バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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3話 緑谷出久:オリジン/ 爆豪勝己:ブースト

 

ヘドロヴィランが粉砕され、黒い旋風が去った後の駅前。

そこには、物理的な熱気とは裏腹に、心胆を寒からしめるような冷たい静寂の残響があった。

 

 

「凄いな少年! あのヴィランに長時間耐えるなんて!」

 

「君のその爆破の個性、プロ顔負けだぞ!」

 

「将来有望な逸材だ、ぜひうちの事務所へ!」

 

 

救出された爆豪は野次馬やマスコミ、そしてプロヒーローたちの喧騒の渦中にいた。

 

 

フラッシュの明滅。

 

向けられるマイク。

 

称賛の言葉。

 

 

だがそれらは今の彼にとって、鼓膜を震わせるだけの無意味なノイズに過ぎなかった。

 

 

(……うるせえ)

 

 

爆豪の瞳は焦点を失い、ただ一点、あのアスファルトの上である。

そこは黒い戦士がヴィランを氷と共に粉砕した場所であり、もはや何もない。

 

しかし、喉の奥にはまだヘドロの不快な粘り気と、死の味がこびりついている。

 

 

数分前までの自分はどうだった?

 

助けてくれと叫ぶことすらできず、涙を浮かべ、無様に藻掻くことしかできなかった。

 

 

 

「……クソが」

 

 

 

自信と傲慢によって築き上げられた『爆豪勝己』という堅牢な城塞。

 

 

それは今日、真逆の方向から放たれた二つの衝撃によって、音を立てて瓦解していた。

 

 

一つは、緑谷出久。

無個性で、石ころ以下だと思っていた幼馴染。

自分を救おうと、プロですら竦む死地へ真っ先に飛び込んできた「デク」。

 

その無謀な勇気が、動けなかった自分を嘲笑うように焼き付いている。

 

 

 

そしてもう一つは、漆黒の怪物。

公的なヒーローのルールなど一顧だにせず、圧倒的な暴力でヴィランを蹂躙し、命ごと摘み取ったあの死神。

 

 

あれは正義ではなく、ただの処理だ。

 

 

自分を殺しかけた怪物を、まるで羽虫でも潰すかのように消し去った絶対的な力。

その力の前に、自分はただ震えるだけの弱者だったという事実。

 

 

爆豪は震える膝を必死に抑えつけ、地面を睨みつけた。

 

 

称賛の声が降れば降るほど、自身の無力さが浮き彫りになっていく地獄の中に彼は立っていた。

 

 

 

 

 

 

家路へと続く住宅街。

喧騒から離れたその道は、皮肉なほど静まり返っていた。

 

緑谷の足取りは、いつになく重かった。

街灯が一つ、また一つと規則正しく点灯していくが、その人工的な光は彼の心に空いた巨大な空洞を埋めるにはあまりに淡い。

 

 

(……僕は何をしていたんだろう)

 

 

憧れ続けたオールマイトに諦めろと夢を否定され、その直後、幼馴染の危地にただ本能のまま飛び出した。

 

結果はどうだ。

 

ヴィランは倒せず、爆豪を助けることもできず、事後にプロヒーローたちから「無個性のお前が飛び出すな」と厳重注意を受けただけ。

 

 

あの黒い戦士がいなければ、自分もも爆豪も死んでいたかもしれない。

 

 

「……はは、結局、僕は……」

 

 

世界が自分という存在を拒絶し、どんどん遠ざかっていくような、底知れない疎外感。

 

緑谷はただ泥と煤に汚れた赤いスニーカーを見つめて、俯いて歩き続けるしかなかった。

 

 

 

 

「……少年!!」

 

 

 

不意に、背後の路地から巨大な風圧を伴った影が飛び出してきた。

 

出久が驚愕して振り返ると、そこには昼間の屋上で見た弱々しい姿ではない、筋骨隆々の平和の象徴が立っていた。

 

 

「……オールマイト……!? な、何で……」

 

「謝罪と、そして訂正に来たのだ! 少年、あの凄惨な現場に……私もいたのだ」

 

 

オールマイトの表情にはいつもの快活な笑顔ではなく、苦渋と真剣さが滲んでいた。

 

 

彼の脳裏には、数十分前の戦慄すべき情景が焼き付いている。

 

彼は確かに群衆の中にいた。

吐血し、活動限界を超え、情けない自分を呪いながらも、飛び出した少年を見て自らを奮い立たせようとした。

 

だが、その瞬間だった。

 

 

『動くな、八木』

 

 

その声は、爆炎と喧騒を完璧に遮断する指向性音響として、彼の鼓膜だけを震わせた。

驚愕に全身が凍りついた。

 

自分の本名を知る者。

 

そして、上空から降り立つ漆黒のマスク越しに放たれた、絶対的な威圧感。

 

その一瞬の空白。

 

平和の象徴が得体の知れないイレギュラーの前に足を止めてしまった、決定的な一瞬。

 

 

「私はあそこで、見ていた……プロですら計算に囚われ躊躇し、あまつさえ私自身ですら足を止めた中で……無個性の君だけが誰よりも早く、友を救うために動いたのを」

 

