準決勝、第一試合。
本来であれば緑谷出久と難羽輪太郎による、互いの意地と信念を懸けた激突が始まるはずだった。
しかしリング上に現れた二人の姿を見て、スタジアムは異様なざわめきに包まれた。
審判のミッドナイトでさえ、その光景に目を丸くし、思わずムチを突きつけて試合開始を止めたほどだ。
「……ちょっと待ちなさい! 緑谷くん、その左腕の装備は何!? それ、さっきまで難羽くんが装備してた盾じゃない!」
緑谷出久の左腕にはあの円形の盾がしっかりと装着されていた。
緑谷自身も困惑しているようだが、装着された盾は彼のガントレットを装着した腕に吸い付くように固定されている。
「どういうことだ? 敵に武器を渡したのか?」
「舐めプか? それとも何か罠があるのか?」
観客席から飛び交う憶測。
だが当の難羽は悪びれる様子もなく紺色の体操服の襟元を正しながら、涼しい顔で答えた。
「理由なら単純だ、審判……彼はテスターだ」
「テスター?」
「緑谷は先の轟戦で、腕に深刻なダメージを負っている。だが彼は形式上であっても最後まで戦うことを望んだ……先の試合で、サポート科の発目明が飯田天哉に自作アイテムを供与し、性能試験を行っていたはずだ。その延長線上にある『実証実験』に過ぎない」
難羽はスラスラと、もっともらしい理屈を並べ立てた。
本来サポートアイテムの使用は申請が必要だが、発目と飯田の前例がある以上、完全に禁止とは言い切れないグレーゾーン。
何より、「負傷した生徒を守るための措置」という大義名分を掲げられれば、教師であるミッドナイトも無下に却下しづらい。
「う……それはそうだけど……でも……」
ミッドナイトが毒気を抜かれたように言葉を濁す。
難羽の屁理屈は強引ながらもこの体育祭という「自己アピールの場」において、否定しきれない妙な説得力を持っていた。
しかし当の緑谷はそんなルールの話よりも、腕に伝わる感覚に意識を奪われていた。
(……どうしてだろう。初めて付けたはずなのに、驚くほど手に馴染む)
重すぎず、軽すぎない。
重心のバランスが完璧に調整されており、腕を振っても遠心力で振り回される感覚がない。
まるで、最初から自分の腕の一部として設計されたかのようなフィット感。
そして何より──緑谷は、盾の表面を見て息を呑んだ。
(……色)
難羽が普段使っているなら無機質な金属色や、彼好みの黒でもいいはずだ。
だが、この盾は丁寧に塗装されていた。
緑谷のヒーローコスチュームと同じ、深く、鮮やかな「緑色」に。
「……難羽くん、これ」
「勘違いするなよ。余っていた塗料の在庫処分だ」
難羽は緑谷の問いを遮り、サングラスの奥で鋭い光を放った。
「言ったはずだ。次の試合はデモンストレーションだと……突っ立っている暇はないぞ、緑谷。お前のそのボロボロの腕で、私の『最高傑作』の性能を証明してみせろ」
難羽が構える。
その言葉は挑発であり、同時に奇妙な信頼の証のようにも聞こえた。
「準決勝、第一試合! ……レディ、STARTォ!!」
ミッドナイトの号令が響いた瞬間、難羽の姿がブレた。
(来る……!)
緑谷が身構える暇もなく、難羽は鋭い踏み込みを見せた。
流れるような動作から放たれる、重く鋭いローリングソバット。
回避は間に合わない。
緑谷は咄嗟に、渡されたばかりの緑の盾を前面に突き出し、その蹴りを受け止めた。
重い衝撃音が響く。
だが──
「──え!?」
緑谷の目が驚愕に見開かれた。
衝撃がない。
右腕ほどではないとはいえ、先ほどの試合でボロボロになり、少し触れるだけでも激痛が走るはずの左腕が全く悲鳴を上げないのだ。
難羽の体重が乗った重い蹴りのエネルギーが盾に触れた瞬間波紋のように表面拡散し、内部の特殊ゲルと積層構造によって完全に中和され、霧散している。
「……すごい。全然、痛くない……!」
「当然だ。その盾はあらゆる物理的衝撃を構造で分散する。流石に概念系の個性を無効化はできんが……後先考えずに怪我をするお前には、これ以上ない補強パーツだろ」
難羽は攻撃の手を緩めない。
立ち止まらず、今度はボクシングスタイルのラッシュを盾に叩き込んだ。
ジャブ、ストレート、フック、ボディ。
的確かつ容赦のない連撃。
だが緑谷は盾を直感的に操り、その全てを涼しい顔で捌いていくことができた。
(見える……! 盾があるだけで、こんなに視界が確保できるなんて!)
