黒霧参戦の言い訳を考えていませんでした。
黒のパワードスーツに身を包んだオールマイトが、オールフォーワンの肉体へ怒涛の連撃を叩き込んでいく。
鋼鉄の巨腕が空気を圧縮し、衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
その光景を、倒壊したビルの影から見届ける二人の姿があった。
「上手くいってよかった……」
心操人使は、冷や汗を拭いながら深く息を吐き出した。
思わず自身の口元を覆うマスク型サポートアイテムに触れる。
「……あとは彼らに任せましょう」
それに対して答えるのは黒霧だ。
ワープゲートの連続使用によってかつてない疲労を感じている。
「ああ。ヴィランに賛同するのは癪だがな……」
オールマイトの劇的な登場という舞台演出を担ったのは、紛れもなく彼らであった。
自身の声に応えた対象を支配し、命令権を得る個性。
洗脳。
心操は自身のサポートアイテムであるペルソナコードを操作し、オールマイトの声を模倣した。
その声による煽りにオールフォーワンが応えた瞬間、個性発動の条件は満たされたのだ。
心操の脳裏に、数日前に行われた作戦会議の記憶が蘇る。
「俺が……ですか?」
オールフォーワンとの最終決戦に参加するプロヒーローたちが集う、重苦しい空気に包まれた大広間。
壇上に立つ見慣れぬ男の指が真っ直ぐに自分へ向けられ、心操は困惑の色を隠せなかった。
その男とは難羽である。
心操はA組の生徒たちと交流を深め、自身の努力も相まって普通科からヒーロー科へ転入する話が進んでいた。
しかし、A組の生徒たちが既に受け入れていた目の前の不審者と、なぜか彼はこれまで一度も遭遇する機会がなかった。
それ故に、なぜ自分がこの作戦の要の一人として指名されたのか理解できなかったのである。
なお、難羽輪太郎という男が彼とこれまで接触しなかったのは、単なる偶然に過ぎない。
「そうだ。一度だけで奴に洗脳を食らわせる」
難羽は心操を含めたヒーロー全員を見渡し、淡々と説明を続ける。
「あの……俺の個性のことわかってるんですか。洗脳してなんでも出来るってわけじゃないんですよ」
心操の洗脳による効果は確かに強力である。
対象の意識を奪うだけでなく、ある程度単純な行動を強制することも可能だ。
しかし、その力は決して実戦向きとは言えなかった。
発動条件が対象からの応答であることを把握されれば、それだけで警戒されてしまう。
さらに洗脳状態の対象に何かしら衝撃を与えた場合、洗脳は解除されてしまうという弱点があった。
空中を自在に移動するオールフォーワンであれば、洗脳によって落下した際の衝撃だけで意識を取り戻す可能性が高い。
「理解している。だから一度だけでいい」
難羽の表情に迷いはなかった。
「じゃあ、ヒーローたちが最大火力を出せる隙を作る……とかですか」
心操は自身の個性の有用性を考え、一つの仮説を口にした。
洗脳によって命令を下すのではなく、ただ意識を奪った状態を維持する。
その隙にヒーローたちを集結させ、強力な個性による一斉攻撃を叩き込む。
それならば、たった一度の洗脳でも戦局を覆す決定打となり得る。
しかし、難羽は静かに首を横に振ってその提案を否定した。
「緑谷のように洗脳を受けた奴から聞いた。洗脳状態でも、ぼんやりとだが周囲の状況を認識出来るそうだ」
仮にヒーローたちの一斉攻撃を行ったとする。
しかし、すべての攻撃が一度に着弾するとは限らない。
最初の一撃で完全に息の根を止められなければ、痛みで意識を取り戻したオールフォーワンによる怒りのカウンターがやってくるだろう。
相澤の個性によって敵の能力を封じたとしても、魔王の常軌を逸した身体能力そのものを奪うことは不可能だ。
そもそもオールフォーワンによってヒーロー側の個性が奪われる危険性がある以上、一箇所に大勢の人間を集めて集中砲火を浴びせるだけの作戦はあまりにもリスクが高すぎた。
「重要なのは奴の口を塞ぐことだ。不用意に煽り返せば隙を晒すという認識を与える」
「…………それだけ?」
「そうだ。しかし、これは確かな意味を持つ」
心操はこの時難羽の真意を理解できなかったが、師匠である相澤からの静かなアイコンタクトを受け、渋々ながらもその役割を引き受けた。
