バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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40話 魂の炎、貫く希望

 

スタジアムを包み込んでいた熱狂的な歓声が、一瞬にして物理的な「冷気」によって叩き落とされた。

 

準々決勝、第一試合。

 

緑谷出久と轟焦凍の対峙。

 

リングの両端に立つ二人の少年の間には、開始の合図以前から肌を刺すような緊張感が張り詰めていた。

 

轟の呼気が白く濁る。

彼の右半身からはすでに制御しきれない冷気が漏れ出し、足元のコンクリートを白く染め上げていた。

 

 

 

「START!!」

 

 

 

プレゼント・マイクの号令が響いた、そのコンマ一秒後。

轟が右足を強く踏み込む。

 

 

「──終わりだ」

 

 

轟の右半身から、巨大な氷の奔流が溢れ出した。

 

それは予選や騎馬戦で見せた牽制や足止めとは一線を画す、明確な殺意に近い速度と物量。

波打つ氷河が視界を覆い尽くすほどの質量を持って緑谷へと襲いかかる。

 

 

一瞬にしてリングの半分が、絶対零度の白銀の地獄へと変貌した。

 

 

「緑谷、開始早々凍らされてしまったかァ!?」

 

 

実況席のマイクが絶叫する。

観客席からは悲鳴にも似たどよめきが上がる。

誰もが、勝負は一瞬で決したと思った。

 

だが、氷煙が晴れかけたその先。

轟焦凍の視線は、凍りついた氷塊の中にはなかった。

彼の双眸は驚愕に見開かれ、鋭く動く。

 

 

 

(──いない!?)

 

 

 

正面には誰もいない。

氷漬けになった緑谷の姿もなければ、氷を砕いて突破してきた痕跡もない。

 

しかし轟の優れた動体視力が、わずかな影の違和感を捉えた。

 

 

 

「上か……!」

 

 

 

轟が仰ぎ見た視線の先。

 

 

太陽を背にするようにして、緑谷出久は空中にいた。

 

 

彼は轟の氷結を真っ向から破壊する道を選ばなかった。

開始の瞬間、指一本を犠牲にして放ったワン・フォー・オールの衝撃波。

 

それを前方ではなく、自身の足元の「地面」に向けて放った。

 

爆風によるロケットジャンプ。

自らの身体を砲弾のように上空へと跳ね上げさせ、氷の津波を縦の動きで回避したのだ。

 

 

(轟くんの氷は速い。でも地面を這うように広がるなら、空が死角になるはずだ!)

 

 

滞空する緑谷。

浮遊感の中で彼は激痛の走る指を無視し、無事な左手の指を眼下の轟へと向けた。

二本目の指が構えられる。

 

 

「……ッ!!」

 

 

轟は即座に反応し、防御態勢に入る。

右手を掲げ、頭上に氷の障壁を展開しようとする。

 

しかしここで、個性による氷結の構造的な弱点が露呈した。

 

轟の氷はあくまで地面や自身の身体、あるいは既存の氷を起点として増殖させていくものだ。

 

地面を這う広範囲攻撃は一瞬だが、空中の敵からの攻撃を防ぐには地面から氷の壁を生成し、それを上方へと伸ばしていくという工程が必要になる。

物質を積み上げる物理法則からは逃れられない。

 

一対一の地上戦なら、それは無視できるほどの一瞬の差だ。

 

だが、今の緑谷が放つ衝撃波の速度に対してはその「ワンテンポ」の遅れが致命的となる。

 

 

 

「──スマッシュッ!!」

 

 

 

空気を圧縮した不可視の塊が、生成途中の氷壁を紙細工のように貫通する。

 

 

「が……はっ!!」

 

 

氷の盾が完成するより早く、緑谷の指先から放たれた衝撃が轟の胸元を直撃した。

強烈な風圧の鉄槌。

 

轟の体が床へと叩きつけられる。

 

 

「くっ……!」

 

 

だがそこで緑谷の猛攻は止まらない。

 

着地と同時に再び跳躍し、距離を詰めてくる緑谷。

さらにもう一発、追撃の指弾。

 

三本目の指が弾かれ、衝撃波が轟を襲う。

 

今度は立ち上がった轟が分厚い氷の盾を斜めに展開し、衝撃を受け流すことで防いだ。

だがその端正な顔には、余裕など微塵もない。

 

明らかな焦燥と、予想外の苦戦に対する苛立ちが浮かんでいた。

 

 

(速い……! パワーだけじゃない、判断が的確だ……!)

