USJ襲撃から2日後。
1年A組の教室を支配していたのは、生還した安堵でも勝利の余韻でもなく、重く湿った「敗北感」だった。
確かに彼らは本物の悪意と戦い、生き残った。
だがその記憶の大部分を占めるのは、プロヒーローである相澤を無惨に打ちのめした死柄木弔、そしてあの黒い怪物脳無の絶望的な暴力だ。
そして何より土壇場で姿を現し、その怪物を技術だけで粉砕した謎の黒い戦士——仮面アクター。
彼らが放つ圧倒的な格上の力に対し、自分たちはただ怯え、立ち尽くすことしかできなかったという無力感が、未来のヒーローたちの心を蝕んでいた。
「……僕が、もっと早く……」
緑谷出久は、自身の拳を見つめ、唇を噛み締めていた。
目の前の相澤先生にノイズが入って消える姿を見るより前に。
なぜ自分は気付けなかったのか。
後悔の念が、胸を締め付ける。
その時、静寂を切り裂くように教室の扉がガラリと開いた。
「……おはよう」
「「「相澤先生!!?」」」
教室に驚愕と歓喜の声が爆発する。
入ってきたのは全身を包帯でグルグル巻きにされ、両腕を吊ったまるでミイラのような痛々しい姿の相澤消太だった。
だがその足取りはしっかりしており、彼はよろめくこともなく教卓に立つと、包帯の隙間からギロリと鋭い眼光を放った。
「……お前ら、いつまで通夜みたいな面してる。まだ戦いは終わってねえぞ」
「先生、その怪我……! ご無事でよかった……!」
飯田天哉が手を挙げて叫ぶが、相澤はそれを手で制した。
「俺の安否はどうでもいい。……それより、戦いは終わっていないと言ったはずだ」
相澤の声が一段低くなる。
ヴィラン連合の再襲撃か。
それともあの仮面アクター関連か。
生徒たちが身構えたその時、相澤の口から出たのは予想外の言葉だった。
「雄英体育祭だ。……刻一刻と迫っているぞ」
「「「クソ学校行事ー!!」」」
張り詰めていた糸が切れ、教室が一気に日常へと引き戻された。
だが、それは単なるお祭りではない。
ヴィランに見せつけられた無力さを払拭し、自分たちがヒーローとして立つための、最初のリベンジマッチのゴングでもあった。
時間は1日前に遡る。
雄英高校の大会議室では警察の塚内直正を招き、今回の襲撃事件に関する極秘会議が行われていた。
「……死柄木弔については、非常に奇妙な行動パターンが確認されています」
塚内はモニターに、USJの広場で糸により簀巻きにされ、転がっていたチンピラヴィランたちの写真を映し出した。
「彼は突入してきた仮面アクターの攻撃余波から、このチンピラたちを庇うような動きを見せています……しかし、撤退時には彼らを一人残らず置いていった。仲間意識はないが、無駄な犠牲は嫌う……極めてドライでありながら、独自の美学を持った厄介なヴィランです」
その会議室の隅には、つい数時間前に保健室で目を覚ましたばかりの相澤も包帯姿で座っていた。
「……相澤くん。君を連れ去った仮面アクターについてだが……現場の生徒たちからは、彼が突如として消えたという証言が出ている」
根津校長の問いに、相澤は苦々しげに頷いた。
「……ええ。私自身、何が起きたか理解できませんでした。脳無に叩きつけられ意識が混濁していた視界には、誰も映っていなかった。ただ誰かに担がれている感覚はあった……お姫様抱っこで。おそらく高度な光学迷彩か、立体映像による欺瞞工作でしょう」
相澤は包帯に巻かれた腕をさすりながら、忌々しそうに続ける。
「……そして、次に目が覚めた場所は、一般の病院ではありませんでした。窓のない、白一色の無機質な部屋……見たこともない高度な医療機器が並ぶ、どこかの極秘施設です」
会議室に緊張が走る。
「……そこに、あの黒い強化服の男が現れました。奴は私を治療して脳無の『正体』に関する真実を告げた後……おそらく麻酔ガスで私を再び眠らせたのでしょう」
相澤は懐から、健康ランド回数券を取り出し、机に叩きつけた。
「……気づけば、私は雄英の保健室のベッドの上でした。セキュリティアラームを鳴らすこともなく、私を運び込み、枕元にこれを置いて消えたのです。これで身体を休めて養生しろ、とでも言いたげにな」
「雄英の結界を、二度も無断で突破されたということか……」
スナイプが帽子を目深にかぶり、唸った。
「……隙がなさすぎて反吐が出ますよ。敵意はないようですが、我々を完全に子供扱いしている」
塚内は咳払いをし、改めてヴィジランテ「仮面アクター」とヴィラン連合の共通点を指摘した。
「……感情的な部分は置いておくとして。事実として、ヴィラン連合は我々が厳重に隠していたカリキュラムを完全に把握していました……そして、仮面アクターもまた、オールマイトが不在で相澤君が孤立するタイミングを完璧に読み切り、姿を隠して現場に乱入し、あまつさえイレイザーヘッドを拉致して戻した」
塚内の言葉が、会議室の空気を冷やす。
「つまり、両陣営とも、雄英の内部情報、およびセキュリティシステムの穴に深く精通している者が関与している可能性が高い……あるいは、同一人物か」
その言葉が出た瞬間、根津校長、オールマイト、そして相澤の脳裏に共通の一人の生徒の姿がよぎった。
難羽輪太郎。
入学以来、サポート科にいながらヒーロー科の演習に介入し、あまりにも高度な技術力を持ち、どこか達観した視線で学校全体を観察し続けている少年。
そして何より——死柄木弔が見せた「個性に頼らない合理的な戦闘スタイル」と、難羽が爆豪に指導した戦闘理論の不気味な一致。
「……校長」
相澤が静かに口を開く。
「……証拠はない。だが、あの少年は……あまりに知りすぎている。それに奴の持つ技術体系は、私が運ばれた施設のそれと似た空気を感じました」
根津は黒い瞳を細め、手元の資料——難羽の完璧すぎるほど平凡な経歴書——を見つめた。
「……そうだね。彼については、私もずっと気になっている。……体育祭。そこが、彼という人間を見極める試金石になるかもしれないね」
疑惑の種は蒔かれた。
生徒たちが熱狂する体育祭の裏で、大人たちの視線は一人のサポート科の生徒へと収束しつつあった。