オールフォーワンの夢。
それは世界中の未来を阻むこと。
多様性の時代や国や文化を問わず、価値観の異なる誰もが悪と断定するものを為すことであった。
なんという邪悪であろうか。
恐るべき怪人である。
尋常ならざる精神から来る夢と言えよう。
難羽は弟である与一から彼の目的を聞いた際、そう語っていたことを知った。
そして魔王の悪逆をその目で見続けた難羽は、彼がその夢を本気で叶えようとしていることも知っていた。
しかし。
それでも彼は所詮、個性オールフォーワンを手に入れた人間に過ぎない。
死柄木全でしかないと難羽は結論付けた。
彼が生まれ持っていた個性、そして超常黎明期という混沌の時代に生まれた事。
それらが揃った上でその夢を叶える道は、決して茨の道ではない。
誰もが個性を差し出す環境があった。
あの時代において、個性とは呪いであったからだ。
誰もが彼にひれ伏すしかなかった。
あの時代、人々を守ってくれる者など何処にも居なかったからだ。
超難易度のゲームにチートを使って挑戦しているとでもいうべき状況。
茨を踏んでも皮膚すら傷付かないのなら、それは苦難とは呼ばない。
彼はただの一度も阻まれたことがないのだ。
オールマイトに敗れた時すら、彼がナンバーワンであったことや引き分けで終わったことで、オールフォーワンは致命的な敗北に至らなかった。
つまり挫折や絶望といった感情の頂点。
否、感情の底にたどり着いたことがなかったのである。
ある者は、彼をまるで人間の感情がない化け物だと言った。
それはそうだろうと難羽は返す。
彼は精神が熟成される程の経験を積んでいない。
ただ長く生きただけの存在なのである。
死柄木全の心は未だ幼い。
では、そんな存在が逆に徹底的に阻まれたとしたらどうなるか。
爆発的に負の感情を発露させるだろう。
ある程度折り合いを付けられる、ストレスに耐性が出来た大人とは違う。
嫌なもの全てに対して泣き喚く赤子なのだから。
異能解放軍の指導者であるリデストロから奪った個性、ストレス。
彼の個性は確かに大人になるにつれて成長したのだろうが、その個性を使いこなすピークはとっくに過ぎていた。
元の主人以上の精神エネルギーがその炉へと流し込まれる。
純粋で真っ黒で我儘な精神の火が、脈打つような濁流となって流れ込む。
そして、オールフォーワンはそれを自覚する。
他の人間とは違う。
ある種上位の存在だと思っていた己が追い込まれ、阻まれ、苦しめられたことに心が喚いている。
その事実がより彼の精神の濁流を加速させていく。
緑谷の眼前に、この世の終わりのような光景が広がっていた。
ストレスによって発生した黒い汚泥。
それにまみれたオールフォーワンを中心として、宙に黒い染みが現れていた。
光の無いこびりつく穢れが大きな人の形を造り上げていく。
神経のように伸びていくのは、己を阻む者たちへの純粋な怒りである。
オールフォーワンの身体から肉が蠢き、怒りを暴力へと変える器を形成していく。
その巨人のシルエットは頭が異様に大きく、瞼を持たず、手足は不格好に短い。
周囲の建造物よりも大きな巨人。
それは巨大な黒い赤子に見えた。
そして、その皮膚ともいえる黒い沼がうねりを上げ、無数の人型を模り始める。
それはオールフォーワンがこれまで取り込んできた個性に宿る、魂の残滓。
巨躯の赤子は涙を流さないが、支配に苦しむ魂たちはその目から泥を流し続けている。
汚泥の赤子は泣き叫ばないが、鎖に繋がれた者達は胸を震わせ叫んだ。
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!!」
赤子が己の重みで這いつくばりながら、蠢く泥人たちがヒーローたちへ手を伸ばす。
伸ばした先から放たれるのは助けを求める無力さではなく、個性による力の本流だった。
炎や雷などの攻撃的なエネルギーがほとばしり、無数の棘や刃が放たれ、念力のような不可視の力が対象の動きを阻害する。
緑谷や爆豪、そしてザムザは、その攻撃の嵐を辛うじて回避できている。
これまでの戦いでまだエネルギーを温存できていたからである。
しかし、仮面アクターは既に幾つかの武装を喪失し、内部エネルギーも深刻な水準まで減少している。
個性という力と科学装備の差がここで如実に現れていた。
