バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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1話 夢はでっかく世界征服

 

放課後の折寺中学校。

茜色に染まり始めた教室は昼間の喧騒が嘘のように消え失せ、代わりに湿り気を帯びた陰鬱な空気が淀んでいた。

 

 

「おい、デク」

 

 

爆豪勝己の声は、静かだがそれゆえに凶暴な熱を孕んでいた。

彼は緑谷出久の机を乱暴に叩くと、そこにあった一冊のノート——『将来の為のヒーロー分析 No.13』を、獲物を狩る猛禽のような手つきで奪い取った。

 

 

「か、返してよ、かっちゃん……!」

 

 

緑谷の震える声は届かない。

爆豪の両掌でパチパチと不吉な火花が爆ぜる。

ニトロのような甘い匂いと共に、緑谷が心血を注いで書き溜めたノートの表紙が、一瞬で黒く、醜く焼き焦がされていく。

 

 

「……うわっ!?」

 

「どうしてもヒーローになりてえんなら……効率のいい方法を教えてやるよ」

 

 

爆豪は炭化したノートを、汚物でも扱うかのように窓の外へと放り投げた。重力に従い、黒い塊が落下していく。

そして、彼は凍りつくような冷笑を緑谷に向けた。

 

 

「来世を信じて、屋上からワンチャンダイブでもかますことだ!」

 

 

その言葉は、いじめという範疇を超えた、魂の殺害予告に等しかった。

緑谷は絶望に目を見開き、酸素を奪われた魚のように口をパクパクとさせながら立ち尽くすしかない。

 

その瞬間だった。

 

 

教室の入り口付近で、空気を切り裂く鋭利な発射音が響いた。

 

 

「……あ?」

 

 

爆豪が振り返るよりも速く、何かが窓の外へと飛び出していった。

 

光ファイバーのように細く、しかし鋼鉄以上の張力を持つ極細のカーボンワイヤーだ。

 

それは夕日を反射してキラリと光ると、重力に従って落下していたノートの軌道を空中で正確に捉えた。

まるで見えない蜘蛛が、墜ちゆく獲物を救い上げるかのように。

 

 

「スパイダーストリングス!」

 

 

精密機械特有の低く鋭い駆動音と共に、ワイヤーが巻き取られる。

黒焦げのノートは放物線を描き、教室の入り口に立つ一人の少年の手元へと、吸い込まれるように収まった。

 

 

「……爆豪の非行に泣く男、スパイダーマッ!」

 

 

難羽輪太郎は、1978年の特撮版スパイダーマンを彷彿とさせる、妙にキレのあるポーズを決めながら左手でノートをキャッチした。

左手首には自作のリストバンド型ガジェットが装着されており、もう片方の手はBGMを流していたスマホの画面をタップして止めている。

 

 

「……あぁ!? 難羽、テメェ……何の真似だ」

 

 

爆豪の足が止まった。

逆立った金髪の下にある真紅の瞳が、苛立ちと……そして、緑谷に向けるものとは明らかに質の異なる警戒を露わにする。

 

 

「自殺教唆はまずいぞ、爆豪」

 

 

難羽は淡々と、しかし有無を言わせぬ響きで告げた。

彼は回収したノートの灰を指先で丁寧に払い、ページが完全に燃え尽きていないことを確認すると、爆豪を真っ直ぐに見据えた。

 

 

「爆豪……お前は私のトレーニングルームをずいぶん気に入っていたはずだが」

 

 

難羽の言葉に、爆豪の眉間へ深い皺が刻まれる。

 

 

「……あ?」

 

「あそこは私の私有地であり、貸し出しの権限は私にある……悪い子には設備を貸せない。出入り禁止(BAN)にするぞ」

 

 

クラスメイトたちは、難羽のことをハイブレインという便利な個性を持つただの秀才だと思っている。

だが、爆豪だけは知っていた。

この男が、ただのガリ勉ではないことを。

 

 

(……チッ、あの野郎)

 

 

爆豪の脳裏に、先日難羽が持つ地下施設で行われたスパーリングの記憶が蘇る。

 

