清潔な、あまりに清潔な白に塗りつぶされた視界。
相澤が次に意識を取り戻したとき、そこはUSJの地獄絵図とは無縁の静謐な病室だった。
重い瞼を持ち上げ、相澤はプロの条件反射で即座に周囲を警戒する。
だが、全身を襲うはずだった激痛は驚くほど和らいでいた。
体は清潔な入院服に着替えられ、正確な脈動で点滴が打たれている。
電子ロックが解除される乾いた音が響き、扉が開いた。
入ってきたのは、漆黒の強化服に身を包んだ仮面アクターだった。彼は手にしたタブレットカルテを無造作に眺めながら、迷いのない足取りでベッドの傍らまで歩み寄る。
「……目覚めたか。案外早かったな。脳震盪の経過は悪くない。だが──」
警戒し上体を起こそうとする相澤を制することもなく、仮面アクターは淡々と、しかし容赦のないトーンでカルテを読み上げ始めた。
「……ゼリー飲料ばかりで食事を済ませる極端な栄養の偏り。寝袋の使いすぎによる骨盤の著しい歪み。さらには酷使による慢性的なドライアイ……お前の体は脳無に壊される以前からボロボロだ」
「……お前、何者だ。なぜ俺をここに……」
「プロならもう少し自分の
自分の信条である「合理性」を皮肉げに、かつ説得力を持って引用され、相澤は一瞬言葉を失った。
目の前の男はヴィランを蹂躙した恐怖の象徴などではない。
まるで、長年連れ添った口うるさい主治医のような口ぶりだった。
仮面アクターはカルテを閉じると、ベッドサイドの椅子にどっかりと腰を下ろした。
USJの時の鋭い刃のような雰囲気はなく、中身が変わったかのようなだるそう雰囲気だ。
「……勘違いするな、慈善事業で助けたわけではない。治療費は既に徴収した」
彼は複眼のマスクを相澤の方に向けた。
「お前の体を治すついでに、血液と毛髪のサンプルを少々貰い受けた……『抹消』という特異な個性の因子は、研究対象としては極上品だ。正直あいつ……オールマイトの力より欲しかった。これが、今回の救助と治療の対価だ」
相澤の瞳に鋭い光が宿る。
自分の個性を研究する予定のような発言。
にも関わらず自身を捕らえるつもりは無いような素振り。
そしてオールマイトの個性を知っている様子。
「……研究、だと。あのような化け物を作るための、か?」
相澤の声に嫌悪が混じる。
だが、仮面アクターはそれさえも予測していたかのように、さらに踏み込んだ言葉を紡いだ。
「……いいや。あんな雑なものを私は作らない……だが相澤。お前に、あの脳無について教えておくことがある」
早めに知るべきことだからなと、仮面アクターは呟いた。
「……脳無について教えるだと?」
「……ああ。あれは複数の個性を継ぎ足されただけの操り人形ではない。ベースとなる人間の死体を必要とする」
仮面アクターの声が一段と低くなる。
それは冷徹な事実の提示であり、同時に相澤という個人の深淵に触れる故の躊躇いだった。
「……そこでだ、相澤……お前の同級生だった白雲朧。あいつの遺体が、実は行方不明になっていることを知っているか?」
心臓が跳ねた。
数年前瓦礫に潰され、死んだ親友。
青空のように笑い、共にヒーローを目指した男の名。
なぜこいつからその名が出てくる。
なぜ今の話の流れで、その名が出てくる。
「……何を、言っている」
「……私はここ数年、医療データの改竄や死体の入れ替えが行われた病院をいくつか特定した。その中に、数年前の白雲朧の事故データも含まれていた。記録上は埋葬されたことになっているが、実際には別の死体とすり替えられた形跡がある。……それも、かなり手慣れた手法でな」
揺れない複眼が、真っ直ぐに微かに身体を震わせる相澤を射抜く。
そして知りたくもない、終わったはずの真実が明かされる。
「……つまり、あの脳無という化物の
「……っ、ふざけるな……!!」
相澤が激昂し、点滴の管を引きちぎらんばかりに身を乗り出す。
だが、仮面アクターは動じない。
彼はただ、残酷なまでの真実をそこに置き去りにし、カルテを片手に立ち上がった。
「信じるか信じないかは、お前の自由だ。だが、私のスタンスは伝えておく……もし私がなれ果ての彼と会っても殺すぞ。戻せたとしても、彼が化物として誰かを殺した事実は消えないからな」
黄色いマフラーが病室の人工的な風に静かに揺れる。
「身に覚えのない罪を背負わせるために、生き返らせるつもりも無い」
仮面アクターはそう言い残し、一度も振り返ることなく白一色の廊下へと消えていった。
残された相澤は、震える手で顔を覆った。
脳無に叩きつけられた衝撃よりも重い「真実」が、彼の魂を底なしの暗闇へと引きずり込んでいた。