後になって思えば、相澤はこの時点でオールマイトが戦場に立つことを知っていたのだろう。
「──オイ!!」
心操への作戦の説明が終わってすぐ。
ヒーローの一人が我慢の限界だとばかりに手を挙げ、壇上に立つもう一人の存在を鋭く指差した。
それは白雲朧の成れの果て。
仮面を付けずとも表情の読めない、曖昧な黒い靄の顔。
空間を繋ぐ個性を持つ特殊脳無。
黒霧であった。
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと答えろ! なんでヒーローの作戦会議にヴィランがいて、しかもなんでそいつが作戦の要になってんだ!!」
怒りを露わにしたプロヒーローが叫び声を上げる。
あまりにも真っ当な問い詰めに、難羽は内心で僅かな申し訳なさを覚えつつも、小さく咳払いをして応じた。
そもそも何故、難羽のような部外者が作戦の一部を説明しているのか。
ホークスやオールマイトといった信頼に足る存在を通して、裏から作戦の根回しを行っていたはずである。
それは今回の作戦において必要不可欠となる劇薬について、彼自身の口から説明しなくてはならなかったからだ。
表舞台を歩くヒーローに背負わせることのできない、非合法なヴィジランテとしての彼が提案し、責任を負うべき作戦だったのだ。
「先ほども言った通り、大勢のヒーローを集結させるには、ダツゴクたちが次にどこの刑務所を狙うかを知る必要がある。しかし、移動しているのを確認してからでは間に合わん」
「だからって……!」
「最悪、最後の刑務所以外襲撃を受けてから待ち構えることになる。ダツゴクの増加、周囲の街への被害。看過できん」
難羽の冷徹な事実の羅列に、声を上げたヒーローが言葉を詰まらせる。
確かにワープゲートの個性を使用できれば、次に狙われる刑務所が判明した時点で即座に戦力を投入し、対応することが可能となる。
周囲の民間人や刑務所内の囚人をあらかじめ安全な場所へ避難させておくことも容易だろう。
そして奇襲を仕掛けることで、戦いの主導権を完全にこちらが握ることができる。
戦術的なメリットは計り知れない。
それは壇上に立つヴィランの能力について説明を受けた時点で、その場にいる誰もが理解していた。
それでも、受け入れがたいデメリットが存在する。
天秤に載せられた数多の恩恵に対して、逆側に置かれたたった一つの要素があまりにも重すぎた。
「だって、そいつはヴィランだろ……?」
信用できない。
己の命を預けるには、あまりにも信じるに足らない存在。
ただでさえ仮面アクターという過激な思想を持つヴィジランテが作戦の主導権を握っていること自体が、異常事態である。
その限界を超えて、さらなる危険物を受け入れることなどプロとして到底容認できるものではなかった。
黒霧がすべての戦いを終えた後、自首して刑務所へ入ることを約束しているという説明は受けていた。
逃走を企てたり、ヒーローたちへ牙を剥いたりした場合は、仮面アクターがその場で即座に処刑するという条件も聞かされていた。
到底肯定できる手段ではないが、それでも無慈悲に悪を屠ってきた男の誓約である。
だが、それだけでは足りない。
だから何か。
せめてこのヴィランを信じることの出来る何かが欲しかった。
難羽は彼らの抱く当たり前の感情を静かに受け入れ、その
「脳無の頭部には、外部から司令を受け取るためのチップが埋め込まれている。黒霧にもそれが埋め込まれていた」
突如として語られた脳無の構造に対する言及。
目の前に立つヴィランが脳無の一種であることは最早周知の事実であったが、それが今の議論とどう結びつくのか。
ヒーローたちは困惑の表情を浮かべる。
「黒霧の頭部には、代わりに私が埋め込んだチップが存在する。私の意思で意識をコントロールする事が可能だ」
難羽の宣告に、何故か隣に立つ黒霧自身が最も強い衝撃を受けたような反応を示した。
まるで自身の脳内に爆弾が仕掛けられているという事実を今この瞬間初めて知らされたかのような、そんな生々しい動揺である。
そしてその言葉に戦慄したのは、黒霧だけでなくヒーローたちも同様であった。
黒霧という個人の反省の言葉で、自分たちの心に訴えかけてくると思っていた。
難羽が頭を下げ、どうにか信じてくれと懇願すると思っていた。