ただ回避し続けてもいずれは追い詰められる運命にある。
「黒霧、相澤と心操を撤退させろ!」
仮面アクターが黒霧へ通信を飛ばす。
阻害役として大いに役立った彼らだが、全方位無差別の攻撃の中で待機させるにはあまりに危険であった。
相澤も抹消を使っているが、視界内の人型たちが動きを止めるだけでオールフォーワン本体には届いていない。
黒い赤子は今も周囲の瓦礫を破壊し続けている。
そもそもこの撤退も戦闘の終わりを意味しない。
この戦場には全国のヒーロー事務所から主力を呼ぶ形となっている。
しかし、ダツゴク以外のヴィランが黙っているわけではない。
転移して事務所に帰還した者たちはヒーロー活動を続行しなくてはならないのだ。
撤退後は相澤たちも動きを活発化させているヴィランの対処に回ってもらう。
「オールフォーワンッ!!」
オールマイトもブースト機能で回避を行うが、彼の戦闘スタイルは回避をメインとするものではない。
パワードスーツがエネルギーの嵐の中で徐々に削られ、ハザード音がシステム側から鳴り始めている。
そしてオールマイトが怒りのままに叫ぶ。
オールフォーワンが何を行ったかを理解したからである。
今のワンフォーオールは九代目継承者である緑谷に力を貸している。
雄英体育祭のとき、一瞬だが彼の身体を乗っ取り窮地を救ったことすらあった。
これは個性に宿る歴代継承者の意志が、彼を救おうと自ら動いてくれたからである。
オールフォーワンが行ったのはその真逆であった。
奪った個性に宿る精神の残滓を悪意で支配することで、彼らの精神を無理やり働かせているのだ。
オールフォーワンが個性を使う判断をする必要すらない。
奴隷たちを支配の鎖で従わせれば、自動的に敵を殲滅する無数の生体砲台の完成である。
「パワーが桁違いだ……止められない!」
ザムザの糸は崩壊の力を使わずとも、それ単体で並の強化系個性の動きを止めることの出来る程の強度がある。
しかし、暴れ狂うオールフォーワンを止めることは出来ない。
時間稼ぎにすらならなかった。
マスターピースとして改造された肉体を、強化系個性の発動によってより高みに引き上げている。
まるで本当の蜘蛛の糸のように、超硬度ワイヤーの糸が腕に引っかかって容易く引きちぎられていく。
「泥の肉が分厚過ぎる! 本体まで攻撃が届かねェッ!!」
ビルを突き飛ばすように進むオールフォーワンの周りを飛びながら爆撃する爆豪。
しかし、その攻撃が効いているように見えない。
ストレスによって発生した黒い肉泥は、中心にいるオールフォーワンの感情から無尽蔵に溢れ続けている。
生半可な攻撃では湧き出る泥に押し流されてしまう。
さらに転弧が崩壊を発動しても、弾けるように泥が肉から離れることで崩壊が伝播していかない。
水に崩壊を発動した時のように、途中で力が途切れてしまうのだ。
「ガッ……!」
そして、赤子の形をしていてもパワーはこれまでのオールフォーワン以上である。
無造作に振り回した黒い腕に直撃したオールマイトが、そのまま地面へ激しく叩きつけられた。
「オールマイト!」
緑谷が黒鞭で倒れたオールマイトを素早く回収し、オールフォーワンから少し離れた場所へと移動する。
「ありがとう、緑谷少年……」
オールマイト自身に致命的なダメージが入ったわけではない。
しかし、緑谷は確かに見た。
立ち上がったオールマイトの装甲から、スーツの破片が形を保てず崩れ落ちるように剥がれ落ちていくのを。
限界は間近に迫っていた。
「大丈夫か!」
仲間たちが無事の確認のためにオールマイトたちの下へ集結する。
この状況を打破する作戦会議のためでもあった。
残された時間は極めて少ない。
黒い赤子が徐々に体の形を変えている。
シルエットが大人のそれに近付きつつある。
オールフォーワンが個性ストレスの使い方に慣れてきた証拠であった。
「ありったけのパワーで泥を吹き飛ばして中のオールフォーワンを狙うしかない!」
「…………!」
緑谷がそう叫んで爆豪の方へ視線を向ける。
その視線の意味を瞬時に理解した爆豪は、単身オールフォーワンのもとへ向かって飛翔した。
少しでも作戦会議の時間を稼ぐための献身である。
「……転弧、もう一度糸で奴を捕縛しろ。私が皮膚で動いてる個性群を一時的に封じ込める」
「それでもあのパワーじゃ──」
「緑谷、変速を使え」