 

 

距離を取ろうとする轟。

それを許さず、肉薄する緑谷。

その攻防の中で、緑谷の口から悲痛な叫びがほとばしった。

 

 

「……僕に勝つなんて言って、君は最初から半分の力で勝つつもりだったのか!?」

 

 

着地した緑谷の全身に、緑色の電光が激しく明滅し始める。

 

難羽との特訓、そしてUSJでの実戦を経て、発動までの感覚と循環の精度は確実に向上していた。

 

今の緑谷は指を折るだけの特攻兵器ではない。

全身のバネを使った高速戦闘が可能な戦士だ。

 

 

「君のお父さんがどうとか、詳しいことは分からない……! でも!」

 

 

緑谷の拳が握りしめられる。

指は赤黒く腫れ上がり、激痛が脳を焼き続けている。

 

それでも彼は、目の前の少年の慢心とも取れる態度が、そして何より「自分自身を否定する」ような戦い方が許せなかった。

 

 

「ヒーローになって、誰かを救う時でも……君は、半分の力しか出さないつもりなのか!?」

 

「……黙れ」

 

 

轟の瞳に、昏い光が宿る。

 

触れられたくない部分。

封じ込めたはずの過去。

 

それを土足で踏み荒らされる不快感に、冷気が爆発的に膨れ上がる。

 

 

「君は半分で、僕は全力だ!! いつだって、身体を壊す覚悟でやってる!!」

 

 

緑谷が地を蹴った。

先ほどよりも鋭く、深く、コンクリートを抉る踏み込み。

 

今出せる全力のワンフォーオールのエネルギーを全身に循環させた拳が、轟が咄嗟に展開した氷の防壁を粉々に粉砕し、その本体へと肉薄する。

 

 

 

「──だから、負けない!! 負けられないんだ!!」

 

 

 

重い一撃が、轟の腹部を捉えた。

ガードの上からでも内臓を揺らす衝撃。

 

 

「が、ぁ……ッ!」

 

 

リングの端。

場外まであと数センチというところで轟は背後に巨大な氷の柱を生成し、背中を打ち付けることで強引に落下を食い止めた。

 

場外ギリギリで踏みとどまった轟は、荒い息を吐きながら緑谷を睨みつけた。

 

彼の右半身は酷使しすぎた冷気によって霜に覆われ、白く変色している。

体温の低下により、動きに微かな遅れと震えが生じ始めていた。

 

 

(……クソ。氷結の使いすぎだ。身体が軋んでやがる)

 

 

轟は自分の中に燻る「始まりの記憶」を思い出していた。

 

 

憎い父親、エンデヴァー。

 

勝利への道具として産み落とされた自分。

 

そして——その父の暴力と狂気によって精神を病み、自分の左側()を見て「汚らわしい」と涙を流した母。

 

あの日、凍りついた母の涙。

 

熱湯を浴びせられた左目の火傷跡が、今もズキズキと疼く気がした。

 

 

 

(俺は、あいつ(親父)の道具にはならない。あいつの個性()を使わずに一番になることで、あいつを完全に否定する)

 

 

それは誓いであり、呪いだった。

轟は震える右腕を掲げ、再び氷の奔流を放とうとする。

 

 

「……左は、絶対に……」

 

 

頑ななまでの拒絶。

 

だがその視線の先にいる緑谷はボロボロになりながらも、決して諦めない瞳でこちらを見据えていた。

 

 

「……なんでだ。なんでそこまで……」

 

 

轟の声が漏れる。

 

 

「君は震えてる」

 

 

緑谷の声が、冷たい空気を切り裂いた。

 

 

「個性は身体機能の一つだ。使いすぎれば身体に毒なのは、君も同じなんだろう!? 君自身が、その氷に耐えきれていないじゃないか!」

 

「……それがどうした」

 

「僕たちは、みんな本気でやってる! 身体を壊す覚悟で、誰よりも上に行きたいって、夢を叶えたいって……必死なんだ!」

 

 

緑谷が一歩、前へ出る。

その一歩は轟が築き上げた拒絶の壁に、ヒビを入れるような重みを持っていた。

 

 

 

「なのに君は……『勝つため』じゃなく、『父親を否定するため』に戦ってる! そんな中途半端な覚悟で……僕たちの前で、立ち止まるな!!」

 

 

 

「ふざけるな……! 俺は……!」

 

 

 

轟が激情に任せて走り出す。

動きは鈍く、氷の生成速度も落ちている。

 

緑谷は痛みで悲鳴を上げる拳を握りしめ、迎え撃つ構えを取った。

 

 

殴り合い。

 

 

氷の礫が緑谷の頬を切り裂き、緑谷の拳が轟の腹部にめり込む。

 

 

「全部、君のお父さんのものなのか!?」

 

「──ッ!!?」

 

 

轟の動きが止まる。

脳裏をよぎる記憶の奔流。

 

 

母の言葉。

 

テレビの中で笑うオールマイト。

 

そして幼い頃の自分が抱いていた、純粋な憧れ。

 

 

『血に囚われることはないのよ』

 

『なりたい自分に、なっていいんだよ』

 

 

そうだ。

 

 

俺は、何になりたかった?