しかし突きつけられたのは、倫理の境界線を踏み越えた、冷酷な強制権の存在だった。
「幾らヴィランだからってそんな……!」
「脳無は死体から製造されている。戸籍も無ければ人権もない。ああ、
一切の感情を交えずに難羽が告げた言葉が、作戦会議室の空気を支配した。
実際のところ。
彼をヴィランとして捕縛し裁判にかけたとしても、どのような法で裁くことができるのかは誰にも分からない。
それは人間ではなく、生物兵器そのものに罪を問うという前例のない行為だからだ。
しかし、それでは。
あまりにも惨い。
ヒーローたちは黒霧に対し、少しばかり同情とも取れるような複雑な感情を抱き始めていた。
理性を持たない化け物である通常の脳無とは異なり、明確に言葉を交わし対話可能な存在であったことも大きく影響している。
壇上で難羽に掴みかかろうとする黒霧の様子から、難羽の手によってチップを埋め込まれたのも事実であり、更にはその用途を隠され騙されていたのだろうということは想像がついた。
結局、彼とその個性を採用したこの作戦は、後の戦場での展開が示す通り正式に採用されることとなった。
あの非情な仮面アクターに首輪をかけられた存在が、命令に反逆できるとは誰一人として思えなかったからだ。
しかし、一部のヒーローたちはその茶番の裏に隠された真意を見抜いていた。
エンデヴァーや
「…………」
かつて同僚だった相澤も、その一人であった。
彼は壇上の難羽の顔を静かに見つめながら思考を巡らせる。
難羽の説明には明らかな矛盾が存在したからだ。
仮に黒霧を完全にコントロールできるのであれば、わざわざ条件を提示して契約という形をとるはずがない。
最初から自分が黒霧を操作できると説明すれば、それだけで済む話である。
しかし、彼はあえてヒーローたちの反発を招いた後で、チップの件を切り出した。
恐らく黒霧の頭部に何らかのチップを埋め込んだのは事実だろうが、そのチップに操作機能など付いていないのだろう。
さらに黒霧自身を騙し、壇上で焦らせることでその支配の信憑性を極限まで高めてみせたのだ。
そして過度に黒霧の存在を物として貶めるような、冷酷な言葉選び。
難羽と関わり、その手によって救われた人間は知っている。
彼は法や倫理を当たり前のように無視する危険な男であるが、意味もなく悪を成そうとする存在ではないということを。
あえて黒霧をヴィランではなく脳無という兵器として定義し説明することで、ヒーローたちの心の底にある同情心を意図的に煽ったのだ。
黒霧がヴィランであるのは変わらない事実である。
しかし、一時的にその罪から目を逸らさせ、彼を被害者的な立場へとすり替えた。
造られた悪。
生まれながらに祝福されぬ悲しき存在。
ヴィランのように力で倒すべき悪ではなく、不条理に縛られた救われるべき存在に仕立て上げることで。
相澤はそこまで思考を終え、結論として導き出されたある言葉に、思わず口角を僅かに釣り上げた。
「──合理的虚偽、か」
「どうしたオールフォーワン! 若返っても、運動不足じゃ動けないか!?」
腹の底から響くような笑い声と共に、オールフォーワンの肉体へ拳を絶え間なく叩き込んでいくオールマイト。
心操の洗脳の効果が切れたオールフォーワンは、肉体改造によって得た異常な身体能力のみでその猛攻に対応しようとする。
イレイザーヘッドによる妨害がまだ続いているからだ。
しかし、オールマイトのこれまでの途方もない戦闘経験に基づいた最小限の回避とフェイント、そしてパワードスーツに搭載されたブースト機能による変則的な加速によって、魔王は未だ一撃たりとも有効打を与える事すらできていなかった。
アーマード・オールマイト。
オールマイトの無二の親友であるデヴィッド・シールドの娘、メリッサにオールマイト自身が依頼して製作された決戦用スーツ。
彼がこれまで平和の象徴として蓄積してきた莫大な資産のすべてが、この一着に投入されていた。
元々の設計コンセプトは、A組の生徒たちの個性を科学的に再現した多彩な武装を纏う万能型パワードスーツであった。
彼らとの絆を纏った復活のヒーローというわけである。
『いや……私もその手のコンセプトは好物だが』
しかし、その極秘の依頼について当たり前のように盗聴していた難羽は、全く別のコンセプトで再設計するよう指示を出した。
