「戦闘訓練、
オールマイトの轟声がマイクを通じて冷たいコンクリートの壁を震わせた。
モニター室の巨大なスクリーンに、一斉に動き出す生徒たちの姿が映し出される。
建物内部は複雑に入り組んでおり、死角が多い。
その迷宮に、ヒーロー役とヴィラン役の二組が放たれた。
モニター室の片隅で、難羽輪太郎は口を閉ざしたまま一点を見つめていた。
彼が爆豪に授けたのはあくまで肉体の効率的な運用と、個性の爆破を推進剤として扱う戦術的視点だ。
実戦の最中に指示を飛ばすような無粋な真似はしない。
一方で、今回初めてその動きをまともに見る飯田天哉については、その一挙手一投足をサングラス奥の無機質な瞳で追っていた。
「——来いッ、ヒーロー共! ヴィランの恐ろしさを骨の髄まで教えてくれる!」
三階。
飯田天哉の芝居がかった声がビル内に響き渡る。
その立ち回りは驚くほど徹底していた。
真面目すぎるがゆえに、彼は「核を守るヴィラン」という役割を完璧に遂行しようとしていたのだ。
「デクくん、飯田くんが……っ!」
「落ち着いて、お茶子さん。彼は僕たちを引き離そうとしてる!」
緑谷出久はヒーロー分析ノートの記述を脳内で展開し、飯田のエンジンによる直線的な突進を警戒する。
だが飯田が選んだのは、緑谷が予想した「正面衝突」ではなかった。
飯田は地形を冷静に分析していた。
緑谷との交戦は避け、狙いを定めた一点突破を選択する。
エンジンの咆哮と共に飯田は緑谷を無視し、その圧倒的な加速力で麗日お茶子の側面へ回り込んだ。
「麗日くん、失礼!」
強引なまでの誘導。
飯田はそのまま麗日を一直線に伸びた長い廊下へと追い込み、背後の防火扉を凄まじい脚力で蹴り閉めた。
「しまった、分断された……!」
「デクくん!? ……きゃっ!」
緑谷の叫びは重厚な鉄の扉に遮られた。
独り取り残された麗日の前で飯田は静かに腰のエンジンを吹かす。
そこは窓一つない、遮蔽物も皆無の一直線に伸びた廊下。
「麗日くん。この場所で俺の加速から逃れる術はない。……覚悟してもらおう!」
一直線に伸びた静まり返る廊下。
そこは飯田という弾丸にとって麗日を仕留めるための、あまりに有利な処刑場へと変貌していた。
五階、核兵器安置室へと続く広間。
たどり着いた緑谷を待っていたのは爆破の轟音でも、耳を劈くような罵声でもなかった。
ただ一人、部屋の中央で重心を落とし、静かに拳を握りしめる爆豪の姿だ。
「……来たか、クソデク」
その声には、以前のような短気な苛立ちはない。
代わりに、獲物を確実に仕留めようとする獣のような低く鋭い響きがあった。
緑谷は構える。
脳内には、爆豪のいつもの癖——右の大振りを避けるイメージが完璧に描かれていた。
(かっちゃんは右から来る。大きく振りかぶったところを、懐に入って……!)