爆豪が放った渾身の右ストレート。

それを難羽は最小限の予備動作だけで読み切り、紙一重で回避した。

それどころか爆豪の死角へ瞬時に回り込み、関節を極める寸前で止めてみせたのだ。

 

個性を使わない、純粋な身体操作と予測演算。

「今の動き、隙だらけだぞ」と涼しい顔で指摘された屈辱と、格の違い。

 

爆豪にとって難羽輪太郎という存在は、力でねじ伏せられないイレギュラーであり、自身の成長のために利用すべき壁でもあった。

 

 

「……チッ。行くぞ、おまえら」

 

 

爆豪は舌打ちを一つ落とすと、踵を返した。

 

 

「おい爆豪、まだ話は……」

 

「うるせェ! ……しらけちまったんだよ!」

 

 

取り巻きたちが困惑する中、爆豪は乱暴に教室のドアを蹴り開けて出て行った。

その背中には、自分を凌駕する技術と、測り知れない経験値を持つ難羽への本能的な嫌悪と、認めたくない敬意が複雑に混ざり合っていた。

 

嵐が去った後の教室。

難羽は静かに歩み寄り、焦げたノートを緑谷の机に置いた。

 

 

「……大丈夫か、緑谷。表紙は炭化しているが中身の記述は生きている。スキャンしたNo.12までのデータと照合すれば、欠損部分の復元は可能だ」

 

「な、難羽くん……ありがとう……」

 

 

緑谷の瞳にはまだ涙が溜まっていた。

爆豪に言われたワンチャンダイブという言葉の呪いが、まだ彼の心を縛り付けている。

 

難羽はそれを見つめ、少しだけ困ったように、けれどどこか年上の兄が弟を諭すような温かい声音で付け加えた。

 

 

「……泣く暇があるならバックアップを取る習慣を身につけろ。さすがにこの情報化社会で、重要データがノート一つだけというのはリスクが高すぎる」

 

「う、うん……ごめん……」

 

「謝る必要はない……さあ、帰るぞ。今日は私が送っていく」

 

 

難羽は緑谷の背中を軽く叩き、茜色の教室を後にした。

 

 

 

 

教室を出て、二人は長い廊下を並んで歩いていた。

西側の窓から差し込む夕日が、廊下を鮮烈な茜色と深い影のコントラストで分断している。

 

緑谷は焦げた匂いの残るノートを宝物のように胸に抱き、隣を歩く少年に頭を再び下げた。

 

 

「難羽くんがいなかったら、僕、本当に……あのノートを諦めていたかもしれない」

 

「気にするな。データの損失は人類の損失だ」

 

 

難羽は前を向いたまま短く答えた。

 

二人の頭上、強化ガラス越しに見える空には、23世紀の平和を象徴する光景が広がっていた。

自警用の警備ドローンが、機械的な羽音を立てながら編隊を組み、規則正しい円を描いて旋回している。

それは市民を守る盾であり、同時に個性の暴走を未然に防ぐための監視の眼でもあった。

 

緑谷はその空を見上げ、ふと疑問を口にした。

 

 

「難羽くんも、やっぱりサポート科からヒーローを目指すの? その……あの装置とか、すごい発明だし」

 

 

緑谷の無垢な問いが、静かな廊下に響く。

難羽は歩みを止め、窓枠に手をかけた。

その瞳は眼下に広がる未来都市の摩天楼ではなく、もっと遠い、歴史の地層に埋もれた、かつての正義を見つめているようだった。

 

 

「いいや。私はサポート科を志望しているが、ヒーローになるつもりはない……今のヒーロー科で学ぶことなど、私には何もないからだ」

 

 

断定的な口調。

難羽は淡々と、しかし確かな意志を込めて言葉を紡ぐ。

 

 

「緑谷。君は、この社会が健全に見えるか?」

 

「え……?」

 

「ヒーロー飽和社会言われながら、実際には救いが必要な路地裏へヒーローの手は届いていない。警察機構は弱体化し、ヒーロー以外の個性使用は過度に制限され、人々は思考停止して『ヒーロー』という属人的なシステムに依存している」

 

 

難羽はガラスに映る自分の顔——サングラスを掛けた異質な少年を見つめた。

 

 