確かに様々な個性を再現した武装は、あらゆる局面に柔軟に対応することができるだろう。
仮面アクターも同じ方向性のコンセプトだ。
だが、武装の数を増やせば増やすほど、その複雑なギミックの分だけ装甲の耐久性に欠陥が生じやすくなる。
決戦までにという製作期間に厳しい締め切りがあることを考慮すれば、注文が膨れ上がるほど別の機構へ皺寄せがいく。
そして何より、今回の用途は対オールフォーワンという単一の絶望に対する専用装備であることが最初から決まっている。
ならばデザインは単純でシンプル、一点特化。
オールフォーワンの弱点を突く設計にすべきであると。
『フルガントレット。あの技術をスーツに応用しろ。それと人工筋肉に関する私のデータを送る。パワーと耐久性に全振りだ』
かくして難羽の横槍によって製造されたオールマイト専用スーツは、汎用性など微塵もない無骨すぎる代物と化していた。
打撃時の反動を極限まで相殺し威力を高めるための補助機能。
スーツ内側に敷き詰められたオールマイトの肉体を保護、パワーを補う人工筋肉。
破壊力を底上げするために巨大化された、異常な質量を持つ腕部装甲。
内部には打撃時に威力を上げるためのパイルバンカーに近い機能が搭載されている。
空中での姿勢制御と緊急離脱用のブースト装置を搭載したマント型ブースター。
それ以外の追加武装は一切存在しない。
出力を極限まで向上させた代償として、ただひたすらに近距離戦のみに特化し、オールフォーワンの懐へ常に接近して殴り合うことだけが求められる。
殴る、蹴る。
それ以外の一切ができない。
一瞬の判断ミスで己を殺しかねない存在に立ち向かい続ける、理性を捨てた狂戦士のための鎧。
しかし、それでいい。
オールマイトはずっとそれで勝ってきたのだから。
『オールフォーワンは、お前の拳の方が怖いだろうさ』
「スマッシュッ!!」
オールマイトがこの最終決戦の場に立つことは、一部のプロヒーローたち以外には伏せられていた。
元平和の象徴。
引退し、力を失ったはずの伝説の復活。
戦場を覆っていた絶望の空気を一瞬にして塗り替えた。
オールフォーワンとの戦闘が始まってはいるものの、解放されたダツゴク全員を制圧できたわけではない。
むしろオールフォーワンの絶対的な力に魅せられ、より凶暴に勢い付いたヴィランも数多く存在した。
そんな魔王の強大さによる圧迫感を、正義を象徴する黄金の風が力強く押し返す。
戦局の流れは、確かにヒーロー側へと傾きつつあった。
「…………」
激しい連撃を顔面に受けながら、オールフォーワンは不快げに舌打ちをして顔を顰めた。
彼もただ無抵抗に蹂躙されているわけではない。
近距離戦や洗練された格闘術に覚えがなくとも、情報戦と心理戦においては数多のヴィランの頂点に君臨する存在だ。
何度でも立ち上がろうとするヒーローたちの希望を打ち砕き、膝を折るためのトラッシュトークは彼の最も得意とする分野である。
ヒーローの過去の汚点や心の傷を的確に刺激し、この戦場の空気を再び絶望で澱ませることは容易いだろう。
だが、それができない。
心操による洗脳を一度でも受けたがために、不用意な発言がそのまま自身の首を絞める致命傷に繋がることを理解してしまった。
あの洗脳の真の目的は、無防備な身体に一撃を喰らわせるためのものではない。
オールフォーワンに武器である舌戦をさせないための、遅効性の猛毒だったのだ。
さらにこの場に、魔王を討ち果たさんとする若き勇者たちが続々と集結してきていた。
「うおおおお!!」
緑谷が己の盾を黒鞭でしっかりと掴み、全身を回転させて凄まじい遠心力を生み出していく。
そして盾の面を、オールフォーワンへ直接叩きつけようと肉薄した。
オールフォーワンに直撃するその瞬間、本来は防御のために使用されるエネルギーシールドの機能を起動する。
星型のエネルギーが巨大なフレイルとなって、オールフォーワンを打ちのめさんと振るわれる。
「がっ……!?」
オールフォーワンがその一撃を回避しようと身を捩った瞬間。
極太の矢が、彼の左目を深々と貫いた。
『アーチ・スタッグビートル』
射出された金属矢はそのまま眼球を破壊し、後頭部から脳髄を抉りながら突き抜ける。
