バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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19話 愚者の手

 

雄英高校が誇る巨大演習施設、ウソの災害や事故ルーム(U S J)

その広大なドームの入り口に立った1年A組の生徒たちの前には、まるで一つの街を丸ごと飲み込んだかのような異様な光景が広がっていた。

 

水難事故、土砂崩れ、火災、そして暴風雨——。

あらゆる「最悪」をシミュレートするために構築されたその空間は、ヒーローを目指す者たちにとっての聖域であり同時に自らの無力さを突きつけられる試練の場でもあった。

 

 

「皆さん、お待ちしていました」

 

 

丸みを帯びた宇宙服のようなコスチュームに身を包んだプロヒーロー、13号が穏やかな、しかし重みのある声で生徒たちを迎えた。

 

緑谷出久は憧れの救助ヒーローを前にして瞳を輝かせる。

だが13号が語り始めた内容は、彼が期待していたような華々しい演習のガイダンスではなかった。

 

 

「僕の個性『ブラックホール』は、何でも吸い込み塵にしてしまいます……皆さんの個性も、一歩間違えれば簡単に人を殺めてしまう。この超人社会において、個性は一見厳重に管理されているように見えますが、その本質は『暴力』であることを忘れないでください」

 

 

13号の言葉が、広大なドーム内に静かに、しかし冷徹に響き渡る。

生徒たちの表情が引き締まる。先ほどまでのバスの中での賑やかさは消え、空気は授業から実戦に近い緊張感へと塗り替えられていった。

 

 

「この社会で個性の使用が厳格な資格制となり、厳しく規制されているのは、その力の暴走を抑え互いを傷つけ合わないための人類の知恵なのです……どうかその力を、人を傷つけるためではなく、救けるために使ってください」

 

「いかに個性をその『救い』のために使うか。今日はそれを学んでもらいます」

 

 

13号の言葉を、緑谷は深く頷きながら胸に刻んでいた。

人を救うための力が、使い方によっては最悪の凶器になる。

それを自覚し、律してこそのヒーロー。

その高潔な精神に緑谷は純粋な憧れを抱く。

 

だがその称賛と同時に、緑谷の脳裏には一人の少年の冷ややかな顔が浮かんでいた。

 

入試前、難羽輪太郎に勉強を教わっていた時のことだ。

難羽は古い歴史書や法学の資料を無造作に放り投げながら、今の社会制度を鼻で笑ってこう吐き捨てた。

 

 

『……ハッ、笑わせるな。自分の手足を使うのに国家の許可証が必要だと?』

 

 

難羽の銀色の瞳は、13号が見ているものとは全く別の真理を見ていた。

 

 

『鳥が飛ぶのに許可がいるか? 魚が泳ぐのに資格がいるか? ……今の社会の個性の扱いは、生物としての進化を否定する歪な管理に過ぎん。人間を去勢して、扱いやすい家畜にしているようなもんだ』

 

 

難羽の荒っぽい口調と、その裏にある底知れない不気味な論理。

 

13号の言う「規律による平和」と、難羽の言う「生命としての自由」。

 

緑谷はその二つの価値観の間で、振り子のように揺れ動く奇妙な感覚を覚えた。

 

 

(そういえば……最近、一般の人でも個性の練習ができる施設ができたってニュースになってたな。ヘルパーズだったっけ。『ヒーローじゃなくとも、あなたは立派な助っ人になれる』がキャッチコピーの……あれも、難羽くんと同じような考えの人が作ったんだろうか……)

 

 

ヒーローになるための訓練ではない。

ただそこにある力を、そこにあるものとして学ぶための場所。

 

この凝り固まった管理社会の裏側で、難羽のような異端の考えが静かに、しかし確実に浸透し始めているのではないか。

 

緑谷はそんな漠然とした予感に背筋を震わせた。

 

 

  

 

 

 

 

 

13号の説明が続く中、担任である相澤消太は広場の中央で苛立たしげに自身の首筋を掻いた。

 

 

(……遅い)

 

 

相澤の視線は、13号の横にあるはずの空白に向けられていた。

本来この授業は相澤、13号、そしてオールマイトの三名体制で行われるはずだったのだ。

 

相澤は13号に歩み寄り、小声で問いかける。

 

 

「13号……あの平和の象徴はどうした」

 

「……あ、相澤先生。実は……」

 

 

13号は困ったように声を潜め、指を三本立てた。

 

 

「今朝の出勤中に、三つの事件を解決してしまったそうで……限界時間を使い果たし、今は校務員室で蒸気を上げているそうです」

 

 

相澤は溜息を吐き、髪を無造作に掻き上げた。

平和の象徴という責任感ゆえの、あまりに「らしい」失態。

だが合理主義を標榜する相澤にとって、戦力の欠如は看過できないリスクだった。

 

 