仮面アクターもオールフォーワンのもとへと舞い戻っていく。
「……そういうことか!」
短い指示であったが、それだけで彼らには全てが伝わった。
ザムザも糸を射出して振り子のようにスイングする形で、仮面アクターの後ろを追っていく。
「オールマイト、次の攻撃で勝負に出ます……!」
「ああ。どのみち、私のスーツも次が限界だ」
緑谷の言葉にオールマイトは力強く頷き、スーツの機能を限界まで解放する。
己の左腕にスーツの残存装甲をすべて集中させていく。
ブースト機能も左腕へと移動。
それ以外の部分は剥き出しの人工筋肉と配線コードで構成されたアンダースーツのみだ。
左腕の一発のみに全てを懸けた、あまりにも歪な戦闘スタイルである。
オールマイトに続く形で、緑谷は右腕を円を描くように幾度も回していく。
そして左足のつま先で、規則的な律動を刻みながら地面を叩いた。
三代目の個性である発勁は、同じ動作を繰り返すことでエネルギーを貯めることができる能力。
二つの動作によって緑谷の右腕と左足に、限界突破のエネルギーが蓄積されていた。
そして背中から黒鞭を生成。
溜め込んだエネルギーを纏わせるように、己の右腕と左足に幾重にも巻き付けていく。
敵を捕縛するためではない。
己の中で暴走しそうなエネルギーをコントロールし、押さえ込むための強靭なバンテージとするためだ。
「ワンフォーオール──ブラックガントレット!」
以前使用したフルガントレットの原理を利用し、百パーセントのスマッシュに耐えられる器へと肉体を補強する。
「行こう、オールマイト!」
「ああ、緑谷少年!」
二人が黒い巨人と化したオールフォーワンへ向かって飛び立つ。
オールマイトは左腕に集めたブースト機能を全開にし、緑谷は力を極限まで溜めた左足で大地を蹴り飛ばした。
『その程度で僕が倒せるか!!』
黒い巨人として完成したオールフォーワンは彼らを迎え撃つ。
蠢く個性群の泥人形たちが彼らを撃ち落とさんと無数の腕を構えた。
「——ライダー……キック!!」
黒い巨人の後頭部に仮面アクターの強烈な蹴撃が叩き込まれる。
仮面アクターの残り少ないエネルギーをベルトのバックルへと回して放たれる、捨て身のライダーキック。
その効果は物理的な破壊ではなく、疑似的なマイナス効果を持つ個性因子の直接投与である。
思考や肉体活動そのものを阻害する猛毒となる一撃。
『……!?』
巨人の身体が大きく波打ち、オールフォーワンによって支配されていた個性因子が一時的に沈黙する。
『デトロイト──スマッシュ!!!』
その隙だらけの巨人の胸を、二人の勇者の拳が同時に撃ち砕く。
黒い汚泥の肉が爆発的なエネルギーを喰らって四散した。
胸に巨大な空洞が開き、タールのような粘度で肉が地面にこぼれ落ちる。
「良い一撃だった……だが、その程度で──!」
泥肉と繋がったオールフォーワンの姿が遂に露出する。
心臓の位置に鎮座していたオールフォーワンは、緑谷たちを憎悪の眼差しで睨みつけて叫ぶ。
確かに規格外の強力な一撃であった。
しかし、結局は肉の壁を破壊しただけ。
本体であるオールフォーワンには届いていない。
だが、彼らに焦りはない。
「ハッ!!」
待機していたザムザの糸が、黒い巨人を縛り付けようと無数に放たれる。
「無駄なことを──!」
先程と同じ、単なる粘糸による無意味な妨害。
今のオールフォーワンの力であれば何の意味もない行為である。
しかし。
「
「…………!?」
緑谷が変速の個性を解放した。
これまで己の高速化にしか使っていなかった因果を歪める変速の力。
これを己ではなく、ザムザが放った糸そのものに付与する。
「引きちぎれない……!?」
そしてオールフォーワンがその異常事態に気づく。
糸の耐久性に対し、今のオールフォーワンの暴力であれば一秒持たずに破壊出来るはずであった。
しかし、変速の個性が物理法則を無視してそれを妨げる。
千切れて弾け飛ぶための運動エネルギーの加速を強制的に遅延させる。
それによって、糸はオールフォーワンを縛り付けた位置に強固に漂い続ける。
変速のの効果が切れるまで、この糸は脱出を許さない。
「ふざけるなァ!!」
オールフォーワンの怒りに反応し、ストレスが巨人の胸に空いた穴を埋めようと周囲のヘドロを蠢かせた。
だが、オールフォーワンは見る。
