガンの身体に幾重にも張り付き、空中の彼女を最適な狙撃位置に固定している。
風を読み、死角を縫うように移動を繰り返す。
絶対的な機動力を誇る空の狙撃手である。
「大丈夫ですよ。俺たちの目的はダメージを与えることじゃない。とにかく役目を果たしましょう!」
ホークスが彼女への直接的な反撃を警戒しながら、地上に向かって叫んだ。
「少し面倒だな……」
個性を封じられた現在の状況下では、遥か上空からの狙撃に対して有効な反撃手段を持たない。
あの忌々しい視線を放つ男を排除し、抹消の拘束から逃れるべきか。
オールフォーワンが思考を切り替え、相澤の陣取る方向へ踏み出そうとしたその時である。
彼の眼前にそびえ立つ半壊したビルから、突如として泥の滝が出現した。
「
その攻撃、あるいは失敗の正体は、トゥワイスの個性によるものであった。
彼が操る二倍の力を発揮するには、対象の明確なイメージと精密なデータが脳内に構築されていなければならない。
そうでなければ複製は形を成さず、生成された物質は元の泥へと崩れ落ちてしまう。
しかし、逆に言えば。
形を成さない泥であれば、生み出し続けることが可能なのだ。
トゥワイスはオールフォーワンのすぐ側にあるビルの残骸に対して能力を使用し、その建造物の体積と同等の質量を持つ泥を生成したのである。
「……だからどうした」
オールフォーワンが煩わしそうに腕を薙ぎ払う。
ただそれだけの動作によって生じた風圧が、空から降り注ぐ泥の滝を正面から吹き飛ばした。
個性の力ではない。
彼の筋力が生み出した空気の壁である。
軌道を逸らされた大量の泥が地面に叩きつけられ、オールフォーワンの周囲に視界を遮るほどの濃密な砂煙を巻き起こした。
オールフォーワンの視力は改造によって強化されているが、物質を透過して見通す能力までは備わっていない。
(目くらましか……?)
そう考えたオールフォーワンはあえてこの視界不良の状況を受け入れ、微動だにせず立ち尽くした。
必死に知恵を絞り、策を練ってくる有象無象のヒーローたち。
そのすべてを正面から粉砕してこそ、彼らの心を完全にへし折ることができるからだ。
これは彼自身の邪悪な気質によるものだけではない。
理にかなった戦略でもあった。
個性が持ち主の精神状態に強く依存して力を引き出すのであれば、その逆もまた真なりである。
諦念や絶望といった負の感情は、感染症のように群衆の間を伝播する。
仮に一部のヒーローが希望を捨てなかったとしても。
大多数の心を砕いてしまえば、戦場全体を敗北の空気が支配することになる。
彼は長きにわたる歴史の中で幾度となく人間の心を追い詰め、壊してきた。
だからこそ、流れの重要性を誰よりも深く理解していた。
「──お前ももう終わりだ、オールフォーワン……なぜって?」
砂煙の向こうから、その流れを幾度となく覆してきた男の声が響き渡った。
自らの破滅を告げるその声に、オールフォーワンの聴覚が鋭く反応する。
同時に、こちらへ向かって一直線に駆け込んでくる足音が聞こえた。
「──私が来た!!」
平和の象徴。
オールフォーワンにとってこの世で最も忌々しく、そして最も執着する存在、オールマイトの声であった。
しかし、その声を聞いても魔王の表情に焦りは浮かばなかった。
彼は白けたように鼻を鳴らし、薄ら笑いを浮かべるだけだ。
オールマイトはすでに戦線から退いている。
神野区での死闘において、彼は己の内に残されたワンフォーオールの残り火を燃やし尽くしたはずだ。
今は度重なる手術と後遺症によって痩せ細った、ただの無個性でしかない。
さらにオールフォーワンの研ぎ澄まされた聴覚は、矛盾を捉えていた。
空気を震わせたオールマイトの声の発生源とこちらへ向かってくる足音の位置に、明確なズレが生じているのだ。
つまり、声の主と接近してくる人間は別人である。
視界を奪われ、個性を封じられた状態であっても、その程度の状況判断は彼にとって造作もないことであった。
録音か、それとも本人に叫ばせたか。
いずれにせよ、オールマイトの声をぶつけて動揺を誘うつもりか。
(確かにこの長い歴史の中で僕に膝を屈させたと言えるのはオールマイトか、あの仮面アクターくらいのものだろう)
だが、その程度の安直なブラフで隙を見せるとでも思ったのか。
あまりにも幼稚で滑稽な策に、オールフォーワンの口角が深く釣り上がった。
「どうしたオールマイト!煽るだけで手も足も出ないのかい?」
そう煽り返してやるほどに、程度の低い悪あがきであった。
その直後。
オールフォーワンの身体が、突如として硬直した。
(な……?)
ここで初めて、絶対的な余裕を保っていたオールフォーワンの精神に明確な動揺が走った。
驚愕の声を上げることすらできず、思考が機能不全に陥ったようにまとまらない。
足音の主は、すでに砂煙を切り裂いて彼の眼前にまで迫っているというのに、指一本動かすことができないのだ。
「安心しろ、手はちゃんと出してやるぜ……親友!!」
オールマイト。
己の肉体一つで理不尽な悪を打ち倒し、複雑に絡み合った悲劇の物語を強引にハッピーエンドへと導いてきた、まるでデウスエクスマキナのような存在。
どんな絶望的な盤面をもひっくり返してきた男が、晴れゆく砂塵の中からその姿を現した。
いつもの不敵な笑みと、初めて見せる機械仕掛けの鎧。
黒く輝く鋼が、彼の復活を祝福する。
平和の象徴。
その魂を乗せた
「もう一度言おう……私が来た!!」
3人目の勇者。
アーマード・オールマイト、出撃。