親父を否定する復讐者か?

 

 

違う。

俺は──

 

 

 

「──それは、君の力じゃないか!!」

 

 

 

緑谷の魂の絶叫が、轟の心を覆っていた分厚い氷を内側から爆砕した。

 

 

 

 

ドクン、と心臓が熱く脈打った。

 

身体の芯から湧き上がる熱量。

 

それは父親への憎悪ではない。もっと根源的な、生命力としての炎。

 

 

 

 

「……ぁ……あぁぁぁぁぁぁッッ!!!」

 

 

 

轟が咆哮する。

刹那、彼の左半身からスタジアムの観客席まで熱波が届くほどの、天を衝くような爆炎が噴き出した。

 

 

「うわあ熱っ!?」

 

「なんだ今の炎!?」

 

 

右半身を覆っていた霜が一瞬で溶け落ち、蒸発して白い湯気となる。

 

 

冷め切った心を、父親への憎悪という名の氷を、すべて溶かし尽くす熱き魂の解放。

 

 

炎の中に立つ轟の表情は憑き物が落ちたように穏やかで、しかし確かな狂気と熱意に満ちていた。

 

 

 

「……使っちまったじゃねえか」

 

 

 

轟は自分の左手を見つめた。

そこには忌み嫌っていたはずの炎が、美しく揺らめいている。

 

 

「……すまねえな。ここからは、加減ができねえ」

 

「……うん」

 

 

緑谷は微笑んだ。

全身傷だらけで、指もボロボロの状態で、それでも彼は嬉しそうに笑った。

 

 

「……お前も、やっぱり狂ってるよ。(ヴィラン)に塩を送るなんてな」

 

「勝ちたいからさ……全力の君を超えて!」

 

 

 

 

 

 

「……行くぜ、緑谷」

 

「来い……轟くん!!」

 

 

 

次の一撃ですべてが決まる。

会場の空気が、熱気と冷気の衝突によってきしみ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

スタジアムの空気が悲鳴を上げていた。

轟焦凍を中心として急速な温度変化が巻き起こっているからだ。

右半身から放たれた極低温の冷気によって冷却された空気が、左半身から放たれた灼熱の炎によって一気に加熱される。

 

急激な温度差による空気の膨張。

それはいわばスタジアム全体を砲身とした、巨大な気化爆弾の準備動作に他ならない。

 

 

「セメントス!!」

 

「分かっている!」

 

 

審判席のミッドナイトと防御壁を担当するセメントスが同時に動き出す。

これまでの学生レベルの試合ではない。

これ以上はどちらかが死ぬか、あるいは観客席まで余波が及びかねない。

 

 

「やめなさい二人とも!!」

 

 

ミッドナイトが叫び、自身の衣服を引き裂いて「香油」の個性を散布しようとする。

セメントスが両手を地面に叩きつけ、幾重ものコンクリート壁を二人の間に隆起させる。

 

 

だが、遅い。

覚醒した二人の若き怪物は、大人の制止など待ってはくれない。

 

 

「ありがとう、緑谷……この力で、俺は」

 

 

轟が左足を一歩引く。

炎と氷が混ざり合い、陽炎となって揺らめく。

 

 

 

「……ヒーローに!!」

 

「……負けない!!」

 

 

 

緑谷もまた、構えた右腕に全神経を集中させていた。

 

赤く染まる視界。

迫り来る爆熱の予感。

 

 

その極限の刹那、緑谷の脳裏に保健室での難羽の言葉ではなく、以前彼と交わしたワンフォーオールの本質についての会話がフラッシュバックした。

 

 

 

 

『いいか緑谷。お前のワン・フォー・オールという力は、単に肉体を超人化させるバフじゃない』

 

 

かつて、放課後の教室で難羽は黒板に図を描きながら言った。

 

 

『それはお前の中に蓄積された、膨大なエネルギーそのものだ。今のお前は、そのタンクから溢れたエネルギーの「余波」である衝撃波で戦っているに過ぎない。実際あれだけのパワーを放つことに耐えられるオールマイトの肉体は、それより弱いはずのヴィランの攻撃で怪我をしている。だがあの異常なタフさ。おそらく出力が上がった場合、ゲーム的に言えば防御力ではなくHPが増幅するような感じになるだろう』