右腕に巨大な機械腕を構えた爆豪を。
黄金に輝く鉄拳を携えたヒーロー、ダイナマイトを。
彼が己のもとへ一直線に飛んできているのを。
己の個性について研究を続けた爆豪はサポート科に頼み込み、あるサポートアイテムを作ってもらっていた。
これまで彼が使用していた汗を溜め込み一気に放出するガントレット。
個性の習熟に伴い、彼の一撃は以前のガントレットに依存せずとも絶大な威力となっていた。
故に、基本機能を捨ててまで搭載した新たな機能。
通常のヴィランに使用してはならないと作成した生徒たちからも警告された過剰兵装。
圧縮物質コンデニウムを使用したサポートアイテムとしては異例の、一発限りの使い捨て。
彼の爆発性の汗を限界まで溜め込み、内部で圧縮化することでより純度を増した危険物質へと変え。
それを巨大な弾頭に搭載し、余剰分の汗は加速のための推進爆薬として使用する。
そして、その兵装そのものを爆豪本人の爆破の勢いで二重に加速させる。
「これが──俺の!!」
己のヒーロー名を冠する彼の最大最強の一撃。
対難敵用爆裂鉄拳誘導弾、ツァーリダイナマイト。
「スマッシュだぁあああッッ!!!」
内部のオールフォーワンに直撃する黄金のロケットパンチ。
そのまま巨人の背中を貫き、オールフォーワンの身体を天へと運び去る。
「オオオオッ!!」
オールフォーワンが強引に抵抗しようとする。
しかし、着弾時に起動した鉄拳の加速によって発生するGがそれを許さない。
爆豪の腕を離れ、オールフォーワンだけを遙か上空へと連れていく。
オールフォーワンの脳裏に過るのは、かつてスターアンドストライプと戦った際に放たれたあの
逃げ場のない空中の状況で、恐らくあの一撃と同等の破壊力を持つ兵器。
オールフォーワンの死を予感する恐怖を飲み込むように、ツァーリダイナマイトは最終段階を迎えた。
地上でその光景を見ていた緑谷たちすら、一瞬皮膚が焼けるような熱さを感じる大爆発。
天を、焦がす。
遅れて空気を引き裂くような轟音が炸裂する。
作戦通りとはいえあまりの威力に、緑谷が一瞬呆然としてしまう。
しかし、何かが地面に激突する鈍い音で正気に戻る。
「オールフォーワン……!」
それはヘドロの装甲を失ったオールフォーワンの姿だった。
今の一撃を喰らって、まだ人としての原型を留めているのも驚きである。
緑谷は装備が限界を迎えたオールマイトを後ろに下がらせ、仲間と共に油断なく警戒しながら接近する。
爆煙が風に吹かれ、クレーターの中心に沈むオールフォーワンの姿がはっきりと見えた。
彼の左足が根元から無くなっていた。
超再生が発動する兆しもない。
個性も身体能力。
つまり、超再生の個性も限界に達したということである。
緑谷たちは警戒しながらも、勝利が目前に迫っているのを感じた。
そんな、隙とも言えないほんの一瞬の気の緩み。
うつ伏せとなって倒れていたオールフォーワンが、
そして、両腕から複数個性の結合による極太のエネルギーの光線を放った。
狙いは、二人。
「オールマイトッ!!」
オールマイトの装甲は最早限界を超えている。
今あの直撃を喰らえば間違いなく命を落とす。
緑谷が瞬時に左腕の盾を構え、その一撃からオールマイトを庇う。
爆豪によるあの一撃を喰らってもなお放たれた強力な光線。
盾が、砕け散る。
そのまま後ろのビル群を倒壊させるが、緑谷とオールマイトは間一髪で無事であった。
「──は?」
オールフォーワンによって放たれたもう一つの一撃は、爆豪へと放たれたものだった。
しかし、爆豪の身体は無事であった。
彼の身体は宙を飛んでいる。
仮面アクターが彼を突き飛ばし、自ら盾となったからである。
今の仮面アクターに防御機能は最早一切残されていない。
エネルギーが枯渇し、高速化機能による回避も出来ない状態であった。
故に。
彼は己の身を盾にした。
サーナイトアイの、かつての言葉が彼の脳裏を過った。
光線の奔流に、仮面アクターが飲み込まれる。
手足が瞬時に溶解する。
肉が焼け焦げ、灰となる。
漆黒の仮面が砕け散る。
身体が吹き飛び、遙か後方の地面へと激しく叩きつけられた。
勢いそのまま無残に転がり、停止していた車にぶつかって、ようやくその動きを止める。
『……お前の語る世界征服など……達成されるはずがない!!』
予言は、成就した。