これまでの緑谷は自分の身を削って攻撃を受け止めるか、回避に専念するしかなかった。
だが「盾」という選択肢が増えたことで、彼は相手の攻撃を安全圏で処理し、次の動作へ移る余裕を手に入れたのだ。
そう思った矢先だった。
難羽の動きが、突然変則的なものへと変わった。
「──調子に乗るなよ」
「っ……!?」
正面への突きから一転、難羽が放った踵落としが盾の縁にガコリと引っかかった。
打撃ではない。
盾の形状を利用した、フックのような崩し技。
強引に盾を引っかけられた緑谷は、テコの原理でいとも容易く前方へと引きずり出された。
「……!?」
「付ければ防御力が上がる魔法の道具じゃない」
バランスを崩し、無防備になった緑谷の顔面。
難羽はそこに追撃を入れることもできたはずだが、あえて平手で軽く突き飛ばすだけに留めた。
「使いこなせなければ、それは取っ手のついた弱点に過ぎない……受け流し、打撃、閃光、バリア、選択肢が増えれば新たな考慮すべき弱点も増える」
難羽はリングの上で、淡々と説教を垂れる。
それは試合というよりも、マンツーマンの
緑谷はよろめきながら体勢を立て直し、そして確信した。
在庫処分なんかじゃない。
実験なんかじゃない。
この盾のサイズ、重量バランス、そしてグリップの形状。
その全てが、今の緑谷出久の身体に合わせて、完璧に調整されている。
「……これ、僕のために作ってくれたんだね、難羽くん」
緑谷の声に、難羽の動きが止まる。
彼はフンと鼻を鳴らし、体操服のポケットに片手を突っ込んだ。
「……お前の憧れのオールマイトは、人を庇って傷を負うことが多かった……庇う暇があるなら、最初から盾くらい持っておけという話だ」
その言葉はぶっきらぼうで、冷たく聞こえるかもしれない。
だが緑谷には、その奥にある不器用な優しさが痛いほど伝わってきた。
「君は傷ついていい人間じゃない」
そう言われている気がした。
「……うん……ありがとう、難羽くん」
緑谷は盾を強く握りしめた。
その緑色の盾は単なる防御兵器ではなく、友人から託された「生きろ」というメッセージそのものだった。
「……礼には及ばん。さて」
難羽は周囲を見渡した。
観客もミッドナイトも、この奇妙な師弟のようなやり取りに静まり返っている。
目的は果たした。
緑谷に武器を与え、その有効性を証明し、そして彼の意識を変えた。
「一点物のプレゼンは、これで終わりだ」
難羽がよろめいた緑谷の懐へ飛び込んだ。
打撃ではない。
彼は緑谷の左腕を、ガシッと自身の左腕で掴んだ。
「えっ……」
緑谷の頭に、嫌な予感がよぎる。
この盾が自分のための「守り」だとするならば、難羽が装着しているもう一方の腕──一度も使われていない右腕のガントレットは何のためのものか。
緑谷は治療を受けていたため、その正体を知らない。
難羽が不敵に笑う。
「──
難羽の右腕から凄まじい爆発音が轟いた。
ガントレット内部の燃料が衝撃によって炸裂し、手のひらから爆破という形で出力する。
そして難羽の肉体を軸として、凄まじい回転力へと変換される。
「う、わあああああああ!!」
掴まれた腕を支点に緑谷の身体が木の葉のように舞った。
柔道の投げ技ではない。
爆発の推進力を利用した、人間投石機。
遠心力の塊となった緑谷は抵抗する術もなく空を飛び、そのままリングの外へと放り出された。
放物線を描く緑谷。
だが彼は空中で体勢を整え、左腕の盾を地面に向けた。
芝生の上に着地する瞬間盾が衝撃を吸収し、彼は無傷で転がった。
不思議と痛みはなかった。
難羽がくれた盾が、敗北の痛みさえも和らげてくれたかのようだった。
「……じょ、場外! 準決勝、第一試合勝者。難羽輪太郎!!」
ミッドナイトの声がスタジアムに響く。
難羽は右腕のガントレットからシューッと立ち昇る白煙を振り払い、リングの下で呆然と座り込んでいる緑谷を見下ろした。
「……いいデータが取れたぞ、緑谷」
難羽はサングラスを外し、その素顔を晒して微笑んだ。
「その盾は返さなくていい。返品不可だ。……次までに、使いこなせるようになっておけ」
一人の少年のためだけに行われた、あまりに贅沢で、あまりに強引なプレゼンテーション。
それは難羽輪太郎なりの、緑谷出久という無茶をするヒーローに対する、精一杯の武装の授与であり、友情の証だった。
緑谷は腕に残る盾の重みを感じながら、深々と頭を下げた。
その緑色の盾は西日に照らされ、希望のように輝いていた。