 

 

 

『ならそのエネルギーを拡散させず、一点に、ライン上に凝縮して放出したらどうなる?』

 

 

 

(……イメージしろ)

 

(卵を破裂させないイメージじゃない。全身に巡らせるイメージでもない)

 

 

緑谷の右腕の中で血管の一本一本、細胞の一つ一つが、黄金色の光で満たされていく。

 

それはもはや筋肉の力ではない。

 

体内に宿る「歴代の力」そのものを、右拳という銃口に装填する感覚。

 

 

 

「……溢れ出るエネルギーを、逃さず、一点にみなぎらせる!!」

 

 

 

迫り来る轟の爆炎。

 

緑谷は、放たれる拳の軌道(ライン)を、自分の中から溢れ出す黄金の輝きで塗りつぶしていく。

 

 

それは風ではない。

 

 

 

純粋な力の奔流。

 

 

 

物理的な打撃を超えた、エネルギーの刺突。

 

 

セメントスが作り出した五重のコンクリート壁が、二人の間に立ちはだかる。

だが、そんなものは紙切れ同然だった。

 

 

 

「行くぞオオオオオオッ!!」

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 

 

轟が解き放つ、膨張熱波の大嵐。

 

緑谷が突き出す、収束した力の槍。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「デトロイトォ……ストレェェェトオォォッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音が、消えた。

 

 

あまりに巨大なエネルギーの衝突は人間の聴覚の許容量を超え、世界を一瞬、無音の光で塗りつぶした。

 

直後。

 

 

ズゴオオオオオオオオオオオンッ!!!!

 

 

天地がひっくり返るような轟音。

セメントスの壁が一瞬で粉砕され、礫となって四散する。

熱風と衝撃波が混ざり合い、スタジアム全体を揺るがす大爆発が巻き起こった。

観客席の最前列にいたプロヒーローたちですら、吹き飛ばされないように手すりにしがみつくのが精一杯だ。

 

 

「……なっ、なんだ……何が起きたんだァ!!」

 

 

プレゼント・マイクの叫び声すら、爆風にかき消される。

土煙と蒸気、そして砕け散った氷の破片がキラキラと舞い、リング上の視界を完全に遮っていた。

 

誰が勝ったのか。

いや、二人は生きているのか。

数万人の観衆が唾を飲み込み、静寂の戻りつつあるフィールドを凝視する。

 

やがて。

一陣の風が吹き、濃密な粉塵のカーテンがゆっくりと開かれた。

 

 

「……あ……」

 

 

誰かの漏らした声が、さざ波のように広がる。

 

リングの中央。

爆心地の真っ只中。

 

右袖が弾け飛び、焦げ付いた緑のコスチュームを纏った少年が立っていた。

 

右腕はどす黒く変色し、力なく垂れ下がっている。

全身傷だらけで立っているのが奇跡のような状態。

 

だが、その赤いスニーカーは、しっかりと大地を踏み締めていた。

 

 

緑谷出久だ。

 

 

そして、その視線の先──

 

リングの外、壁際の緩衝材に深く打ち付けられ、力なく崩れ落ちている少年の姿があった。

 

 

轟焦凍。

 

 

彼は意識を失い、静かに眠るように目を閉じていた。

 

 

放たれた「デトロイト・ストレート」のエネルギー密度は轟の熱膨張の拡散力を一点突破で貫き、その余波だけで彼を場外まで吹き飛ばしたのだ。

 

 

ミッドナイトが、震える手で旗を上げた。

 

 

 

 

 

「……と、轟くん、場外! ……勝者、緑谷出久!!」

 

 

 

 

 

一拍の間の後、スタジアムが割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。

 

空気が振動するほどの熱狂。

 

それは単なる勝敗への賛辞ではなく、魂を削り合うような名勝負を見せてくれた二人の若きヒーローへの最大限の敬意だった。

 

 

緑谷は感覚のない右腕を左手で支えながら、ゆっくりと呼吸を整えた。

激痛はある。

疲労も限界だ。

 

だがその瞳には敗者への敬意と、自らの殻を破った者だけが持つ確かな光が宿っていた。

 

 

(……勝った。……勝てたんだ)

 

 

彼は空を見上げ、心の中で自分を導いてくれた師と、背中を押してくれた友に感謝した。

 

 

 

「……ありがとう、轟くん」

 

 

 

呟きは歓声に消えたが、その表情は晴れやかだった。

 

雄英体育祭、準々決勝第一試合。

 

 

後に語り継がれるであろう伝説の一戦は、緑谷出久の劇的な勝利で幕を閉じた。

 

 

 

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