「誰かの善意や自己犠牲に頼る平和は、平和ではない。それは単なる停滞だ……その脆いバランスが崩れた時、誰が泣くと思う? 君のような優しい人間だ」

 

 

23世紀。

超常が日常となったこの世界は見かけ上の繁栄とは裏腹に、個人の献身というあまりに不確かな柱によってかろうじてその形を保っているに過ぎない。

 

 

「だから、私はヒーローにはならない。私が目指すのはシステム自体の書き換えだ」

 

 

難羽は振り返り、緑谷を真っ直ぐに見据えた。

 

 

「私の夢は、世界征服だ」

 

「……!!」

 

 

緑谷が絶句し、足が止まる。

 

数秒の沈黙。

 

廊下の空気が凍りついたかのような錯覚の中、緑谷はおずおずと、しかし真剣な眼差しで口を開いた。

 

 

「……世界、征服……? え、あ、それ……冗談、だよね?」

 

「緑谷、笑うかい。子供が考える、まるで古い特撮に出てくる悪の組織のような夢を」

 

 

難羽は自嘲気味に口角を上げたが、その瞳は笑っていなかった。

それは幾度もの転生を経て、この世界の構造的欠陥を見つめ続けてきた者だけが持つ、冷徹で孤独な決意の光だった。

 

緑谷は難羽の横顔をじっと見つめ、やがて首を横に振った。

 

 

「……ううん。笑わないよ」

 

 

緑谷の声には、確信が満ちていた。

 

 

「だって、難羽くんが真面目な顔をしてるときは、いつだって僕なんかじゃ想像もつかないような、すごいことを考えてるって……知ってるから」

 

 

その真っ直ぐな言葉に、難羽はわずかに視線を落とした。

サングラスの奥の瞳が、少しだけ揺れる。

 

1971年4月3日。

かつて、一人の改造人間が人間の自由のために孤独な戦いを始めた日。

 

物語の原点から吹き抜ける風が、時を超えて23世紀の校舎を通り抜けていくようだった。

 

 

「……ありがとうな」

 

 

難羽はそれだけを告げ、緑谷の「また明日」という声を背中に受けながら、再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室を出て独り歩む難羽の脳内には、常に冷徹な設計図が展開されていた。

 

 

「世界征服」

 

 

普通ならば、それは思春期特有の誇大妄想、あるいはアニメや漫画に毒された「中二病」として片付けられる戯言だ。

成長とともに忘れ去られ、数十年後の酒の肴として笑い飛ばされる類のもの。

 

だが、難羽輪太郎は違った。

彼はそれを、空想のまま終わらせるつもりは毛頭なかった。

 

難羽が憧れたのは、かつてのフィクションの中にいた「彼ら」の姿だ。

強大な力、確固たる組織、そして世界を塗り替えようとする絶対的な意志。

 

立ち向かうべき敵は、路地裏で暴れる個別のヴィランではない。

 

 

この平和という名の麻薬に浸りきり、思考を止めてしまった社会そのものだ。

 

 

超常黎明期からわずか数十年。

 

文明が一度崩壊の淵を歩み、ようやく再建されたばかりだというのに、人々は今の世界を盤石な平和だと誤認している。

 

個人の善意に頼るヒーロー制度は、オールマイトという一本の柱が折れた瞬間に崩壊する。

 

個性による人類の変質は、誰もが歩く災害になりうるリスクを内包している。

 

この社会は今にも割れそうな薄氷の上に成り立っている。

その事実を人々に突きつけ、自立させるためには、一度システムの再構築が必要だ。

 

難羽はそのための装置をすでに作り出していた。

それは社会という回路を修正し、管理し、そして人々を真の意味で自立させるための陰の機構。

 

 

名は、『SHOCKER(ショッカー)』。

 

 

かつて、フィクションの中で自由を奪う者としてその名を刻まれた組織。

だが、この歪んだ23世紀のヒーロー社会において、その名は全く新しい意味を持って再定義されようとしていた。

 

行き過ぎた個性という混沌から人々を解き放ち、法と秩序による「真の自由」を与える者として。

 

 

現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?

  • 段落を使った普通の文章のほうが良い
  • 今の文章の方が良い
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