さらに星のフレイルによる一撃が直撃することとなり、オールフォーワンの身体は大地へと激しく叩きつけられた。
土煙の中から立ち上がりながら、オールフォーワンは残された右目で下手人の姿を捉える。
クワガタの大顎を模した重厚なボウガン。
それを右腕に構えたまま警戒する仮面アクターがそこに立っていた。
「鬱陶しいゴミどもが……!」
額に青筋を浮かべたオールフォーワンが、ついに溜め込んでいた個性を解放しようとする。
目の前を飛び回る不快な蝿どもを跡形もなく消し飛ばしてやるとばかりに、大量のエネルギーが両腕へと収束していく。
さらに肩の筋肉が異様に隆起し、巨大な筒状の器官が皮膚を突き破って形成されていく。
その筒の先端にも、触れれば万物を灰燼に帰す破壊のエネルギーが充填されていた。
イレイザーヘッドによる抹消の効果は、術者が瞬きをした瞬間に解除される。
常に個性を封じられているわけではない。
だからこそ、攻撃を回避するためにワープゲートを活用しながら移動し続けているイレイザーヘッドの視線。
それを他のヒーローの身体や瓦礫に被せることで、個性による攻撃の糸口を見出すことは可能である。
だが、砲口に集まっていた膨大なエネルギーが、発射の直前に陽炎のように霧散した。
「──!」
ヒーローたちは、オールフォーワンが個性を解放しようと予備動作を見せた瞬間に彼から距離を取り、相澤の視線が通る道を開けてみせたのだ。
オールフォーワンの精神を削る苛立ちは、ついに限界のピークへと達する。
仮に常時個性を封じられている状態であれば、これほどまでに思考を乱され、追い込まれることはなかっただろう。
個性は使えないという前提のもと、純粋な肉弾戦のみに思考を割けばいいだけのことだ。
しかし、相澤は抹消を発動するタイミングをあえて限定していた。
それはオールフォーワンが個性を発動しようとした、その一瞬のみである。
一対一の状況であればともかく、多対一という状況であれば。
オールフォーワンの思考は自然と、強力な広範囲個性でまとめて吹き飛ばしてしまいたいという結論に辿り着く。
瞬きというリセットの隙を狙えば、それは十分に可能だと錯覚させられる。
しかし、だからこそ無駄な思考を強制的に割かれるのだ。
個性を使えるかもしれないという状況が常に頭をちらつくが故に、彼は己の身体能力のみで戦うという選択に完全に集中することができない。
そんな鬱陶しいこと極まりない抹消持ちの存在。
そしてオールマイトという彼にとって最も忌々しい宿敵が、高笑いを響かせながら休むことなく自分を殴り続けてくる。
さらに名前すら知らない存在に、言葉すら封じられている。
ヘイトを向けるべき先、妨害を行ってくる者たちの数があまりにも多過ぎた。
そう思考を巡らせるオールフォーワンの背中を、見えない場所から放たれた弾丸が貫く。
「うじゃうじゃと……」
はるか上空からの援護射撃すらも考慮しなくてはならない。
ホークスが操る真紅の羽がレディナガンの身体を空中の最適な狙撃位置に固定。
彼女の放つ銃弾が絶え間なく魔王の意識を削り取っていく。
プロヒーローにあるまじき、敵の思考の始点を執拗に潰し続ける害悪戦法。
冷静に援護に回っている仮面アクター。
そんな彼の仮面の下にある底意地が悪い邪悪な笑みを、彼は勝手に幻視し感じ取った。
「……ふざけるなッ!!」
相澤の瞼が限界を迎え、ゆっくりと閉じる。
個性の停止時間が終わりを告げた。
相澤が再び瞼を開け、視界が開く。
彼の瞳に映ったのは、どす黒いヘドロを全身に纏い、凄まじい殺意と共に迫り来るオールフォーワンの姿だった。
オールフォーワンは先の戦いで、異能解放軍の長であるリデストロから個性を奪い取っていた。
これはワンフォーオールの強奪にこれまで幾度となく失敗してきたからこその、彼なりの対策である。
ワンフォーオールの中に宿る歴代継承者たちの強靭な意志が、彼という存在を拒絶する。
ならば、その拒絶すらも飲み込むほどの強大な精神の力を宿せばよいのだと。
そしてオールフォーワンは、個性ストレスを手に入れた。
個性が宿主の精神状態に大きく左右されるということは、長い歴史を生きた経験上熟知していた。
しかし、彼自身が感情に振り回され、それを実感したことは一度もなかった。
