バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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36話 No.3からのスピンオフ

 

熱狂の余韻が残るスタジアムの喧騒から隔絶された、静謐な空間。

雄英高校校舎内、保健室。

 

消毒液と湿布の匂いが漂う部屋で緑谷はベッドに腰掛け、自らの右手を凝視していた。

 

 

「……はい、治療完了。でもねえアンタ、いい加減にしなさいよ」

 

 

リカバリーガールがため息交じりに言いながら、包帯を巻き終えた。

治癒能力の活性化によって急激に消費された体力が、緑谷に重い倦怠感をもたらす。

だが、彼の神経はそれ以上に昂っていた。

 

 

「……すみません、リカバリーガール」

 

「謝って済むなら警察はいらないよ……まったく、アンタもオールマイトも、身体を壊すのが趣味なんじゃないだろうね」

 

 

老婆は呆れ顔で椅子に戻ると、カーテンの奥へ視線をやった。

そこにはオールマイトが静かに佇んでいた。

 

 

「……お疲れ様、緑谷少年」

 

「オールマイト……」

 

 

オールマイトの表情はいつものような明るいものではなかった。

彼は緑谷の傍らに立つと、重々しく口を開いた。

 

 

「……先ほどの試合での君の報告……『複数の影のような幻覚を見た』というのは、本当なんだね?」

 

「はい……洗脳されて、体が動かなくなった時……暗闇の中に、たくさんの人がいて……その人たちが僕の中に『力』を流し込んでくれたような、そんな感覚でした」

 

 

緑谷は、あの時の戦慄を思い出しながら語る。

あれは単なる脳の誤作動や、極限状態が見せた幻ではない。

 

もっと確かな、意思を持ったエネルギーの干渉。

 

 

「……そうか」

 

 

オールマイトは短く呟くと窓の外を眺めた。

その横顔には、かつてないほどの厳粛さと、ある種の畏敬の念が浮かんでいた。

 

 

「それは……面影だ」

 

「面影……?」

 

「ああ。君も知っての通り、ワン・フォー・オールは力を培い、次の誰かへ渡すことで強くなっていく個性だ……だが、蓄積されるのは力だけではない」

 

 

オールマイトは視線を緑谷に戻す。

 

 

「その力を行使し、守り、紡いできた歴代の継承者たちの『意志』や『魂』のようなものもまた、力の奔流の中に刻まれ、積み重なっていくんだ」

 

「魂が……刻まれる……」

 

 

緑谷は息を呑んだ。

 

 

「僕の中に、歴代の人たちが……」

 

「これまでは明確に干渉してくることはなかった。……だが恐らく今の緑谷少年の危機に、そして君のワン・フォー・オールへの適応が進んだことで、彼らが呼応したのだろう」

 

 

オールマイトは緑谷の無事な左手に、自分の骨張った手を重ねた。

 

 

「君はきっと認められたんだよ、緑谷少年。……歴代の継承者たちに、この力の『今』を託すに足る存在だと」

 

 

それは、師から弟子へ送られる、最大級の賛辞だった。

 

緑谷の目頭が熱くなる。

孤独な戦いではなかった。

 

自分は一人で戦っているつもりだったが、その背中には、脈々と受け継がれてきた英雄たちの魂が共にあったのだ。

 

 

「……はい! 僕、もっと頑張ります! 皆さんの想いに、恥じないように……!」

 

「うむ。……だが、これはあくまで我々だけの秘密だ。この面影の件は、決して他言してはいけない。ワン・フォー・オールの秘密を守るためにもな」

 

「わかっています。誰にも言いません」

 

 

これはこの世に二人しか知らない、絶対不可侵の「聖域」での会話。

二人の間に秘密を共有する者同士の絆と、安堵の空気が流れた。

 

──はずだった。

 

 

ノックもなく遠慮のない乾いた音が、保健室の静寂を無惨に引き裂いた。

 

 

緑谷とオールマイトが同時に扉の方を向く。

そこにはこの張り詰めた空気を微塵も感じさせない、一人の少年が立っていた。

 

 

「……失礼。診察中だったか」

 

 

体操服の上にジャージを羽織り、特徴的なサングラスをかけた男、難羽である。

 

 

「あ、ああ、難羽少年! どうしたのかな? 試合は……」

 

「次の試合まではまだ時間があるからな。様子を見に来た」

 

 

難羽は焦るオールマイトを無視してベッドの上の緑谷へと歩み寄った。

 

 

 

「……緑谷。一つ聞かせろ」

 

 

難羽の声は低く、静かだった。

 

 

「……お前、指を折る直前に何かあったか? ……洗脳以外のことでだぞ」

 

「……え?」

 

 

難羽の問いかけに対し、緑谷の口から漏れたのは言葉にもならない掠れた息だけだった。

 

 

「な、何を言ってるの、難羽くん……? 物理的な衝撃以外って……そ、そんなオカルトなこと……」

 

緑谷は引きつった笑顔で誤魔化そうとする。

 

 

「…………知らない誰かの記憶でも見えたか?」

 

「──ッ!!?」

 

 

緑谷の喉がヒュッと鳴る。

 

難羽が知っているのは、ワンフォーオールが何代に渡って継承された個性というだけのはず。

それは自分がオールマイトに夢を後押しされたあの日、盗み聞きしていたという話を聞いていたからわかる。

 

しかしなぜ、継承者だけわかる感覚を知っているのか。

難羽は緑谷の反応を見て、確信したように口角を上げた。

 

 

「…………そうか」

 

「難羽くん……?」

 

 

難羽はふっと視線を遠くに向けた。

その脳裏をよぎったのは遠い記憶の彼方で見た光景。

 

 

「……遠い場所から旧友に呼ばれたような、そんな妙な感覚だった」

 

 

その言葉に、オールマイトの青い瞳が見開かれた。

 

 

(……まただ。彼は気づいているのか? ワン・フォー・オールの本質に……いや、それ以上の『何か』を知っているような口ぶりだ。……難羽少年、君はいったい何者なんだ……?)

 

 

ワン・フォー・オールの性質や鍛え方を知る者が、その本質的な「魂の領域」に触れた。

 

難羽輪太郎という一介の高校生から漂う、数百年分の歴史の重みのようなものが静かな保健室の中に色濃く沈殿していく。

 

 

「……まあ、ただの幻聴かもしれないがな。深入りはしないでおく」

 

「な、難羽くん……」

 

「邪魔をしたな、緑谷……治療が終わったらさっさと戻れ。次の試合が見れなくなるぞ」

 

 

出口へと向かう難羽の背中。

だが扉に手をかけた瞬間、彼はもう一度だけ振り返った。

その表情はいつもの無表情だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大事な話をするなら、いつもそのぐらいの声量でな」

 

 

パタンと扉が閉まる。

残された緑谷と八木は、嵐が過ぎ去った後のような静寂の中でしばらく動けずにいた。

 

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