バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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26話 オリンピックが恋しい

 

1年A組の選手待機室。

 

外のスタジアムから漏れ聞こえる地響きのような歓声とは裏腹に、室内には肺が痛くなるほどの重苦しい緊張感が充満していた。

誰もが口を閉ざし、来るべき戦いに向けて集中を高めている中、その静寂を氷のように冷徹な声が切り裂いた。

 

 

「緑谷」

 

 

轟焦凍だった。

クラス最強の一角とされる男が、緑谷出久の前に立ち塞がっていた。

 

 

「……なに、轟くん」

 

「客観的に見て、実力は俺の方が上だ」

 

 

あまりに唐突で、身も蓋もない事実の提示。

周囲の空気が凍りつく。

だが、轟の言葉は単なる自慢ではなかった。

 

 

「……だが、お前はオールマイトに目をかけられている。……あえて詮索はしないがな。だから、勝つ。お前に勝って、俺は親父(エンデヴァー)を……俺のクソ親父を完全否定する」

 

 

事実上の宣戦布告。

緑谷はその言葉に含まれる、個人的な憎悪と執着の重圧に一瞬怯む。

 

だが、彼はすぐに思い直した。

この二週間、仮眠室で難羽輪太郎から受けた、あの奇妙な特訓の日々を。

 

 

(……僕の体は、もう以前のままじゃない。……放てば壊れるだけの僕じゃない)

 

 

緑谷は震えそうになる拳を強く握りしめ、顔を上げた。

 

 

「……普通科の人たちにも、宣戦布告されたんだ。確かに僕は、みんなよりスタートが遅れている自覚はある。……でも」

 

 

緑谷の瞳から、かつての弱気な面影が消える。

 

 

「……オールマイトが僕を見てくれているなら……僕は今日、誰にも負けるわけにはいかないんだ」

 

 

バチバチと火花が散る二人の間に、乱暴な足音が割って入った。

 

 

「──テメェら、俺を目の前にして無視してんじゃねえぞ」

 

 

爆豪勝己だった。

逆立った髪と同じくらい尖った殺気を放ち、彼は二人を睨みつける。

 

 

「デク、テメェはまず俺に勝つことだけ考えてろ……踏み潰してやる」

 

 

三者三様の対抗意識。

それは馴れ合いなどではなく、頂点を目指す者だけが持つ、純粋で危険な熱量だった。

 


 

 

 

 

一方その頃、サポート科の調整ピット。

 

そこは、ヒーロー科の待機室とは全く異なる種類の熱気に包まれていた。

 

オイルとハンダの匂いが充満する中、生徒たちは血眼になって自身の発明品(ベイビー)の最終調整を行っている。

 

 

「うわあああ! 動作不良だ! 今すぐ回路を組み直せ!」

 

「予備のバッテリーどこだ!?」

 

 

阿鼻叫喚の現場。

その片隅で、開発責任者のパワーローダーは信じられないものを見て絶句していた。

 

 

「……な、難羽! お前、何をしている!?」

 

 

そこには工具一つ持たず、優雅にパイプ椅子にふんぞり返る難羽の姿があった。

 

 

「何って……ただ休憩しているだけだが?」

 

「休憩だと!? 他の連中は必死でアイテムの調整をしてるんだぞ! お前、初戦はサポートアイテムを使わないって申請してたが、本気なのか!?」

 

「ああ。私の場合、本気でサポートアイテムを持ち出すと、文字通り『何でもあり』になってしまうからな。戦車でも戦闘機でも持ち込めてしまう。それでは個人の資質を問う検証にならん」

 

 

難羽は悪びれもせず答え、背後に控えていたメイド服のアンドロイド——アットを指さす。

彼女もサポートアイテムと言えなくもない。

難羽が何でもありにして申請が通った場合、一般の人達が望む青春の戦いはぐちゃぐちゃになっていただろう。

 

 

「そもそも開始直前で動作不良を起こしている奴はやめとけ。自分が装着するものだろ、それ。……アット、さっき頼んだ紅茶は?」

 

「はい、難羽様」

 

 

アットは持っていたティーカップを自身の口元まで持っていき、優雅に紅茶を啜った。

 

 

「……おい。何でお前が飲んでいる。それは私が注文したやつだろう」

 

「わたくしも少々、オイルが切れまして。……難羽様のものはわたくしのもの、わたくしのものはわたくしのものですわ」

 

「お前はジャイアンか。返せこのポンコツ。そもそもお前の身体にオイルはいらないだろ」

 

「あら、ポンコツとは心外ですわ。このボディを設計したのはどこのどなたでしたっけ?」

 

 

取っ組み合いを始めた一人と一体を、パワーローダーが頭を抱えて制止する。

緊張感の欠片もないその光景は、サポート科の中でも異彩を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難羽はアットの手から奪い返した(半分減った)紅茶を一口飲み、モニターに映し出された喧騒のスタジアムを冷めた目で見つめた。

 

 

「……しかし、悲しいものだな」

 

 

ふと、難羽の口から乾いた言葉が漏れる。

 

 

「日本というたかが一国の学生運動会が、かつてのオリンピックの代わりとは……個性があるゆえのドーピング問題、競技バランスの崩壊、そして海外交流の断絶。公式スポーツの衰退」

 

 

難羽の脳裏には、かつての文明が築いた栄華の記憶があった。

ルールが整備され、肉体の限界に挑んだ純粋なスポーツの祭典。

 

それは今や過去の遺物となり、代わりに台頭したのは個性という暴力をエンターテインメント化したショーだ。

 

 

「挙句が、学生同士の決闘イベント……最終戦はトーナメントの殴り合い。血も流れるし、無茶をした者は一生残る大怪我をする」

 

 

難羽はモニター越しに、熱狂する観客たちの顔を見た。

彼らは若きヒーローの誕生を期待していると同時に、刺激的な潰し合いを求めている。

 

トーナメントで戦う生徒が苦しんでいるわけではない。

だがそれでも何かが引っかかる。

 

 

「……まるで古代ローマのコロッセオだな。民衆はパンとサーカスを求め、戦士は血を流してそれに答える……数百年経っても、人間の本質は何一つ変わらん」

 

 

皮肉な微笑を浮かべ、難羽はカップを置いた。

その瞳にはこれから始まる祭典への冷ややかな分析と、そこで自分がやるべき役割への思索が光っていた。

 

 

 

 

 

 

「……さて。アット、先行っててくれ。トイレに寄ってから行く」

 

「いえ、私は難羽様の秘書。どこまでもついていきますわ」

 

「トイレだっつってんだろ」

 

 

 

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