(……あの馬鹿め。現場の管理体制に穴を開けてまで、街の小競り合いを優先するか)

 

 

「……仕方ない、始めよう。13号、誘導を」

 

「はい」

 

 

13号が説明を終え、いよいよ各エリアへの移動が始まろうとした、その瞬間だった。

 

 

USJ中央広場の噴水。 本来であれば、清らかな水が舞い上がるはずのその場所に、不吉な黒い揺らぎが生じた。

 


 

 

 

 

 

 

USJの静寂は一滴の黒いインクが清水に落ちたかのように、瞬く間に侵食されていった。

 

ドーム中央の広場。

 

空間を強引に抉じ開けるように発生した黒い霧のゲートから、有象無象の悪意が溢れ出す。

 

彼らは歓喜の声を上げ、獲物を求める獣のように各ゾーンへと散っていった。

 

その喧騒と殺気の中心、噴水の縁に、一人の男が静かに立っていた。

 

彼の顔を覆っているのは、蟻の鋭利な顎と蜘蛛の無機質な複眼を融合させたような、見る者に生理的な嫌悪感を催させる奇怪なマスクだ。

その意匠は表情を一切読み取らせず、ただ赤い複眼だけが鈍く光っている。

 

身に纏うのは、軽量かつ高強度の衝撃吸収素材を用いた機能的な黒い防護スーツ。

そして両腕には鈍い光を放つ、重厚な金属製のガントレットが装着されていた。

 

その男、死柄木弔(しがらき とむら)は広場の中央にある噴水の縁にガントレットを装着したまま手を置いた。

 

 

「……いない。オールマイトが、いない」

 

 

彼の乾いた声が漏れる。

予定では、ここに平和の象徴がいるはずだった。

そのために「先生」から脳無を借り、盤面を整えたというのに。

 

 

「……チッ。クソゲーかよ」

 

 

死柄木の意思に呼応して、ガントレットの掌部分が複雑な歯車を噛み合わせ、機械的にスライドする。

ジャキッという硬質な音と共に人差し指の先だけが、冷たい金属の檻から解き放たれ素肌が露出する。

 

彼はその一本の指を、石造りの縁に乱暴に突き立てた。

 

音もなく、触れた一点から幾何学的な亀裂が走り、硬い石が一瞬でさらさらとした砂へと還っていく。

 

広場の中央にあった美しい噴水は数秒もしないうちに半壊し、瓦礫の山へと変わり果てた。

 

 

「……あァ、クソ……痒い」

 

 

死柄木は即座に指を離すと、苛立たしげに自身の首筋をガリガリと掻きむしった。

個性「崩壊」の使用に伴う、肉体への強烈な拒絶反応。

血管が浮き上がり皮膚の下を無数の蟲が這いずり回るような、耐え難い痒みが彼の神経を逆撫でする。

 

彼はこの力を本能的に拒絶していた。

 

 

「……統率が取れてねえな。モブキャラが多すぎる」

 

 

彼の視線の先では、かき集められたヴィランたちが喚き散らしながら、無秩序に生徒たちへ突撃している。

死柄木は乾燥した指先で首を掻き続け、赤い複眼の奥で冷徹に戦場を見渡した。

 

 

「ゲームスタートだ……黒霧、散らせ。盤面を整理しろ」

 

 

その声は低く、乾いていた。

彼の指示によりワープゲートの個性を持つ黒霧が巨大なカーテンのように広がり、生徒たちの分断が始まる。

 

死柄木はポケットに手を突っ込み、その場から動こうとはしなかった。

ただ、無秩序に暴れ回る部下たちを、残念なものを見るような目で見つめているだけだった。

 


 

 

 

 

 

 

「一芸だけじゃヒーローは務まらん」

 

 

広場に飛び降りたイレイザーヘッドは、まさに合理の化身として戦場を駆けていた。

舞い踊る捕縛布を生き物のように操り、群がるヴィランたちの個性を「抹消」し、次々と無力化していく。

 

その圧倒的な制圧力を前に、死柄木はゆっくりと歩み寄った。

 

 

「へえ……動きがいいな、イレイザーヘッド」

 

 

相澤の赤い視線が死柄木を捉える。

 

個性が消されたはずの状況。

だが死柄木は慌てる様子もなく、無造作に右腕を相澤へと突き出した。

 

ガントレットの手甲部分が展開し、中から蜘蛛の糸を思わせる高粘着性かつ高強度の特殊ポリマーワイヤーが射出される。

ワイヤーは空を鋭く切り、相澤の捕縛布に絡みついた。

 

 

「飛び道具か!」

「お揃いだ。『視線』が外れる瞬間を待つのは退屈だからな」

 

 

死柄木はワイヤーを強引に引くと同時に前進。

最小限の予備動作で低く沈み込み、相澤の懐へと滑り込んだ。

獲物を力任せに引きずり込み、確実に仕留めるための荒々しい捕食者の動きだ。

 

相澤が即座に布を捨て、格闘戦へ移行する。

 

至近距離での攻防。

 

死柄木は防護スーツの関節部に仕込まれた強化パーツを活かし、鋭い前蹴りと膝蹴りで相澤を牽制する。

その動きに、相澤は戦慄を覚えた。

 

 

(……何だ、この動き。昨日今日で身につけたものじゃない。個性に頼らず、格闘技術そのもので俺を上回ろうとしている……?)