だが。
「お前のその、分かったような面が一番ムカつくんだよ!!」
爆豪が地を蹴った。
爆破の光は最小限。
だが、その踏み込みの速度は緑谷の予測を遥かに超えていた。
予期していた右の大振り。
それに合わせて左へ避ける緑谷。
しかし、爆豪の右腕は振るわれることなく、そのまま緑谷の胸ぐらへと一直線に伸びた。
「なっ……!?」
「ノートに書いた通りに俺が動くと思ってんのか。……おめでてーな!」
爆豪は緑谷の勢いをそのまま利用し、淀みのない動作で一本背負いを見舞った。
コンクリートの床に背中を激しく叩きつけられ、緑谷の視界が火花を散らす。
かつての爆豪なら、ここで怒りに任せて無造作に追い打ちの爆破を叩き込んでいただろう。
だが、今の彼は違う。
倒れ込む緑谷の隙を突き、爆豪は即座に両手を後方へ向けた。
掌から爆発的な推進力を放ち、自らの体をコマのように高速回転させる。
その凄まじい遠心力を乗せた爆破回し蹴りが、立ち上がろうとする緑谷のガードを強引に粉砕した。
「がはっ……! かっちゃん、その戦い方……!」
「難羽の野郎に散々言われてな……『無駄が多い』だとよ」
爆豪は笑う。
凶悪で、それでいて氷のように冷徹な笑みだ。
手からの爆破を、攻撃だけでなく移動や回転の加速装置として利用する、洗練された暴力。
「癪だが、確かにこの方が効率良くテメーをブチのめせる」
「ここには核がある。テメーはその馬鹿力を使えねえ……自傷しなきゃ出せねえような大技に頼ってるうちは、今の俺には一生届かねえぞ!」
投げ、蹴り、そして格闘の合間に挟まれる、推進力を得るための精密な爆破。
格闘術と個性をシームレスに融合させた「最新」の爆豪を前に、緑谷が今まで積み上げてきたデータは、ただの紙屑へと成り下がっていた。
一方、三階の廊下。
「行くぞ、麗日くん!」
飯田の背負うエンジンが猛烈な排気音を上げ、一気にトップスピードへ加速する。
逃げ場のない一直線の空間で、飯田の体躯は巨大な質量兵器と化して麗日に迫った。激突まで数秒。
だが麗日はパニックに陥るどころか、その瞳は冷静に飯田の足元を捉えていた。
衝撃の直前、麗日は前転するように低姿勢を取り、飯田の股下を潜り抜けるような軌道で回避する。
飯田の巨体がその頭上をかすめ、凄まじい風圧が彼女の髪を揺らした。
「……避けたか!」
飯田は勢いを殺さぬまま突き当たりの防火扉まで到達し、鋭いキックで壁を蹴って反転する。
そしてエンジンの回転数を再び上げようとしたその時、飯田の視界に信じられない光景が映った。
転がりながら立ち上がった麗日が、あろうことか自ら飯田に向かって突進してきていたのだ。
「加速しきる前に近接戦に持ち込むつもりか。……だが、甘い!」
飯田は即座に判断を下した。
中途半端な距離で迎え撃つよりも、こちらも再び加速し、その勢いで彼女を弾き飛ばす。
必勝を確信した飯田のタックルが、麗日の華奢な体へ吸い込まれようとしたその瞬間。
「えいっ!」
麗日は自らの体に触れ、無重力状態で宙へと跳ね上がった。
飯田の頭上を越え、天井近くまで高く浮く。
(自らを浮かせて回避……! そのまま僕を防火扉に激突させる気か!)
飯田はそう確信し、即座にブレーキをかけた。
激突を避けるため、慣性で後ろ向きに進もうとする自らの体を必死に制御する。
そして、ゆっくりと地面に降りようとしている麗日を捕らえるべく、振り向きざまに踏ん張ろうとした。
だがその時飯田のかかとに、あるはずのない「違和感」が引っかかった。
「……なっ!?」
次の瞬間飯田の体は無様に宙を舞い、そのままの勢いで背後の壁へと激突した。
床面スレスレの高さに、確保用テープが一本ピンと張られていたのだ。
それは麗日が最初の一撃を前転して回避した際、死角を利用して床に仕掛けていたものだった。
麗日が上へと大きく逃げたのは、単なる回避ではない。
飯田の視線を強制的に上方へ釘付けにし、足元の「罠」から意識を完全に逸らさせるための計算された誘導だったのだ。
モニター室ではオールマイトが驚愕に声を震わせていた。
「麗日少女……。単なる回避ではなく、相手の死角と心理を突いた見事なカウンターだ。爆豪少年だけでなく、彼女も個性以外の部分を活用している……!」
その隣で難羽は微塵も動じず、手元のタブレットに新たなデータを刻んでいた。
「飯田天哉の欠点は、真面目すぎるがゆえに相手の挙動を正攻法で読みすぎることだ。視覚情報の優先順位を操作されれば、あのように容易くバランスを崩す」
「麗日がカウンターできたのは、自分の能力を活かせるものが何も無かったからだ。それが逆にテープを使ってどうするかというシンプルな状況を作った」
ただ冷徹な観測者として、彼らが流す汗と血から、ヒーローという種の可能性と課題を抽出していた。