そんな己の希薄な感情の出力を補うための、精神の揺らぎを糧とする個性。
ただワンフォーオールの抵抗に勝つためだけに得た力。
そう冷静に分析していたはずの自分が、今、明確に苛立っている。
不快に感じている。
有象無象に阻まれている。
そしてその泥のような感情が決壊し、溢れ出してしまっていることそのものに、彼はかつてないほどの激しい怒りを覚えた。
それがドス黒い爆発となり、彼の肉体は相澤を確実に殺さんとする特攻兵器と化して飛来する。
「──不味い!」
相澤の個性が発動する。
全身を覆っていた黒いヘドロが、オールフォーワンの身体から掻き消える。
しかし、超加速によって生み出された莫大な運動エネルギーが消え去るわけではない。
迫り来る速度と理不尽な破壊力は、何一つ変わらない。
相澤の護衛を任されていたヒーローの一人が、己の身を盾にするべく咄嗟に前へ飛び出した。
オールフォーワンの放った無慈悲な貫手がヒーローの腹部を紙のように突き破り、背中から血塗られた手が飛び出す。
それでも、魔王の突進は止まらない。
真っ赤に染まった指と鋭い爪が、相澤の眼球を抉り取らんと空気を裂いて迫る。
「──ォォオオオオオッッッ!!」
その時、オールフォーワンの真横から、空気を震わせる凄まじい爆撃が放たれた。
怒りと殺意で視界が狭窄していたオールフォーワンには、ビルの隙間から弾丸のように飛び出してきた少年の姿に気付くことができなかった。
両掌から放たれる爆破のエネルギーによって超加速した己の肉体を一発の巨大なミサイルと化して放つ、全力全開のドロップキック。
4人目の勇者、大・爆・殺・神ダイナマイト。
爆豪勝己。
ヒーローは、遅れて到着した。
オールフォーワンの身体が、強烈な衝撃によって地面へと一度着弾して跳ね上がり、凄まじい勢いで瓦礫の山へと吹き飛んでいく。
そんなオールフォーワンの制御を失った身体を受け止めたのは、路上で停止していた廃車でも、ビルの壁でもなかった。
獲物が飛び込んでくるのを静かに待ち構えていた、巨大な蜘蛛の巣である。
「──久しぶりだな先生。ちゃんと処分しないから、ゴミがあんたの前に帰ってきたぜ」
巣の主人が、手首から伸びる強靭な蜘蛛糸を鞭のようにしならせ振るう。
巣に捕らえられたオールフォーワンの腕が、まるで鋭利な刃物で斬撃を放たれたかのように大地へ墜落した。
対象に触れることなく崩壊の力を伝播させる蜘蛛糸による、超高速の崩壊刃である。
最後の勇者、仮面ライダーザムザ。
死柄木弔にして、志村転弧。
「弔ァッ!!」
「あんたにその名前で呼ばれたくないな」
距離が離れ、抹消の効果が途切れたと同時、オールフォーワンの激昂の叫びと共に千切れた腕の断面から黒い泥が濁流のように溢れ出す。
極限まで高まった感情の発露が、そのままストレスの力を発揮させる。
地面に落ちた己の腕を黒い泥が拾い上げ、不快な粘性を帯びた生々しい水音を響かせながら、千切れた肉の断面を強引に縫い合わせた。
そしてそのまま、彼の全身の皮膚をドス黒く染め上げていく。
「ナイスだかっちゃん!」
「うるせぇぞ、デク! 俺が原因で遅れたわけじゃねぇぞ!!」
「いや、実際良いタイミングだった。むしろ遅れて来なければ相澤は助からなかった。庇ったヒーローの処置も間に合ったしな」
「だから違ぇ!!」
「喋ってる場合じゃねぇぞ。オールフォーワンが脱出した」
ザムザが拘束用に生成した超硬度の糸を、黒い怪人が暴力的な力で音を立てて引き千切る。
その禍々しい姿は、文字通り底知れぬ黒い感情の渦に溺れているようにも見えた。
「落ち着けみんな……何故って?」
オールフォーワンは確かに恐ろしい敵だ。
一歩間違えれば、この中の誰かが命を落とすかもしれない。
そう理解していても、オールマイトは心の底から湧き上がる歓喜に笑わずにはいられなかった。
数年前の死闘において、彼はたった一人だった。
たった一人でオールフォーワンという絶望を背負い、戦い抜いた。
だが、今は違う。
ここに魔王を討ち果たすための、仲間たちが揃っている。
「私たちが来たァッ!!」
オールマイトの力強い宣言が、決戦の地に高らかに響き渡った。
転弧「連れてってくれ! 俺バイク運転できないから機動力ないんだよ!」
爆豪「何糸飛ばしてくっついてんだテメェ! 落ちろボケ!!」