 

「ぐっ……!」

 

 

相澤の体勢がわずかに崩れる。

相澤は死柄木が触れた噴水が崩れ去ったのを見ている。

 

つまり彼にとって絶好のキルショットの機会。

彼は追撃のために左手を伸ばし、相澤の顔面を掴もうと——した瞬間。

 

死柄木の指先が相澤の肌に触れる数センチ手前で、まるで目に見えない壁に当たったかのようにピタリと止まった。

 

熱した鉄板に触れそうになったかのように、強烈な拒絶反応が彼の手を強引に引っ込めさせたのだ。

 

 

「……ッ」

 

 

死柄木は咄嗟に軌道を修正し、掴む代わりに掌底で相澤の胸板を激しく突き飛ばした。

 

 

「がはっ……!」

 

 

距離が開く。

相澤は荒い息を吐きながら、距離を取って死柄木を睨みつけた。

 

 

(今、俺の顔を掴めたはずだ。……なぜ止めた? 殺意はある、だがそれ以上に……何かに縛られているのか?)

 

 

そして相澤の脳裏に一つの既視感が過ぎる。

だがそれが何かはまだわからない。

いったいこの目の前のヴィランに何を重ねたのか。

 

 

死柄木は掴み損ねた左手を隠すように、また首筋を激しく掻いた。

 

 

 

「……個性頼みの雑魚と一緒にすんなよ。俺はちゃんと『教育ビデオ』を繰り返し見てたんだ」

 

 

 


 

 

 

 

 

 

乱戦の最中。

水難ゾーンの方角で一人の透明化系の個性を持つヴィランが、死柄木の命令を無視して蛙吹梅雨の背後へ忍び寄っていた。

 

 

「ヒャッハー! どさくさに紛れて、あっちのガキを殺れば目立てるんじゃねえか!?」

 

 

透明ヴィランがナイフを構え、梅雨に襲いかかる。

相澤は死柄木の放つワイヤーの牽制に足止めされ、救援には間に合わない。

 

死柄木の複眼が、その光景を捉えた瞬間。

彼の全身から、鋭利な刃物のような不機嫌さが立ち昇った。

 

 

「……ゴミが。勝手な真似をするなって言ったはずだろ」

 

 

死柄木は相澤への攻撃を中断し、その場に深く屈み込んだ。

ガントレットの掌が展開し、人差し指一本だけが露出する。彼はその指をコンクリートの床に突き立てた。

 

一瞬だった。

 

指先から放たれた崩壊の指向性エネルギーが、地面を蛇のように這い、的確に透明ヴィランの足元へと到達した。

周囲を巻き込むことのない、精密な「局所粉砕」。

 

 

「うわぁっ!?」

 

 

足場を失ったヴィランは無様に転倒し、崩れた瓦礫に頭を強打して白目を剥いた。

梅雨が驚いて振り返った時には、すでに脅威は穴の中に消えていた。

 

 

「……ッ、クソ……痒い。壊しすぎるのはダメだ……」

 

 

死柄木は即座に指を離し、首筋を血が滲むほど激しく掻きむしった。

たった数秒、一本の指での発動。

それだけで、全身の神経が焼き切れるような苦痛が襲ってくる。

 

 

「死柄木……! 貴様、味方を討ったのか!」

 

 

相澤が叫ぶ。

マスクの下の瞳には味方を傷つけたという罪悪感もない。

あるのは、ただ自身のプランを汚されたことへの病的なまでの潔癖さと苛立ちだけだ。

 

 

「……ルールを守れねえゴミは、敵より邪魔だ。ステージ構成を壊すな」

 

 

死柄木は気絶したヴィランを一瞥もせず、ガリガリと首を掻きながら再び相澤に向き直った。

 

 

「……さあ、無駄なイベントは終わりだ、イレイザーヘッド。……あまり俺の手を煩わせるな。痒くて、頭がどうにかなりそうなんだよ」

 

 

奇怪なマスクの奥で死柄木弔は荒く、熱い息を吐いた。

触れれば終わる右手を強く握り込み、彼は再びワイヤーを放つ。

その戦い方は、ヴィランにしてはあまりに自制的で、そして何よりも「誰かの教え」を忠実に守り抜こうとする異様な規律に満ちていた。

 

 

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