 

オールマイトは口端から流れる血を拭うこともせず、出久の目を真っ直ぐに見据えた。

 

 

「救けを求める顔をしていた幼馴染のために、理屈よりも先に体が動いた……それは、トップヒーローたちが皆、学生時代に残している逸話だ」

 

 

風が止まった。

 

 

 

 

「少年。君は、ヒーローになれる」

 

 

 

 

一番欲しかった言葉。

 

一番憧れた人からの、命を肯定する言葉。

 

 

緑谷はその場に崩れ落ち、アスファルトを叩いて嗚咽した。

最悪だと思っていた一日の終わりに、世界が再び鮮やかな色を取り戻していく。

 

 

 

「そして私は提案する。私の力を……『ワン・フォー・オール』を、君に受け継いでほしい」

 

「え……?」

 

 

 

聖火が如き力の譲渡。

科学万能主義すら超えた、神話の領域にある対話。

 

だが、その神聖な場に、もう一人の重い足音が夜の闇を引き裂くように近づいていた。

 

 

 

 

 

 

「……デク」

 

 

 

 

 

かすれた、しかし毒々しいまでの意志を孕んだ声。

 

 

振り返ると、そこには街灯の影から現れた爆豪勝己が立っていた。

 

 

制服は汚れ、髪は乱れているが、その瞳だけが異様な光を放っている。

 

爆豪はあの黒い戦士が見せた圧倒的な暴力への恐怖と、デクに救われかけた屈辱に苛まれ、廃人のように夜の街を彷徨っていた。

その果てにようやく見つけた幼馴染が、あろうことかNo.1ヒーローと密談を交わしている現場に出くわしたのだ。

 

爆豪の耳に届いたのは断片的な、しかし決定的なフレーズだけだった。

 

 

 

『私の力を受け継いでほしい』

 

 

 

その言葉は爆豪にとって、オールマイトが緑谷を自らの一番弟子として、あるいは後継者として指名した、祝福の儀式を行ったように感じさせた。

 

 

「……おい。お前……何なんだよ、一体」

 

 

爆豪の表情は、いつもの癇癪のような怒りではない。

深い絶望と崩れ去ったプライド、そして何かを必死に繋ぎ止めようとする混乱に塗りつぶされていた。

 

 

格下だと思っていた無個性のデクが、世界最高のヒーローにその本質を認められた。

 

一方で、選ばれし者であるはずの自分は、あの黒い戦士の暴力の前に、腰を抜かして震えることしかできなかった。

 

 

その差はなんだ。

 

 

個性か? いや、デクは無個性だ。

 

ならば、精神(こころ)か?

 

 

「……オールマイトが、認めたってのか。お前みたいな……道端の石ころ以下のデクを」

 

「かっちゃん、これは……」

 

 

緑谷が言い訳をしようとするのを遮るように、爆豪は震える拳を血が滲むほどに握りしめた。

 

 

彼のこれまでの人生——「俺が一番凄い」という前提——が、完全に否定された瞬間だった。

 

 

普通のプライドが高いだけの人間なら、ここで「認めるものか」と叫び、拒絶するだろう。

だが、爆豪勝己という男は聡明すぎた。

 

そして何より、「勝利」という概念に対して誰よりも誠実だった。

 

 

No.1ヒーローが認めたという事実。

 

 

それを否定することは、勝利の基準そのものを否定することになる。

 

 

「……だったら、認めりゃいいよ! オールマイトが認めたなら、無個性のお前でも、ヒーローになれる素質があるってことなんだろうよ!!」

 

「……!?」

 

 

緑谷はその言葉に目を見開いた。

 

 

 

それは爆豪が生まれて初めて、緑谷出久という存在に完全なる敗北を認め、その上で自身のアイデンティティを再定義した剥き出しの瞬間だった。

 

 

「クソッ……クソが!!」

 

 

爆豪は地団駄を踏み、悔しさに顔を歪めながら、それでも二人の前から逃げずに叫んだ。

 

 

「だったら……俺は、そのお前を、さらなる力で叩き潰してやる!!」

 

 

彼の瞳に、新たな炎が灯る。

それはいじめっ子の卑屈な優越感ではない。

 

 

頂点を目指す「挑戦者」の、飢えた獣の目だ。

 

 

 

「オールマイトに認められたお前を、さらにその上から超える、最高のヒーローになってやるよ! 俺はここで負けた! だが次はねえ! ……覚えてろ、デク!!」

 

 

 

爆豪はそれだけを吐き捨てると、ふらつく足取りで、しかし以前よりも確かな方向性を持って走り去っていった。

 

別の可能性の世界では、彼は長く緑谷に対するわだかまりをくすぶらせていたかもしれない。

しかしこの世界において、彼はここで敗北を認めた。

 

 

底まで落ちたのなら、あとは這い上がるだけだ。

 

 

「……少年。彼もまた、強いな」

 

 

オールマイトの呟きに、出久は爆豪の背中を見ながら頷いた。

 

黒い戦士の介入によって狂い、早まった運命の歯車。

だがそれは二人の少年にとって、より過酷で、より高みを目指すための号砲となったのだった。

 

 

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